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最初に私の話をさせてください。私は数年前、大切な人を亡くしました。離れて暮らしており、死後の姿も見ていないので実感が湧きませんでした。そのとき私は、まだ死者になって欲しくない、別の世界で突然絶たれた人生の続きを全うして欲しいと思いました。彼はまだ若かったのです。

もし、あなたの大切な人が突然亡くなってしまったら、あなたはどう思いますか?亡くなった人にどんな風に思いを馳せますか?天国でゆっくり休んで欲しい、まだ生きていると思いたい、色々あると思います。体験談でも、想像でも結構です。否定したりはしません。宗教等に捕らわれず、素直に感じることを書いていただけたら嬉しいです。よろしくおねがいします。

A 回答 (8件)

今の恋人と言うのを前提とします。



とりあえず死後、彼は間違いなく私の所へきますので、部屋の掃除など「見られている意識」による行動をとると思います(すでに遅いかもしれませんが^^;)。普通に彼をそばに感じた生活になると思います。下手すると独り言とか、あるかもしれませんね。


「彼の分までしっかり生きなければ」なんて考えには到底なり得ません。そんなに強い人間にはなりたくありません。おいおい、自殺すると思いますね。頃合を見て。「天国で彼が悲しむ」とか、関係ないです。


とりあえず「触れないのを少し我慢しててね」と言う感じだと思います。
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この回答へのお礼

死後も恋人の魂を感じる、ということですね。「間違いなく私の所へきますので」という言葉に現在の結びつきの強さを感じました。
なるほど。恋人と歩くことはミシン目のようなものなのだろうなと思いました。上下どちらかの糸が抜けてしまったらだめなのですね。

「その人の分まで生きる」ことは、亡くなったその人を自分の生の歩みに近づけること(想い続けることで生かすこと)、自殺は、自分をその人の死後の歩みに近づけること(死後の世界で共に過ごすことを願うこと)、という違いがあるような気がしました。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/11 17:44

両親が20代前半で他界したので、体験談になります。


往かないで一緒に居てほしかったです。もう会えないという事が信じられず、理解できませんでした。「なんで居ないの…」と疑問で仕方なかったですね。
今も「ゆっくり休んで」もありますが、「傍でいつも見守っていてね。」の感情の方が強い気がします。
何にもしてあげられなかった後悔があるのと、私がまだ子供なだけかもしれませんが、天国よりも傍にいてほしいです。
あと両親の分まで幸せにならなければと思っています。
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この回答へのお礼

体験談を聞かせてくださってありがとうございます。
私は丁度今20代前半なので、ご両親が突然亡くなったことの辛さや悔しさが想像の域ではありますが伝わりました。(私が亡くした人は父なのです。)
天国ではなく自分の側にいて欲しいという気持ち、なんとなく分かります。生きようとする者にとって死者の国はやはり遠いですよね。
「親は子供の幸せを願うもの」と聞きます。「両親の分まで幸せに」と思って頑張る時、ご両親が背を押してくれてるのかもしれないですね。
貴重な体験談ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/11 17:22

私も#4の方と同じく、大切な人が誰かで変わると思います。


たとえば、親だったら年の順で行けば、自分より先というのは
ある程度覚悟をしていますから、その時は悲しむでしょうが時が癒してくれると思います。天国で見守っていて欲しい。。と願うでしょうが・・・
また、主人だった場合は、悲しんでいる暇も無いと思います。子供達を育てなければ・・という気持ちが先になってしまって。

子供達だったら・・・考えただけで涙が出てきます。
この子達が私より先にこの世からいなくなる。。想像できません。
1人だけ先に行ってしまったら・・・悲しみにくれますが残ったもう一人のため、きっと残されたこの子のために生きなければ!と考えるでしょうが、子供達が二人とも一度にいなくなってしまったら
迷わずあとを追います。
天国への道がわからず泣いていたら可愛そうですから。

この回答への補足

「読んでいて、~」の部分、文が抜けてしまいました。「読んでいて、お子さんたちへの思いが伝わってきました。親の愛は深いのですね。(私はまだ子供の立場で親に頼っている状態なので。)それならば戦時中~」と訂正します。すみません。

補足日時:2007/08/10 23:16
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この回答へのお礼

