プロが教えるわが家の防犯対策術!

気になることがあったので質問させてください。
私はいままで多く障害者と接することがありました。
以前、傍若無人に振舞っている障害者がいたので
私がその人に注意したところ、まわりから
冷ややかな目で見られ、
知人から「障害者だからもっと気を使ってやれ」という
指摘を受けました。
また、別の人で偽足の人に
私が卓球をやってみないかと
私が勧めたら、物凄く傷つけられたという
リアクションが返ってきました。
私はそのひとが偽足といえど
普通に歩いていたので卓球はできると
思って勧めたのですが、
「そんなことできるわけないじゃないか」
ということでしょうか、私がとても悪いことを
したようなことになってしまいました。
向うから足の事を愚痴ってきたこともあったのに
私が障害のことに触れると悪いように言われるのは
矛盾してるように感じますが。
私が一番聞きたいことは「障害者の人には
健常者と同じようには接してはいけないの?」
ということです。
御意見お聞かせ下さい。

A 回答 (6件)

こんにちは。



貴方が仰ることは間違ったことではないと思います。間違った事をしていたり、人に嫌われる言動があったならその人が誰であれ注意はするべきでしょう。また体に不自由なところがあっても出来る趣味やスポーツなど、気分転換や生き甲斐になることを勧めるのは間違いではないと思います。

しかし、話の持って行き方などには配慮するべきでしょうね。
障害の有無に関わらず人には触れて欲しくない部分はありますし、そこをつかれると不愉快に感じるでしょう。障害を持つ方がその事をどのように感じているか、それは性格によって違うのですから、そこを理解してないと傷つける事になると思います。

1人の人間として尊重し対等に接するべきですが、同時に障害を持っている事への配慮も忘れてはいけないと思っています。
同じように接するべき所と、接してはいけない所を相手の視点に立って考えるべきではないでしょうか?
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 私はいわゆる身障です。

えーと、fromKitakyushuさんの言われる「障害者の人には健常者と同じようには接してはいけないの?」については、あなたの言われるとおり健常者と同じ接し方が基本と思います。正しいですよ。
 ただ、ケース・バイ・ケースで、ご質問の卓球の件はいけません!義足や杖、SLB(特殊装具)の人は、私もそうですが、走れない、飛び跳ねられない、まして、卓球はできません。つまり、人の外見では障害の程度は理解できないのであって、したがって、あなたは本当には身障のことは御理解していないのでは?
 こういう例があります。ある友人が身障(車いすと4点杖併用)の家に見舞いに行きました。そこでこういう発言をしたのです。「リハビリやっているんでしょう。もっと動ければ、私の家は3階なんだけどこれるのにね」。
 一見、何ともないように見えますが、こいつは身障者を内心怒らせたのです!リハビリやれば歩けるという単純なもんじゃない!まして、階段は危険だしね。
 こういうこともあって、その人は理解していないと判断されたそうです。
 傍若無人はいけませんが、それとこれとは違います。
 少なくとも、卓球のケースはいけません。
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この回答へのお礼

人の気持ちを理解するということはとても簡単には
いかないことですね。
自分も似た経験をすれば少しは理解できるかも
しれませんが・・・
name-label2さん、御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/03 23:54

とある本にこんな様な事が書いてありました。



足を引きずって階段を上がっている人がいます。「お手伝いしましょうか?」と言う方がいらっしゃいました。相手は「いらん」と一言いわれました。

さて、貴方は
1)「折角、手伝おうか?と言ってるのに、「いらん」とはどういう身分だ?今後こういう場面に出会っても一切、声をかけないぞ」
2)「あぁ、この人は自分の力で登りたいと思っているんだな。なら今回、手伝い不要だな」
のどちらを思いますか?

1)の場合だと、善意の押し売りです。2)の場合は、相手の気持ちの代弁に近いもの。

ちょっと話がずれましたが、人は身体のことを話題にしてほしい人、ほしくない人、他の方を批判するのが好きな人、嫌いな人などなど・・・人には色々なタイプがありますので、人それぞれに対応は違いますよね。だから私は、「障害者だから許される」とか「健常者だから許されない」ではなく、「人として許されるか」を考えて行動すれば良いと思っています。

貴方の注意一言でその相手の方がどういう気持ち(悪いことをしたと反省するのか、大目に見ろという風になるのか)になるのかが問題で、周りがとやかく言うことではないと思います。また卓球の件も相手が傷ついたというのであればそのことについて謝ればよいのではないかと思います。

昔私も、注意をしたことで周りに「障害者に何を注意しているんだ」というような冷ややかな対応を取られた事がありましたが、相手の方が「貴方のように注意する人がいなかったので、今までずーと周りに迷惑をかけていたのですね、すみませんでした。」言われて大変救われた気持ちになったことがありました。
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この回答へのお礼

御意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/03 23:59

健常者の中にも様々な人がいますよね。

それと同じ事だと思います。
おそらく義足の人でも他の人であれば、卓球に興味を示したかもしれません。
健常者、障害者と分けずとも、人には触れられたくない部分があると思うし、
物の言い方によっては憤慨することもあると思います。

知人の方の「障害者だから」気を使うという言い方は、一種の偏見だと思いますが、
誰に対しても、やはり気配りというものは必要ですよね。障害者であろうと無かろうと
注意すべき点に関しては、注意しても良いのでは?と私は思います。
ただ、お年寄りと子供では接し方が違うように、その人に対してのベストな
接し方というものがあるのではないかと思います。
自分が良かれと思ってやった事が裏目に出ることって、普通でもありますから、
難しい問題かもしれませんね。
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2つの例示を読んで感じたのは、障害者相手でなくても気遣いの


無い言葉を使っているのではないか?ということです。
障害者の場合、他人のペースに合わせることが負担になりやすいです。
卓球の場合はそのさいたるケースであり、体力面、義足の機能面、
さらには内蔵、神経系の部分でも配慮が必要な場合もあります。

障害者に対しては"健常者と同じように"充分な配慮をするべきだと思います。
そう考えないと一見して健常者であっても他人から見えにくい障害や病気を
患っている人のことを配慮することが出来なくなってしまう感じがします。
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この回答へのお礼

mokonokoさん、御意見ありがとうございます。
そうですね、相手に気遣いがなければ
友達もいなくなるし、異性にももてませんよね。

お礼日時:2002/10/03 23:47

 障害者であろうが健常者であろうが、同等に接して構わないと思います。

おそらく、障害者の方もそう思っているハズです。ただ、健常者には気がつかないハンディキャップがあると思いますので、その辺は気を使ってあげたほうが良いかと思います(但し、過度にならない程度に)。「障害者だから~」というのは逆差別であり、単なる偽善だと思います。
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この回答へのお礼

ichigo2002さん、御意見ありがとうございます。

お礼日時:2002/10/03 23:45

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