プロが教えるわが家の防犯対策術!

小さいころからの疑問です。
どうして人はいじめをするのでしょうか?
私は、小・中といじめられっこでした。
小学生の頃は、考え方が幼かったのでいじめられているという認識を持たなかったのですが、ふりかえればあれはいじめられておりました。
中学2の時、だんだんと自分がいじめられているということをきっちりと認識し始め、中学3年の時は、辛すぎて辛すぎて毎日地獄でありました。
私はそのころから物事を深く考えるようになり、何事も考えすぎるところがあります。それからというもの、この疑問の答えが一向に見つかりません。
教えて下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

子供の頃は、罪悪感が希薄なので、


人をいじめるのは心地良いのです。

ある程度の年齢になると人の痛みが分ってきます。
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いじめる人も


又誰かにいじめられてると思いますよ
強い人には戦えない
そのうっぷんを弱い人へって事だと思う
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私も意味がわかりません。

なぜそれが楽しいのか。私も若干ふざけではありますが、いじめられたことがあります。反抗してもいじめられ、なにもしなくてもいじめられ、もう最悪な日々でした。相手からすれば今でいう「いじる」っていうんですか?いじられてるってよく考えればいじめじゃないですか。ころころ態度が変わるんですよ。仲良くふるまったり、いじったり。もう誰を信じていいのかわからなくて・・・。いまはその子と仲いいんですけどね。今その子クラスの中で女子たちにいじめられてるみたいになってて。相談にのってあげてます。
話がそれてしまいました。とにかく楽しいと思ってやってるんじゃないですか?そのいじめているひとの気持ちはわかりませんが!ムカッ( ̄∩ ̄#って感じです。
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いじめる人(加害者)は他人を見下す事で、自分を少しでも良く見せようとするんだと思います。


で、それを見ている周りの人はと言うと・・・自分がいじめられるのが嫌だから関わらないようにするか、いじめに加担するかですね。

人を見下した所で、広い世界(社会人)に出ればいくらでも上には上がいるものです。

他人に危害を加えようとする人はその場だけの優越感に浸りたい視野の狭い悲しい人なので、いちいち相手をする必要は無いかと思います。 
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以前、同じようなことを考えたことがあります。


私見ですがご参考までに。

いじめの目的には2つあるような気がする。
「排斥するためのいじめ」と「支配するためのいじめ」だ。

◇◇◇1≪ 排斥としてのいじめ ≫◇◇◇
「排斥するためのいじめ」は、「異質と感じるもの」の排除欲だろう。
なぜ異質と感じるものを排除しようとするかといえば、それは異質と感じるものによる自らへの影響を怖れるからだろう。
私たちには多かれ少なかれ、他者を相対的存在として認識することによって自己の存立基盤を築こうとする無意識が働いているはずだ。
多少なりとも、他者の存在に照らし合わせて自分というものを確認しようとする部分がある。
だからもっと正確に言えば、異質と感じるものに照らし合わせた場合、それまでの自分というものが覆ってしまう恐怖を覚えるのではないか。
異質な事柄自体もそうだが、それ以上にその異質な事柄を身に纏って平然としている相手の存在を脅威に感じてしまうのだろう。
それゆえ排除しようとする。
一種の防衛機制と言ってもよい。
誰かを攻撃するように見えて、実は自らの身を守るための行為だというところがいじめ問題の根深さだろう。
「いじめられる者」とは「いじめる者にとっての」脅威なのではないだろうか。
つまり、他者の異質さに脅威を覚えるものがいじめをするということかもしれない。

しかし、異質と感じたとしても脅威を覚える人とそうでない人がいる。
そもそも異質という感覚さえ持たない人もいるはずだ。
この違いはどこからくるだろう。
思えば、「異質」という感覚は「理解できない」「理解しづらい」という認識に基づいていないだろうか。
つまり「何か理解できないから怖いので排斥しようとする」といういじめの形態があるのだと思う。
他者を理解できないのは主に想像力の欠如によるものだろう。
人は、幼い頃にどのような刺激を受けたかにより世界の捉え方が全く違ってくることもある。
想像力に関しても、幼児からの教育環境が重要な鍵を秘めているのではないかという気がしてならない。

