渦中にいる某人の言葉を聞いてショックを受けました。
「ブッダの教えが科学で否定されたらそれは科学が正しい」
宗教=カルトor政治の道具でしかなかった私にとってはショックでした。ネットで調べてみたら、釈迦もイエスも本来そこにはびこっていたカルト宗教を批判して、宗教儀式や宗教論争の無意味さを説いて回ったと書いてありました。これって本当なのですか?
けど、宗教活動を批判しながらも自身は宗教を開くというのは何か矛盾しているような…。自分の考えは絶対に間違っていないという信念があったのでしょうか?それともカルト教と戦っているうちに自然に多くの人に慕われて、自分の考えを述べているうちにそれっぽい団体になってしまったとかでしょうか?
どなたか教えてください。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
仏典については詳しくありませんが、例えば聖書については無数の解釈があると聞きます。
そのさまざまな見解を持つ専門家が集まって研究した結果、「間違いなく事実である」と断言できる記述は、ごくごく一部だったというニュースを数年前に見ました。そのうえで申しますと、はい、私の解釈では、イエスはご質問の通りのことをしました。また、「信仰」というものは、たいていそうですが、わりと本来、自然発生的なものです。つまり、イエスが宗教を起こしたというよりは、大勢の人々が「おお! このおかたは、今はびこっているカルトや圧制から我らを救ってくれるのか!」と言い出して、イエスも「だったら、みんなで、これこそ正しい祈りってやつをやろっか」となった感じに近いです。
ただ、どんな組織も大きくなるにつれて、ゆがみが出てくるものなのですよ。1960年代の学生運動も、汚い政治を倒そうという若者たちの純粋な志しから発生したはずなのに、やがて仲間を殺しあうようになったし、ビートルズは畏まった大人たちに反発して好きな音楽をやろうと思っただけなのに、ファンがドラッグの神様にまで祭り上げちゃったし、人を導くのって難しそうですよねえ。
だけど、ヒトラーだって麻原だって、狂ってしまったのか否かは別として、自分が正しいと信じていたのだと思いますよ。そして彼らのおかげで幸せを感じた人もいたから、あれだけ巨大な勢力になったわけです。信じるほうも信じさせるほうも気をつけなきゃね。この回答も、私は信じて投稿していますが、あなたはあなたで鵜呑みにせずに、これを参考に、ご自分で考え、さらに調べてみてください。
あ、ちなみに、いまだにアダムとイブが猿人じゃないと思ってるキリスト教徒なんて、ほとんどいませんから。
返信送れて申し訳ありません。
100%これだという見解はないのですね。ガッカリしたようなワクワクするような…。
感覚的に、宗教の起源は漫画に出てくる革命家と言ったところでしょうか?そして組織が大きくなりすぎると反乱分子が生じてくる、と…
偉人の生き様を見てそこから学べることは大きいことですが、それが徒党による他者への暴力に発展するならそれは忌むべきものだと思います。そういう意味でヒトラーも麻原もギャングの親玉でしかない、というのが私の意見ですね。他人を傷つけないと幸せになれないなら私は不幸でいいです。
回答ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
「真理」とは何か、について、いくつかのアプローチがあり、
そのひとつが、「科学」
またひとつが、「文学」
もうひとつが、「哲学」
で、「哲学」に属するモノのうち、多くの人に広めようと組織化されているものが「宗教」なのでは? 「宗教」になってしまうと、中には真理を得るための「手段」を教えるのでなく、偶像化・文章化した偽真理を直接語るフリをして信者を作ろうとする方法論が発生します。これを仮に「偽宗教」と呼ぶとすると、「偽宗教」と「哲学」は区別しないと。ブッタもキリストも宗教は開いていませんね。いずれも後の人がその教えを体系化し、広める手段として「宗教」を作ったのですが、どこかの段階で本質を失っている「宗派」になっているかどうかについても、また「宗教」そのものとは関係のない話です。
アプローチは、「手段」です。あなたのいう「道具」ですね。
「真理」の対極に「不条理」があり、「科学」も「文学」も「哲学」も不条理を乗り越えるためにある手段です。
「ブッダの教え」も「科学」も「手段」「道具」に過ぎません。ケースバイケース、人ぞれぞれに合った「手段」「道具」がある訳で、道具が道具を、手段が手段を否定したり、どちらが正しいというのは、木を削るのにのこぎりが正しいかノミが正しいか、という話と同じくばからしいことです。
誰かが言ったという
「ブッダの教えが科学で否定されたらそれは科学が正しい」
