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最近観たダ・ヴィンチの作品を検証するTV番組の中で、「最後の晩餐」の絵の人物の手の位置を五線譜にあてはめると音楽が現れる、という説を紹介していました。
私は楽譜の発達については知らないのですが、確か五線譜が登場したのはバロックの頃と習ったような気がします。私の記憶違いでしょうか?ダ・ヴィンチが五線譜を使っていた可能性はあるでしょうか?

A 回答 (10件)

またまたまたllamaです。


ああすっかり思い出しました。ピタゴラスのほうですね。
アルキメデスとグノーシスは忘れてください。
グノーシスはマニ教とキリスト教の合わさった狭義で数とは
関係ないですよね。
ピタゴラスの思想とカバラだったかな?
まあ何か数に関係あるものだった記憶があります。
時代がルネッサンスだったため古典の思想が復興した時代で
ギリシャ・ローマの思想や文学が掘り起こされ再発見された
時代だったため、ダビンチも影響を多大に受けたのでしょう。
それに図形を描くのにはユークリッド幾何学の応用で
作図したりしますよね。コンパスと三角定規を使って。
遠近法の作図自体図形作図が必要なんですよ。結構大変です。
まあ美術と数学(図形作図)はセットと考えてください。
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この回答へのお礼

ううう・・・
私の知らないことが多すぎて情けなくなります。
>まあ美術と数学(図形作図)はセットと考えてください。
この部分ですかね、今すぐ理解できるのは。
llamaさんの回答を手がかりにこれから勉強していこうと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/04 11:12

またまたNo3llama です。


ピタゴラス教団と混ざっていたかも知れません。
ピタゴラスの定理で有名なあのピタゴラスです。
ピタゴラス教団かグノーシスだったかはて?どっちだたんでしょう?
忘れてしまいました。
まあ数学を通して美術を構築していたニュアンスが伝われば
まいいか。
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>アルキメデスとかの


数学者を輩出した思想ですね。

すいません間違えてますね。アルキメデスとかの数学を継承し
数多くの数学者を輩出したの間違いです。
アルキメデスは前200年ぐらいの人、グノーシスは後1世紀ですね
おはずかしい。
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>ダ・ヴィンチが音楽を意識しようとしまいと絵画として美しいもの


を作ると、意図せずして音楽としても美しいものが出来上がる、
という理解でよろしいでしょうか?

No3llamaです。
うーんそこは表現のしづらいところです。
ただいえることは、音楽も絵画も数学的比例を基にして
構成された芸術である。というところなのです。

一本の弦を半分にすればオクターブの音とか
√○の音は何だとか厳密に決まっていますよね?
絵画作品もキャンバスの大きさを基にして倍々とつなげるとか
√○の倍数の位置に配置するとか共通点が多いのです。
有名なところでは黄金比ですかね1対約1.5とか
ダビンチがその比例を音楽から導き出したのか、美術から導き
出したのかそこのところが良く解明されていないのです。
(建築や数学にも詳しいダビンチだったので数学的なアプローチ
 ではないかと私は推測していますが。)

確かにダビンチは音楽にも造詣が深かったと思いますが
それよりもグノーシス派の思想に影響を受けていたのではないか
といわれています。
グノーシス派というのはかの有名なアルキメデスとかの
数学者を輩出した思想ですね。
グノーシスでは世界は数学で表すことが出来ると信じて
日々研鑽を積んでいました。
その中には純粋な数学とともに音楽の理論もあったと思われます。

意図せず音楽的なものが出来上がるというよりダビンチは
哲学や自然科学でいうコスモス(宇宙や世界のこと)を
絵画作品で表現したかったのではないかと思います。
音楽的要素と絵画的要素の融合といったほうが的確でしょうか?
(でも結局は数学的要素だけなのでメロディーになるかというと
 眉唾ものなワケです。)
プラトン的な表現でいうとイデアでしょうか?
音楽であろうと美術であろうとイデアを求めて表現するのは
太古であろうと現代であろうと変わらないのではないかと思うのです。
で現代の研究者(かどうかは定かじゃないですが・・・。 )
共通点である音を当てはめて結論としたのではないかと
私は推測します。当てはめるものはまあなんでもいいと思うのです。

