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恋愛と性欲は同じか否か?
辞書で調べても恋愛に関しては辞書に個性があり
明確な答えがないので質問しました。
芥川龍之介は「恋愛とは肉欲を詩的表現しただけに過ぎない」と言っています
が、「愛する人のために」と言って自らの体を犠牲にしてまでも
愛する人を守ろうとする心理は簡単には片付けられないと思うし
性欲ならば毎日いろんな人と腰を振っていれば良いはずなのに
なぜ人間は「その人じゃなきゃだめ」と言う感情を抱くのか?
哲学、心理学、脳科学的に学術的な答えがほしいです。

ps
恋愛のメカニズムや
自らの体を犠牲にする心理なども教えてくださると嬉しいです。

A 回答 (5件)

こんにちは。


#4のshift-2007さんには何を言っても無駄ですよ。
このひと「屁理屈」「揚げ足取り」「知ったかぶり」、これしかできないですから。

では回答をします。
「性欲とは本能行動」であり、
「恋愛とは学習行動」です。
「恋愛」といいますのは「特定の異性に対する報酬行動(接近行動)」です。特定の異性でなければならないのは、それは我々の脳内に「特定の相手に対する情動反応」が学習されるからです。
「生殖行動」といいますのは本能行動であり、その「反応基準」は遺伝情報として生まれる前から定められています。そして、この反応は動物が子孫を残すために「異性の性的特徴」を「利益・報酬」と判定して「接近行動」を選択させるものであり、その結果は「全人類に共通」です。
これに対しまして、「特定の異性にする接近行動」といいますのは生まれる前ら決まっていたものではなく、そのひと個人が生後体験から獲得した判定規準に従って選択されるものであり、これは「学習行動」です。

「性欲」といいますのは生殖行動を発現させるため、「個体の側」に内在する「内的動因」です。これに対しまして、「性的刺激」といいますのは「環境の側」に発生する「外的誘因」であり、生殖行動といいますのは「性的刺激(外的誘因)」と「性的欲求(内的動因)」、この二つが一致することによって「動機付け」されます。
性的刺激が報酬であることは人間が生まれる前から決められていることです。これに対しまして、「何が自分にとって報酬であるか」というのは生まれた後に学習されるものであり、その判定規準は生後環境や個人体験によってそれぞれに異なります。本能行動では相手を選ぶということは基本的にはできません。ですが、誰にでも「好みのタイプ」というものがあり、特定の相手を選んで恋人を作ることができるのは、これが学習行動であるからです。

ここで性的快感といいますのは特に生理的欲求の解消に限定されるわけではありません。それは本能行動ですから誰にとっても異性に対する興味というものがあります。ですから、相手がその興味に応えてくれたり、自分の好みに合っているというだけでも脳内ではそれが報酬となります。
では、我々は何を学習するのかといいますと、「自分にその報酬を与えてくれる相手」です。基本的にはこれが「恋人」ということになります。
ですから、
「好みのタイプ」ですとか、
「自分に優しくしてくれた」
「趣味や話が合う」
「デートをして楽しかった」
このような体験が成されるならば、その学習結果は「接近行動の内的動因」となり、その相手が「外的誘因」ということになります。そして、この外的誘因は「本人の学習結果に対応するものであるため」、必ずしも性的欲求と一致する必要はありません。この結果、特に性的欲求が発生しなくても特定の相手に対して愛情を向けることができるようになります。

但し、幾ら報酬が学習されたからといいましても、相手がプラモデルやお人形さんである場合、これを恋愛とは言いませんよね。では、相手が異性であるためにはその学習は必ずや生殖行動の判定基準に従って行なわれなければなりません。あるいは、「これを基準とした社会的慣習」からも学習することは可能です。このため、他の学習行動とは異なり、「その対象は必ず異性である」というのが、これが全人類に共通する「恋愛感情の特徴」ということになります。ですから、性欲が発生しなくても恋愛は可能ですが、これが生み出されるためにはやはり人類に性欲というものは存在しなければなりませんでした。
この学習が同性に対して行なわれるならばそれは生殖行動の基準とは一致しませんし、性同一障害といいますのはある意味で「例外体質」です。では、独り身の年寄りに新たな恋愛をすることができるのは、それはかつて恋愛の幸福感を報酬として学習しているからです。このため、性欲に囚われないお年よりでも相手は必ず異性を選びます。

