1つだけ過去を変えられるとしたら?

いわゆる「寸止め空手」伝統空手を習い始めて半年の初心者です。
この呼び名は伝統派の空手の競技体系を分かり易く表現したものの様ですが、一部のいわゆるフルコン系の空手の崇拝者(あえてそう表現させて
頂きます)には蔑称の様に使用される事がある様です。
まだ経験不足で、生意気言う様ですが、私的には寸止めだろうがフルコンだろうが「強い者は強い」と言う感じですがどうなのでしょうか?
実際うちの道場の師範はもう80近いおじいちゃんですが、この前
フリーの組み手をやった時見事に吹っ飛ばされました。
それでも師範はそうとう手加減していた様ですが・・・。
質問はフルコンの上段者でも寸止めを馬鹿にしている人が多いのか?
寸止めと云う呼び名に対して空手経験者はどう考えるか?です。
あまり、まとまらない文章ですみません。

A 回答 (6件)

ご存知の通り「フルコン」という言葉は、一般的には極真を代表とする、顔面へのパンチ以外、突き蹴りを基本とするルールの総称と見て良いと思います。



私はフルコンの禁止している顔面へのパンチに加え、投げ・絞め・関節、さらには頭突きや金的攻撃もありという、いわば総合系の打撃格闘技の指導員を経験していたことがある者です。

質問者さんや他の回答者の方がおっしゃるとおり、流派を問わず強い人は強いし、また自流派の強さに増長し他派をバカにするような姿勢は愚かの極みであるのは論を待たないと思います。

ところで私はここであえて違う視点からの考え方もご参考にしていただきたいと思い回答することにしました。

私は学生時代にはずっと柔道を経験していました。
世界レベルの選手のような人からすると、笑っちゃうようなレベルですが一応学生時代に3段を取りました。

元々若い頃から格闘技には興味があったし、私の若い頃はまさに「空手バカ一代」の全盛期のころでしたので、どのような格闘技が実戦で強いのかなんて事にも大きな興味をもっていました。

たとえば高校の頃には、空手部の連中が瓦を割るのとかを見て「こいつらとケンカして自分の柔道は通用するのだろうか。打撃も知っておくべきでは」なんて考え、部活のかたわら週に2回だけ少林寺拳法を習いになども行きました。
(もっともこれは部活との両立がきつくて茶帯でやめましたが)

その後も太極拳や伝統空手なども色々かじりました。

しかし当時からとても自分の心に引っかかるものがありました。

「こんなことやってて本当に強くなるの?」

突きを出す際に引き手を重視したり、蹴りの形にこだわったり。
上段受けだの、回し受けだの。

どうにも自分が強くなった実感を感じないのです。
「こんなことやってるヒマがあったら、思いっきり相手の顔ぶん殴って柔道の技で投げ捨てて、上から踏み潰しちゃった方が早いじゃん。これって本当に使えるの??」
__________________
私も長年格闘技の世界を見てますが、格闘技の世界ってのは宗教界と同じくらい胡散臭い世界です。

ぶっちゃけ、そこらの体格の良いラグビー選手ががむしゃらにかかっていったら吹っ飛ばされちゃうような「名人」や「達人」がうじゃうじゃ居るのです。

さっき言った「素人をだます手口」ってのは山ほどあります。
例えば
◎「君、試しに僕の右手をつかんでごらん」とか言って、そこに関節技を掛けて驚かす
◎「よし、右手で殴ってきてごらん」とか言ってそれをさばいて見せる
◎小さな高齢者とかが入門したての素人の相手をして、素人に“その流派のスタイルで”攻撃させ、楽に勝って見せる
◎試割り用の瓦などを割って見せる

正直これらは良く言えば「コツ」、悪く言えば「いんちき。トリック」なのです(タネを知りたいならお教えします)

私が先ほど言った総合系の打撃団体に行き着いた理由は、そこの上級者の方々が、明らかに強いからなんです。
体力のある私が、がむしゃらにかかって行っても通用しないのが分かったからです。

