これ何て呼びますか

ベジタリアンの方へ相談があります。

私は数ヶ月前より完璧なベジタリアンではありませんが肉類(魚介類や卵、乳製品は頂きます。)を必要以外は頂くことをやめました。
理由は小さな頃からの動物への想いと環境への想いからです。

私がそうなってからの彼との関係についてです。

彼とは付き合って10年がたち同棲して2年になります。
彼には彼の選択があり肉食をやめてほしいと思っていませんし強要もしていません。(食事に関しては肉抜きの料理でも肉に見立てた料理を作り私なりの工夫をして満足してくれています。)
私のそういった行動を理解しようとしてくれます。
その反面時にすごく私のそういった行動に反感を持ち批判をし喧嘩になります。(食に対する共通の肉という楽しみが無くなった事と彼自身もすごく純粋な人なので私の行動を理解するうちに食べることに罪悪感が生まれてしまいその狭間で苦しんでいるのだと思います。)
今では一緒にいる事がお互いに苦しくなってきています。
別れ話に発展する程になってきて、私は自分の気持ちを貫くなら別れるしかないと思いますが、彼の気持ちは別れたくないと必死でいてくれて私を理解しようと必死でいてくれて、でもそんな反面イライラしてと繰り返しです。

わかるんです。彼のイライラする気持ち。
今ではベジタリアンの件だけが原因ではないとも思うのですが…
彼だけではなく友人や家族この日本でベジタリアンを貫くという事は自分の中では良かれと思う選択でも反感を持たれる事が多々あり、少し沈んでいます。
私と同じような悩みを抱いた事があるような方にお話を伺えたらと思い質問をさせて頂きました。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

はじめまして、mikidoriさん。



それは禁肉の初期禁断症状ですよ。
mikidoriさんは自然とベジタリアンになったのですが、
彼氏さんは、啓発的にベジタリアンへの道に入ろうとしているのだと思います。

でも、あまりに理想を追求し過ぎて急に肉を一切絶とうとすると、
そこに禁断症状が発生してしまうのです。

慌てず、ゆっくりと、さりげなく、
ハンバーグに加えるひき肉の量を徐々に減らし小麦粉の量を増やす、
とかいった手法で気長に対処するしかありません。

とにかくmikidoriさんと彼氏さんの関係維持が第一ですから、
慌てないで下さいね。
また、もし彼氏さんが完璧なベジタリアンになってしまうと、
社会的に出世できなくなってしまう可能性すらあります。
(ベジタリアン的食生活は、人付き合いが難しい)
ですから肉食を批判する事も、あまり良くないと思います。

誰にもバレないよう、可能な範囲でベジタリアン食を遂行する分には、
何ら問題がない訳ですから、彼氏の同僚を家に招いて、
さりげないベジタリアンメニューでおもてなし、
とかった方法も戦略的にはいいかもしれません。



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ベジタリアンは単なる自己満足の塊だと思います。


魚も生き物、卵だって生き物ですよ。
動物の殺生が嫌なら大々的に反対運動をすればいいんじゃないですか?
所詮自己満足でしかありません。
肉食をすることが、余計な殺生に繋がっているとは思いません。少なくとも「余計」ではないです。
人間が動物を食べれるのは、ある意味、天の慈悲だと思えます。

私も肉は好きなので、肉のない食生活は考えられないです。
食べるということ、は人間生活の基本中の基本ですし、最も好みが出るところです。
ベジタリアンだという独善を押し付けられたほうはたまったものではありません。

食事の好みが合わないのは伴侶としては決定的に相性が悪いです。
彼氏と楽しい食事の時間を過ごせるように、ご自分の身勝手を省みてください。
それが出来ないのなら、同じベジタリアンと付き合われたほうがよいと思います。
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私は♂です。

彼のあなたを思う気持ちと共に、なぜ分かってくれないのかという気持ちを汲み取ったので?
(投稿させて頂きますが)食べないといけないというか、イライラを抑えきれない等の理由があり、強く当たってしまう事がありました、そういういふうにはしたくないのに、気がつけばそうしていたのです、今は1人で過ごしていますが、後悔もやるせないです。肉を食べるのは、罪悪感がないことではありませんが、それが全てではない気もします。2人の世界を作るのに必要ならそれを罪悪と考えずに、大事な礎として生きていって貰えたら、食材のとなったものへの十分な賛歌になる気がします。
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ベジタリアンですか~。

