プロが教えるわが家の防犯対策術!

神のみぞ知るか、あるいはそれを超えた質問かもしれません。

どうも、感情的に「悪い印象がある人」を処理し切れません。
なぜ、性の悪い人、優しさがない、思いやりがない、つつましさがない、共感力がないetc.その他さまざまな悪表現が当てはまるような人が存在するのでしょうか?
あるいは、この質問は、

なぜ、性のいい人、優しい、思いやりがある、つつましい、共感力があるetc.その他さまざまな良表現が当てはまるような人が存在するのでしょうか?

という問題の裏面に過ぎないのでしょうか?つまり、同値な問題なのでしょうか?

あるいは、なぜ普通の人がいるのかということにつながるのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

それは <アナタから見て> ですよね。



世の中の善悪はどう決定されるのか?

Aと思う人が50人いて、Bだと思う人が10人いて、わからないという人が40人いた場合、Aが常識になりますよね。

多数者が「良い」と思うことが善になっているだけ。

あなただって、周りの人が悪い人とジャッジする人の中には「そんなことないよ」って人いますよね。
でも50人が「悪い人」だというのだから、自分の思い違いできっと悪い人なのだろうな って推測しがちじゃないですか?


人を見抜く力がどれほど自分にあるか?
そもそも良い悪いなど、絶対的なことを私は知ることはできない。

難しい問題を挙げてみましょうか。
随分前に校門圧死事件というものがあったそうです。
生徒が始業ベルが鳴る中、学校につぎつぎ駆け込んでくる。

ある先生は、時間になったら校門を閉めていたんですね。
生徒指導とかそういう立場だったと思います。

時間がきたら校門を閉鎖して、入れなくした。
そうすれば生徒は困るので、もっと早く来るようになると思ったのでしょう。

<小さなルールを守らせることで、学校内でルール破りが無くなり、学校を出た人が社会のルールを守るようになる。>
理論としては成立します。


で、時間が来て、ガラガラと校門の門を閉める中、1人の女子生徒が校門めがけて走ってきた。
先生は手を緩めず校門を閉め、女子生徒は校門と柱にはさまれ死亡。

普通は、危ないと思ったら、閉めるのをやめるはずですよね。
やめなかった。

先生は、世間からバッシングされました。
が、自分は悪くないのにどうして非難されるのだと憤慨。

「だって悪いのは生徒じゃないか」なわけです。

ロボット脳の持ち主。

法の乱用。
ルールを守らせる側がルールをもって人を殺した事件でした。
人の命の尊さを教える立場の人間が、人の命を奪って平気な顔をしていた。
実は先生は人の命は尊いと生徒に言えるが、尊いと知っていないので、殺しても平気だったわけです。



先日、私ごとですが、ここでこんなエピソードがありました。
「どうして人を殺してはいけないのですか」という質問をした人が、質問を削除されたが削除された理由がわからないので教えてください」というものでした。

メールで削除理由が届いたはずだが、それを知らずに、質問していたわけです。

で、結局 その人は削除された理由がわからず、かつ 運営サイドにメールで問い合わせもしないようだったんですね。


『うっすらしか質問内容を覚えていないので、自信はないのですが、質問じゃない投稿 と取られたんじゃないですか?』って答えたんですが、前も何度か変な削除を見かけたので、「臭いものには蓋だったの かも しれない」とも答えた。

ですが、内心「そんなわきゃないな 正統な理由があったはず。じゃなけりゃ・・・」と臭いものには蓋説を否定していたんですね。


そこでやめればいいのに、そうやっているうち、質問者と対話が続いてしまったんですね。

私はそれはヤバイと思いました。
ルール違反だから。

それにもかかわらず どうして私は続けたのか。
私はその時 質問者が削除されたことに、とても傷ついている と感じたから。


潰された質問者は幸いに生きていたので「大丈夫ですか」とかけより、「なんで先生は校門であなたをつぶしたかというとですね。私の推測だと・・」と説明し、「そういうことですか。私の質問で書いた内容が運営者に誤解を与えてしまい 誤解ゆえに削除されたわけですね。今度から誤解されないように気をつけて質問します」となることを目的としていたんですが、終わらないので、もともとの削除された質問に少しづつ私なりの意見を書き始めたわけです。


