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なんで永遠でないのでしょう?

A 回答 (15件中1~10件)

 


>人の心は何故変わるのですか?
>なんで永遠でないのでしょう?

人の心は、変化するので「永遠」なのです。変化に対立するのは、「無変化」で、「永遠」ではないのです。

これに続くもう一つの質問にすでに回答を書いてしまっているので、少し変な話の順序に内心感じられますが。

誰かに対する愛や信頼や、誰かによる愛や信頼などは、同じ形のままには留まっていません。これが「人の心が変る」ということですが、愛や憎しみや信頼は、人の心が変るので、成立しているとも言えるのです。

生まれたとき、最初に見たものを、親だと認識し、インプリンティング(すりこみ)される鳥ではありませんが、もし、生まれたとき、母親を愛し、その愛がいつまでも続くなら、人間は成長しないでしょう。赤子の愛の形が何時までも変化しないのなら、赤子のままで、心の成長がないのです。

親とのあいだで愛情が相互的になるのは、子供も親も成長し、経験し、変化して、新しい愛の形を見出し作り出すからでしょう。

恋愛においても、最初に会ったとき抱いた感情が何時までも同じままなら、愛の深まりとか、理解の深まりなどもないでしょう。どこかの時点・瞬間での愛や信頼が最高で、それが何時までも続けばよいということかも知れませんが、何時までも続いた場合、人は、縛られていると感じるでしょう。

素直な感情として、他者との関係があるのでなく、どういう理由か、束縛されて、ある感情状態に置かれているということになるでしょう。

十年も二十年も、いや、一生続くような、心の関係を築くことも不可能ではないでしょう。それは、人の心が変化することを知って、それでも変化しない互いの信頼があれば、それが崩れないように、互いを尊重し合って築いて行く関係なら、どちらかが死ぬときまで続くこともあるでしょう。

しかし、そうして、何十年も経ったあと,振りかえってみたとき、「変化しなかった」のは、実は、色々な変化の上で、何時も、その都度、新しい愛や信頼を確認してきたので、一見、変化しなかったように思えることに気づくでしょう。

心が変化しないと、そもそも意識がないことになり、死んでいることになります。生きている限り、心は変化し、変化するからこそ、成長し、色々な出会いの可能性も開かれ、新しい信頼や人間関係もできるのです(また、別れもあり、失望や、人間関係の崩れも起こるのです)。

誰との関係でも、日々、細かい変化があるので、成立できるのです。変化していないと思っても、変化しているのです。

最初に記したように、「変化」の反対は「無変化」で、人の人生もいのちも心も、無変化ではないのです。瞬間瞬間に人の心は、躍動しているので、希望が生まれ、躍動がうまくいのちを輝かさないとき、憂鬱が生まれるのです。

この瞬間瞬間の躍動が、人生の生きる意味を造りだし、心の変化と成長をもたらし、そして、それ自体が「永遠」であるのです。

何故,瞬間瞬間が、「永遠」であるのか、次の質問の回答で、少し記しました:

>No.343404 質問:永遠がないのなら・・・
 
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この回答へのお礼

>恋愛においても、最初に会ったとき抱いた感情が何時までも同じままな
>ら、愛の深まりとか、理解の深まりなどもないでしょう。どこかの時点・>瞬間での愛や信頼が最高で、それが何時までも続けばよいということかも>知れませんが、何時までも続いた場合、人は、縛られていると感じるでし>ょう。

確かにそうかもしれません
時間が経つと相手を信頼できるようになっているはずだし

ちょっとのことで、取り返しのつかなくなることもあって・・・
なんか人生って難しいですね
生きてきて、なんか初めて挫折しています
何でも乗り切って来たのにな
なんでだろう・・・

お礼日時:2002/09/01 11:15

 永遠な訳ないでしょう。

何故って、何かを約束する私と、約束を実行する私は別の人ですもの。だから何であんな約束をしてしまったかと後悔するのです。無責任極まりないですね。自分がやるのでもないくせに。
 明日六時に起きようと決心する私と実際に起きる私は別の人です。かってですね。自分が起きるのでもないくせに、だから、お母さんから幾ら起きなさいって言われても、起きようとしません。
 でも、何か可笑しいけど、記憶を辿ってみると、決心した記録が見つかります。私が書いたんじゃないけど?
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この回答へのお礼

