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私自身「ら」ぬき言葉で話しているかどうか分からないのですが
「食べれない」とかいつも言っているような気がします。

確かに他人の「ら」抜き言葉には気が付きます。
しかしながら自分自身が使っている言葉には後で思い返せばそういっていたかもしれないとは思いますが
その場で気づく事が出来ないのです。

一体どうすれば「ら」抜き言葉を直せると思いますか?

A 回答 (6件)

>一体どうすれば「ら」抜き言葉を直せると思いますか?



これは大變難しいことです。
なぜかと言うと、現在
「くる」の可能としては、「こられる」よりも「これる」、
「食べる」の可能としては、「食べられる」よりも「食べれる」
と言うほうが普通だからです。

(ただ、私は「考えれる」「おぼえれる」という言葉づかいは聞き慣れないですね。
どうやら、「見れる」など割と短い言葉は「ら拔き」(「ら入れ」にならない。)の傾向があるようです。)

あえて普通と違うことをするのですから、努力が必要だということになりますが、ちょっと方法は思いつきません。

>過去の質問などを読んで
>「ら」抜き言葉が気になるというのを目にしたのですが
>どうやらそんな事も無いような気がしてしまうのですが
>なぜそういった意見があるのでしょうか?

「ら拔き言葉を氣にする必要はないはずなのに、なぜ氣になるなどという意見があるのか」
という意味ですね?

それは、そういうことを言う人は、自分の育った環境では「ら入れ」をする(「ら拔き」をしない。)人々ばかりだったためでしょう。
文法の教科書ではそういう言い方(「こられる」)が正しいものとして載っています。

私はあまり使いませんが、
五段活用動詞「行く(いく)」の可能(行くことができる・行ける)の意味で「いかれる」、
「取る」の可能(取ることができる・取れる)の意味で「取られる」
と言うのは、標凖語の文法として誤りではありません。
このような、可能の意味で 「あ段」+「れる」 を聞き慣れている人は、
五段活用以外の動詞の場合も、「られる」という 「あ段」+「れる」の形でなければ、おさまりが惡いだろう、
と考えることができます。
(「こられる」はおさまりがよいが、「これる」はおさまりが惡い。)

(既にご指摘のある通り)「られる」というのは、わざわざ長く言ってしかも意味が紛らわしくなるわけです。それに「ら」行音が續くのはあまり發音しやすくありません。
ですから、言葉をゆっくりと叮嚀にたくさん(餘計なことまでうだうだと・長ったらしく)しゃべる環境にいたんではないか、と想像されます。
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この回答へのお礼

つたない文章を理解していただきありがとうございます。

お礼日時:2002/09/30 23:19

いわゆる「標準語」としてはおかしいといわれているだけであって,多くの地方で少なくとも100年以上も前から使われていることばですから,直す必要はないと思いますヨ。


結構,歴史のある言葉遣いですからネ。
私の場合は「ら入り言葉」の方に違和感を感じてしまうために使いたくないので,いつも言い回しを換えています(可能と受動との区別が曖昧となるために違和感を感じるのです。また,明治時代から使われている地方文化としての「ら抜き言葉」は守りたいと思っていますから)。
「食べることができない」「見ることができない」といった風に表現すれば「ら」について考えずにすみます。
日常生活では完全な標準語などは使う機会も全くありませんから構わないのですが(イントネーションや細かな言い回しは標準語で言うことができません),書き言葉においては標準語文体としなければならないので,言い換えを行なっているのです。
sanpogoさんも試されませんか?
以上kawakawaでした

この回答への補足

過去の質問などを読んで
「ら」抜き言葉が気になるというのを目にしたのですが
どうやらそんな事も無いような気がしてしまうのですが
なぜそういった意見があるのでしょうか?

補足日時:2002/09/30 08:27
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この回答へのお礼

そういう方法もあるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 08:47

言葉遣いや話し方は、本人が日頃から意識していれば、次第に治るものだとも言われています。



他人のは気になるのに、自分のは「わからない」というのは、ひょっとするともう潜在意識の中では「ら抜け言葉」を容認しているのかもしれませんね。
他人の「見れる」「食べれる」が気になるのは、語呂がわるいというか、話の中でその部分だけ幼稚に聞こえるのだと思います。

さて、提案です。
「見られる」「食べられる」を使わなければいい。
「見ることができる」「食べることができる」と、わざわざ長く言うのです。(笑)
いかがでしょう。
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この回答へのお礼

質問の書き方が悪かったのですが
他人のら抜き言葉に気づくというだけで気になっているわけではありません。
(自分が出来てもいないのに気になるのは変ですよね)

お礼日時:2002/09/30 08:45

長い間に身についてしまったものを一朝一夕に直すのは難しいですね


幸い、原理ははっきりしていますので、上一段/下一段/カ変動詞未然形+『られる』の変化形を、英単語を覚えるときのような暗記カードにしてみてはどうでしょう?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2002/09/30 08:36

どうしてもイヤなら、自分で気を付けるしかないですね。


常に「ら」を意識して話したらいいのかもしれませんが、本当はそんなことしなくても良いことなんですよ。
言葉は時代によって変化する生き物です。
ら抜き言葉も、今の時代が生み出したことばですから、多くの人が使うようになったのなら、もうチャンとした正しい言葉使いとして認めるべきです。
これを認めないと、江戸時代の言葉や平安時代の言葉を、今でも使わなければならないことになってしまいます。でもそうなってないですよね。何百年もの間、だんだん変化して今の言葉になったんですから。
昭和には昭和の言葉使い、平成には平静の言葉使いがあって良いはずです。私などは昭和生まれなので、なかなから抜き言葉が使えない時代遅れの人間ですが、気が付いた時は、らぬき言葉を使うようにしています。だから気にしないで使いましょう。
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この回答へのお礼

ココでの質問を見て「ら」抜き言葉は「悪」であるというような印象を受けたのですがそんな事も無いのですね。

参考にさせていただきます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 08:33

周囲の人に「ら」抜き言葉使ったら注意してねって頼んでおけばいいんじゃないですか?


1回指摘すると100円とか約束しておけば、結構効果的だと思います。
でも、私的には「ら」抜き言葉の方が、「可能性」を表しているのか「受動」を表しているのかがはっきり分かって便利なので、積極的に「ら」抜き言葉を使った方がいいと思っています。
言葉なんて内容が伝わってナンボですから。
それよりも、どうせ気をつけるなら人を傷つけるような発言に気をつけた方がいいと思います。
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この回答へのお礼

それはそうですね「ら」抜き言葉よりもはるかに難しいですね。気をつけます。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/09/30 08:30

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