【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84% … 
ここに
>>イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。<<
との記述があります。素人の直感とよく合いますが、「保守化・教条化したユダヤ教」を具体的に幾つか例示することができますか。

2
また、
>>神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた<<
との記述もあります。
ユダヤ教徒の立場で見るとき、イエスの罪状は「神の子の自称」だけでしたか、他にもありましたか。

3
「最高法院」の構成員は分かっていますか。ユダヤ教徒に議決権があったのですか。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

>>1


ユダヤ律法は、公正、忠実、憐れみ、神に対する愛といった原則の下に制定されていますが、当時の独善的なユダヤの宗教指導者(以下、宗教指導者)たちはそうした原則を忘れ、律法の内容を細分化し、膨大な数の規則で民を縛る事で、その価値を損なっていました。

例えば、宗教指導者たちは「清さ」に関わる律法を拡大解釈し、食事の前に手を肘まで洗う事を義務付けていました。それを守らない者は違反者であり、汚れた者だと主張したのです。
言うまでも無く、律法にはそのような項目はありません。
(マタイ15章1-2節;マルコ7章1-5節)

安息日とは、神への崇拝をささげるために取り分けられた日であり、安息日に仕事をする事を律法は非としています。
ある安息日に、イエスの弟子が歩きながら穀物の穂をむしって食べるのを見た宗教指導者は、その行為が収穫の業、つまり仕事に相当するとして、イエスと弟子たちを非難しました。
(ルカ6章1-2節;マタイ2章1-2節)

宗教指導者は立場の低い人々を蔑む一方で、そうした人々に救いと慰めを差し伸べるイエスを、目の上のたんこぶのように思っていました。それゆえ、彼らはあらゆる手段を講じてイエスを攻撃したのです。

>>2
厳密に言うならば、イエスの罪状は「神の子を自称する事で、神を冒涜した」というものです。旧約聖書の約束のメシアに関する預言の中には、イエスと合致するものが数多くありますが、宗教指導者たちは最後までそれを認めませんでした。
しかし、自分たちがイエスを殺せば、イエスを尊敬する大勢のユダヤ人の反感を買う事になると考え、「ローマ帝国の政治的理由による処刑」という形をとる事によって、自分たちの責任を逃れようと考えたのです。それゆえローマ帝国側には、
[1]ユダヤ国民を撹乱し
[2]ローマに税を払う事を禁じ
[3]自分は王キリストだと主張した
という濡れ衣を着せて告訴したのです。

>>3
ユダヤ教最高法廷は「サンヘドリン」と呼ばれています。サンヘドリンは71名の成員から構成されており、パリサイ派、サドカイ派という二つの派閥に分かれていました。成員すべての名前は聖書には記されていませんが、カヤファ、アンナス、後にはアナニアといった著名な人物の名前は記されています。
当時ユダヤ地方はローマ帝国の属州であり、本国から派遣された総督が監督の任に就いていました。サンヘドリンには、当時の総督であるポンテオ・ピラトの管理下の下で一定の自治権を認められていましたが、飽くまでローマ帝国の支配下における限定的なものでした。
ちなみに、イエスに直接死刑宣告を下したのはポンテオ・ピラトですが、彼自身はイエスを無実だと考えていたようです。しかし、宗教指導者に扇動された大勢の群集が、イエスを殺せといきり立っていたため、恐れのあまり、彼はイエスを死に処しました。
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この回答へのお礼

1に関して
「保守化・教条化したユダヤ教」の実態が具体的になりました。何百年を経た組織では何処と限らず、然も有りなんという気がします。

2に関して
どうやら、教団の上層部にとって不都合な人物だったのだと理解しました。1の実態があっては自動的に対立関係になりそうです。

3に関して
日本の戦後の連合軍駐留時の状態を思い浮かべればよさそうです。

有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/04/05 22:15

1.について。


イエスは保守的なユダヤ教に対して、批判していたのか?