その団体は「型なんかやってるヒマがあったら、バーベルでも持ち上げてるか、サンドバッグでも叩いてる方が強くなる」っていう実戦派でした。

実際その競技をやっている間、私は以前多くの空手等をやっている間に持った心配=「これでオレ強くなってんの?」。
この心配が皆無でした。
自分が本当に強くなっている実感がありました。

そしてその時に学んだことの中で、今でも信念として考えていることがあります。

それは
実戦力は、しょせん痛い思いをして実際に殴りあったり、投げ合ったりしないと身につかない。
実際に殴り合うこともせずに、型や演舞に重点を置いてる流派はその団体の中の闘い方でしか対応できない
そのような流派は他団体のオープントーナメントにも出場せず、自流派だけの大会で自慰行為をしている。
ということです。
_________________
誤解なさらないでください。
私はあなたの流派を非難するのが目的ではなく、またあなたの師範を否定しているわけでもありません。
現に私はあなたの団体名も師範がどなたであるかも知らないのですから。

あなたの師範がどのように強い方なのかは知りません。
ただ少なくとも言えることは、格闘技の初心者をさばいて見せるのは、さほど強い人でなくとも、高齢者であってもたいした実力は不要なのは事実であるということです。
__________________
繰り返しますが、あなたの流派や師範を否定するつもりはありません。

今回私が言いたいことは別にあります。

それは、いたづらに自己の流派を盲信せず、そこにとどまることなく色んな流派・競技を見て欲しいということです。

もちろん格闘技は別に格闘(実戦・ケンカと言ってもいいでしょう)が強くなることだけが目的ではありません。
精神の鍛錬であったり、健康増進であったり、いや、極端な話、仕事の合間のストレス解消であろうが、仲間作り、ひいては道場で女子会員をナンパしたいであっても、それはそれぞれが決めることで決して悪いことでは無いと私は思っています。

現に私の団体でも片腕の無い身障者や、まともに歩けない身障者も毎日の稽古を存分に楽しんでいます。

しかし、もしもあなたが現在寸止めの体系に疑問を持っているとしたなら、そこではいたづらにその流派だけ固執せず「うん?こんな風に直接殴りもしないで本当に強くなれるのかな?」って疑問をもって欲しいのです。

誤解を恐れず正直言うと、現在の日本の格闘技の中でその神秘性や宗教性を隠れ蓑にして、口だけの名人・達人が多数存在し、実際にはちょっと大きなラグビー選手にも勝てないような人が多いのは、残念ながら寸止め派の空手と合気道、中国拳法が3大勢力と言って過言ではありません。

逆に実戦になっても強い人が多い、極真や大相撲、柔道、ボクシングなどは「実際に殴ったり取っ組みあったりする」という部分がその共通項としてあります。
____________________
私の団体には、極真からの移行者もかなり居ます。
中には黒帯まで取っていながら「顔面も組み技も無くていいのだろうか」と疑問を持って白帯からやり直すのです。

中には極真の全日本ベスト4の経歴さえ持つ人も居ました。

その人と軽く顔面有りのスパーリングをした時のことです。

たしかに顔面の技術は稚拙で、私は彼に楽にパンチを入れられました。
しかし、そこからが違うのです。

その人は、顔面にパンチを受けながらも私のふところにグイッと飛び込んで来たのです。

私は「さすが極真でトップまで行く人は違う!」と驚嘆しました。

実際その人は、いざ極真ルールでやったらなら私なんて楽にKO出来る人なんです。
極真という大ブランドの中で全国トップレベルまで行った人が、長年の自分の功績に甘んじることなく、自らを白帯の地位に落としてまで自分の持った「今のままでいいのか?」という疑問を解決する姿。
すごいと思いませんか?