どうしてこのようなことが可能なのかと言いますと、
我々の脳内では、
「本能行動を選択する回路」と、
「情動行動を選択する回路」
この二つが別々に作られているからです。
「本能行動の回路」では環境からの入力に対して「性ホルモンの分泌」など「性的反応」を発生させることによって接近行動を選択させます。これに対しまして、「情動行動」といいますのは「大脳辺縁系の情動反応」として獲得された学習結果に基づいて選択されるものです。このため、本能回路に性的反応が発生しなくとも情動回路の方が報酬に働くならば接近行動は可能となります。
では、この大脳辺縁系に学習される「情動記憶」といいますのは大脳皮質の意識の中では再生することができません。このため、我々の身体でこの情動記憶といいますのは「情動行動」や「感情表出」といった必ずや「無意識の行動」として再現されます。このため、しばしば「恋は盲目」ということになります。
そして、この大脳辺縁系の情動回路といいますのは「本能回路の末端である自律神経系」に「バイパス信号」を送り、性ホルモンなどを分泌させることができます。これがどういうことかと申しますと、情動回路では「特定の恋人に対する性的欲求」を学習することが可能であるということです。

では、ここで結果を纏めますと、我々人類にとって恋愛とは子孫繁栄をより効率良く行なうための学習行動であり、それは「性的欲求を基準」に学習されたものでなければなりません。
ただ、性欲が基準とされるというのはもはや結果論であり、実際の事情はもっと途轍もなく複雑であると思います。何故ならば、我々人間の社会構造といいますのは本来の生命活動とはもはや大きな隔たりを持っているからです。ですが、とは言いましてもここから子孫繁栄の目的を切り離してしまうということはどうしてもできません。
ならば、
「性的道徳観」
「結婚制度」
「できればお金持ちと結婚したい」
我々人間が自分の子孫を残すためには、まずこのような複雑な社会環境に適応しなければなりません。そして、このためには他の動物とは全く異なる遥かに高度な生後学習を必要します。
従いまして「恋愛」とは、「学習行動の比率が極めて高い、人類に特有のたいへん複雑な生殖行動」ということになります。

>ps恋愛のメカニズムや自らの体を犠牲にする心理なども教えてくださると嬉しいです。

只今までに述べましたのが「恋愛のメカニズム」です。
では、「自分を犠牲にする心理」といいますのは、これは「利他的行動」に当たります。
我々動物の脳には「自分にとって不利益な結果を選択する機能」というのは備わっていません。ですから、原則的に全ての行動選択が「利己的動機」に基づいています。

自分の子供が溺れている場合、「大脳皮質」では「水に飛び込めば助けられる」と判断を下すことができます。これが「理性行動」です。
ですが、このとき「本能行動の回路」では「危険」という判定が下されているため必ずや回避行動が選択されなければなりません。そして、「情動行動の回路」では「恐怖」と判定されることによってやはり回避行動が選択されます。
本能行動の回路が危険と判定を下している場合は「自律神経系による行動抑制」が掛かりますので、それ以上前に進むことはできません。そして、大脳皮質の理性行動といいますのは情動反応によって「利益」という判定が下されなければ現実には実行に移すことができませんので、そこで「恐怖」という判定が下されている限り水に飛び込むことはできません。当たり前ですよね。
では、ここで情動行動の回路が「自分の大切なものを失うこと」に対して「不利益」という判定を下したとしたらどうなるでしょうか。これによって水に飛び込むというのは、それは「自分の不利益に対する能動的な回避行動」ということになり、この場合は「利己的な動機に基づく選択」として行動が可能となります。
この判定結果は子供を助けるという理性的な判断と一致します。では、先に述べましたように、情動反応の回路には本能回路の末端に「バイパス信号」を送り自律神経系の行動抑制を解除することができます。そして、この情動行動は基本的に「無意識行動」であるため、仮に大脳皮質が危険であるという予測を行なうことができたとしましても、逆にこのときにはもはやそれを止めることはできなくなります。