マッズーイとは思っていたが、、、、やっちゃいました。笑

当然 運営サイドから校門を閉められ潰されました。笑

まあ 私も悪人ですから、つぶされても仕方ないですが、問題は「どうして削除されたのですか」という質問そのものが消されたことなんです。

何人かの人が、こうじゃないか という回答をしていた。

そういうことは前にも何度もあった。
どういうことかというと、運営サイドのやり方に疑問を持ち質問をしている人がいて、結局 ガードから叩かれ、退いていた。
質問者が退いた場合の質問は削除されなかった。
運営サイド側の勝利の場合 削除されないんですね。

今回は純粋に削除された理由を質問していただけ。

そして、私以外の人はルール違反をしていない。

私も前半はルール違反をしていない。

じゃあ ルール違反をしていない質問そのものは残すべきで、他の回答者のも残すべき。
まずい箇所か削除して、抵触しない部分のみ残すということがおできになるのだから、(笑)私の何度かの発言の部分も一部を消せばすむこと。

それをせずに質問そのものも消した。
これ ヒジョーにマズイです。(あくまで私からすればですが。)

「いちいち1つ1つ発言者の真意聞いていたら、とても手が回らない。忙しいんです。」というのはわかります。

小学校の頃いきなり先生から殴られたことがある。
私の周りの人たちが喋っていたので、そのまき沿いを食らったわけです。

先生は忙しいから、いちいち確認するべきことを怠ってなおかつ暴力をしてはいけないと教える側の先生が暴力を振るって制圧しようとした。

こういう口で言うことと実際やることが違う先生は信頼されず、生徒は先生の言うことをきかないようになる。
クラスが荒れている原因は生徒じゃなく先生なわけです。
信頼関係を先生自らが破っているのに、生徒に信頼をもって接しようとはこれいかに。

そういう学校で育った子供はやがて大人になる社会に出て、最初から人を疑ってかかるのが常で、いそがしさにより確認を怠り、暴力を振えてしまう。

事情を確かめず、ロボットのように処刑 処刑 処刑と自分の悪行を善だと思っている。

ってことで、、、、私の「まさかね」のそのまさかが的中。
「臭いものには蓋」が元もとの質問者の投稿が削除された理由だったわけです。

皮肉なことに人の命は尊いということに繋がる質問がここで削除された。
人の命は軽いという人間が構成している社会では、人が簡単に殺される。


そのような管理され、家畜として調教され飼育された絶望と思える集団の中に無用の用が存在する。
トリックスター、とか タロットでは愚者 とか言われる存在。

去勢され調教された家畜からみると大悪人なわけです。

世の中には私のような 馬鹿 がいるんです。
無用の用な私です。笑


もし世の中がロボットが管理していたら、ロボットはプログラムとおりにしか動けませんので、ルール違反をした人はどんな事情もロボットには通じず、ロボットは次から次に処刑 処刑 処刑 処刑。
映画ターミネーターのように目標を殺すまで止まりません。


無用の用は、そのようなロボット社会に一石を投じ ロボット化す社会に、人間らしさ復元を図ると思いません?

私からすれば「性の悪い人、優しさがない、思いやりがない、つつましさがない、共感力がない」物によって、あの質問は削除された。
私からしてみれば、削除した物は人間の心をもたぬロボットなわけです。

心を持っていさえすれば、削除などありえない。 なわけです。
「納得しました。」と至ることをせず、一方的に殺すことは駄目。
人間じゃなくなってしまうから。


削除した側の言い分は推測できますよ。
<支配者の地位を脅かすやからは殺してもかまわない。
独裁者が倒されたら国家の安全は維持できない。 気に入らないなら国から出て行け! >


