時代劇に登場する大嘘を教えて下さい
時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。
まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。
それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。
遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・
あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。
時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?
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度々すみません。
>でも実際には十両盗めば首が飛ぶと表現されていますから、厳罰主義が徹底して、とても治安の良い時代だったんでしょうね。
江戸時代が現代に比べてずっと犯罪が少なかった理由についてですが…
確かに厳罰主義や罪の連座制ということもあったでしょうね。あと江戸期の人々の義理人情とモラルが、現代人より遥かに高かったこと…これは大きいと思います。
江戸期は庶民でも寺子屋等で普通に教育を受け、識字率は当時の西洋以上。何を学んでいたかといえば儒教イデオロギーに基づいたお道徳。「誰も見ていなくてもお天道様が見ている」し、「人として恥ずべきこと」をすれば世間様から「笑われる」から悪事はできぬ。さらに信心深い人なら「バチがあたる」「後生に障る」と武士階級なら「ご先祖様に顔向けできぬ」が加わるなど、様々な道徳的・美学的・宗教的制約が人々を律していた。
ことに恥の文化といわれるように当時の人は「笑われる」のを何より恐れていたようで、司馬遼太郎氏によると、例えば金を借りる際『もし返せぬ時はお笑い下さい』と証文に一筆記せばりっぱな「質」として通ったといいます。またある町人の幼童が大人になったら侍になりたいと無邪気な夢を語ると、遊び仲間の子供たちにドッと笑われた。子供といえども笑われるというのは致命的なことで、その少年は恥をそそぐため必死に学問をして武士に取り立てられた…という実在の人物も紹介しています。
大航海時代の船乗りたちの間では「日本人と出会ったら決して笑うな。日本人は笑われると怒ってカタンナという剣を振りまわして襲いかかってくるそうだ」と噂されていた(爆笑)といいますから戦国期の人も笑われるのキライだったみたいですね。
当時驚くほど少ない警察力で大都会の治安が守られていたのは、この恥の意識に負うところ大じゃないですかね。神仏への畏れも武士道倫理も失い、恥の意識もだいぶ希薄となった現代日本の社会的荒廃と対照的です。いま私たちが金融会社に行き「返せなきゃ笑っていいから貸せ」なんて言えば、その場で笑われるか通報されますからね。
あとこれはよく言われることなのでご存知かもしれませんが、切捨て御免という武士の特権は有名無実でしたよね。武士が百姓町人を斬れば理由の如何を問わず、まず武士が罰せられる。本人の切腹だけで済めばよいが悪くすりゃ家の断絶でしょう。それを知っているゴロツキ町人などはわざと武士を愚弄し「斬れるもんなら斬ってみやがれい」とイキがっていたとか(←いつの世にもこういうカスはいる) 実際問題、人斬り包丁を二本差した連中がやたらと無礼打ちなんかしてたら社会の秩序は崩壊しますから、武士は黙って耐えるしかない。
それに切腹も扇腹といって実際に腹を斬らぬ儀式になり、武士が軟弱化した世にあっては、武士にとっても流血は異様なことで、有名な首切り浅右衛門でさえ罪人を斬った晩は酒浸りになったそうですから相当な精神的ダメージを受けてたんでしょうね。(ちなみに江戸期に行われた武士同士の果し合いは何時間もかかったのが普通で、チョコチョコ手傷をつけあって先に疲労と出血多量で死んだ方が負け、みたいな内容が多かったというリアルげな話も何かで読んだんですが、実際どうだったんですかね?本当だとしたら中山安兵衛の高田馬場の決闘はすごいですね。十八人斬りはウソでしょうが、仮に二~三人だったとしてもすごいですよ)
このように幕府の御政道は大抵建前と本音があり、「建前いいけど実際ダメ」とか「原則ダメだけど目をつむってあげる」なことすごく多かったみたいで、例えば関所だって手形なきゃ絶対通れなかったイメージありますが、実際には手形を持たぬ通行人でも役人が見て無害と判断すれば、「ならぬならぬ!関所を何と心得ておるか!」とわざとらしく怒りながら、通行人が行きたい方向へ背中を「押し返し」て通してくれたそうですよ。こういう日本的体質って現代にもありますよね。憲法で禁止されてるけど、現実にはそりゃあんまりだから軍隊と呼ばなきゃ戦力保持してもいいじゃん…とか。ならさっさと憲法変えりゃ済むのにこういうところは国民も幕府的(笑)。ソープやパチンコの換金だって法的きわどいけど、まあええじゃろ的なお上のお目こぼし要素じゃありません?
