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ある討論番組で最近は株やFXをやる人が増えて社会に貢献していない人が増えた。このままこういう人が増えると楽して儲けるという考えがまんえんして、社会に貢献する人が少なくなると国としてよくないというような事を言っていました。

では社会に貢献ってどういう意味でしょうか?会社で働くのが社会貢献なんでしょうか?でもそれは会社に貢献しているだけであるような気がします。その会社が利益をだして税金を納めると国に貢献したことになります。だったら個人で株やFXで儲けても税金を国に納めればそれは国に貢献しているとうことになると思います。国に貢献する=社会貢献なんでしょうか?

A 回答 (9件)

私たち個人だけではなかなか社会の役には立てません。


しかし、その個人が会社に集まって作業を分担したりすることによって
最終的に車が出来上がったり、ビルが立ったり、
新型のテレビが開発されたりして社会に貢献できるわけです。

事務員さんが書類を書いても直接社会に貢献しているわけではありません。
質問者さんが仰っているのはそういうことかと思います。
しかしその書類を誰かが書くからこそ、会社はうまく回って
社会に貢献することが出来るのです。
社会に貢献する会社に個人が貢献するという形ですかね。

確かに投資家も企業の活動のためには必要だとは思うのですけど…
それならば個人投資家としてではなくきちんとした形でしたほうが効率が良いですね。
(株は詳しくありません。きちんとした形ってどんな感じ?って言われてもさっぱりです^^;)
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●(プロフィールを拝見しましたが)「質問者さんだって、ライフ、楽器演奏、転職関係の知恵をお持ちで、評価されているではないですか?」これだって、社会貢献の一形態であり、某国の首相や厚労相等の政治屋の無楽様な体たらくより、遥かに役立っていると思います。



●又、国(日本)に貢献するのが、社会貢献なのは確かですけど、国(日本)に貢献するだけが唯一の策ではないのです。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3089680.html でのNO7の私の指摘並びに他の7名の方々がカキコまれておられる内容も社会貢献であって、地道に続ければ続ける程、貢献度が高まると言えるでしょう。
何から始めるか?等に於いては、個人差がありそうですが、クリツク募金辺りから取掛かるのは如何でしょうか?
http://www.dff.jp/
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> でもそれは会社に貢献しているだけであるような気がします。



その「会社」というのが、単に金儲けだけを目的として、客をだましてお金を巻き上げているような場合は、そういうことになります。
ですが、会社が存続しているという場合は、多くの場合はその会社を社会が必要としているからであって、その会社に対して貢献するということが、めぐりめぐって社会に貢献するということになるわけです。

「社会に貢献」というのは、別に慈善事業やメセナ活動のことではありません。たとえばわれわれの日々の食卓も、物流業者や小売商、農家や漁師など数多くの人々が支えてくれるから成立しているわけで、これらに携わる人たちは立派に社会に貢献しているのです。
ですが、最近はただ単にお金をもうけることだけが目的で、誰が泣こうとわめこうと、金さえ儲かればいいという輩が増えてきています。昔は、最低限建前としては「社会に貢献する」と称していたのが、「株主利益」だとかなんとかいって、こういうことをあからさまに無視する風潮も目に付きます。

もちろん、ボランティアやNGOなどで社会貢献する方法もあるわけですから、個人で社会に貢献することも、いろいろな方法で可能ですが、手っ取り早いのは、自分が「社会のためになっている」と信じる会社に奉職することでしょう。その中で、「社会のためになる」と思える事業活動を展開し、会社のためになると同時に直接にも社会のためになる活動ができればなおよいでしょう。
逆に言えば、会社の社会貢献等はまったく考えず、「給料が高いから」とか「カッコよさそうだから」とかで会社を選ぶなら、自分の給料のために社会にとってはマイナスだと思えることを平気でするようなら、社会に貢献しているとはいえないでしょう。その結果として国に税金を納めることが、社会に貢献することでもないことは自明のことと思います。

株式投資なども、本来は資金を必要とする会社にお金を回し、お金が必要でなくなった会社からお金を取り返すという仕組みですから、それなりに社会に貢献することでした。ですが、最近はそうでもなく、一部のファンドや一部の社長のように、ただ単に金を増やす手品の種のように使う輩が少なくなく、目に付くものも増えています。こういう輩は確かに社会に貢献しているとはいいがたい面もあります。

大事なことは、あなたのしていることを誰かが必要としているのか、あなたを誰かが必要としているかということです。ま、お金がその目安になることもありますが、絶対的な指標でもありません。
時々、そういうことを省みて、己の行動を見直すことが必要なのでしょう。
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利潤を追求する個人や法人は社会貢献をしているとは普通言いません