イエスは安息日に仕事をしたと指摘され、それは律法に背く行為だとされたわけですよね。

これに対して、イエスはギリシャ哲学的な論法で跳ね返しています。
詭弁とも受け取れる内容で、イエス物語を作った人は、ギリシャ議論で鍛え上げられた者だったと思えます。

詭弁炸裂のイエス発言。まるでイエスはギリシャ人のようです。
でもよーく読むとギリシャ人のような描写になっているのは、ヨハネの福音書。

ヨハネの福音書はギリシャ地方で成立したという説がある。

かたや、マタイの福音書はパレスチナのユデア方面で成立したという説がある。

では、マタイの福音書を読んでみましょう。
「私が来たのは、律法や預言者を廃止するためだと勘違いするな。廃止ではなくむしろ完成させに来たのだ。=全てのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字からヘブライ文字の一点一画も消え去ることはない。 だから、これらの最も小さい掟を一つでも破り、そうなるようにと教えるものは、天の国で最も小さい者と呼ばれる。 しかし、それを守る、そうするように教えるものは、天の国で大いなる者と呼ばれる。あなたがたの義が律法学者やパリサイ派の人々の義に勝っていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることはできない。」


律法学者は律法の内容について検討し、それを行政に生かす仕事だったと思えます。

例えば、ダニエル書では、はめられた女性が、売春をしたとして、殺されそうになった。
彼女が売春をしたのかどうか、どうやってわかるのか?
証言者が嘘をついていた場合であっても、売春をしたと訴えたものがいたら、訴えられたものは売春をしたとして処刑するのか?
売春をしていないと証明できなかった者は、冤罪を着せられ殺されるしかないのか?

イエス作家は、売春をしていないと証明できない事例に直面した場合、どうするか ということをイエスを通してその考えを述べている。
売春したのかしていないのかわからない件については無罪。
無罪にするための論法が書かれていますよね。
それまでは疑わしきは罰する、が、疑わしきは罰せず にするべきで、それは昔のように石をつけて水に投げ込んで死んだら、その人は罪を犯して、石をつけて水に投げ込んでも死ななかったら罪が無かったとする という判定じゃ 駄目だってことですよね。


そのような議論をパリサイ派や律法学者とやりあっていたわけです。

パリサイ派をクムラン宗団は、「滑らかなる者たち」と呼んでいた。
どういう意味か?
ガチガチの保守的な者じゃなく、寛容な人々 という意味で使っていたのか?
違う。「口では立派なことを言えるが、実際はその口で言うことができていない人たち」という意味で使っていた。

例えば「キリスト教は愛の宗教です。私達はみなさんに平和をもたらします」と言いながら、大量虐殺・破壊・略奪をするような人を、滑らかなる者たちと呼んでいたわけです。

パリサイ派は律法を守れといいながら、実際は口だけだったので、クムランは彼らをそう呼んでいた。

そういう律法を守れと人には教えているのに、実際自分はやっていない律法学者やパリサイ派をイエスは痛烈に批判しやりあっていたわけです。
律法をないがしろにするな と。
律法を利用して自己利得のために殺人を犯すな と。
聖書を利用して侵略・破壊・殺人を正当化するな と同じことなわけです。


2.
人の子については死海文書を読めば、誰のことかわかりますが、神の子についてどういう意味か書かれていないので、その当時神の子とされたものが、誰のことを指していたのかわかりません。

イスラエルの子ら はイスラエル つまりヤコブの子孫のことで、12支族のことだと思います。
で、神は12支族には祭司職に就かせず、1支族のみに祭司職を与えたことになっている。
ですが、人数が増えていき、仕事として、全員祭司になっていたのかというと、恐らく後にできる律法学者やラビと呼ばれることになる職業に多くのレビ人は従事するようになったのではないかと思います。