は、「科学」そのものが宗教化されてしまった、ヘンな考えです。
その渦中の方は、宗教家でも科学者でもきっとないのでしょう。
それと、「真理」に迫るアプローチで有名なモノに、もうひとつ「文学」があります。「芸術」と範囲を広げてもいいですが、これも含めて、もう一度、「哲学」とは何か、「科学」とは何か、を考えてみられることをオススメします。
「宗教」のもう一つの面、人の生活を助けたい、という話は、「政治」と直結します。「宗教」と「政治」はいずれも集団としての人を維持する手段であることとしては、同じ目的を持っているモノです。
その意味では、宗教でいう「教え」と「法律」は同じ役割を負っています。ここに「科学」の出番はありません。
「宗教」のもう一つの面、自己増殖と防衛の働き、については、「軍事」と直結します。集団としての人を維持するために、守り、拡大する直接的な方法論ですね。
ご質問の中に、「宗教」と「宗教活動」と「布教活動」を同一のものとして考えていると思われるところがありますが、これらは、違うモノというだけでなく、位置づけそのものが違う概念です。
「いいアイデア」と「いいアイデアを宣伝するための方法」とは違うということですね。
>「宗教」のもう一つの面、人の生活を助けたい、という話は、「政治」と直結します。「
けど壬申の乱の頃。国の思想を統一して学問を取り入れるために「仏教」が利用されたと聞いたことがあります。そのため元々地域毎にあった産土の神々が迫害されたと聞いたことがあります。大昔の話ではありますが、思想を強要した歴史はあるわけで、私はやっぱり政治と宗教は分けられるべきだと思います。
アメリカ大統領選じゃないですけど、宗教信者を敵に回すと選挙に勝てないなんておかしな話じゃないですか。
回答ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
科学を絶対視する人は「科学教の信者さん」ですw
科学を知らない人に多い現象ですね。科学の不完全性を上げればきりがありません。何とか使っているというのが実際で、完全にわかっているわけでも何でもありません。結構憶測の世界ですよ。証拠と証拠を埋める論理は予想・憶測でしょ。
キリストはわかりませんが、ブッダは論理的道徳的理性的実証的にみてどのようにどのように判断するかを伝えたのでしょう。
論理的道徳的理性的実証的に間違っているものを信じているならばそれは苦しみの元になりますから、慈悲の心を持ってやさしく指摘されたのでしょう。
特に人の精進や道徳を犯すものにはきつく言われたと思います。
多くの人の苦しみに関わることですから。
しかし決して強制することはなかったと思います。最後まで個人の自由は守るのです。貴方の理性の働く限りで考え納得しなさいと。
<<自分の考えは絶対に間違っていないという信念があったのでしょうか?>>
ブッダにはあったでしょうね。実際正当な反論はなかなか成り立たないように厳密に語られています。
キリスト教の学者陣が論破するために学んだのに仏教徒になってしまったほどです。
<<けど、宗教活動を批判しながらも自身は宗教を開くというのは何か矛盾しているような…。>>
対話の仕方も語っています。真理の護持(この範囲でこのようにしたらこのように感じたのでこのように思うと語り。この考え以外は間違いだと言う見解を抱いてはならない)とか…ものすごく厳密に説かれています。半端じゃないですよ。
サンガ出版の「仏法」を熟読してみてください。
スマナサーラ長老の書籍もかなりオススメです。
確かおじいちゃんおばあちゃん世代(急速に科学が進歩していた時代)よりもゆとり世代(ある程度の限界が見えた、科学の行き詰まり)のほうが迷信とかおまじないが好きなのだという話を聞いたことがあります。
>キリスト教の学者陣が論破するために学んだのに仏教徒になってしまったほどです。
ブッダは相当な理屈屋だったみたいですね。インターネットで様々な知識を得ることができる今の時代とは違うわけですから、身近に良識ある人がいたらそれに習いたいと思うのは当然かもしれません。
回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
dordotto さん、こんにちは。
まず、宗教は、カルトでも政治の道具でもありません。宗教とカルトはまったく違います。宗教は政治の道具として使われるべきものではありません。宗教とは、簡単に言えば「崇高な教え」つまり神様の教えです。神様からの啓示によらず、人間の考えや教えに基づくものは、厳密には宗教とは呼べません。
現代科学の力で何もかも明らかにできると思うのは、人間の驕りであり、大きな間違いです。まだまだ科学の力、つまり人間の知識だけでは解明できないことが、たくさんあります。