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A% …
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労働の祖型というのは、社会に対する贈与なんだそうですよ(であれば、貢献と言えましょう)。



そういう意味から言えば、株やFXなどマネーゲームそのものは限りなくグレーであると言えますね(一般認識として労働には括られないですから)。。

社会とはある一定規模以上を包絡する人間活動のまとまりであって、あなたがそこに所属するものと考えれば、社会貢献とは広い意味で無私ではありえず、あなたにも相応の見返りがある(逆に社会から求められる)もののはずです。また、貢献=”貢ぎ物を奉ること。また、その品物”という定義に因れば、労働の祖型である、”贈与”という言葉がジャストフィットしてきます。

と、いうわけで、、、社会貢献とは社会(の皆)への(あなたからの)贈与である。。そして、労働とはそもそも贈与である、、、こうした流れで考えれば、労働に携わることこそ、社会貢献である、とも言えます。

国は社会という言葉が持つ無数の意味の1つに過ぎません。

>国に貢献する=社会貢献なんでしょうか?
社会という言葉の持つ広大なコンテキストをかくも小さく要約してしまっては、短絡に過ぎるんじゃないですか? 

納税、、これは現代社会においてはりっぱな社会参加じゃないでしょうか? 国民(という社会の構成員)でなければ要求されない納税義務もありますから。。とは言うものの、人ひとりがもっているお金は労働に裏打ちされたもの...という暗黙の了解があってのことのように思います。拾ったお金、盗んだお金、降ってきたお金、賭け事で得たお金、、、こうしたお金から徴収される税では、労働の代替として不十分なのかもしれませんね。
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税金を納めるのは義務であって貢献とは言えないと考えます。


企業は確かに利益を追求します。
しかし、理念のない利益追求の結果はどうなりますか?
今年、散々あった食品偽装等にあげられるようにいずれ
社会からの反感を買うことになります。
理念を守っていれば、社会に受け入れられているものを
自らが台無しにしてしまいました。
普段、何気なく生活していますが色々な企業活動によって
私達の生活は成り立っていると思いませんか?
また、企業は人があって成り立つものだと理解して欲しいです。

「企業に株式投資する事で社会貢献している」という意見が
あるかもしれませんが、苦しい言い訳にしか聞こえません。
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古い考えの人は社会貢献とは何かしらの仕事をすることだけが社会貢献と考えています。


それは昔は今のようなNPO団体もなく、ボランティアのような行動が出来る場所も少なかったからです。
しかし今はそういう活動もいっぱいあるので、自分の家族の食い扶持は株の売り買いやFX、それこそギャンブルででも、稼いできて社会貢献はそのような活動を行うことが出来ます。
ですので一概にその意見は当てはまらなくなってはいます。
しかし、基本的に株の売り買いなどで設けようという考えの若者は、汗水出して働きたくないという考えの人が多いので、
そういう人は、そういう仕事以外の社会貢献もする人は少ないのも事実ですね。

ちなみに株の売り買いなどは誰か得をする人がいれば誰か損をする人がいます。
普通の生産活動のように何か付加価値を自分がつけることによって儲かっているわけではありません。
みんながそういう新しい付加価値をつける行為をしなくなると、
今の世界より新しい付加価値をつけることがなくなり、
過去の遺産を食い潰すだけになりいつか食い潰す遺産もなくなります。
ですから人間は何かしら付加価値をつける行動をしていかないといけません。

ちなみに本来の株の役割は今のように短期的な価格の上下の売り買いで儲けるためのものでなく、
会社の資本金を新株を買うという行為で出資し、その会社がよりよい活動をする手助けをする代わりに、毎年配当をもらう行為です。
今みたいにどの株がいくらあがったから売っていくら下がったから買ってと言うのは本来の株式市場の考えから外れているギャンブルな行為なんですよね。
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株や外国為替証拠金取引は


不労所得の中でも
ポートフォリオ所得(紙の資産から生まれる収入)と呼ばれるもので
利子や配当などで収益を上げます。
金しか動いてませんから。
労働を介していないのではそういう意味では
ほぼ地域社会に貢献できませんよね。
社会貢献は消費のみと限られてきます。

そういう意味でしょうか。
国民の三大義務だって
教育を受けさせる義務・勤労の義務・納税の義務
なんですから。
納税だけではね。なかなか社会は回りませんよね。

そういう意味での社会貢献は、
もっとシンプルに考えてですね。

たとえば何もない田舎町にファミレスができたとします。じゃあファミレスで働く人は地域に飲食の場を提供しているわけです。同じように印刷会社ができた。製薬会社ができた。運送会社ができた。みんな労働して社会に貢献しているわけです。商品や人やお金が動いて地域社会が活性化しているわけです。