私からすれば処刑する行為はロボット人間で、非人間的な行為です。
ロボット側からすれば、「ルールイハンハ ショケイ ショケイスルコトデ ルールヲヤブルヒトガ イナクナリ リソウコッカトナル」です。


確かにロボットも人が楽になるために使うことは有用です。
心が無いので、疲れを知らず、プログラムとおりに延々とこなせる。
壊れてもロボットなので、捨てればいいだけ、維持費も安い。


でも反面 心がありません。
人間は心があるので、まてよ とブレーキをかけるが、ロボットはそれができない。

人が飛び込んでくるから、閉まる校門を止めようとするなんてことはしない。

人の楽のために作られたロボットにより、人の命が奪われてしまう。
止めるには、人の命は大事だから という思考が反映された結果できたセンサーを取り付け、 if というプログラムを入れ込まない限り、自動的に扉は閉まる。

人の命は尊いという思想が繁栄されていない集団内では平然と人殺しが続く。
口で言えるだけじゃなく、どうして人の命は尊いのかを知っていなければ、躊躇無く殺せるんですね。

運営サイドからすれば、私は悪人です。
私からすれば、運営サイドがロボットで、優しさ 思いやり 共感力が無い です。

このロボット人間と人間の魂を持つ人で構成されているのが、この世です。
ロボット脳の生物と人の魂を持つ生物とのせめぎあいの世界があなたのいる世界なんです。

実に相対的でしょ?

普通の人なんて 存在しません。


>性の悪い人、優しさがない、思いやりがない、つつましさがない、共感力がない

の存在価値も書けますよ。
ロボットの存在価値を書けばいいわけです。
ロボットは人が楽に暮らすことを目的に生み出されたものです。
それによって、人が殺される。

機械も使い方次第では、有用ですよ。
いまさら蛇口ひねればお湯が出る生活捨てられないでしょう?
テレビや電話の無い生活考えられないでしょう?
じゃあ うまく使っていくしかないじゃないですか。

核だって人の生活の楽のために有効利用できるでしょ?
自分の利益の主張のために、こわーいおにーさんに協力してもらえば、自分じゃできなかったことが、通用するようになるでしょ?
自己利益のために時には有効ですが、相手もそれを利用した場合、こっちは不利益をこうむり、こっちが不利益を蒙った場合に限って、「なんであんな人たちがいるのだ」って言うわけですよ。

この回答への補足

女生徒は無理に飛び込むことはなかったのでしょうね。そんなに学校が好きだったのでしょうか(それはちょっとブラックなジョークですが)

唐突に補足を入れてすみません(ほんとうは補足の場所で、一口感想を書くところではないのですが、私の「ルール」で曲げさせていただいて、今感じたことだけとりあえず書かせていただきます。

後日にみなさんと回答者様にお礼を書きますので、少々お待ちください。

補足日時:2008/05/02 23:12
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この回答へのお礼

わかります!いちいち納得しました。
要は心持です。事務じゃない。ロボット的処理をどこでも当てはめればいいというものじゃない。それが効率的だからという理由を、生身の人間に当てはめるべきじゃない。拝金主義クソくらえ。

この運営サイトには、しばしば疑問を感じておりました。今回のご回答で、その具体例から、裏にある思考思想パターンがよくわかりました。拡大解釈すれば、所詮こんな世界に住んでいるという状況です。

核も利用法があり、ロボットもある。しかし、人間の「心」はある程度聖域でなければならないと思うのに、そういう純粋さとか厳しさ優しさが機械的な処理の方向に向かっている。惨状ですね。

お礼日時:2008/05/07 08:32

#1です。



>自我の中にも愛着とか思いやり的なものはあって、その点をどう伸ばせるかが大事な気もします。
:おっしゃるとおりですね。
自我というのは、本能からと超自我性からとの要請を調整して現実的に対処させるための機能と捉えることができます。
両要素の綱引き状態の反映でもあるわけで、極端な話、超自我性が皆無の場合、いくら自我が頑張ってもそれは発揮されることはないでしょう。
しかし、超自我性が皆無という人はごく稀であって、おっしゃるように、そこに意志としての自我が介在してくることは可能でしょう。

