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以前は、スーパーカーと呼ばれる車が好きでした。
見た瞬間、トキメイテいました。。。
なぜかというと、あの異常なほどの低さ、またその流線形のデザインが綺麗だったからです。日本車にはないと思います。

ただ最近、頻繁に実車の、フェラーリやランボルギーニを見る機会がありました。(enzo,slr,f50,lamborghiniなど)

すると、次のように気持の変化がありました。

先日機会があり、ガルウイングの車を見ました。
以前だったら「うわ~、凄い、カッコイイー!!うぅ~!!」でした。しかし、「あー、はいはい、ガルウイングね、はいはい・・・」というように、全くスーパーカーにトキメキを感じなくなりました。

葉隠れでは究極の恋とは「忍ぶ恋」とたしか言ってます。つまり、好きな人を手に入れても飽きるから、本当に好きなら、ずっと好きな人を手に入れず思い焦がれなさいという意味だと思います。

スーパーカーは好きでしたが、どうも今現在はもう飽きたようです。皆さんもこういう「以前は凄くトキメイタが今は全然・・・」みたいなことがあるでしょうか?

A 回答 (5件)

スーパーカーってスーパースターみたいなもんで無根拠で圧倒的な存在


感やら伝説やらが必要ですよね。「横山やすし」と言っても良いですけど。
その意味では現代の車は夢を持ちにくいですね。国産に手を入れればそ
の位の性能は出せるとか、大半の高級車は値段100万程度のバイクに
加速では追いつかないとかの現実がありますからね。比べる事ではないんですけどね。
私にとっては「カウンタック」は今でも「スーパーカー」ですね。時速300キロどころか本当はちゃんと走れたのかどうかも分かりませんけど。あとクセでよくエンジンが発火する「ミウラ」なんかもやっぱり「スーパーカー」です。美しいです。
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この回答へのお礼

お返事有難うございます。

お礼日時:2008/04/10 18:45

70~90くらいまでのF1はカッコいい=美しいと思いますけど、最近の鰭だらけのF1については「わからなくは無いけど、なんか、潔くない!美しくない」と感じます。



俗に言うスーパーカーに対しても、性能にしても乗り心地にしてもきっと今の車の方が何十倍もいいのだろうとは思いますけど、最先端の車のデザインのモードはなんとなく…ではあります。ジャガーもアストンマーチンも似ている気がするし、フェラーリとランボルギーニも似ている気がするし、ポルシェとアウディーも似ている気がするし…。デザインの要素に空力が大きな要素を占めているのと、CADが進化したのも関係あるのでしょうかねぇ…?
一目見て「あ、ジュウジアーロのデザインかな?」「さすがピニンファリーナの仕事!」っていうようなトキメキは無いです。歳のせいかなぁ…。
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この回答へのお礼

お返事有難うございます。

お礼日時:2008/04/10 18:45

私の個人的な感想ですが


最近のフェラーリやランボルギーニを見て「おっ」とは思っても
それは「珍しいもの見ちゃった」ぐらいの感覚で
「すっげ~、カッコイイ~、痺れる~、欲っしい~」とは思いません。

でも、ごくたまに、ミウラやカウンタックLP400を今でも見ることがあるのですが
そんときは「やっぱスっげ~、カッコイイ~、痺れる~、欲っしい~」と思いますねぇ。

私の場合、スーパーカーというカテゴリーに憧れていたり
ガルウイングというギミックに憧れていたわけではなく
ミウラやカウンタックLP400、512BB、パンテーラ、エスプリなど
個々の車種に憧れていたんだと思います。
ポルシェは当時からあんまり憧れがなくて
むしろ今の方が好きなくらいです。

多分、ひとつの原因としてエンゾもムシェラルゴも
70年代のスーパーカーといわれた車たちからの熟成型進化なので
70年代のスーパーカーほどの驚き(革新性)はないんだろうと思います。
もうひとつは熟成進化の方向性が空力など理詰めのアプローチゆえ
独創とはむしろ逆、形状が似通ってきてしまっているんだと思います。
カウンタックなんてのは「人間が速いと感じるイメージ」を形状化したのであって
実際の空力特性はひどかったわけですもんね。

私は正直、今でもミウラSVが欲しいです。
でも(万が一買えたとしても)ほとんど乗らないだろうな・・・

最近のスーパーカーで私個人がときめきを感じたのは
バットモービルだけですね>趣味悪ぅ!
http://images.google.com/imgres?imgurl=http://ww …
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この回答へのお礼

長文、わざわざ有難う御座います。

バットモービルだけですね>趣味悪ぅ!

いえいえ(*^_^*)
カッコいいですよ!!

お礼日時:2008/04/09 17:37

今でもスーパーカーと呼ばれるような車に乗っている人はたくさんいます。

乗れる人というのが正確でしょうか?現実問題として、収入によって可能な夢と不可能な夢はあります。当然、スーパーカーに乗れる人はそれ1台だけ持っているわけではなく、数台保有しており、別に荷物を積むためでも、音楽を聴くわけでもなく、ただその車のエキゾーストノートやハンドリングを楽しむために乗っています。
人間は不可能な夢だと認識した時点でただの憧れになり、そのうち否定的な意見に変わってしまいます。いつか乗ってやるって思えば、いつまでもいい夢のままではないでしょうか。
飽きたというより、諦めたというほうが正しいのでは?
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この回答へのお礼

飽きたというより、諦めたというほうが正しいのでは?

お礼日時:2008/04/10 18:44

たしかに、幼少期に見たスーパーカーというものに対する憧れはありました。

例えばランボルギーニ・ミウラのデビューは40年前になりますが、当時の国産車のどれもがダサく、「クルマ=角ばったデザイン」が常識だった頃にあのデザインを知ったのです。しかもV12でタイヤはピレリです。この落差があったからこそ、ワクワクできたのかもしれませんね。
しかし我々も成長しいろんなクルマを運転することでクルマに対する価値観が変わってしまい、居住性や安全性、経済性といった要素を重視するようになってしまいました。
そんななかで「音楽は聞けない、エアコンもない、荷物は積めない、2人しか乗れない、300キロ近く出るがガソリン代はかかる」価格も含めて何もかもが名のとおりのスーパーカー。渋滞の激しい国内では使い道がないことに気付き、興味が薄れたのです。
街で甲高いV12サウンドが接近してきても「かっこよさ」よりも「珍しさ」のほうの目で見てしまいます。「そんな窮屈な狭いクルマによく乗ってられるね」と。
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この回答へのお礼

お返事有難う御座います。

お礼日時:2008/04/09 17:38

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