この回答への補足
皆様のお陰で、大変歴史の勉強をさせて頂きました。
改めて御礼申し上げます。
どのご回答も素晴らしい内容でしたので、特定の方にポイントを差し上げるというのは、他の方に失礼になるような気がして大変恐縮なのですが、江戸時代には炊飯を1回しかしなかったという5番目の aruchan2615 様と、お歯黒の本当の意味を教えて頂いた35番目の mvevesonly 様のご回答は大変勉強になりましたので、ポイントを差し上げたいと思います。
どうかご理解、お願いします。
この回答へのお礼
いや~、面白いお話、有難うございました。
まず今のイメージでは、江戸の町は厳罰主義でいたからこそ、少ない同心で治安が保たれていたというのが多いと思います。
でも実際には市民の道徳心というか、今のように人心が荒廃していない時代だったようですね。 他人に笑われるというのは、命に代えてでも耐えられない屈辱だったんですねえ。 今なら開き直って、笑うやつには笑わせておけ、金が全てだ、こんな風潮がありますよね。
それと武士の切捨て御免も、市民から見ればそんなに怖くなかったんですか ・・ 何となく真剣を持った人の近くには寄らないようにしようと思うのではないかなと感じていたのですが、考えればそんなに武士を怖がってばかりいたら、道を歩く事も出来ないですよね。
とても面白いお話、感謝します。
また失礼します。月代一考。
この話題で随分盛り上がってますが、私は「蒸れるから」という意見にはどうも賛同しかねます。
おそらく筋兜→頭成兜に変わった時に髪の毛の量を減らす為に剃ったと考えるのが自然です。
元々、兜を装着する時は、頭に揉み烏帽子という縦に長い帽子のような物を被り、中に髪を収めてその上から兜を被ります。
筋兜では中に十分な空間があるので髪の毛+揉み烏帽子がクッション代わりににもなり、丁度良い位置で安定します。
この兜では真っ向から刀を受けた時、兜自体は強度が多少劣っても髪+揉み烏帽子の衝撃吸収があるので、総合的にはかなり安全になります。
時代が過ぎて頭成兜になると、頭にかなりぴったりするので髪の毛の量が多いとまともに被れなくなります。
その為に髪の毛の量を減らす為に月代を剃り始めたと聞いた事があります。
更に揉み烏帽子も邪魔になるので省略されました。
当然、こちらは刀が直撃するとモロに衝撃が頭に伝わるので、兜自体の防御力はあってもかなり危険な兜じゃないかと思いますが、鉄砲が主役になった時代は曲面で受ける方が跳ね返せて安全だったのでそういう事もあるかもしれません。
この回答へのお礼
有難うございました。
月代と兜の関係は難しいですねえ。
でも、いずれにしても月代はファッション性よりも兜という防具から出発したと考えるのが正解なようですね。
ANO.36です。URLを再掲します。
白虎隊のうち、生き残った人以外の人の分を見てください。
月代を剃ってる人はほとんどいません。しかも洋服を着ている人が多いです。
伝わっている話とは大分違います。写真は正直です。なんだってそのまま撮っちゃいます。
一方、絵や文章は書き手の想像や恰好付けが入って、事実と違ったものになります(江戸時代はみんなチョンマゲで月代を剃り、和服を着ていたと決め付けてしまう)。
兜をかぶらない人は実用上月代を剃る必要がありません。
兜をかぶる人でも毎日かぶるわけではありません。また、月代を剃っても兜をかぶれば蒸れるでしょう。剃ったから蒸れが軽減されるといってもどうかな?