そこで、
>その深いところから伸ばした愛情なり、共感力なりがもっと拡大していけば、根本的解決なのではないか
:ということになるわけで、この点は同感ですね。
ただ、超自我性の低い人というのは、本来(生来ではなく)そういったことが苦手なわけです。
それゆえに性が悪いという評価を受けてしまうのですが、
『そういった人たちの中にも、garcon2000さんの言葉を借りれば、「伸びる愛情」「拡大する共感力」なるものが潜在的には存在しているはず』
と信じて対応していかないと(感情的に難しいことではありますが)おっしゃるところの「>根本的解決」の門戸さえ開かれることはないのではないか、という気がします。
 
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この回答へのお礼

自我は強いですからね。いかに、教育とか社会的文脈が社会人のために必要かでしょう。hakobuluさまの、お考えはたいへん合理的で、心理理論をよく現実対応させて、机上論ではない現実的なものを感じます。やはり、本能的(自我)なもの社会的(超自我)なもの、その折り合いをどう付けていくか、常に人間の課題
だと感じます。

お礼日時:2008/05/07 08:41

例えばヘレンケラーに健常者と同じように仕事することを命じたり、


基準以上のことが出来ないと共感力も乏しいということではないです。
「やり方はこうです」と何度も説明したり
「いうことを聞けないのか」「やる気がないのか」と
咎めることを普通しません。

求める方が思慮が浅いのであり、不合理を通そうとしていますよね。
変えることが出来ない原因を持ってしまったヘレンケラーは
社会システム的には厄介なお荷物です。不具合な歯車です。

しかし、人類にとっては歴史に残る輝く希望の星。
普通以上に出来る人にさえ処理出来ないことをやってのけた。
欠落、欠陥が多かったからこそ出来た感性や努力もあって、
勇気と愛と自由を手にし目指される偉人となり、
多くの人の心の支えになって誰もが習うべき美談が沢山あります。

色んな立場で、行動で、広い世界で、多くの価値と可能性とを
人類は考えることが出来るように用意されて生きているのだから、
その存在(悪い感情を発起させる人)を使わないでいるのも勿体無い
話なのです。

性の悪い人にその障害を自覚させるのはいい。
ますます生きづらくなるよう咎めたり、
自分を立派だということの証明に無知や無能者を卑屈にさせて
利用してしてはいけないと思います。

善人とか正義感の自覚で悪を排除しようとなされることが多いですが、
感情論は意志ではなく、自然的、盲目的、動物的なもので、
意志を信じて理想を持ったり哲学をする人の下には
人間らしい感情論も時には余計となってしまう。

印象のいい人も悪い人も平然と存在する。
つまり普通の人と同じこと。
偶発的な必然でも存在が可能であるから。

透明人間とか!死んでも復活するような人!でもいれば、
ヘレンケラーもぶっとぶ奇跡の人が普通でない人とし、
興味深いですので、科学で解明出来るまで
処理は考えない方向でおいたらどうかと思います。

私見で平和的な善人の定義の構想があるのですが、
一般に受け入れ難いものとなって反社会的ともとられそうで、
従ってここでは省きます。
気になってしまっても、各人で考えてもみて欲しいなと思いますので。
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この回答へのお礼

社会意識というのも非常に疑問ですね。戦前の価値観と今はがらりと違うが、別に人間の本性まで変わっているはずがない。非常に茶番の中に浸って生きています。
悪をもう一度検証してみる。その利用法はないのか、あるいは善性はないのか。大事でしょうね。

お礼日時:2008/05/07 08:36

おっと、遅かったかな。



善人は悪人を虐げる。
そして善人でいられるのです。

善人が悪人を必要とし
悪人を作り出しているわけです。

なんて。
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この回答へのお礼

悪のほうが以前のような気もします。
多少レッテル張りはあるでしょうが、逆転はしていないと思います。

お礼日時:2008/05/07 08:34

こんにちは、garcon2000さん。



外部実体の問題じゃないのかな? 