で、ユダヤ教のリーダーの中のリーダーである大祭司が頂点に立つわけです。
で、多数者と呼ばれる12人が構成するものが、天の国と呼ばれたのではないか と私は推測します。
従って天の国を構成する多数者が神の子とされたのではないかと。
彼らは肩書き名をもっており、ガブリエル など呼ばれていたのではないか と。

だとすれば、その多数者の一人だとイエスが言ったら、それは神への冒涜になるわけです。
イエスがレビ人ではないのなら、彼は天の国に入る資格が無いから。
ですが、従兄弟の洗礼者ヨハネの父親は、大祭司の家系の女性を嫁にもらうことで、祭司の仕事ができるようになった。

で、マリアの物語を読むと、マリアは小さい頃に神殿で育てられた人となっている。
どうして、彼女が聖所に住むことになったのかというと、父親が40日間荒れ野で修行をしている間、妻のアンナは「もし子供ができたら神に捧げます」と神と契約を交わしたからとなっている。

それだけじゃ弱いですよね。
誰だって子供を聖所に住まわせたければ、同じことを言うでしょうし、そのような人々がつぎつぎ神殿につめかけたら、神殿は大混乱になってしまう。

で、考えられるのが、アンナの家系は神の子の家系だったからじゃないか と。

先生者ヨハネは母が大祭司の家系なので、その女から生まれたヨハネは当然大祭司になる権限を持つわけです。
で、洗礼者ヨハネの母とイエスの母マリアは従姉妹同士。
ということは、マリアも大祭司の家系であった可能性が浮上する。
だから、マリアは神殿に住んでいたわけだし、その子供は神の子入りができる という主張なのではないか と思います。

ですが、まだ神の子入りが決定していない段階で、神の子だと自称してしまったら、それマズいですね。
そりゃ 多数者 怒りますよ。
ちゃんと段取りをつけて、認められて神の子入りにならなきゃ。

で、聖書を読むと最終的に殿堂入りしてますね。
その一旦は、彼が白く変貌している記述。
白い祭司服を着る権限を得たという描写だと思います。
その後、すったもだあって、結局 彼は天の国入りしている。
と物語ではなっている。

恐らくイエスの正当性を主張する派閥と、否定する派閥がすったもだやって、彼の通貨儀式をして、彼の殿堂入りを認める派閥が勝ったんじゃないか と。


イエスの罪状ですか? ピラトが罪状版に記したとされるのは、ナザレ人の王イエスってものだったと思います。

実際は疑わしきものは裁判無しに処刑をジャンジャンしていたピラトですから、聖書のイエスの磔刑内容は創作でしょう。

聖書では、イエスに全く罪が無いにもかかわらず、律法学者や大祭司が彼の出現におびえ、地位を保つために、ピラトに迫って処刑させたとなっていますが、そんなことしなくても暗殺もできたでしょうし、律法に違反していたとしたら、ローマに裁判で処刑してもらわなくても、律法に違反したものは、ユダヤ人内部で石打の刑にできていたので、このイエスが神の子だと自称したから、ローマに処刑させたというエピソードは後世の人の作り話だと思います。

まあ この作り話が原因で、20世紀にユダヤ人が大量虐殺されてしまったわけですが。。。。
落書きがとんでもない悲劇になるので、一字一句も変えちゃ駄目だってあれほど言ったのに、変えてしまったから、こうな大惨事、前代未聞の大が虐殺をキリスト教は犯してしまったわけですが、、、、、、。


3.はわからないです。
王がいた時代には王が判決を下していたと思えるんですね。
で、イエスの時もヘロデ・アンティパスにお伺いをたてたわけですが、狂人だと言って、罪を認めなかったとなっている。

ヘロデ大王の息子はローマ帝国から国王に認定されていませんでしたが、その理由はよくわかりません。
一説には、洗礼者ヨハネの発言に怒りを感じたヘロデの妻がローマ皇帝に脅しをかけて、それでローマ皇帝はこの妻を危険視し、ヘロデに王位を与えなかったともされています。