質問者さんも今の流派の空手を存分に稽古なさってください。

しかしもしも実際にやっていて「うん?これで強くなってるの?100キロクラスの暴漢がいきなり組み付いてきても吹っ飛ばすこと出来るの?」と疑問を感じたなら、どうぞ自流派に固執せず色々なところに興味をもっていただきたく思います。

長々と失礼しました
よければ以下の質問の私の回答も参考にどうぞ
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2454057.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

非常に詳しい回答ありがとうございます。
内容が深く高度なので自分の中で完全に消化出来てない所もあります。
しかし、おっしゃる事は感覚的にですが、すごく良く分かります。
街中などを歩いて、デカイ人がいると実際今ここでこの人が
襲ってきたら、自分は対処出来るだろうか?なんて考えてしまいます。
練習等で、型の練習が大半の時・・・本当にこんなで強くなれるのかな?
と思います。(誤解を招くといけないので言いますが、型には深い意味あるだろうし、極めてもいないのにおこがましいとも思います。又私は型をやる時の独特の緊張感も好きです)

tewpiさんの意見を聞くと本当に強い者は流派や格闘技の種類にこだわる
事なく、自分のプライドばかりでなく「貪欲に求めつづける者」が
強いし、強くなる可能性が高いという事でしょうか。
又それが真の格闘家といえるのかも知れません。

なんせ、こちらはまだ未熟者、とりあえず今やっている空手で精一杯なので、とりあえず出来る所までやってみるつもりです。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/12/06 19:59

寸止め組手を馬鹿にする人たちは、素面素小手でも顔面フルコンタクトで組手やれば良いだけです。


でも伝統空手にも防具組手(寸止めでは有りません)でのフルコンタクト組手あります。また、一部流派は、顔面手技寸止め、中段、下段、顔面への蹴りはフルコンタクト、投げもありの組手もあります。
まあよく考えなくても、防具つけてなければ、顔面は寸止めか、フルコンみたいに顔面なしにするしかないでしょう、選手の安全考えたら。
弱いとか強いとか実戦的なのかとかの問題とは論点が違います。
しかし、当方長く伝統空手やっていますが、「寸止め組手」にもかかわらず顔面強打されて「あざ」が2週間くらい残る事あります。特に相手が「寸止まらない人(止める気もなさそう)」だと、こっちが攻撃出して、決まって下がる時にガーンとやられる場合あります。こういうよく当てる人は、「寸当て組手」とか言っています。
フルコンタクト空手のみ経験の方は誤解していますが、一般の寸止め空手試合でも中段の蹴りは、基本的にフルコンタクトで入れないと一本取ってくれませんね。

この回答への補足

皆様、詳しい御回答ありがとうございます。
何か、頭がすっきりした感じです。
自分の中でのもやもやが取れました。
外野に惑わされる事なく自分なりに精進したいと思います。

補足日時:2007/12/06 20:14
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
実際同じ伝統空手を習っている方の意見で参考になります。

>一般の寸止め空手試合でも・・・。
これは先輩にも聞いた事があります。
実際はまともに入んないと「取ってくれない」と。
寸止めながら試合中に肋骨折る人も結構いるとか。
この話を聞いてちょっとビビリました。(笑)

お礼日時:2007/12/06 20:07

空手バカ一代について



梶原一騎氏は、天才的な創作者です。史実をそのまま書いても、面白くはありませんので、当然脚色が強くなされます。そのデフォルメが、彼が天才であるゆえんだと思います。

大山総裁が、たとえ若い一時期であってもその様に感じたかどうかは推測の域を出ませんが、本来日本人でないということで差別などにもあったであろう彼が、某流派から独立し、アメリカなどで興行としての転戦を繰り返し、やがて極真を立ちあげ、その後体制を確立した段階においては、少なくともそういった態度は取らなかったであろうと期待します。
当初は、異端視されていたのは事実のようなので、差別化や自己正当化の意味からも、多少のそういった言動はあったかもしれません。それこそ、後にウイリー・ウイリアムスとアントニオ猪木が異種格闘技先を行う際には反対(先に言ったオープントーナメントに名乗りを上げたのも新日プロ)し、ウイリーと師範の大山氏(総裁とは無縁)を破門しましたが、自身は昭和20年代に力道山に挑戦状を送ったこともありますから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。