アメリカにはこのことをよく知っている人が多いと思います。なぜなら、ここアメリカでは科学技術も非常に進んでいる一方、多くの人が、(確かわたしが見た記事では80%位だったと思いますが、)神様を信じているからです。どの紙幣にも "In God We Trust" と印刷されてあります。アメリカという国は神様の御心により建国された、と信じている人が多いとも聞きました。
オウムは当然宗教ではありません。わたしは、動機も初めから、麻原被告の私腹を肥やすことにあったと思っています。宗教法人に認可されたいきさつも、なかなか認可されたなったので、座り込みや嫌がらせをして、認可にこぎつけたという記事も読みました。
わたしは学生の頃、キリスト教について通信教育で学び、その後、キリスト教徒になりました。今、旧約聖書は13回目、新約聖書は83回目を読んでいます。
イエス・キリストは、人を教える立場にあった律法学者やパリサイ人らの偽善や教えの歪曲などをとがめられたり、神聖な神殿がお金儲けのための商売で汚れたことに対して憤られたりしました。また旧約聖書に出てくる、「モーセの律法」はイエス様(を通しての神様)の教えに人々を導く養育係りの役目を果たしていたため、イエス様が教え始められたことで、その役目を終えたのです。それまでの動物を捧げる儀式もイエス様ご自身が犠牲になられることで不要になったのです。イエス様の教えは「モーセの律法」よりレベルが高いのです。たとえば、モーセの律法では、「目には目を歯には歯を」とありますが、イエス様が説かれたのは、「敵を愛し、呪うものを祝福し、憎むものに善をなし、迫害するもののために祈りなさい」です。他の宗教を批判ということではありません。
イエス・キリストが世の救い主としてこの地上に来られ、教えを述べられ、全人類のために購いをし、復活されることは、イエスがこの世に来られる数世紀も前から、イザヤなどの預言者が予見していました。旧約聖書に何箇所にも書いてあります。
キリスト教は、自然発生したのでも、イエスが自分の教えや宗教を作ったのでもありません。これも、聖書にはっきり書いてありますが、イエスは御父である神様から遣わされ、神様の教えを伝え、神様の御心を行うためにこの地上にいらし、その使命を果たされたのです。イエスご自身が最初の十二使徒を選ばれ、教会を組織されました。
敬虔なキリスト教徒で、アダムとイブが猿人だなどと思っている人は、まずいません。わたしたちは皆、神様の霊の子供です。
仏教については詳しくありませんが、お釈迦さまも、何かしら啓示を受けられたのだと思います。正統な宗教には皆、神様の教え、真理、が含まれていると学びました。
キリスト教やイエス・キリストついてよく知りたければ聖書を、仏教や釈迦についてなら経典をお読みになるのが良いと思います。偏見を捨て、純粋な心、祈りの気持ちで。
聖書は歳月が経ち、多くの人の手を経るにつれ、抜き取られてしまったところもあると学びましたが、それでもその大切な役目の1つ、「イエス・キリストについて証する」を立派に果たしていますし、神様の教えを多く学ぶことができます。
返信送れて申し訳ありません。
>宗教は政治の道具として使われるべきものではありません。
全く仰るとおりだと思います。ただ、私を含めた今時の日本人の大半は宗教についての正しい知識を教えられずに生きてきました。目につくのは勧誘熱心なカルト、カルト…。日本人のほとんどが宗教アレルギーなのはそういったせいなのだと思います。
私自身はキリシタンでも仏教徒でもありませんが、イエス様もお釈迦様も素晴らしい教えを残していると思いますし、私にとっては二人の間に差はありません。だから(こういう考えは回答者様にとっては不肖に思われるかもしれませんが)聖書も経典も両方を読んでみて、学べるところを学んでいこうと思いました。
回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
とりあえず、某人って誰だろう? e原さん? 大○さん?
> 宗教=カルトor政治の道具
でもないんです。どちらでもない宗派というのも歴史上はかなり存在します。ただし、割とそういう時期は短く、分派するなどしてカルト化するか、大きくなって政治と結託する(または自分で国を興す)か、または消滅するかが多いようです。
実際問題、日本でもお稲荷さん信仰や地蔵信仰は結構根深い物がありますが、カルトでも政治の道具でもありません。こういった信仰は教団を作ったりしませんが、民間宗教としては確実に存在しています。
> 釈迦もイエスも本来そこにはびこっていたカルト宗教を批判して、宗教儀式や宗教論争の無意味さを説いて回ったと書いてありました。これって本当なのですか?