月代は最初は実用上かも知れませんが、その後は、実用というよりもおしゃれ風俗として流行った面の方が大きいと思います。
まあ、幕末には勤皇方も佐幕方もその他の陣営も、殿様といわれるエライ人以外は剃っていない人が多いようですね。
勤皇方も写真では、諸太夫マゲ(本当は立派なもんです)というよりも、単に月代を剃らずに総髪にしただけのように見えます。佐幕方の剣士では講武所風の月代の細いのもあります。
月代を剃るのは大変です。人に頼めば金がかかるし。カミソリの手入れだってもう大変。下級武士以下はチャンと剃っていない人が多かったと思いますね。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …
この回答へのお礼
有難うございました。
写真を拝見しましたが、月代を剃っている人って本当に少なかったんですね。
考えれば大変ですよね。 剃るのは剃っても、数日もすれば伸びてきて、逆に汚いというか、だらしなく見えるし。
一層の事、伸ばした方がごまかしがききますよね。
でも、頭のてっぺんを剃るのが格好イイという時代があったんですねえ。 今そんな事をすると 「そばに寄らないようにしよう」 とか思われますよね。
・刀が貧弱
刀は「武士の魂」ですので、江戸期にはさまざまなデザインを凝らしたこしらえ(鞘などの外装)ができました。個性を競って赤や金などのこしらえも登場しましたが、時代劇を見るとどれも同じようなデザインで「支給された工業製品」みたいですね。戦国期は実戦重視のこしらえですが、それでも黒一色のような無個性なものは少なかったです。
本当は刀身の長さも様々なのですが・・・これもダメですね。
・町屋の煙がない
ガスなどありませんので、当然ご飯やお風呂は薪で炊きます。ですが夕刻のシーンでも町に一筋の煙すら上がらないのは不自然です。特に秋刀魚の季節には、町のあちこちから濛々と煙が上がっていたそうですよ。
また為政者側は、城などから町を見下ろして煙の多さで民が豊かに暮らしているかどうか大体の判断もしていたと聞きます。
・町娘
江戸期の女性は割と乳房を出しても平気(性的な意味がなかった)。
昭和後期でも電車やバスの中でお乳をあげるお母さんなどがおられました。
夏の江戸でも行水や夕涼みで若い娘でも乳露出はあったようで、浮世絵にも度々題材になってますね。これは是非時代劇で忠実にしてもらいたい(笑)
・衣服
赤や黄色や緑などのカラフルな着物は裕福な人が着れるものです。
庶民は渋(茶色)や藍色がポピュラーです。しかも絹はもちろん綿布もとても高価で、庶民が簡単に買えるものではありませんでした。
ですから町では古着屋が繁盛しましたし、ツギハギを当てて大事に着用しました。この場合色はあまり頓着せず、トンチンカンな色の布を当ててツギハギしたケースもあるようです。時代劇ではみんな新品みたいな服を着ているのは不自然です。
・八百屋、果物屋
一度時代劇でおや?と思ったことがあるので。
だいたいビニールハウスも冷蔵庫もありませんので、「旬」となったら、その作物しか流通しません。ミカンの季節ならミカンだけ売ることになります。野菜も同様に、その時期に取れる物しか店に置けません。
・遠山の金さん
実際はイレズミをできるだけ隠していたようですよ。恥ずかしかったそうです。
あと以前NHKの沖縄を扱った時代劇で疑問を感じたのですが、戦前まで琉球の女性は手足にイレズミがありました。ドラマではみんなキレイな白い手足なので「なんだこりゃ、ダメじゃん」と思い見るのをやめました。あと全部琉球語にして、字幕を入れるとかしてほしかった。
まあ外面の小さな部分なら「演出」ということで百歩譲れますが、平和主義の武将は確かにいただけませんね。あの当時は「世の中には殺していい人種もいるんだぜ」という感じですから。他国の人間も自分達と平等・・・のような認識は馬鹿としかいいようがありません。
ドラマを見た小学生~高校生が真に受ける恐れもあるので、ドラマのオープニングで「これはフィクションで本当の武将は全く違います」みたいな断り書きをしてほしいです。
この回答へのお礼
有難うございました。
詳しく解説して頂いて感謝します。 大変面白かったです。
特に刀ですね。 当時は鞘などに色々なデザインを施していたんですねえ。 これは初めて知りました。 何となく黒一色というか、地味な感じしか無かったようなイメージがありました。
それと刀身の長さもバラバラだったんですね。
色々と勉強になりました。
他の方の回答とかぶっているかもしれませんが・・・
武士関係
1.乗っている馬が違う
競馬に出てくるような、サラブレットみたいな大型の馬は、
明治時代以降に輸入されたもので、日本古来の馬は、今で言うと
ポニー程度の小型の馬だった。
当時の小柄の日本人が乗っても、両足が付く程度の高さの馬
だった。
2.刀が丈夫すぎ