やはりフィクションの可能性が高い様ですね。

>多少のそういった言動はあったかもしれません。
もしそうだとしても、これは仕方ないかもしれませんね。
当時の空手界で異端児扱い、差別を受けていたのであればどんな
人格者でも少しは文句を言いたくなるかもしれません。
しかし、今日のフルコンの空手の繁栄をもたらした事は偉大な業績
ですよね。

お礼日時:2007/12/06 19:40

寸止め系の弱点は私もそうですが、本当に自分の力を相手に伝えた時どうなるか想像がつかないことです。


効くのか効かないのか?
当てたら自分は強いのかまた思ったより威力がなかったとかの想像がつきません。

フルコンはフルコンで顔面への当て感や威力などは未知の世界なので似たようなものですけどね。

ですからフルコンやキックの人たちの組手に混ぜて頂いた時は自分を確認できてよかったです。

貴方のおっしゃるように強い人は強いでいいのではないでしょうか。

バカにする人はほっとくのが一番。
それかあなたが強くなってそういった人たちに身をもって教えてあげてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>本当に自分の力を相手に伝えた時どうなるか想像がつかないことです。
効くのか効かないのか?

本当にそうですね。効くか効かないは武道には一番重要かもしれません。
それが分からなければ・・・。と言いますか私にはそれ以前の問題ですが・・・断言出来ます。効かないに決まってます!(笑)
しかし、luck4youさんの様な上級者には(フルコンとキックの人達と組み手をやった事、他流派と組み手をした事でも私には畏れ多いです)
その様な他流派との試合において自分を覚醒させる事が出来るのですね。

>バカにする人はほっとくのが一番。
いや、本当にこの一言かもしれません。
それを気にしまくっている私はまだ未熟者でしょうか。

お礼日時:2007/12/05 01:06

極真に関する伝聞ですが。



かつて創始者の大山総裁が存命だったころ、基本的に他流試合は禁止でした。オープントーナメントを開催した際には他流派からも参加OKと銘打ちましたが、実際にあまりにも競技体系が違う競技の出場は、お断りしたようです。たとえばプロレスラーとか。ただ、そのレスラーを推した団体からはクレームが入り、その手打ちの話し合いでお互いにリスペクトして・・・って話で落ち着いたようです。つまり、他流派や他競技に対して、蔑んではいないと思います。精神を鍛えるのも武道ですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
極真は他流派を軽蔑してないのですね。
>精神を鍛えるのも武道
本当にそうだと思います。

ちょっとひっかかる点を・・・。
「空手バカ一代」でしたか・・・たしか大山総裁の伝記
が漫画になっていた様ですね。これは漫画向けに殆どフィクション
だと聞きましたが、しかしこの漫画によって現在の「極真」の
繁栄の元が築かれたと云っても過言ではないという事を聞きました。
実際、その時代、極真の道場は漫画に影響されて練習生があふれかえったと・・・。
その漫画に伝統空手に対するコメントが「空手ダンス」と書かれて
あったそうですね。それが歯がゆく「極真」を創設したと。
これは本当に大山総裁の本意なでしょうか?
ただの漫画の内容ですか?
うーんどうなのでしょう。

お礼日時:2007/12/05 00:51

 私は他武道ですが、極真空手に知人がいるので少しコメントします。



 極真空手側からは、他武道・他流派への批判はほとんど出て来ません。特に「○○は弱い」と言う発言は聞いたことがありません。おそらくは彼らが「強さ」に尊敬の基準を置き、自分が少しでも強くなるためには、どんなものからも吸収してやろうという貪欲さの現れだろうと思います。
 欠点をあげつらうより、まず長所を見抜いて採り入れるべきという合理的思考の持ち主が多いのでしょう。「教えてGoo」の他の質問でも、「自分が強くなるためには、極真空手では不十分だと痛感するので、他流派を習いに行きたいがどうか?」と言う類の質問が散見されます。
 某世界大会常連の選手経験者は、極めて腰が低く、年長者に対する礼節にはすがすがしいものがあります。支部長としても、その事務処理の早さには目を見はるものがありました。武道家以前に人間として尊敬致しました。
 もし極真空手家で伝統空手を馬鹿にする者がいたなら、「彼は極真空手の中では弱く、対外的には団体の強さしか自慢するものが無い、かわいそうな人だ」と思えば、まず間違いないでしょう。

