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時代劇が好きでよく見るのですが、中には素人が考えても 「こんな時代に、それはないだろう」 と感じるシーンも多いです。

まず 「暴れん坊将軍」 のタイトルシーンに江戸城の天守閣が背景として映りますが、吉宗の時代には天守閣は大火で焼失していたはずなので、これは嘘だと思います。

それとか既婚女性のお歯黒ですね。 本当は真っ黒だったはずです。

遠山の金さんなんて、町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に入っていたなんて、実際にはとても思えませんね。 ま、これはフィクションですから大嘘と言うのはかわいそうかも知れませんが ・・

あと、このカテでも西部劇で主人公が馬に乗って荒原を旅するシーンがありますが、実際には馬1頭で旅する事なんてあり得ず、予備の馬を必ず連れて行ったはずと聞きました。

時代や洋の東西を問わないで結構ですので、時代劇の登場する大嘘について教えて頂けないでしょうか?

A 回答 (43件中21~30件)

大河ドラマ等で、家臣たちが面と向かって「信長様」などと呼びかけていること。



現代の感覚で言えば社員が社長に向かって「てめえ」「きさま」「おい!」などと呼びかけるに等しいんじゃないでしょうか。
織田信長でいえば尾張時代なら「上総介様」とか「殿」(守護職ならお屋形様)、右大臣となった晩年なら「右府様」というように官職名などで呼ばねばならないはずです。信長殿、などと名を呼ぶ資格があるのはせいぜい親くらいで、その親でさえも憚られるほどのことだったそうです。
ましてや家来が「信長様」などと呼ぶなど想像を絶する非礼で、その場で斬り捨てられればまだラッキー、ヘタすりゃ鋸引きか火あぶりだったんじゃないでしょうか。
主君が家臣に対するときも同様で(相手の身分がよほど低ければともかく)、たとえ家来でも名を呼ぶのはあまりに失礼という感覚だったみたいですね。あの信長でさえ秀吉の身分が上がればもはや猿とは呼ばず、ちゃんと「筑前」と敬意を払ってますから。

この日本古来よりある『相手の名を呼ぶのは失礼』という、考えてみれば奇妙な風習は現代でもしっかり残ってますよね。
社長や上司に向かって役職名で呼ばず鈴木さん、田中さん、などと言えばまず相手は不愉快になるし、下の名で呼んだら激怒でしょう。
逆に上司が部下を呼ぶときも役職名や名字で呼ぶのが普通で、もし下の名で呼んだらいくら上司でもちょっとヒドイよね、って感覚はありますから。

この風習、『相手の名を呼ぶと相手が死ぬ』的なタブーがあったポリネシア等の南方から太古の日本に流れ着いたもの…という話を何かで読んだことがありますけど、本当なのかな…?
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この回答へのお礼

有難うございました。
へー、相手の呼び方が全然違っていたんですねえ。
たしかに時代劇では、○○様とか名前で呼ぶシーンがあるように思います。 偉くなった秀吉に対しても、猿といったり ・・ あり得ない話なんですね。
おっしゃるように、この習慣は今でも残っていますね。 勉強になりました。

お礼日時:2007/11/09 15:26

拍手は昔からあるよ

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この回答へのお礼

有難うございました。
拍手も江戸時代からあったんですか。
どんな時に拍手したんでしょうね? 今と同じシチュエーションでやっていたんでしょうか?

お礼日時:2007/11/09 15:22

情報に乱れがあるようなので、一筆差し上げます。



#18さんによると、維新まで藩とは呼んでいなかったとおっしゃいますが、新井白石が「藩翰譜」という素晴らしい本を書いております。元禄13年、甲府藩主の徳川綱豊の命を受けて編纂したという諸大名337家の由来と事績を集録し、系図をつけたものです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
やはり、藩という呼び方はあったんですね。

お礼日時:2007/11/09 15:21

そうですね、遠山左衛門尉影元ですが、若い内は市井の人で家督を継ぐまでは「一町人」として放蕩していたという事です。

まあ、ドラマのような「遊び人」だったわけですね。その関係で「彫り物(入れ墨はこの時代刑罰でしたので、彫り物と言います)」もしていたようです。ただし、ドラマのような桜吹雪ではなく、惚れた女の首だったとか。

もちろんこれは「若い内だけ」の話で、家督を継いで正式に「遠山影元」と名乗るようになってから放蕩していたなんて事はありませんし、いちいち町屋に出て町人と交流する暇はなかったでしょう。それでも若い内の放蕩暮らしから、町屋の生活という物を知っていたので町人の事をよく知った裁きを下したそうですよ。
それがまあ俗に言う「遠山裁き」な訳です。ドラマは誇張もありますが「全くフィクションという訳でもない」ので注意が必要ですね。
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この回答へのお礼

有難うございました。
桜吹雪ではなくても、金さんの背中に彫り物があるというのは本当のようですね。
町屋の事情に詳しいから、今のようなイメージというかストーリーが出来上がったのかも知れませんね。

お礼日時:2007/11/09 15:20

また来ました。

m(__)m
水戸黄門様より一題。
実はあの印籠の紋所が間違ってます。
あれは尾張徳川家の紋で、水戸徳川の紋は、葵の葉っぱの縁がぎざぎざになって、下の葉と重ね合わせたようになってます。
光圀は中納言で、尾張徳川は大納言ですから、格上の家紋を用いたことになり、江戸時代では大犯罪になったはずです。(笑)