このように、生物といいますのは本質的に利己的なものであり、情動反応といいましてもそれは「生物学的利益」に従って発生するものです。ですが、情動回路や大脳皮質に「それは自分にとって重要である」という学習が成されるならば、それが「自己犠牲」などのような本能行動とは異なる結果であったとしましても選択は可能となります。
他にも哺乳類や鳥類といいますのは「大脳辺縁系の情動機能」を持っていますので、みな我々人間と同じように喜怒哀楽を判定することができます。ですが、「恋愛」といいますのは、その複雑さに限ってはどうしても「人類に特有」と扱わなければならないと思います。
このように考えて参りますと、では、我々がひとを愛するというのはどういうことかと言うならば、果たしてそれは、自分にとってそれが如何に大切であるかを心の中に学ぶということだと思います。これにより、我々人間には相手を思いやるという、他の動物にはまず以って困難なたいへん特異な行動を選択することができます。
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この質問は円柱を横と上からそれぞれ別々に見て、


丸と四角は同じか否かといっているのと同じじゃないでしょうか。
言葉の定義に振り回されているように思います。
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この回答へのお礼

どういう意味でしょうか?
別に言語学とか言語哲学とかを学んでいるわけではないので詳しい事は言えませんが。
たとえばコンプレックスと言う言葉も僕達はマイナスなイメージでとらえ、
「治さなければいけないもの」と言う風に考え誤用していますが、
もともとはブロイアーと言う人が言い出した心理学の用語で
別に悪いものでもなく、むしろあるからこそ成長できるます。
その言葉の定義は?意味は?本質は?そう思うこと
これは非常に大事なことだと思っています。

お礼日時:2008/04/15 15:05

恋愛と性欲は別物です。



哲学的に言えば、人間はパートナーに欲情するだけではなく、パートナーの持ち物(くつとかストッキングとか)に欲情するという、フェティシズムという現象を起こすことがあるからです。このフェティシズムという概念は、哲学的には物象化論というタイプの哲学と関連づけて語られることが多く、フェティシズムと物象化論の間に、議論の類似性があることは明白です。物象化論とは、「本来は人間が作ったものに過ぎないものが、あたかも人間より重要なものであるかのように考えられているケースがあり、そのようなケースは抜本的な意識改革で改善しなくてはならない」とでもまとめられるでしょう。宗教など良い例で、人間が作った絵馬や仏像を、ありがたや、ありがたやして信仰してしまい、宗教はもともと人間が作ったものであることを忘れ、逆に宗教が人間を支配していると言うことができます。この思想の代表者はフォイエルバッハという人物ですが、共産主義のマルクスにも大きな影響を与えています。

心理学的に言えば、誤解や批判をまねく恐れがあることを覚悟して書けば、恋愛と性欲は別物であることを説明するのは容易です。男女間に思考様式の違いがあることは多くの人が認識しているところだと思います。女性には、仕事上の尊敬感情、頼りになる人物への依存性といった心理状態と、恋愛感情を区別することが出来ないタイプの人が散見されるのです。これを証明するのは簡単で、本サイトの過去ログを探してみれば、「お医者さんに恋してしまいました。どうしたらよいでしょうか」という質問が、定番のように女性から投稿されているのが、ゴロゴロ見つかるのです。おそらくこのような女性は、恋愛感情を持っているのかもしれませんが、性欲を持っていない可能性が高いと思います。頼りになる医者に恋してしまったからといって、その医者とSexしたいと考える女性は、多くないような気がします。これについては、本来は本サイトの運営ポリシーに反するのかもしれませんが、女性からの見解が加われば、私の回等について客観的な評価が出来ると思います。

(そう、この他人の議論に言及してはいけないというルールは、悩み解決のためには有効かもしれませんが、集団プレイで協力し合って何かを成し遂げるという目的には向いていないのです。本サイトの弱点のひとつだと思います)