 寸止め空手を蔑視するのは、大半がフルコン派でも伝統派でもない部外者だと思います。野次馬に惑わされないことです。
 80歳まで後進に胸を貸せる空手家はほとんどいません。大半が体力の衰えのまま50過ぎで動けなくなってしまいます。年齢を乗り越える修行の方法を知らず、生まれ持った体力のみで空手を続けてきたからです。年齢を乗り越えて動き続ける事の出来る質問者の師範に学ぶことはたくさんありそうです。

 私の属している武道を省みるとき、「俺の団体は強い」と言い始めた途端、堕落が始まるように思います。
 私の所属団体も昭和30年代頃までは実戦の強さを唱っていたのです。ところが急速な拡大にノウハウの承継が伴わず、モラルが荒れていくと共に組み手もどんどん弱くなっていきました。その時に頻繁に口に上ったのが「うちの団体は、本当は強い。本部は強い。」だったのです。
 組み手は確実に弱くなっているのに、「強いというプライド」だけが残り、道場内で他の奴に怪我をさせることで強さを誇る道場内名人がたくさん生まれてしまいました。その結果モラルは崩壊し、年長者への礼節など欠片もない若者が闊歩し、「怪我をさせても、先生が『怪我をした方が未熟』と覆い隠してくれるので、サンドバッグ代わりに他人を怪我させ放題で楽しい。他ではこんなことは許してくれないから来てやっている。強さはよそで勉強している。」という連中が増えています。
 中には、「当団体の大会には一度も出場したことがないが、フルコンの大会には何度も出たことがある」と言うのを自身のHP上で自慢する馬鹿も出て、それをまた本部が承認しているという笑えぬ話すら出て来ております。
 このような、悲惨な経路をたどらぬように、ご忠告申し上げます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

的確かつ冷静な御回答ありがとうございます。
本当に強いフルコンの選手は他流派を尊重し、又貪欲に他流派の
良い所を学ぼうとする姿勢が分かりました。
本当に強い者は、身体能力の強さだけではなく、精神的にも強い者と言う事になりますね。

>極真空手家で伝統空手を馬鹿にする者がいたなら、「彼は極真空手の中では弱く、対外的には団体の強さしか自慢するものが無い、かわいそうな人だ」と思えば、まず間違いないでしょう。

この言葉に目が覚める思いです。
最近の風潮として格闘家の中には自分の強さをやたら誇示する人が多く感じます。これはテレビ向きのK-1などの試合前のやたら挑発的なコメント
にも現われているのではないでしょうか?これはこれでマスコミ、大衆向けのリップサービスの一つですが、これが分からない者は中途半端に影響されるのではないでしょうか。
部外者の戯言には惑わされない事が重要と理解しました。

>「俺の団体は強い」と言い始めた途端、堕落が始まるように。
本当にそうだと思います。何かしっくりしない事が分かってきました。
他流派を馬鹿にするのはやはり精神的にも肉体的にも中途半端な人なのですね。稚拙な例かもしれませんが「うちの父ちゃんは一番強いんだぞ!」
と虚勢を張る子供のような・・・。では「お前はどうなんだい!」と突っ込みを入れたくなりますよね。

私的には真の武道家、本当に強い者は謙虚なのではないか思います。
と言いますか、その様な武道家に男として本当に「惚れます」。
nirenbouさんの冷静な目で自分の所属する団体を見る目に感激しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/05 00:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!