そうですね。
気持ちって変わるものですよね。

お礼日時:2002/11/05 12:26

    人の心なんて水面に浮いた水草です。


    人の心なんてコロコロお天気みたいに変わるから心というのです。
    変わらないことには、進化しないという意味合いと
              守り抜くと言う清い側面があります。
    川の水も流れます。流れて海に行きます。太陽に照らされて蒸発します。
    雨になって落ちてきます。地面から水が湧き出て山の方から川となって流れます。
    上手くいえませんが、この世にあるもの全てが変化しつづけていると思います。
    そういう制約の中で私たちは生かされ、学び成長してくちてゆくのだと思います。
    永遠とはつくり上げてゆくものなのではないでしょうか。
    かんがえさせていただきました。
    失礼を致します。
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この回答へのお礼

確かにころころ変わりますよね
気持ちは!
ちょっとのことで、変わってしまう
それって、すごく怖いことだし、そう思って、相手の気持ちばかり考えて行動したら、自分らしさがなくなってしまうから・・・
永遠は作り上げていくものとのことですが、私のこころが変わっても私の心であることには、変わらないのだから、確かに永遠で、それは、どんどん成長しないとだめですよね
ありがとうございます

お礼日時:2002/09/01 11:19

変化しないことが「永遠」じゃないんです。


「変化しながら永遠に存在し続ける」コレです。
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この回答へのお礼

難しいですよね
変化しても、私の心は私の心でありことに違いない、それは永遠にそうですよね
変化しながら、存在して・・・

お礼日時:2002/09/01 11:16

人間の心は永遠性を持って創造されています。

永遠なる神様は、人
間を愛する対象として創造されましたので、その人間の心も永遠性
を持っています。それでなければ、どうして、永遠を願う心があり
得ましょう?本性が永遠性を持つので、永遠を誰しも願うのです。

しかし、人間始祖が、神様の戒め「善悪知るの木の実をとって食べ
るな」と言われたにも関わらず、完成途上において、偽りの愛の実
をとって食べたので、人類は、血統的に自己中心的な愛の実を結ぶ
ようになってしまいました。これが原罪です。本心と邪心という2
心を持つ矛盾した存在に堕ちてしまいました。

それゆえに、自己中心的な愛は、刹那的、瞬間的、衝動的な愛であ
り、自分を軸としているので、コマのように、いつかは力尽きて倒
れてしまうような愛です。そのような愛は変わりやすい愛だと言え
ましょう・・・。

しかし、何人といえども、そのような愛をもった矛盾した存在とし
て生まれてきたので、そのような人間の人生において、歴史上、い
つも、人間はそのことで悲しんできたのです。理想と現実が違うか
らです。「理想」が最初からなければ、矛盾しているとは言えませ
ん。本来のあるべき状態からはずれてしまっているので、「矛盾」
していると感じるのですね。神様の愛から離れてしまったのです。

ですから、私達人間の「愚行」を許してあげるだけの大きなイエス
様のような偉大な愛を、私達も持てたら良いのですが、それはとて
も難しいことだと思います。我々人間の力だけでは無理なのかも知
れませんね。それ故、人間は、何時の世も、「救い」を求めてきた
のかも知れません・・・。
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この回答へのお礼

<ですから、私達人間の「愚行」を許してあげるだけの大きなイエス
<様のような偉大な愛を、私達も持てたら良いのですが、それはとて
<も難しいことだと思います。我々人間の力だけでは無理なのかも知
<れませんね。

例えば、偉大な愛を持って、相手のすべてを許したとしても、相手の気持ちは相手のものだから、変えられないですよね
それでも、相手を愛するっていうのは、恋愛の愛とは違いますよね
あんまり、大きい愛だと相手にとって重荷になったり、都合がよくなったりしませんでしょうか?