釈迦については、ここで述べるほどの知識を持っていません。
イエスは、ユダヤ教徒です。
彼が目指したことは古代ユダヤ教の復興であって、新宗教の設立ではありません。古代ユダヤ教の復興を目指したのは彼が最初でもなく、例えば古代イスラエル王国の歴史書である歴代誌や列王記を見ると「柱を倒した」「アシュラ像を倒した」などという記述を多く見ることが出来ます。これはイエスが行った宮清め(聖堂から両替商を追い出す等)と基を一にしています。
彼自身はユダヤ教を本来の姿に戻すことを目的としていたようですが、民衆はそうではなくローマの支配下からの独立を目的として欲しかったようで、何度か大規模な集会が起こり、そのたびにイエスは逃げています。
彼の死後、いわゆる十二使徒が初期キリスト教団を形成していきますが、イエス自身が十二使徒を選んだわけでもありません。少なくとも一人については死後に選ばれていますし、福音書以外で出てくるのはペテロが主で、パウロの方が多く顔を出しています。
なので、初期キリスト教団はイエスの後継と言うよりはむしろギリシャ世界に広がったユダヤ教徒たちによるユダヤ教からの分派という側面が非常に強いです。
返信遅れて申し訳ありません。
宗教批判を行っていたのではなく、宗教を本来の姿に戻そうと頑張っていたんですね。ただ、そんなイエスの後輩達がイエスを神に見立ててキリスト教を興したというのは少し皮肉な気が…。
そういえば、ナチスドイツの崩壊後に世界中に散らばっていたユダヤ人が集結してイスラエルを再建したりもしましたね。今も紛争が続いていることを考えたら余り不謹慎なことは言えませんが、ユダヤ人の歴史には何か壮大なドラマがありますね。
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
まず『宗教とは人としてより善き者として生きるための道具』これでもか、ってくらい大雑把で哲学ともカブっちゃいそうですけどとりあえずこう定義します。
で、ブッタにしてもイエスにしてもその道具を使う目的がなおざりになって道具を使うことそのものが目的となり、結果、その道具の使用が人を善き者とはしていないのでは本末転倒もいいところじゃん、と当時の宗教界(ってなほどでもなかったかな)に喧嘩をふっかけたんです。
で、後に聖人といわれるお二方だからその主張に「なーんだ壷なんか買っても幸せなんてこないじゃん」とか「修行しても空中なんて飛べないし、別に飛べても幸せになれねぇよな」なんて具合にその主張のもっともさに賛同した人々が増え、それなりの規模の集団を形成してゆきます。
と、なると語る人間一名に対して聞きたい人間数百人とか数万人なんてなことになりだすと、もう収拾がつかない。まして、当人が没してしまってはどうにもなんなくなってしまうんだけど、それでもありがたい話を…ってな向きが後を絶たない、と、なったらファンクラブの初期メンバーみたいなのが「そーいやな、うちの師匠こんなことをよォいわはったんよ」なんて具合に、過去の言行をまとめてゆき──教義が形成されてゆきます。
困ったことに一度テクスト化されてしまう(ことキリスト教はテクスト偏重)と、本来の言葉が持っていたしなやかさが失われ、彼らが批判した人を置き去りにした宗教ができあがってしまうのです。
別にブッダもイエスも宗教を始めようなんて考えていたんじゃなく、一人の人間として『幸福ってなんなの?』と、問い、考えただけなんです。それをいわゆる宗教という窮屈なものにしたのは、彼らとおなじ道具を使えば同じ高みに至れると安易に考えた後の人々なんです。
ま、そーゆーのは練習ほっぽってお高いギターを買えば憧れのプロのテクが身につくと勘違いした残念な素人みたいな奴の宗教版ってとこかな。そーゆー奴に限って「そんなんロックやない」なんて語るのと同じように「そんなんいわへんかったでェ」なんて、いまを生きる一人の人間としての切実な問いかけを無視して、死んだテクストをおしけてくるんですね。
だから、人の苦しみを真に救済するんなら、それがブッダの教えでもアッラーの預言でも哲学でも政治体制でも科学技術であったとしても、それは正しく宗教の目的を果たしているんです。
これは現代社会でも言えることですが、魅力があり、ためになる話をしてくれる人の周りには自然に人が集まるものなのですね。
問題はその周りに集まる人がどう担ぎ上げるか…。
難しくもあり、考えがいのあるテーマだと思います。
回答ありがとうございました。
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