いろんな立場で考えてくださってありがとうございます。
亡くなった後に天国という別の国を考えていらっしゃるのですね。別世界で生きる余地を与えるということなのかなと思いました。亡くなった後もどこかにいて欲しいと願うのでしょうね。
読んでいて、戦時中子供を送り出さなければならなかったの親はどれだけ辛かったろうと思います。私は想像することもできませんが。
余談すみません。貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/10 23:15

天国に行って欲しいと祈ります。


たまのお墓参りは必要だと思いますが、あまり思いつめると本人が成仏できないと聞いたことがあります。
なので、なるべく早く明るくなれるように前向きに生きようと思うでしょう。
忘れるというのとは違うでしょうね。
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この回答へのお礼

その人が心配しないように明るく生きようとすることは死後もその人を想い続けることですね。確かに忘れるのとは違いますね。天国のその人を思うことはむしろ自分の命がある限り永遠に生きさせることなのかもしれません。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/10 23:02

大切な人によるかもしれません。


例えば親なら諦めます。
でも自分の子どもとか愛する女性が死んだ場合は自殺します。
人格に代わりというのは無いですから、愛する対象が死んだ場合は、
自分の生を肯定できないので、死ぬことになると思います。
愛する人が死んだ後も、飯を食い、睡眠をとり、排泄することは拒否せざるを得ませんね。
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この回答へのお礼

なるほど。確かに大切な人が誰かにも寄るかもしれません。自分とその人の年齢も。
愛する者の生と自分の生が深く結びついている、ということですね。
ひとりの命の重みとはこういうことを言うのかもしれません。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/10 22:52

こんにちは。



変な話ですが、自分は、だれかと同じ時間を共有するとき、
この時間が、お互いが会える最後の日になるかもしれない、と
思って、人と接しています。
ですので、後悔はしないつもりです。
死者に後悔しても、なかなか伝わりにくいし、
生きている事が悲しくなることだと思うので、後悔しないように
すごしています。

もし、大切な人が突然亡くなってしまったら、
哀しいですが、大切な人が生きているうちに自分とめぐり合えて
限られた時間でも、一緒の時間をすごせたことを
感謝するとおもいます。
死んだ後のことは、そのときになってみないとわかりませんが、
死んだ人にたいして、あれこれと思えるのは、
生きている特権だとおもうので、後を追って死のうとか、
生きている意味がもう無くなったとは、思いません。

肉体はなくなっても、生きている人のこころのなかで
思い出として、あるいは、仮想の肉体として
いまあの人がここにいたら、こういうだろうなとか、
この中だったら、これを食べたいって言うだろうなとか、
想像は、すると思います。
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この回答へのお礼

後悔しないように過ごす、というのは素晴らしい心がけですね。私は思っていても実行できませんでした。何に対してもそういう気持ちで接していくことが今を大事に生きるということなのでしょうね。

とても前向きなご意見ですね。感謝するというのは自分にとっても亡くなった方にとってもよい作用があるように思います。

亡くなった人は、その後もずっと生きている人に同行するということですね。想像の中で。肉体がいなくなっても最初からいなかったようにはならなず、「もしあの人なら~」という想像をするというところが人間の心の神秘的なところだなと思います。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/10 20:20

さぞお辛かったことでしょう。



私は、彼女が亡くなったら最初は、呆然とし無気力になり、次に多分怒りがわくかなと思います。理不尽さに怒りがわくと思います。
病気でも、交通事故でも、災害でも、通り魔でも原因は問わずです。
いなくなったことを必死に理解しようと努力すると思います。
彼女のこれから送るはずだった人生を想像し啼くと思います。
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この回答へのお礼

お気遣いありがとうございます。

私も最初は怒りが湧きました。納得がいかなかったです。でも誰にでも時間は平等にあるわけではないのですよね。
死をお終いと考えないから「もし~だったら」と想像するのかなと想いました。
貴重なご意見ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/10 20:04

実際その時になってみないと分かりません。


その時感じたことを尊重したいと思います。
なので想像したところであくまで想像だと思います。
実際にその場に立ってみたら全く違う感情が涌くと思います。
なので想像しません。
また、生きているのにそんなこと想像するのはどうかと思います。

この回答への補足

お礼への補足といいますか言い訳なのですが、私はライフストーリーについて興味があり、失った人やものに対する意味づけについて勉強しています。今回はその一環で質問させていただきました。不適切な質問であったと思います。貴重なご意見ありがとうございました。

補足日時:2007/08/10 19:16
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この回答へのお礼

そのとおりですね。不謹慎な質問申し訳ありませんでした。

お礼日時:2007/08/10 18:59

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