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ある本に、「雪舟の弟子、狩野正信が・・・」と書かれており、その事について詳しく知りたいと思ったのですが、調べても関係がよく分かりません。
正信の師が宗湛、宗湛の師が周文ということまでは分かりました。
が、正信と雪舟は直接なんらかのつながりがあったのでしょうか?

また、狩野派と雪舟の関連についても知りたいので、教えてくださるとありがたいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

雪舟は、相国寺に「知客」という僧籍にあったことは、記録にありますが、その後、京都を出て、山口の大内氏の肥後をうける40歳までの雪舟の画業は、全く不明です。


つまり、絵の評価を全く受けていなかったと言うことです。
一方、正信はそのころすでに、義政に仕え小栗宗湛の名代として絵を描いていましたから、雪舟の弟子というのは何かの間違えではないでしょうか。
もし、何の書籍にそのような記述があったのかをお教えいただければよいのですが

また、雪舟と正信の画風を比べてみれば、雪舟の精神的な画境と正信の平明で装飾的なものとの違いがお分かりになると思います。
雪舟は、渡明後はあまり京都とは関係を持っていませんから、狩野派との関連もほとんどないのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が大変遅れまして申し訳ありません!
そうですね、おかしいなとは思っていたのですが画風も似ていませんし、間違いのようですね。
本は図書館で借りたもので既に返却してしまったので、すみませんが題名は忘れてしまいました。雑誌の「日本の美術」のどれかだったかもしれません・・・。
とても参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/18 11:33

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