ところで、排斥不可能と感じさせる相手に対しては排斥しようという気力はおそらく起こらない。
『ある相手に対して何か理解できないという怖れを抱くものが、排斥しようと思えばできそうだという見当をつけた時にいじめという形が出現することがある。』ということになりそうだ。
排斥不可能と思わせるのは、『毅然とした姿勢』を以ってその最大のものとするのが妥当ではないかと私は思う。
無論、理解できないという認識を抱かせないようにすることも効果があることになるだろう。
媚びる必要は全く無いし逆効果になるが、いじめられる側としては相手に安心感を与えておくことも有効だということになると思われる。

◇◇◇2≪ 支配としてのいじめ ≫◇◇◇
排斥ではなく、支配し従わせるためのいじめというものもあるだろう。
支配し従わせたくなる対象とは、すなわち自分自身との共通点を抱えている人ではないかと思う。
どのような共通点か。
それは自分と同様の弱さだろう。
何らかの理不尽な力に対抗しきれずに不当な抑圧を甘受してしまっている者。
その色を無言の内に表現してしまっている者。
そういった者を、容易に支配できる弱者として、いじめる者は敏感に察知するのだろう。

では、支配しようとする目的は何か。
それは自分が過去に受けたいじめ、あるいは抑圧の清算だろう。
自分が受けた理不尽な力は貯めておくだけでは苦しくなってくる。
吐き出す必要が生じるわけだが、いじめる者にとっては自分が被害者だった時と同様の状況設定の下で吐き出されることが望ましい。
「同様の状況」とは、抵抗不可能な情けない弱者に対して一方的で圧倒的な力が行使される、ということ。
かくして、弱者と認定されたものが執拗に狙われ続ける。
いじめるほうにしても、自らの惨めな過去を清算し、一旦は受け入れてしまった負の記憶を帳消しにするための絶好の獲物といった認識を持つはずだ。
過去の自分を癒す手段としてのいじめ。
誰しも、ふと誰かをいじめたくなった経験はあるはずだ。
その時、相手の中に過去の惨めな自分を見出すことは、そう難しいことではないだろう。
いじめる者は、過去のふがいない自分に復讐しているという見方も可能かもしれない。
 
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動物園に行って、ニホンザルかチンパンジーのサル山をみてくるといいでしょう。

ひっぱいたり、たたいたり、たくさんイジメが行われています。ところで、柱の上のほうで気持ちよく昼寝をしているサルもいます。じつはこちらは順位(身分)が高いのです。だれも手出しはしません。

いじめられているとのことですが、いまのうちに『うまくやりすごす』術を身につけておくことは、勉強以上に大人になってから役にたちます。あまり、暗くならずに、好きなことをみつけて楽しくやっていくことです。楽しんでいる=強い、というアピールでもあります(^_^ ;)

受験はちょっぴり身分を高くする(笑)チャンスです。
がんばってね。
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いじめる側は、他人を卑下することで、自分を満足させているのだと思います。

それと、いじめられるのが、嫌で、いじめる側にまわる人もいると思います。
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人は絶えず何かを傷つけて生きています。


それは自分なのか、他人なのかはそれぞれですが。
その他人を傷つける行為の最も手軽なのがいじめなのです。
ただ気に食わない、それだけです。
理由なんてありません。気分です。
自分の気のむくまま、言ってみれば破壊衝動をぶつけているのです。
その程度の人間に貴方が深く考える必要はありませんよ。
終わった事であれば、スッキリ忘れて新しい自分を
見つけて行く事です。
そして過去の自分を見返す事です。
そうすれば、こんな事もあったなって感じで振り返る程度になりますよ
強くなる意思さえ持てば誰もが強くなれます。
何より自分の弱さに負けないようにして下さい。
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とても簡単です。

