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政治的意見と政治理論の違いについて教えてください。
最近の評論家さんが多種多様の為、混乱してきました。
この点を理解した上で、
これからいろいろと、政治について勉強したいと思っています。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 『意見』というのは「私はこう考える」という主観的なもので、賛同者が居なくとも全く問題ありませんし、学問的なものでもありません。

 ですから、『政治的意見』はある政治状況において、その時その場での行動を示したものでさえあれば、よいものと言えます。

 『理論』というのは「科学的」な客観性を求められるもので、人文科学においては、数学や物理などのように極めて正確である必要はありませんが、全くの偶然以上のかなり確率の高い「起こりやすさ」=『再期性』を示していなければなりません。
 人間は各自が別々でありながら、同じような『欲』や『仲間はずれ』を回避する傾向があり、似たような政治情勢の元では似たような判断をしやすいのです。
 こうした傾向について『政治理論』として明確にする場合は、主観的「意見」を出来るだけ排除して客観性を重視する必要があります。

 政治評論家の発言は、基本的には『政治的意見』(政治理論を踏まえた上での意見も多く見られますが、政治「理論」は傾向なので、「確定的」なものではなく、例外も多く見られるため、理論外の意見であっても『その時その場では有効』であることも多く見られます。)であって、個人の考え方ですから、多種多様なのは当たり前で、お互いに矛盾している発言も多いのは、極めて自然なことです。

 これらの多様な意見を、全部を同じ重さでまともに受け取ったならば、混乱するのは当たり前と思われます。

 これら多くの政治的意見を混乱なく理解するためには、政治理論を踏まえた上で、その時その場において自分の政治的意見をはっきりと持つことが重要でしょう。

 自分の政治的考え方がしっかりしていれば、自分の現在持っている意見を原点に、評論家の人たちの意見を評価して位置付けることが出来ます。
 その上で、自分の意見が他の人々に比べてかなり特異であるなら、自分の意見を再考する必要が高いとの判断も成り立ちます。
 まともな人間の判断力自体にはそう大きな差はなく、意見の違いと言うのは往々にして「基本情報」の量と質の違いが原因です。自分の意見がかなり特異である場合には、「重大な情報」を自分が見落としているか、相手が見落とし・軽視している場合が多いです。
 ある「情報」を重大と評価するかしないかで、政治的意見が異なるのがはっきりしてくれば、多種多様な意見だからといって混乱することはなくなります。

 尚、日本の場合は「本音と建前は別」といって、矛盾する政治的意見と政治理論を同一人物が使う場合が見られますが、この場合は混乱して当然と言えます。

 現実の今この時この場での判断は、完全には二度と同じ状況はないのですから、『主観的』な意見で判断するべきで、「本音」で決断を下すのが政治の本質です。
 しかし、「本音と建前」は出来るだけ近い形であることが望ましく、政治の向かう先を示す「建前や理論」とあまりにもかけ離れた本音の実行は、段々建前や理論を空疎にしてしまい、その時だけの行き当たりばったりの政治になってしまいます。(外交姿勢や政策の一貫性のなさにつながり、後で逆向きの決断をしなければならなくなり、結局税金を浪費する無駄な政治につながります。→ゆとり教育をやって学力低下したから授業時間を今度は増やしたり、増税回避するために国債を発行し、国債の残高が膨大になったので大幅な増税を後になって実施するなど・・・)

 「本音」で政治決断をする場合、選択肢がいくつかあるのであれば、できるだけ「建前」に近いものを選ぶようにしないと、政治の行き着く先が見えてきません。

 「本音と建前は別」と言う考え方をする政治家・評論家は要注意です。 
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました!!
実に詳しく、正に知りたかった内容以上の回答で、
とても恐縮しております!!

>「本音」で政治決断をする場合、選択肢がいくつかあるのであれば、できるだけ「建前」に近いものを選ぶようにしないと、政治の行き着く先が見えてきません。

勉強になります!
初心者の私にとっては、一辺に消化するには、難しい内容ですが、
すべての内容ひとつ、ひとつについて、読み返しながら、
勉強させていただきたいと、思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/01 00:09

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