街中で見かけて「グッときた人」の思い出

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宗教というカテがないようなので、このカテで質問させてもらいます。
一般的な神社などが教えている(?)『神道』の性格がよくわかりません。
・教義があるようでないようで?
・仏教やキリスト教は「人の生き方」について教えていると思うのですが、神道はよくわかりません。占いのようなもので人を救っている?

A 回答 (5件)

 神道に限らず、自然発生的な土着の宗教というものは


形態としては多神教で、自然現象を擬人化した神々を民族の
祖先とみなして信仰の対象とする傾向が共通のようです。
民族の氏神信仰なので原則日本人しか信者になれません。

 対して仏教などは土着の宗教の中から異端として発生
し、信仰の対象が祖先ではなく「仏の教え」であるため
特定の民族以外の地域にも布教が可能だったわけです。

 また、土着の信仰は民族のアイデンティティにかかわる
根強いものなので、仏教やキリスト教に飲み込まれた地域
でもそう簡単に雲散霧消するものでもなく、日本においては
神道と仏教は自然に同居しているし、本来一神教であるはずの
カトリックにおけるマリア信仰のように土着の地母神信仰を
融合した多神教的な性質を残す場合もあるらしいです。
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この回答へのお礼

>マリア信仰のように土着の地母神信仰
これは面白いですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/09 06:27

様々な意見が既に出ていますので、欠けている部分だけを書きます。



神道は、PENPENMAKKYさんの指摘する自然崇拝という要素の他に、けがれに対する生理的恐怖心を持っている点で、原始的な宗教であると言うことができると思います。

例えば、人が死んだら、それを気持ち悪いと思う。女性が経血を出したら、気持ち悪いと思う。そういう生理的不快感や恐怖心を原始的な形で表現した宗教が神道だという、とらえ方もできるのです。

葬式の時に塩をまくのは、本来は仏教ではなく神道の習慣です。死体を気持ちの悪いけがれだと思っているから塩をまいて清めようとするのであって、本来の仏教にこのような思想はありません。仏教は本来、涅槃(輪廻からの離脱)を目標とする古代実存主義であり、死体をけがれだと考えるわけがないのです。日本の仏教でも、浄土真宗は本来の仏教の趣旨に立ち返っているので、葬式では塩は配りません。

相撲はいつのまにか土俵に女性があがることを禁ずる習慣を身につけてしまいましたが、あれは典型的な経血をけがれと見なす思想の反映です。確かに相撲は神道と密接な関連をもち、単なるスポーツを超えた自然信仰・五穀豊穣祈願の儀式でもあるのですが、江戸時代には女相撲があったという事実が忘れられているような気がします。

最後になりますが、神道が日本社会に与えた大問題を提起しようかと思います。神道は血をけがれと見なすので、日本人は血や動物の死体を扱う仕事を下層民に押付けるという行動をとり、結果として被差別を生むことにつながったのではないか、と私は考えています。
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この回答へのお礼

最後の三行、そういうことが十分に考えられるように思います。
人々の心に、自然への畏れ、崇拝が根本にあって、それを大元にいろいろなものがくっついてきたんでしょうか。
科学的?ではない感じがします。
女相撲は戦後でもありました。見世物です。サーカスと一緒にやっていました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/09 06:47

海外の書籍で、神道がいわゆる宗教という概念に当てはまらないことに気づいた人が書いた本がありましたが、そこでは「古代からのpractice 」すなわち、昔からの慣習、慣行、みたいに説明していました。



たしかに宗教というよりも、慣行というのはぴったりきます。

ただ神道を信仰していた同僚がいましたので聞いてみると、その教えもちゃんとあり、また神式の葬式もあるので、宗教的な側面も追求している人には見えるのだと思います。
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この回答へのお礼

>宗教というよりも、慣行
正月の初詣、お祭りのお神輿なんかみていますと、そんな感じがします。
結局、中身がカラのようでよく見えてきません。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/02/09 06:33

神道には通常、教義、教典、戒律が存在しません。


占いを行う神社も中にはありますが、それで人を救うケースは少ないです。
神道は、日本固有の原始からの宗教です。
自然、祖先、皇室等を敬う事が根底にあります。

>仏教やキリスト教は「人の生き方」について教えていると…
RE:神道の中でも教派神道といわれる一派では、通常、教典や教義があり、「人の生き方」や「救い方」なども深く説いています。

また神道は、森や山や大自然等から言葉や文字を使わずに心身で奥義を学ぶことがあります。これは一神教の方には理解が難しいかもしれないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/07 09:41

教義などありません



自然への感謝・お世話になった人への感謝などをする場所が神社です。
お願いをする場合はそれ相応を対価が必要です。(食い物、賽銭、命など)
神道は人間の常識的感謝の心が具現化した信仰ですので、これを宗教として考えると他の宗教は常識的感謝の心を否定せねばなりません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/02/07 09:35

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