いくつか騎馬軍団のお話が出てますが、騎馬軍団は全速力で疾走したりしません。
そんな事すれば各馬ごとに速力が違うので、軍団がバラバラになっちゃいます。
7~8割の速度でみんなで揃って機動したから騎馬軍団が成立したのです。目的地に着いたら馬を下りて戦ったことが多かったようです。
なので時代劇の騎馬軍団は競馬と間違えています。

チャンバラ各種。
刀の使い方が殆ど間違ってます。剣道の見すぎでしょうか。
近頃は時代劇もジュラルミンの刀なので、ウソみたない振り方ばっかりです。
本物刀をあんな振り方したら自分を切っちゃったり(真剣を使う古流で結構多い事故です)、地面まで刺さったり・・・チャンバラ自体が成立しません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
騎馬軍団ですが、実際には馬から下りて戦ったんですか ・・ 映画なんかでは、馬に乗ったままで上から刀や槍で戦っているシーンが多いですよね。
この場面なんですが、いつも不思議に思っていたのですが、何も騎士を相手にしなくても、歩兵が槍で馬のお尻なんかをブスッとやったら、騎士が一発で引っくり返るような気がしていたのですが、実際には馬に乗ったままの戦闘は無かったんでしょうね。

お礼日時:2007/11/09 15:17

藩という言葉。


廃藩置県のときに初めてできた言葉だと聞いておりますので、維新までは「藩」と呼んでなかったはずです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
へー、藩という言葉な無かったんですか。 何と読んでいたんでしょね。

お礼日時:2007/11/09 15:13

昔時代劇が好きでテレビでよく見ていました。



[子連れ狼]などで拝一刀がバッタバッタと敵を何人何十人も切り捨てるのをみて何の違和感もありませんでした。

しかしあるとき[斬りぬける]という近藤正臣主演の時代劇が始まり、刀は血や脂がつくので3人以上は切れないということをテレビで言っていました。
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この回答へのお礼

有難うございました。
実際に人を切ると刀の表面に血糊がベットリと付くので、同じ刀で何人も切るというのは無理だったんでしょうね、実際には。

お礼日時:2007/11/09 15:12

また思い出しました。


平次親分や伝七親分など、各種岡引の親分が房のついた十手を使ってますね。
房付きの十手を使えるのは奉行レベル以上です。
同心も房なしです。
現場で立ち回りの多い岡引や同心にとって、あんな装飾は邪魔者以外の何者でもありません。
手で持つ部分は紐よりも滑り止めのために荒縄や籐などを巻いた人もいたようです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
たしかに房が付いたような十手は実戦では扱い難いですよね。

お礼日時:2007/11/09 15:10

もともと時代劇はおもしろさ重視なので、突っ込みどころは満載ですよね。


史実のとおりやっても、つまらないドラマになってしまいますから・・・。

遠山の金さんに関しては
>町奉行が桜吹雪の刺青をして遊び人として町に・・・
どころか、お白州で、いちいち目撃者の証言を聞いたりしません。
町奉行は、現在の警察と知事と裁判官・・・とにかくメッチャ忙しいので、ほとんど部下が行った取調べと判決に、承認のような形で最終決断を下すくらいで、精一杯だったと思いますよ。

忠臣蔵で出てないところと言えば・・・
当日は雪が降ってなかった。
お揃いの服装ではなかった。
合図は、山鹿流・陣太鼓ではなく、笛とドラ。
あと、この討ち入りは幕府も知っていて、情報がだだ漏れしていたため、討ち入りの時点で、すでに一般の見物人が300名ほどいたらしいです。
新井白石も(見物人として)見たという事なので、たぶんそっちが本当なのじゃないでしょうか?

それから、四谷怪談。
これは、お芝居がもとなので、フィクションで当然なんですが、お岩さんが実在の人物で、神社に祀られていたり、ドラマの撮影の時にお祓いに行ったりするので、事実をもとにしたお話だと勘違いしてしまいますが、実際の事件はまったく違うお話だそうです。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/20 …

最後に、最近はあまり見なくなりましたが、国定忠治。
群馬のかたには悪いですが、恩人を殺し、悪の限りをつくしたわりには逃げまくって、最終的にカッコ悪い捕まり方をしました。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/20 …

私も時代劇が大好き(こうして突っ込めるところも好き)なので、長々と書いてしまって、すみませんでした~
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この回答へのお礼

有難うございました。
忠臣蔵の討ち入りの夜は大雪にお揃いの衣装という固定観念があったのですが、実際には違うんですねえ。 それに見物人が300人も? 現実は全く違う世界のようですね。
それに国定忠治なんてヒーロー扱いされていますが、ドッコイ、悪行の限りを尽くしていたんですね。
いやあ、面白いお話、有難うございました。

お礼日時:2007/11/09 15:08

時代考証にはまったくの素人ですがおかしいと思うのは、



*拍手
カッコ良い主役が悪党共を追っ払ってそれを見ていた町人達が拍手するシーンがキムタク主演の時代劇でありましたが日本での拍手は明治初めの横浜の芝居に外人たちがしたのが初めてでした

*パンツ
一心太助が白いパンツを履いてますが男がパンツを履き始めたのは明治の中程からです、半たこと呼ばれる短い股引はありましたが
明治の初めに来日した外国人でもさるまたやパンツは着用していませんでした
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この回答へのお礼

有難うございました。
へー、拍手ですか ・・ もしかすると、当時では拍手なんて神社でするものだったかも知れませんね。

お礼日時:2007/11/09 15:00

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