戦国時代の実践用のかなり丈夫な刀でも、3,4人切ると
刃がこぼれてしまい切れなくなる。
江戸時代になって、刀が装飾品的になってからは、刀はさらに
もろくなったので、1つの刀で、10人、20人めったぎりなど
不可能。
3.言葉
昭和、平成といった短い時間もに、言葉は大きく変わっている。
聞き取れない方言も多いのに、日本じゅうを旅する水戸黄門
さまのご一行が、会話に全く困らないのはやっぱり変。
見てる側も、聞き取れない会話がないのも本当は変。
この回答へのお礼
有難うございました。
なるほど、言葉ですね。
今の日本では標準語さえ話せたら、どこに行っても会話に困る事は無いですが、江戸時代までの日本は方言がとても豊富というか、多いというか、余所者には何を話しているか全くチンプンカンプンだったかも知れませんね。
という事は、忍者というか間者のように情報収集を専門にする職業は、現地出身者以外には難しかったでしょうね。
戦国時代の月代は、時代によって変わったようですね。特に「風林火山」の頃は剃らないのが普通でした。時代が下って、織田信長、羽柴秀吉たちが台頭してきた頃は「剃るのが普通」だったようです。
この理由は戦術・戦略の変化によって、防具、特に兜が大きく変わったからと見るのが主流だそうです。風林火山時代の兜は「筋兜」といって、細く切った鉄板を横に鋲で止め、天辺ですぼめて留める作り方をしていました。この形式ですと全体が丸く成形され、頭の両脇が大きく開きます。また、製造法から天辺が塞げられず「天辺の穴」が開きます。
秀吉時代の兜は「頭成兜」といって、四角く切った鉄板を頭の形に添うように曲げて重ねて繋いでいます。この形式は量産しやすく、防御力も高いのですが、いかんせん「密着するので蒸れやすい」のです。
つまり、それまで月代を剃るのはそれほど多くなかった(何しろきれいに剃るのは大変です!)武士たちも、秀吉時代には「剃らずにいられなくなる」のです。
そう考えれば「風林火山の月代はあれで正解」でしょう(ホントの事は見てきた訳ではないので断言出来ませんが、おおむね「見栄えだけの嘘八百ではない」と言えますよ)。
この回答へのお礼
有難うございました。
武士の月代は鉄兜に原因があったようですね。
たしかに今のヘルメットと違って、夏なんか暑かったでしょうね。 直射日光で鉄板が焼けて中は蒸し風呂状態 ・・ とても戦争どころではなかったでしょうね。
#33です。月代について…
#36の方が紹介されているURL興味深く拝見しました。こんなサイトがあったんですね。
月代の剃り方は各時代によっていろいろ流行があったそうですよ。幕末でいうと特に志士の間では月代をわずかしか剃らなかったり、まったく剃らずにマゲを結う(木戸孝允の写真みたいに)のがとても流行していたと聞いた記憶があります。たしか諸太夫マゲ(違ってたらすみません)とかいったような…
時代風俗の専門化でも何でもないので確信はありませんけど、戦国時代の合戦図屏風や肖像画を見ると武士たちは皆かなり剃りあげてますよね。頻繁に兜をかぶっていた頃の武士は特に剃っていた方が楽だったでしょうから、室町末期は剃るのがスタンダードだったんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね。毎日こまめに剃っていたかどうかはわかりませんが、おそらく評定などで主君の前に出るときや、合戦に出るときは(首を敵に取られるかもしれないので)見苦しくないようキレイに剃っていたのではと推測しますが…
余談ながら昔コロンブスの映画を見たとき、コロンブスが初めて中南米の島に着くと月代モードでザンバラ髪(もろ落武者ヘアー)の原住民が弓矢を持ってわらわら出てくるシーンがあって、すごく怖かったです。初めて日本に来たポルトガル人や朝鮮の役で対峙した明軍将兵も恐怖を感じたのかなとか想像したらたら可笑しかったです。
この回答へのお礼
有難うございました。
月代の有無は時代の流行だったんですねえ。
幕末の志士たちの写真が残っていますが、勝海舟のように幕府の高官でも月代は剃っていなかったです。
でも考えてみると、一度月代を剃ってしまうと、少し伸びただけでもだらしないような印象を受けそうなので、しょっちゅう剃らなければいけなかったかも知れませんね。 面倒くさいので伸ばす事にした人もいたでしょうね。
NO.7,24、31です。
時代劇では、浪人以外は大抵月代を剃っています。
しかし、実際はどうだったんでしょうか。顔のひげを剃るのと違って、月代を剃るのは大変です。自分じゃチョッと無理でしょう。下のURLには幕末の写真が出ています。
一人ひとりクリックしていくと大変ですので、お終いのほうの団体写真を見てください。テレビや映画と違って剃っていない人の割合が多いと思います。旗本など偉くて恰好をつけなきゃならない人は剃るんでしょうが、その他の人は剃っていない人が多かったんじゃないでしょうか。