【QNo.406676 人を】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa406676.html
【QNo.288172 あそびをマジメに哲学すること】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa288172.html
【QNo.3227680ほにゃらか形而左右学 世界】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3227680.html
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この回答へのお礼

?ですね。

お礼日時:2008/05/07 08:33

<<感情的に「悪い印象がある人」を処理し切れません>>とあるので、貴方の認識で判断している面が一つあるでしょうね。



感情的に「怒り」を感じる人、「欲」を感じる人、どちらも感じない人が貴方に存しているのですね。

貴方が何に対して怒りを感じ、欲を感じ、欲も怒りも感じないのか。これらによって対象となる人は変わってくると思います。

我々は善人にも悪人にも非難・賞賛をする…。
当てにならない生命ですからw

貴方の認識が変われば、感情面での問題は解決されることもあるでしょう。

もう一つ、理性の面で考えると、自分に他人に役に立つことを多くするする人とそうでない人がいるでしょう。

理性の強さに左右されるものだと思います。なにが自分のためになって、何が自分のためにならないのか、何が他人のためになって、何が他人のためにならないのか。これらを判断するのですから。

いろいろな心の持ち主が皆違う概念考えを持っているのですから、多種多様な人がいるのは当たり前のことですね。

理性・心の成長・妄想の少なさ・どれだけデータを捏造せづに物事を観ているか・どれだけ現実と乖離した見解を手放しているか…などによるのだと感じます。

何か参考になれば幸いです。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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この回答へのお礼

人生的課題、自分の本性とどう付き合っていくか、本性そのものももしかしたら可変なのかとか、考えさせられます。自我と超自我の相克と調和の問題のようです。

お礼日時:2008/05/07 08:25

>どうも、感情的に「悪い印象がある人」を処理し切れません。


それは、かなり重要な問題かもしれません。通りすがりの悪印象ならまだしも、日常生活に
レギュラー出演している人物なら、おそらく「出現理由」があります。

>なぜ、性の悪い人、優しさがない、思いやりがない、つつましさがない、
>共感力がないetc.その他さまざまな悪表現が当てはまるような人が存在するのでしょうか?

というか、自分は望んでいないのに唐突に、薮から棒にそういう人にでくわさなくてはいけないので
しょうか?という疑問ですね。よくわかります。

あるいは、この質問は、本当に第一印象から「性悪」と感じたのか、つきあううちに「性悪」に
変貌したかという点が重要かもしれません。

>なぜ、性のいい人、優しい、思いやりがある、つつましい、共感力があるetc.その他さまざまな
>良表現が当てはまるような人が存在するのでしょうか?

前提として事象は、生命的存在も含めてすべてそれ自体に「意味」は存在しません。
あなたの身の回りに起る事件は、大災害であれ宝くじに当たったにしろ美女とたまたま
なかよくなったにしろ、昇給辞令をうけたにしろ、クビを言渡されたにしろ
それ自体は「宇宙にとって」「よいこと」でも「悪いこと」でもなく「ニュートラルな」出来事です。

その自体に直面した主観(あなた)が意味を与えるまで「意味」はないのです。
災い転じて福と成す。禍福あざなえる縄のごとし。好事魔多し。
とにかく、よいことだと喜んでいてもひどい目にあったりするのが人生・・・という視方もできます。
ただ、なぜそうなったかということは、自分の内面にある恐怖や願望と深くかかわりがあると
思います。

嫌な奴という意識は、顔や態度や言葉を通じて相手に伝わります。相手も当然それに反応する。
これは、従来の常識ですが 本当はあなたの思考が相手のキャラクターを塗り替えているのかも
しれません。
他の人がバナナを例にだしていますが、バナナでさえ食ってみなくちゃ美味いか不味いかは
わからないです。これは、パプアニューギニアのハニーキューティという高級品種で
実は幸田來美の大好物なんだといってたべさせると、普通の台湾バナナがなにか高尚な味わいに
思えたりもします。

