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古墳時代は古代史の本をみると「大規模古墳が造営された時代である。」とあるのですが築造した人々はどうやってコミュニケーションしていたのでしょうか。以前このwebである質問をすると7世紀以前にはこの国には文献資料がないと教えていただいたのですが、口頭のコミュニケーションだけであれだけの巨大な構築物が作れたとは信じがたいのですが・・・?(現在でも建物を作るときには構造や強度の計算はしますし、建物の設計図等もあります。)ひらがな、カタカナもなく万葉仮名のようなものでコミュニケーションしていたのでしょうか。神代文字の存在もかなりまゆつばと聞きましたがどなたか詳しい方、ひまなとき教えていただけないでしょうか。

A 回答 (4件)

本で得た程度の知識ですが、気づいたことを書きます。



「ひらがな、カタカナもなく万葉仮名のようなものでコミュニケーションしていたのでしょうか。」について。

古墳時代、我々の祖先の一部には、漢文を立派にこなせる人々がいました。
倭人(当時の日本列島の住民)が書いた最古の漢文は、日本には残っていませんが、中国の宋書「倭国伝」で知ることができます。
倭王武(雄略天皇か)は、478年に立派な漢文で書かれた書簡を南朝の宋に送っており、これが宋書に記録されています。

「上表文」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A1%A8% …

国内では、稲荷山古墳(埼玉県)から出土した鉄剣には、表に57文字、裏に58文字の銘文があります。
熊本県・江田船山古墳や千葉県・稲荷台古墳、その他の古墳からも銘文のある鉄剣が出土しています。
これらの事例から古墳時代には、漢字・漢文の知識が各地に広まっていたと推定できます。

次に、設計図についてはまったく分かりませんが、#1の方のご回答に納得しています。
古墳時代は、古墳だけに大きな関心が寄せられる傾向にありますが、この時代は、日本列島の大開発時代であると思います。
古墳築造以前に、住むための環境を整備することが先決ですね。
土木技術をもつ人々が大陸や朝鮮半島から渡来してきて、原野を開墾し、河川に堤防を築き、用水路を開削し、ため池を造成して農地を拡大していったと思います。
これらの技術は、石材と木材が豊富な日本の風土に合うように改良され、発展して、蓄積された技術・技能は、「口伝」で集団の一部有力者に残されていったと推定します。
この技術の蓄積、例えば荒れる河川を土木工事で制御した経験の積み重ねが、古墳の造営につながったと思います。
これらの土木工事で、大まかな「設計図」を樹皮の裏面にでも書いたかも知れませんが、作業者が図面を読みながら、作業したとは思えません。

想像だけの回答ですが、想像するだけで楽しくなりました。
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コミュニケーションはもちろん文字も理解していたと思います。


有名な『漢委奴國王印』これが西暦57年頃の物だとされています。
当然、異国と交流をし、文字の入った物を貰っているのだからコミュニケーションはもちろんの事、特定の人間は漢字(漢文)も理解していたのではないかと思われます。
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お初です


古墳の設計図があったかどうかは全く不明ですが、NO2のご回答のとおり漢字を使える人はいました。また、土師氏のような古墳造営など土木技術に秀でた中心的役割を担っていた氏族がいた事が分かっています。ペルーのナスカの地上絵はその場で地面に設計図を書いて描いていったのではないかとテレビで見た記憶があります。木の杭とロープで描けるようです。
土師氏も測量技術を使って古墳造営に当ったのではないかと思います。
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こんにちは。


私は古墳時代に生きてはいなかったので実際の所は判りませんが(笑)、図面を作らない建築技術というのは存在します。

例えば城の石垣などで知られた「穴子(あのう)」の技術伝承は、図面によらず、全て実技と口伝です。
他にも仏像彫刻や大仏造営、邦楽楽器や民謡、お祭りや神楽、古武道などのように口伝による伝承は日本ではかなり多かったようです。
宮大工も図面ではなく、実物大の部品の型を作り、各パーツの位置決めなどを行い、図面を作りません。
その技術も口伝による伝承です。

もしかすると、古代日本では技術伝承の主流は口伝だったのかもしれません。

従って口伝により古墳のような大規模建築を伝承する事はそれ程難しいことではなかったと思われます。
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