魚介類や卵は食べますか~。動物への想いと環境への想いからですか~。
魚だって動物ですし、野菜だって全て生き物ですがね。

結局質問者様は自分の考えを貫き、他の者達への思いやりが少ない人ではありませんか。
>今ではベジタリアンの件だけが原因ではないとも思うのですが…
分かっていらっしゃるのでは有りませんか。食べ物の趣向は一緒に生活する上で大変重要な事です。
しかし、食べ物に限らず彼が貴方に合わせてくれる部分が大きいのではありませんか。
食べ物を含めて、時には貴方が妥協して彼に合わせる事があっても良いのではありませんか。
ベジタリアンを否定しませんが、結局それは単なるエゴである事も自覚すべきです。

確かに人は野菜だけでも生きれますし、必要以上の肉食は身体に良くないです。
しかし塩意外は全て命有る物を頂いていて、食物連鎖によって命の世界が成り立っている事を再認識して下さい。
全ての動物が菜食主義になれば地球の生態系が変わり、たちまち緑が無くなり動物も生きて行けなくなります。
そして、人は一人では生きていけない事も事実です。
自分と違う価値観や趣向が違う者同士がお互いを尊重し譲り合う事で一緒に生活でき、それによって社会も成り立っています。

また、栄養バランスが崩れる事でイライラがつのったり、健康以外にも精神力や思考にも影響を与える事があります。
最近の肉食主体の食生活はベジタリアン以上に憂慮する事が大きいですが、逆に極端なベジタリアンも健康的にも精神的にも問題を感じてしまいます。
もう少し柔軟な心と生活状態を心がけ、自分を前面に押し出すだけでなく自らを相手に合わせて替えるような気持ちで過ごす事をお勧めします。
決してベジタリアンを否定する者ではありませんが、自分の主義を有る程度押さえる事も必要で、ほとんどの人がそうして幸せな生活を送っています。
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この回答へのお礼

そうですね。
これは私の単なるエゴなのかもしれません。
彼側から見た意見を頂き今まで目をそむけていた
部分が見えたような気がします。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/05/10 19:15

ベジタリアン歴4年です。

魚介類や卵、乳製品でさえもとらない男ですが、まあ、たいへんですよねー。お気持ち痛いほどわかります。

妻と出会う前までは、何も気にせず毎日暴飲暴食していました。彼女はmikidoriさんと同じように動物愛護の面で始めました。食事に行くと、『なんで食べないのー栄養とれないよー』とか言って、どうにかして食べさせようとしていました(笑)相手から強要はされませんでしたが、作る料理に肉がないので結局近くのスーパーでお惣菜を買って我慢の日々。男としてはちょっと寂しかったりするんですよ、、、ハハハーグチってすみません。

こんな私でも変わるきっかけをくれたのが、祖母の死でした。雑食のように何でも食べる祖母は、骨折をかわきりに入院、1年以内に糖尿発覚、痴ホウになり、すぐ亡くなりました。その時に、何十年後の自分と重ね合わせてしまったんです。このままではダメだーって、変わらなきゃダメだーって。

その時から料理の本、栄養学の本など片っ端から読みあさり、結局行き着いたところがベジタリアンの道でした。人ってどこでどう変わるかわかりませんねー今では私がコレは健康に悪いと言って食べさせないでちょっとした喧嘩をしてますよ。
 
ネットショッピングできる現代では、かなりやりやすくなっているのではないでしょうか。外食に関して言えば、東京近郊であればかなりの数のお店。ウチのようにド田舎でも、まあなんとかやっていけますよ。

イライラの原因、動物性物質、添加物、日々の運動、生活態度そしてお互いの会話(コミュニケーション)。どれかひとつでも変えてみたらいかがでしょうか。今よりもずっと楽になれると思います。

一応ベジタリアンやってますけど、肉が絶対ダメなんて思ってませんよーただ言えることは、肉を食べなくてもやっていけるということ!、、、それだけです。

自分で敷いたレールは大変かもしれないけど、お互いに一歩一歩進んでいきましょう。

参考までに、完全に動物性や添加物を抜く生活をすると、個人差はありますが、最初の1年から2年は、かなり苦しいです。めまい、動悸、汚臭、湿疹、体重激減、頭痛などありますが、このデトックスを経験した後、すごく楽になります。
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体験から書かせていただきます。