人は過去の体験の「記憶」をベースに新たな体験の「感覚」を自ら創造しているのだとも言えます。
それは、何のためか。
私は、多彩な「感情」を味わうことが、「この世に生まれたツアーの目的」だからだと考えます。
「嫌」という感情は「不快」という意識から来るもので、実際はその感覚は味わうことを避けたいという
意思そのものです。
ホラー映画が、エンターテイメントになりうるように、恐怖心、嫌悪感でさえ受け入れて味わえば
それが苦痛として深く身体を傷つけることはないのです。
心の痛み、悲しみも感情の体験として全身全霊で味わい受け入れることで人生経験としての
魂の陶冶になる・・・といったら格好よすぎますかね。
少なくとも他人の痛み、悲しみに共感できる人間にはなれますよね。

逆にいえば、ひどく臆病で、過去の傷の痛みを背負ったままで魂の癒されていない人間の多くは
その癒しを他人自分と同じ感情を味合わせることでそこから逃げ出せると考えます。
他人の歯にドリルで穴をあけても自分の虫歯の痛みは癒えません。

さて、性悪人間がなぜ発生するかを、その生い立ちと存在理由について述べてきましたが
なぜ、唐突に自分の前にでてきてかかわりを持つか・・・というと、それはあなたが退屈していたり
何かを恐れていて順調な生活をしていないからでしょう。
わき目もふらず・・・という言葉に象徴されるように、例えばゴルフコースを回っていてかなりいい
スコアが出ていたら、いつもは気に入らない上司のへたくそなスイングにお世辞のひとつも
言ってあげたくなります。
しかし、朝からミスショットの連発で、例の上司が「おまえ、仕事ばかりじゃなくてゴルフもイマイチだね」
などと言われた日には、ますます「性悪上司」のことが気になってうまくいきません。

これは、一日を「嫌だな」という感情でスタートするか、「今日はゆったりおだやかに行こう」と思うか
「気分爽快、明るく元気に」と思うかの差です。
馬鹿みたいな話ですが、学校でも会社でも顔見知りに笑顔でおはようございますと挨拶することで
あなたの監督作品である「今日一日」という映画は、甘いラブストーリーにもなれば大スペクタクルにも
心理サスペンスにもグロテスクなB級ホラーにもなるのです。
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この回答へのお礼

!です。たいへん分かりやすい表現でとても感銘しました。心持を素直に、そして、なるべく「善」と信じることを実行実践できるかどうか、そういう人生的課題は普遍的に流れているなぁとつくづく思います。

お礼日時:2008/05/07 08:23

バナナはなぜ存在するのか。


これは解りません。

おいしいバナナは、なぜ存在するのか。
自然の恵みを受けながら丹精込めて作られたんです。

これの逆ですね。

じゃ、どうするか。
無理にそのまま食べることはありません。
ミキサーにかけてジュースにするか、サンドイッチにでもするか
ブタに食わせるか。
ですね。
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この回答へのお礼

実用的ですね。やはり、ある程度の勧善懲悪性というものは必要でしょう。

お礼日時:2008/05/07 08:21

「優しくて思いやりがある人」は「春の山」。



「きつくて冷徹な人」は「冬の山」。

どちらが好きか嫌いかは、人それぞれ。

いずれも人生を豊かにする。
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この回答へのお礼

豊かにというべきですかね?大きく考えればそうかもしれませんが、ミクロ的には心持を小さくする存在はやはりあるのではと。

お礼日時:2008/05/07 08:21

なぜ存在するかは観察者であるgarcon2000さんにかかっているんじゃないでしょうか。


悪い印象の人が存在しえるのは、その人を悪い印象であると判断したgarcon2000さん次第じゃないですか。
だから逆に言えばgarcon2000さんはなぜその人を存在させているのでしょうか。
そういう意味で神を存在させているのもgarcon2000さんなのだから、
この問いは神を超えたgarcon2000さんにしか答えられないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

究極的にはそうでしょう。その上に、一般論とか世論とかきます。

お礼日時:2008/05/07 08:20

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