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江戸城無血開城がなかったら、日本は内戦で外国の植民地になる可能性はあったんでしょうか?逆になぜ日本だけ中国や朝鮮と違って領土の割譲等半植民地化にならなかったのでしょうか。当時の国力や軍事力で比較した場合日本は、中国や朝鮮よりも上だったのでしょうか。

A 回答 (6件)

軍事力より外交努力ですね。


列強が来るのが遅かったために中国の例を見て、あんなになってはいけないという考え方が幕府側にも薩長側にもありましたから付け入る隙を与えないようにした結果が植民地化をふせいだのです。
江戸城開城だけではなんともいえませんが、戦争が長引いていたりすればつけいる隙を与えた可能性はありますね。
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植民地にならなかった理由


・維新の少し前までは徳川幕府を中心として各藩が
 結集していて、国全体がまとまっていた
・武士がいたので武力があった
・日本人の特性として個人利益よりも国益・藩益を考える
 ので、相手国だけの利益になるような行動をとらない
・政敵を倒すために外国の力を借りるという人、殿様がいなかつた
・長州と薩摩は外国相手に戦争を開始したので外国人が
 日本人を怖がるようになっていった
・外国から武器を買うときにちゃんと現金(金貨)で払ったので
 あとになってから、武器の代金として領土をよこせという
 話にならなかった
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危なかったときといえば、戊辰戦争の前後にフランス公使が
徳川幕府に「戦費を貸すから戦争しなさい」と薦めたときですね
このときに慶喜がその話に乗って戦争に突入していれば
たとえ勝ったとしても、フランスから領土割譲などを
迫られていたことでしょう
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軍事力は韓国よりははるかに上だったでしょうが、軍隊の数から
言えば中国のほうが日本よりも多かったでしょうね
多いけれど、一丸にまとまって外国に対抗するという姿勢が
無かったので中国は外国から領土侵略をされたのだと思います
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江戸城無血開城がなくとも、日本が外国の植民地になった可能性は低いです。


理由は、薩英戦争や下関事変等で見せた日本の軍事力にあります。
薩摩藩・長州藩とも、諸外国から見れば東洋の片田舎の国の、一地方領主に過ぎません。
その両藩が、英軍や4カ国連合軍に対して見せた抵抗と、それを鎮圧するために必要とした軍事力と兵站を考えると、植民地にしようとした場合、更に他の国が支援に回る可能性もあり、費用対効果の面からも、躊躇せざるを得なかったと思います。
総合的に判断しますと、鎖国をしながらオランダを通じて、また、密貿易を通じて世界情勢の把握に努めていた日本と、清王朝による統治が長く続き、統治機構の緩みと驕りが頂点に達していた中国では、対応能力が違うのは、自明の理でしょう。
ちなみに朝鮮は論外です。
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植民地までにはならないとしても各地に租界が出来外国軍隊の駐留がおこったでしょう。


江戸城が無血開城といっても不満な幕臣の彰義隊の決起を控えていました。
東北諸藩もこの時点ではまだ佐幕的であり内乱が長引けば利するのは諸外国でした。

当時の諸外国は日本の権益を狙っており、その奪い合いで互いに牽制しあっていました。
フランスは現政府の幕府に軍事顧問団を派遣、借款を提供し、近代装備の軍隊を作ることにより日本の権益を独占しようとしていました。

しかし現実には不成功に終わったのは、イギリスが薩長を援助し妨害したからです。
各藩は独立軍事組織でしたから、幕府は領土の割譲などは到底出来ないことですし、そのような場合の内乱を考えると収拾の見込みは立たない状態です。
諸外国もせいぜい港湾地帯を占領するぐらいの兵力しか投入出来ないのに、内乱が続いては武力介入は困難と見たでしょう。
さらに下関や薩摩との戦争の経験から日本の植民地化にはかなりの軍事力が必要と感じていました。

お互いの牽制もあり静観する事になったのだとおもいます。

当時の日本は国力も武力も混乱状態で国内統一が最優先で中国や朝鮮のことを考えるのはまだまだ先のことでした。
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運良く植民地や欧州が嫌いなアメリカ主導権を握った事が日本に幸運をもたらしたのだと思います。


また、フランスも幕府に加担していましたので、けん制のし合いもあったと思います。(アメリカは独立運動の恩がある。)

軍艦である咸臨丸が無寄航でアメリカに渡航した事で
アメリカの国民感情は日本向きになります。

国民の興味を持つ国を、政府が植民地化するのは国民の娯楽を奪う、
政府の為の政治になり、非難を受けるのではないでしょうか?

私的には、咸臨丸が無寄航でアメリカに行き、新聞で大騒ぎになった。
これが難破していたら日本は植民地になっていたと思います。

神戸事件では神戸を占領されています。

これ以降、全ての問題は国際法で解決する。
この言葉は、両国に当てはまるのです。

国内では、備前藩士は、
供割の相手が悪い。備前藩は外国と戦を交えると一歩も引きません。

滝善三郎の切腹は重要な点で、国内では正しいが、国外では通用しない
事を認めた切腹(全部の問題を一人の腹で済ませた切腹)であった事です。

割譲、植民地化の多くは、筋を通さない強攻策が生んでいます。
アヘンの焼き捨てですが、イギリスの財産です。

攘夷など絵空事だと認識し、産業革命の技術をいち早く導入出来た。
これが日本を救ったのではないでしょうか?
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 当時の日本は、教育水準も高く、それぞれの階層には分かれていても自立・自尊の意識は高かった。

軍艦や大砲を買うくらいの経済力もあった。また、「武士」が存在し、他のアジア諸国に較べると相当の軍事力を保持していた。
 一般的に言われる当時の日本は、諸外国の軍隊に対抗する力がなかった、というのは私は誤りだと思っています。わずか数隻ずつの外国艦隊に、旗本8万騎、雄藩の有した軍事力がはなはだしく弱体であったとは思われません。 ただ、まとまりがなく、戦意も低かったようです。
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