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumat …
この回答へのお礼
有難うございました。
写真を拝見しましたが、本当ですねえ。
中にはきれいに月代を剃っている人もいますが、当時はもしかすると剃っていない割合の方が多かったかも知れませんね。
月代を剃る剃らないは、本人の選択だったんでしょうか。
剃らない武士は金回りの悪い人とか、周囲から見られる事があったのでしょうか。 ちょっと気になりますね。
でも考えれば勝海舟も写真を見ると月代を剃っていなかったわけですから、幕府における立場とか経済状態とか、関係なかったかも知れませんね。
No.35ベストアンサー20pt
また失礼します。m(__)m。鉄漿(おはぐろ:お歯黒)一考。
元々、お歯黒は虫歯対策でした。
今は歯医者でエアートームという「うぃ~ん」って音がする忌み嫌われてる機械の出現で虫歯で死ぬ人はいませんが、あの機械が出現するまで、虫歯は命に関わる病気でした。
虫歯を放置すると歯の根元で化膿し、そこから虫歯菌が血液に進入、全身の血液が化膿してしまう敗血症という恐ろしい病気で死亡します。
今でも敗血症は起こってしまえば即命に関わる恐ろしい病気です。
虫歯になったら、麻酔やエアトームのなかった頃はまだ歯がペンチなどで掴める状態の時に力づくで引き抜く以外に治療法が無かったのです。
このために、虫歯を予防する方法として、お歯黒が開発されました。
女性は妊娠により赤ちゃんにカルシウムを取られて虫歯になりやすいので既婚女性に真っ先に普及したわけです。
また優雅な生活をしていた公家なども、甘いものを一杯食べられるので虫歯になりやすく、お歯黒が普及し、それぞれ既婚女性の、あるいは公家のステータスシンボルみたくなりました。
これが映画で見られなくなったのは、戦後、テレビで時代劇が放映され始めた初期です。
歯磨きが普及し、お歯黒を知らない世代が増えた影響でしょうか「歯が黒いと気持ち悪い」という抗議が殺到したのだそうです。
それで「明らかに間違えなのだけど」お歯黒を入れるのを止めたそうです。
この回答へのお礼
有難うございました。
とても、とても勉強になりました。
お歯黒って単なる風習のように考えていたのですが、実はそんな医学的な裏付けがあったんですねえ。
虫歯で死ぬ人もいた ・・ 歯くらいでと、つい思ってしまいますが、当時はそんなに怖かった時代なんですね。
考えると西洋にお歯黒なんて無かったでしょうから、彼らは虫歯対策にどんな事をしていたんでしょうね。 もしかして日本が世界で最新の虫歯対策をしていたと言えるかも知れませんね。
お歯黒は既婚女子だけでなく男子もしていた習慣で「おあぬ物語」で敵の首を首実検の為髪を整えたりお歯黒を着けるのは恐ろしいことではなかったという記述があるように高位の人の証拠となったようで公家などの習慣であったようです。
今川義元もお歯黒をつけていたと言います。
それに既婚女性は眉を剃り、書き眉であった筈です。
映画では簡単に斬り倒されますがこれも嘘。 実際は連続しての殺傷には刀を途中で替えないと無理で最近は気がついて抜き身を畳につきたて取り替える演出も見られるようになりました。
馬上で太刀を振るうのは普通はありません。 槍が用いられるようになった戦国時代では槍です。 それも武将級が戦うのは普通ではありません。 これも演出。
西部劇の決闘シーンで互いに向き合って1発で仕留めるといのも演出で拳銃で距離があれば命中それも急所に命中することは僥倖でしかありません。 拳銃では銃を固定し狙いを定めないと命中は困難なものです。
フエンシングでの場面で一突きで相手を倒す事は至難です。
重いサーベルならともかく細身の剣では心臓を正確に突く必要があります。 大抵の決闘でも相手に手傷を与えれば終わりで生き残れるルールでした。 大体チャンバラは洋の東西を問わずショーですから。
この回答へのお礼
有難うございました。
お歯黒は既婚女性に限った事ではなかったんですか。
今の美意識で判断するのは間違っているとは思いますが、少なくとも当時日本を訪れた西洋人たちは驚いたでしょうね。
男性が笑うと口の中は真っ黒 ・・ 思わず尻込みしそうです。
西部劇によく1対1の決闘シーンが登場しますが、これも嘘に近いんですねえ。 考えると10m以上も離れた相手に、腰のホルダーに差した拳銃をコンマ何秒の早業で抜き、間髪入れずに相手の急所に一発で命中させる ・・ 本当にやれば、どんな名人にも無理でしょうね。
でもそうすると、実際の1対1の決闘ってどんな風だったんでしょうね。 また興味がフツフツと湧いてきました。
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