No.2ベストアンサー
- 回答日時:
ご質問の答は
「それぞれの首を取った上杉方の武士を、武田方の武士が討ち取って、信繁、諸角豊後守、勘助のそれぞれの首を奪還した」
とドラマ上で設定されている、ということです。
川中島の合戦については、歴史学者が認める確実な史料はほんの僅かしか存在せず、「歴史学上は、合戦の詳しい様子は不明としか言えない」のが実情です。
「永禄四年に武田軍と上杉軍が激しく戦い、信玄の弟の信繁が討ち死にした」
「謙信が自ら武田兵と太刀打ちをするほどの激戦であった」
程度のことしか史実とは認定されていません。
今回のドラマで描写された、
「上杉軍が妻女山に上り、戦線が膠着し、山本勘助が献策した「啄木鳥の戦法」によって武田軍を二分して妻女山に奇襲をかけようとし、それを見破った上杉軍全軍(1万数千人)が事前に妻女山を降りて八幡原に進出し、そこに陣を構えていた武田軍(8千人)に車懸りの陣で攻めかかり、劣勢の武田軍は妻女山に向った味方が援軍として駆けつけるまで苦戦した」
という話は、甲陽軍鑑などの「軍記もの」の記載によるものです。日本人の常識としては「史実」と同視されていますが、実際にどうだったかは「歴史の闇の中のこと」でなんとも言えません。
そして、甲陽軍鑑には
「武田信繁の首は、武田軍の山寺某という武士が取り返した」
「諸角豊後守の首は、豊後守の家臣2名(石黒五郎兵衛、成瀬某)が取り返した」
と書かれています。
今回のドラマでは、信玄が「ヤマダカ平左衛門、石黒五郎兵衛、よくぞ二人の首を取り返してくれた。大儀であった」と褒め言葉を与えていました。甲陽軍鑑の記載をそのまま採用しているわけです。なお、「ヤマダカ」は誤りで、この場面で信玄は「山寺平左衛門」と言うべきだったと思われます。
※ 録画していましたのでこの場面を再生してみましたが、信玄役の市川亀治郎は「ヤマダカ」と言っているように聞き取れます。「ヤマダカ」と読む姓は普通はありませんので、脚本にどう書いてあったのか興味があります。
勘助の首については、甲陽軍鑑には特に記載がないようです。
ただ、他の軍記ものには、「勘助の家臣何人かが、非常な苦労をして取り返した」と書いてあるようです。今回のドラマでは、勘助が特に可愛がっていた家臣である太吉が「非常な苦労をして、勘助の首を取った」ことで収めたわけです。
参考文献
「武田軍記」 小林計一郎 著
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=05090598
絶版書ですが、図書館やネットの古本屋で見つかるでしょう。
なお、戦国時代の大規模な合戦では、戦勝後に首実検を行った後は、首を集めて戦場付近に埋めて、土地の僧侶に金子を与えて供養させる(五輪塔などを築き、読経する)のが「良き武将の心得」であったようです。そうした伝承を持つ「首塚」が全国に散在しています。
川中島古戦場の首塚の紹介記事
http://sky.zero.ad.jp/~zac28831/syashin-takeda2. …
ご回答ありがとうございました。やはり「奪還」ですよね。確かに首塚というのはよく見聞きしますが、そういうことだったんですね。これからは、ちょっとした遺跡などに対し、その由来に興味が持てそうです。それにしても「良き武将の心得」とはさすが日本ですね。自分が日本人であることを誇りに思える習慣です。ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
奪回可能なのは首実検より前でしょうね
首を返してもらった例としては、
桶狭間合戦後に、鳴海城の岡部元信からの開城の条件を織田信長が呑み、今川義元の首を渡す代わりに城から退去させました。
ご回答ありがとうございました。なるほど、首実検後ではなかなか困難を極めるでしょうね。ちなみに、今気付きましたが、首実「検」だったんですね。てっきり首実「験」だと思っていました。「実検」という言葉があったなんて(笑)。国語辞典では、「本当かどうかの検査『首-』」とありました。なるほどねえ。ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
実力ですよ。
首実験に使われてしまい、放置されている場合もありますが。あの戦いから約20年後、武田勝頼の首は京都?か何処かでさらしものにされましたし、首は討ち取った重要な証拠です。敵の重臣の首なら返すなんてありえないでしょう。
ただ現実問題、太吉一人で奪い返してこれるとは思えませんね(笑
早速のご回答ありがとうございました。ですよね、実力ですよね。何でわざわざ返さなければならないのか分かりませんよね。あのシーンでは、上杉謙信が「首実検じゃ」といったあと、しばらくしてシーンが武田信玄に変わり、「よう首を持って帰った。胴に付けてやれ」と命じていました。これらが同日中の出来事だったので、ふと「そんなに早く持って帰られるもんなのか?」と不思議に思ったのでした。まあフィクションというのは分かっていますが、ちょっと違和感を持ったまでです。ありがとうございました。
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