いじめる方は、誰か弱い人をいじめて、あなたのように悩んだり泣き叫んだりして、その人が負け落ち込む姿が見たいのです。あと自分の欲求不満を、いじめることで解消しようとするからです。誰かをいじめてスッキリしたいのです。いじめると快感が生まれるので、いじめ続けたいのです。

いじめられる方は、当然、いい迷惑です。

ハラスメントという英語が最近日本語でも使われるようになってきて、子供の世界であれば、喧嘩が強いとか、ちょっと気が強いだけで、対照的に弱い人間を責めますが、大人の世界でも、セクシャルハラスメント、パワーハラスメント、アカデミックハラスメント等、もっと陰湿です。

僕もいじめられる方を味わっています。一番悲惨だったのは、上司に毎日、夜3時間以上、一方的に説教され続けました。1ヶ月以上も。その結果、うつ病と診断されたことがあります。逃げるところがふさがれると大変です。

僕は常にいじめる人の位置を把握して、近づいてしまった場合は、誰かと一緒に接するようにしました。
ただ僕の場合は仕事上の上司なので、常に逃げまくり、複数で接することは不可能でしたので、結局、仕事が変わるまで、本質的には解消されませんでした。僕には何も落ち度はなく、単にその上司が馬鹿で理解力が無かったので、皆の報告が理解できず、八つ当たりしていただけでした。

あなたも何の落ち度はなく、たまたま悪いめぐり合わせで、そのいじめっ子とあってしまったのです。
辛いでしょうが、あなたもどこか逃げるところ、たとえば仲の良い友達や親兄弟でも良いので、一緒にいて落ち着ける人は居ませんか?そしていじめる人から常に距離をおいて離れることはできませんか?
そうなると、いじめる方は、いじめた時の快感が薄れ、少しづつ欲求不満を解消しようとする対象が、あなたからどこかか誰かに変わってくると思いますよ。
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ff1234さんは幾つでしょうか?


まだお若いのかな?
私は今、30代の男です。
実は私も中学生の1・2年生の時にまあ、いじめといってもいいでしょう。
そういう境遇にいました。
多分、親も気づいていたのだと思います。
でも私の親は動いてくれませんでした。
(学校の教師に掛け合ったりという意味でですが…。)
別にそれを怨んではいません。
なぜなら私の親はちゃんと気づいていてくれたからです。
ある時こう言われました。
「他人に酷い事をする人。他人を傷付ける人は結局誰にも愛されない悲しい人なんだと…。
 だからそんな人に何を言われても気にすることはない…逆にそんな人を哀れむ人になりなさい」と言われました。

今は理解できないかもしれませんが、これは真実だと思います。
自分より弱いと思う人、思われる人を迫害する人。
迫害している行為を誤ったことだと分かっていながら自分が火の粉が掛からないようにしている人。

それはやっぱり哀れな人だと思います。
自分の事を守りたい・自分を認めさせたいと考えている人間の行動です。

よく、いじめてる人間と同じようにいじめられる人間にも同じように罪があるという人が居ます。
実をいうと半分共感がもてるんです。(勿論、正しいとは思いませんけど…。)
人に接するときに弱気になっていませんか?
変にへりくだった態度を取っていませんか?
自分はココに居る!
自分は生きている!君たちと一緒だ!!
そう思わせる強さを持ってください!!!
貴方には小中学校でいじめられてそれに耐えた強い心があるんです!
きっとできます。
考えなくても良いんです!
今持っている強い心にもう少しだけ勇気を与えてください。

はっきり言います!
貴方を苛めている人間よりも貴方の方が強い!!
少しだけ貴方のほうが心根が優しいだけです。
死にたいなんて安易に考えないでください!
私は貴方の強さを信じています!!!
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