お金を払っているから等価交換で何も特別貢献してないじゃないか
というとそういうわけでもなく
じゃあスーパーも商店街も洋服屋さんやコンビニとか葬儀会社でも
じっさい働いてくれる人がいなくなったり
会社や商店がなくなればものすごく不便となるわけですよね。
電力会社やNTTで働く人がいるから電話を使ったり電気を使ったりできますよね。
そういう意味では労働=社旗貢献なんです。
働いてくれる人がいるからこそ私たちは恩恵を受けているわけです。
過疎地や商業が冷え切った地域など不便で仕方がないです。
またお金が動いて消費することも社会貢献なんです

全体として楽して儲ける人が増えれば、
社会が機能しなくなりますから。
株やFXで・・・・と言っても
株やFXに必要な会社で社員さんがしっかり働いてくれなければ
できないものですからね。
どういう職種にしろ
働くというのは社会貢献しているわけですよね。
会社員は会社を通じて社旗貢献しているわけです。

ご参考までに。
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投資行為は十分社会貢献だと思いますよ。


日本の悪い面は物作りは得意であるものの、投資を軽視しすぎるところです。
物づくりで得た利潤を、投資下手でその多くを持っていかれている現状を考えれば国は投資行為を推奨したほうが妥当だと思いますが。
投資行為が楽して儲かるものと考えること自体、投資の軽視です。

労働と投資は質こそ違えど社会的貢献と言う面では同等ではないでしょうか。
日本の経済の考え方は、日本国内だけの行為ばかり目を向けてしまうため、投資行為を単なるマネーゲームとして捉えてしまう向きがあります。
これは国内だけで考えれば、市場規模は拡大しても、日本国内の話であるのだから、それを取り合っても単なるゼロサムゲームに過ぎないと考えてしまうからです。

ここ十年近くの日本の市場を除けば、世界の市場はインフレ率を上回る形で逓増し続けていますよね。
逓増し続ける市場の中においては、参加しなければ機会の利益を得ることも出来ません。
日本の市場を考えた場合、バブル崩壊後から年々国内の投資家の割合が下がり続け、現在の東証の参加者のうち内資3~4割にまで低下してしまっています。
この傾向が進めば、仮に将来日本の市場が上向いたときに、本来得られる利益を日本は享受できなくなります。

またこれ以上に重要な問題としては、市場の売買シェアだけでなく持分シェアが今以上に低下していくと、日本企業が外資に買い占められることになってしまいます。
国内で労働をなされたことによる利潤も、働き先が外資であれば課税面を除けば海外に多くの富が移転してしまうことになります。
この事を考えずに、投資行為は楽して儲かることだからけしからんと考えている人々は、近視眼的であり国への貢献にネガティブに作用する人々と考えてもよろしいのかと。

もちろん労働行為よりも投資行為が優れているという訳ではありません。
経済活動においては、いずれも欠くことの出来ない重要な両輪だからです。
今の日本は投資を行う人が少なすぎるため、討論番組のような話が出てきてしまうのだと思いますよ。
知らないことに関しては、人は冷たくなれますからね。

社会の貢献の考え方のベースは労働の分業化です。
人には得意不得意があり、それぞれが得意なものに特化することにより、一人でなんでもするのに比べ生産性が向上します。

例として
Aさんは魚釣りが得意、Bさんは服を作るのが得意だとします。
・各人がそれぞれ自分のためだけ労働をするとなると・・・
得意不得意を言えず両方を実施することになり
AさんBさん共に、1ヶ月に魚50匹と服10枚を生産しました。
・得意なものに特化し、補い合う事を前提とした場合
Aさんは1ヶ月に魚120匹を取り、Bさんは服を25枚作りました

この例で見れば、分業することによりトータルの生産量は向上していることがわかり、分業により増加した利潤が社会貢献となっているのです。
人間社会は個人間の分業から地域間の分業に、内国間の分業に、国際間の分業と分業規模の拡大により大きく発展してきています。

貨幣経済と国際経済の発展の中で、投資行為自体も富の移動に大きく影響を与えるようになった現代においては、それによって得られた利潤も社会貢献の原資として捉えることに違和感はないはずです。
見方を変えれば、労働と投資を分業したとも考えられます。
労働が得意な人は労働から利潤を生み、投資が得意な人は投資から利潤を生み出す。
それぞれの利潤が社会貢献の原資となっているのです。
望ましいのは個人レベルは別として、国レベルで考えた場合、生産と投資による富の拡大がアンバランスにならないことです。
この面から言えば、今の日本においては、投資に積極的な人々のほうがより社会貢献をしていると言ってもよいのかもしれません。
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