ですが、政治的なことは、ローマから派遣された提督が裁いたでしょうけど、ユダヤ教に関する違反については、関与しなかったようです。
で、大祭司、議員らが裁判を開いて、判決を下していたのではないかと。

私が妙だと思うのは、イエスら一行がトコトコ歩いていて、石打の刑の女性が処される場面に出くわした記述。
イエスの論法に目がいきがちだが、イエスが律法違反をしていたが、処刑権が無かったため、ピラトのもとに引っ立てたとあるのに、同じように律法に違反したとされた女性が道端で律法による処刑 すなわち 石打ちの刑に処されている記述がある。

妙ですよね?
無法地帯だったってことでしょうか?
かなり治安が乱れていて、女性に振られたものは、女性に冤罪を着せ殺すことがまかりとおってた、そんな乱れたご時世だったってことでしょうか?
だったらイエスも道端で律法違犯としたとして、処刑できたわけですよね?

なんでしょうね この矛盾した内容。
聖書に矛盾がある。
惜しいですね。
が、手痛いミスのせいで、この作品の価値がぐっと下がる。
命取りな内容なわけで、イエスを賛美するあまり、そこの矛盾があり作り話だと他の人が知ることに後世ではなると、作者は気づけなかったのでしょうか?
いえ、新約聖書を編集した人は、その箇所を聖書に入れるべきじゃなかったと思います。
あまりうぬぼれすぎたため、イエス賞賛することに夢中になり、ミスを犯した。
これで馬脚が現れてしまったわけです。
イエス物語は巧妙に練り作られた創作だ! と。

馬鹿なら内容を鵜呑みにするでしょうけど、残念ながら当時と違い、現代の人は、そのようなミスが混入する作品を高く評価しないんですね。
しかも、じゃあ 全部嘘か 全部でっちあげの内容じゃないか という疑惑が芽生え、誰が何のためにでっち上げの物語を書いて、誰が徳をしたのか という思考になる。

誰が徳をしようとしてでっちあげの作品を作ったのか?

結局 土地柄、いろいろな文化がなだれ込む地域だったので、異教の神話が混入してキメラ状態になっているんですよね。
架空の物語を作ることで理想郷を構築しようとしたというのは伺い知ることはできますが、、、、
中にはそれが現実に起こった、ハリーポッターは実在の人物、ピカチューは実在すると信じる人もいるわけです。

もし 実際に起こったことなら、演出の必要はない。
工作してしまったら、それは史実じゃなく、創作文学の世界でのみ起こったことになってしまう。
本の中にのみ登場する人物、ハリーと同じ。

ファンタジーの世界を萎えた心を持つ人たちの退避場所として価値が高い反面、戦わずにすぐ逃げる人たちを増殖させてしまった。
これが日本のアニメ界の犯した功罪。

聖書の同じ功罪を犯していると思います。
あなたは真剣にそのファンタジーの世界と、現実をつなごうとしている。
ただし、その頃の歴史書にはイエスは登場しないんですよ。
ローマの歴史書にもイエスは登場しないんです。
エルサレムの民衆が熱狂的に歓迎したイエスなのに、何故ローマの歴史書に登場しないのか 考ええたことあります?
実在しなかったから登場のしようがない。

そういうのは関係なく、1世紀頃のユダヤ教の幹部の構成要因、議会の構成要因、裁判所の構成要因を知りたい ということでしたら、、、、。
パス! 笑
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この回答へのお礼

1に関して
「保守化・教条化したユダヤ教」の実態が具体的になりました。1へのご回答の最後の数行は有り勝ちなこととして納得できます。

2に関して
表には出ない教団内部のどろどろした争いが背景に隠れているのでしょうか、その方面の知識が皆無なので「ふーん」程度にしか読めませんでした。張り合いがなくて済みません。

3に関しては他の方の見解を参考にすることにします。

こんなに長大になるのであれば質問を分ければよかったです。すみません。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2008/04/05 22:12

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