で、私的な意見で申し訳ないのですが・・・・。
五線譜があった、なかった、よりダビンチが何を表現したかった
のか、何をもとめて研究、探求、をしたのかに目を向けて欲しいと
切に思う今日この頃です。

この回答への補足

>ただいえることは、音楽も絵画も数学的比例を基にして
構成された芸術である。というところなのです。

うまく言えなかったのですが私が言いたかったのはそういうことです。

補足日時:2008/05/04 10:43
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5です。


>音高ばかりでなく音価を表せるのが定量譜っていうことになるのでしょうか。

そうです。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/2300 …

なお、
×棋譜
○記譜

×ギターの全身
○ギターの前身

です。
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古楽を演奏している者です。



たしかに今とほぼ同じ五線譜が登場したのはバロック時代ですが、ダ・ヴィンチの生きたルネッサンス時代にも「定量譜」という五線譜があります。音楽の教科書か何かで、小節線のない楽譜を見たことがあるかと思いますが、あれです。従ってダ・ヴィンチが五線譜で棋譜したものがあっても全く不思議ではありません。

ダ・ヴィンチは種々の楽器の演奏にも精通していたようで、楽器の開発にも関わっていますので、当然楽譜は読み書きできたものと思われます。

なお、4さんが書かれているリュートはギターの全身ではなく、別系統の楽器です。リュートの楽譜は五線譜ではなく、タブラチュアで書かれますので、リュートが弾けることと五線譜が書けることは繋がりません。
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この回答へのお礼

定量譜っていう名前を初めて聞きました。音楽史でグレゴリオ聖歌について勉強したときに4本線のネウマ譜を見たことがあるくらいで(汗)検索してみましたが音高ばかりでなく音価を表せるのが定量譜っていうことになるのでしょうか。
ダ・ヴィンチが楽器の開発にも関わっていたということも知りませんでした。万能の天才ですから何をやっていても不思議はないですよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 18:48

 


 ダ・ヴィンチの楽譜 ~ 私論・推論 ~
 
1.ダ・ヴィンチが、リュート(ギターの前身)を弾いた可能性は高い。
 
 ほとんどの古代楽器は、素人が何となく掻き鳴らしていたとみられる。
 現代でも、楽譜の読めないミュージシャンが、限られたコードだけを、
見よう見まねで、ジャンジャカジャーンと弾いているケースが多い。
 
2.ダ・ヴィンチが《最後の晩餐》に音符を埋めた可能性はなくもない。
 
 彼は、自己流の音符を持っていたかもしれない。世界三大テノールと
賞賛された故・パヴァロッティは、楽譜が読めなかったので、自分なり
の記号のようなものを書き込んで、それを頼りに唄っていたという。
 
3.ダ・ヴィンチが(今の)五線譜を発明した可能性は、皆無に等しい。
 
 彼が開発していれば、何らかの記録や形跡が残っていたはずだ。
 邦楽(尺八・琴・三味線)の楽譜は、西洋の五線譜に比べものになら
ないほど未熟だが、いまも五線譜を拒否する流派が多い。
 
 da Vinci, Leonardo 14520415 Italy France 15190502 67 /《最後の晩餐 1495-1498》
 
── 16世紀にはピエール・アテニャン(1494?-1552?)が、17世紀
にはミヒャエル・プレトリウス(1571?-1621)が多くの舞曲を出版・
紹介したことは有名である。もっともこの頃の楽譜は、今日の五線譜の
ようなものではなく「音程の動きが分かる」といった簡単なものであった。
http://park11.wakwak.com/~ope/about/past/prog/pr …
 ルネサンス世俗曲 「脇役から主役へ ~舞曲の歩んだ道のり~」
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>2.ダ・ヴィンチが《最後の晩餐》に音符を埋めた可能性はなくもない。
このあたりにあの仮説が成立する余地がありますね。ダ・ヴィンチ自身が「音符を埋めていない」と言わない限り。