人間って、みんな、愛を持っていても、自己中心ですよね
相手の愛が欲しいから、自分も相手を愛して、自分がここち良くするために、相手に何かしているのかもしれないななんて思ってしまいました

お礼日時:2002/09/01 11:11

人の心を考えた時に、変わる心と変わらない心があるように


思います。

変わらない心とは良心と肉欲(食欲・睡眠欲・性欲)でしょう。

良心が強い人ほど、その人の心は変わりにくいです。
自分の節を決して曲げず、死さえも怖れない人もいます。
歴史上の聖人・義人の足跡を調べてみてください。


しかしながら、そのような志操堅固な人は残念ながらごく
少数であるのが実状です。
ほとんどの人は、周囲の環境から影響を受け、あるいは環境圏
に迎合して、その場その場を生きているのが現実でしょう。

自分の良心が強ければ、環境圏からの影響を受けにくいの
ですが、良心が弱いために環境からの影響を排除できない
のです。

ついでながら、肉欲(食欲・睡眠欲・性欲)もすべての人に
存在しますが、こちらは肉体の生理的状態を反映するので、
環境からの影響がより強くでます。
良心が弱く、肉体の欲求が心に強い影響が出やすいので、
世の中の大半の人は、心が定まらずに変わりつづけている
のでしょう。
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この回答へのお礼

肉欲(食欲・睡眠欲・性欲)は、確かに永遠にあると思います

良心が強ければ、回りの環境から影響を受けにくいのなら、私はすごく良心が弱いかもしれません
周りから言われたことをあ~その通りだなぁっておもってまるで自分の考えのように思ってしまうことも多々あります

心を落ち着けたいと思っています

お礼日時:2002/09/01 11:06

>人の心は何故変わるのですか?


基本的には自由だからと思います。
「変わる」ということは、より良く、より美しく「変える」ことができるということです。

>なんで永遠でないのでしょう?
心の状態は変化しますので、永遠でないと感じられるかもしれませんね。
でも、その変化の中に永遠性があり、心がなくなるわけではありません。
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この回答へのお礼

変わるは、受身だけど、変えるは、こちらから、行動を起こしている感じで、前向きな感じでいいですね

>その変化の中に永遠性があり、心がなくなるわけではありません。
う~ん、いいかもしれない
変化の中にも、永遠性があるんですね

色々なご意見が聞けてとてもためになりました

お礼日時:2002/08/25 20:57

永遠に変化せず、成長しないモノは「心」では無いからです。

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この回答へのお礼

う~ん、「心」は成長するんですね
暖かい気持ちをいっぱい吸収して、やさしい心に成長するといいな

お礼日時:2002/08/25 20:52

学問的な知識が増えたり、喜怒哀楽を経験して精神が刺激されれば、思考・心情にも当然影響があります。



積極的にそうしなくても、生きていればいろいろ経験していくものですし、経験が行動や思考に影響しないというのでは、「変化」はありません。
いわゆる「学習」ということです。人生って、学習の積み重ねなんじゃないですか?

ヒトは他の生物に比べて学習能力が高かった為に、今の姿があるのだと思っています。
地球や宇宙にさえ寿命があるというのに、永遠などというのは客観的には幻想でしょう。
逆にいえば、主観的なものであれば、「永遠」はいくらでも存在できるものだと思います。
あの人への思いは永遠だ、なんていうのは自分で決める事なのですから、自分がそう信じていれば「永遠」に違いないのであります。死ぬまで信じ続ける事ができれば、「永遠」は確定しますよね。
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この回答へのお礼

そういう考え方もあるんですね
でも、死ぬまで信じ続けることが出来たら幸せかもしれません
自分の気持ちも相手の気持ちも信じれなくなって、愛って終わっちゃうような気がするんですけど・・・
そういう風にできるなら、きっと幸せになれるはず・・・

お礼日時:2002/08/25 20:50

難し~い。

(??
それは、「死」があるからかもしれませんね。
「死」があるから「生」があるのかも?(余計に難しくしてるかも^^;)
人間が「永遠」と考える時間を100年と考えるか、1000年と考えるか分かりませんが、今から1000年前の人間も「永遠」のことを考えた人は沢山います。
その時代の人間から今の時代を見ると文明、機械、道具は多くの進化を遂げました。が、生命が営む行為はそんなに多く変化していないように思います。

そう考えると「永遠」て、自分の「根」となるものが「動かず」、その周りをぐるぐる回っている「軸」のようなものだと思います。
だから、その軸の周りを絶えず、動かないと生きていられないので、「心」も絶えず動くのかもかもしれません。

そう考えると、毎年、夏が来ると「暑い」と感じ、早く秋が来ないかなと思います。冬が来ると「寒い」と感じ、春が来ないかなと思います。
これって、変化しないから、「心変わりがない」??

恋愛も同じだと思いますよ。ないものねだりみたい … (^^
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