脳科学的に証明するのは、かなり困難です。が、せっかくの(?)気分障害(躁うつ病です)の体験を生かし、何らかの回答を出してみようと思います。まず、気分の変化は、脳内物質のバランスの変化によって発生しているという前提があります。これは概論としては正しいのですが、脳科学の専門家や精神科の研究者にとっても、詳細かつ確実に全ての心理的現象や副作用を説明することはできないのです。抗うつ剤は作用の仕組みが分かっているから使われているのではありません。作用の仕組みの細かい部分についてはあまり研究が進んでいないという現実があるなかで、実際に使って見ると効果があるという理由で使われているのです。抗うつ剤には妙な副作用も多く、どういう仕組みで、それぞれの副作用が出てくるのかの仕組みも分かっていません。世界最古の抗うつ剤トフラニールは、統合失調症の治療薬を作ろうとしたら失敗して、なぜか抗うつ剤が出来てしまったというものです。ドグマチールという薬は、胃腸薬として開発されたのですが、なぜか後になってうつ病にも有効であることが確認されました。また、抗うつ剤のよくある副作用として肥満があげらるのですが、アメリカで最新世代の抗うつ剤SNRIに分類される新薬を作ったところ、SNRIであることには違いはないものの、抗うつ剤としては使い物にならず、それどころかなぜか肥満を解消する効果があることが確認され、抗肥満薬として売られているメリディアという薬があるのです。わけが分かりません。こういった抗うつ剤の謎の挙動を理解する手段としては、生きた実験動物の脳内物質の挙動を観察するという技術を使って研究が進められていますが、すぐに結論がでるようなものとは、思えません。
このような観点を考慮し、別のアプローチを考えてみました。現実問題として、人間はどのような気分や精神状態を持った生き物なのだろうか、と。その精神状態の時に、脳内物質のバランスがどうなっているのかという点は度外視し、純粋に人間の気分や精神状態を分析してみたわけです。すると、なかなか面白い議論にたどり着くことができました。
人間は他の哺乳類と比べて独自色の強い特徴をいくつか持っていますが、その中のひとつに、メスに明確な発情期がなく、いつでもSexを受け入れるというものがあります。他の哺乳類の場合、オスは性欲を満たすために、子供を育てているメスを見つけたら、子供を殺してしまい、メスを無理やり発情させるという行動すら見られます。人間の場合、脳内物質のバランスの構造上、メスは常に発情しておりますので、この状況ではメスが恋愛感情のない相手であっても、性欲を満たすためにSexを行うことがあってもおかしくありません。ただ、人間の場合、文化的に禁欲と貞操という概念があるので、この文化的な縛りの中にいる限り、人間のメスは本当は恋愛抜きのSexが大好きなのだという本質が、見えにくくなってしまうのです。貞操概念がゆるかった時代のことを考えてみると、たとえばギリシャで一番人気のあった祭りはバッカス祭です。バッカスは酒の神様であり、バッカス祭とは、酒とフリーセックスで多数の人間が集まって乱痴気騒ぎをおこすという、ハチャメチャな祭りです。この祭りに、男女とも喜んで参加していたことは、女性も男性と同じく、恋愛と性欲を分けて考える生き物であることを示す典型例と言って良いかと思います。日本の農村でも、実は明治以前には、同じような集団フリーセックスの祭りがあったことは、あまり知られていません。バッカス祭と違って、酒は出なかったようですが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても真面目な回答にすこしビックリですwwww
恋愛と性欲の違いはある程度理解できましたが
何が本当の愛で何が偽物(お医者さんに恋したと言う、フロイトの言うような
転移現象など)なのか区別がつかなくなりましたwwww
疑問って一つ解き明かされるとまた疑問が出てきてきりがないですwww

お礼日時:2008/04/15 14:26

恋愛については



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B

性欲に関して

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%AC%B2

が参考になると思います。異論もあるとは思いますが。

性欲 → 本能的な生殖行動
恋愛 → 性欲を伴うかどうかはケースバイケース
ですから、共通部分もありますが、同じではないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/15 14:08

一般人♂です。



「その人じゃなきゃだめ」と言う感情は、自己愛であって恋愛とは違うと思います。

性欲に関しては、性別がある以上避けようのないことですが、心の底から人を愛したら関係なくなってしまいました。

ただ手をつないでいたいと思うことが”恋愛と性欲”の共通するもののように感じるようになったこのごろです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/04/15 14:06

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