お礼日時:2008/05/03 18:20

私は音楽の専門知識については門外漢ですが、美術に関しては


専門的な知識を勉強したものです。

まず、ダビンチの時代だろうがアングルの時代以降だろうが
画面で構成する性質上ある基準の大きさを元にして比例を用いて
構成してます。そのほうが画面内で落ち着いた印象と流れるような
視線の方向性を持たせることができます。
それと、楽譜の読み方も活字の読み方も読み始めから終わりまでは
同じですよね(左から右に読んでいく。)あまり知られていないかも
知れませんが、大きな画面の絵画作品も意図的に左から右に
画面の構成物を意識させる配置をしている場合がほとんどです。
特に写実作品でなおかつ歴史画と呼ばれるジャンルのもの
の多くはそうです。

それと、絵画作品にはすべてリズムがあります。要するに
対象物の配置です。大きさや形、色すべてにおいてリズムは存在
します。ミクロ的な見方をすれば手の配置ですらリズムを意識して
手の高さ大きさ長さを意識的に配置しているはずです。
ダビンチほどの大作家ならそのくらいは細かく神経質に気を
配っているはずです。
そして、人々が心地よいと思うリズムに構成されているはずです。
ですが、絵画的なそれ(リズム)と音楽的なそれとを直接結びつける
のはムリがあると思います。

というより、比例をつかって画面構成した手の位置なのだから
五線譜のように等間隔で音符を表記しているものなら
五線譜上にムリから入れ込むことは容易です。
ダビンチが音楽を意識して作品を作ったかどうかはわかりませんが
音楽、絵画双方とも共通している芸術的構成要素が存在する
ということをまずは知っておいてください。

逆に不思議なことに絵画的な音符の配置の曲は演奏すると
非常に穏やかで心地よい曲になります。
モーツァルトの楽譜がまるで絵画作品のような音符の配置
になっているのはよく知られています。
人が心地よいと思うリズムは音だろうと絵画だろうと
抽象的構成要素で表現すると共通点が出てくるものです。
抽象絵画は要するにこれにあたります。
(カンディンスキーの作品から音楽を導き出すのはダビンチより
 容易かもしれません。)

しかしだれなんですかねえ。その音楽とやらが隠されている
とかいった人は。絵画の初歩的な構成作業を知っていたら
こんな仮説物笑いの種だと思うのですが。
最近この手のダビンチ作品がメッセージやら暗号が隠されている
という手合いの取り上げ方が多くてがっかりします。
私は純粋にダビンチの作品の偉大さやすばらしさを伝える
としては逆効果だと思うのです。
興味は持ってくれるとは思いますが。作品の良し悪しではなく
ただの噂話に踊らされて騒いでいるように感じてげんなり
してしまいます。
もし、現代にダビンチおじさんが現れたらたぶん憤慨するのでは
ないかと想像しています。

この回答への補足

美術を専攻されている方の視点で回答が頂けるとは思っていなかったので光栄です。

>大きな画面の絵画作品も意図的に左から右に
画面の構成物を意識させる配置をしている場合がほとんどです。

大きい画面や風景を見る時に無意識に左から右にみてしまいますが、それを利用してのことですね。初めて気づきました。

>音楽、絵画双方とも共通している芸術的構成要素が存在する

ダ・ヴィンチが音楽を意識しようとしまいと絵画として美しいものを作ると、意図せずして音楽としても美しいものが出来上がる、という理解でよろしいでしょうか?

>最近この手のダビンチ作品がメッセージやら暗号が隠されている
という手合いの取り上げ方が多くてがっかりします。

「新たなダ・ヴィンチ・コードか?!」と番組で言っていました(笑)無理やりにでも番組を盛り上げようという意図が見えて、引いてしまいますね。

補足日時:2008/05/03 11:08
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マユツバっぽいですよ、それって。

ダヴィンチは謎も多いのでそんなことを考えて「遊ぶ」人も多いんですよね。少なくとも「五線譜」はあり得ないでしょうし、いかに彼が天才だったとしても楽譜を「発明」していたらそれなりのものを残したでしょうね。
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この回答へのお礼

やはりマユツバっぽく思われますか。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/05/03 10:55

楽譜は9世紀頃に誕生したようです。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E8%AD%9C

五線譜は17世紀のようですね。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
五線譜は17世紀ですか。「最後の晩餐」は1495~1498年に製作されたそうなので、それよりかなり前ですね。
そうすると、番組で紹介されていた仮説はこじつけっぽいですね。
ダ・ヴィンチが自分だけに分かる方法で記譜したと考える余地は残りますけれども・・・

補足日時:2008/05/02 20:35
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