私も質問者様と同様、ペスコベジタリアン(お魚と乳製品はいただく・お肉はいただかない・野菜穀物中心の菜食・お酒はたしなむ)です。
理由は「敢えて余計な殺生をしたくないから」。なので私の場合、ふだんは宮沢賢治的食生活で、でも外に出たらスープに入っているチキンの肉片とか、上司に連れて行ってもらった串カツ屋さんの定食とか、そういうイレギュラーなお肉は残さず頂くという、わりとルーズな菜食です。
(日本に住んでいると、「私、菜食なんです」などと言ったところで周囲にはほとんど理解されません。「好き嫌いが激しい人・偏食な困った人・一緒に食事にいけない人」と思われがちです。それもあって、現在の摂取のかたちに落ち着きました。)
自分から「私お肉食べれなくて」と発言することもなくなりました。出されたら頂きますが、自分から食べないだけです。
こうなるまでには相当悩みました。人とランチの時に注文したカレーライスに入ったひと切れのお肉を前に、「だめだ、食べられない。でもせっかく死んでしまったのだから食べなくちゃ」とか考え抜いて、結局食べておなかをこわす(普段一切肉食を断っている人がたまにお肉を食べるとおなかに来ます)、そんな苦悩の日々を送っていた時期も長いです。

私は菜食を始めて10年目になりますが、それでも最近まで苦悩していたことを思うと、質問者様の彼氏さんにしてみれば「なんでこの間までいっしょに食べてたものを、食べれなくなっちゃったんだろう」という急な変化からくるやり場のない怒りとか動揺、困惑がたくさんあるのではと思います。

なにかを食べる理由、またなにかを食べない理由は、人それぞれに違います。セロリが嫌いな人もいれば、落花生のアレルギーの人もいます。宗教上の理由で豚を食べない人もいれば、質問者様と同じく、生き物のことを思いやり、動物性食品を食べない人もいるわけです。
質問者様がお肉を食べない選択をした一方で、彼はお肉を食べる選択の余地があります。
「彼には彼の選択があり肉食をやめてほしいと思っていませんし強要もしていません」とおっしゃる一方で、「肉抜きの料理でも肉に見立てた料理を作り」というのは、ちょっと彼氏さんが気の毒に思います。
別れを考えるまでにお肉を一切摂取しない生活をなさりたいのなら、食事は別々に作るしかないのではないでしょうか。彼氏さんの「食べる自由」を抑圧している限り、お二人の葛藤は解決できないと思います。
そして質問者様が「動物の命を食べない決意」をしたことで彼氏さんという「一人の人間の命」が悩みに削られるのは、とても悲しいことだと思います。
せっかく理解を示そうとしてくれて、しかも罪悪感まで抱いてしまうようなお優しい方なのです。動物を食べないことだけが善ではありません、そして動物を食べないことは善とも悪ともつきません、食べないことで徳を積むことにはなりませんし、食べて悪徳になるというものでもありません。彼氏さんにはどうかお肉の料理を作ってあげてほしいと思います。
そして肉を食べるのは悪いことではありませんが、「大事な人を急に混乱させる」のは、ちょっと悪いことです。これまで頂いてきた数知れない命で構成されている肉体を、「混乱」で消耗するのは「いただいた命をまっとうしていない」ことになるとは思われませんでしょうか。

ここから蛇足みたいになりますが、もう少し書かせていただきます。
私は自分は菜食ですが、家族はお肉が好きなので、彼らには肉料理を作ります。
肉屋さんで動物の遺体を品定めし、大事に持ち帰り、料理するときには感謝の気持ちで包丁を入れます。
たとえば鶏は、生まれて何ヶ月で出荷されるかご存知ですか。およそ3ヶ月です。つまり、彼らは四季をみることがありません。私の手元にくるまでの数ヶ月を過ごした季節しか知らないのです。秋と冬、冬と春、春と夏、夏と秋。私はそれを調理し、家族に食べさせ、食べた家族は次の季節を生きます。命の受け渡しです。ですから失敗しないように、大切に扱います。「あなたは春を感じたのかな、これからは夏が来るよ」とぶつぶつ話しかけたりして料理しています。ちょっと宗教じみてますが。
そして私は食べません。見守るだけです。家族の身体に入った鶏が、翌日のエネルギーになり、翌々日の肉体になり、完全に彼らの血肉となるのをみて、「ありがとう」と祈ります。祈らずにはおれないからです。
菜食を貫く、という強い意志はありません。命は流動的ですから。
これが、10年目なりの結論です。また変わるかも知れません。

どうか彼氏さんが早くに混乱から救われるよう、急な変化を少し緩やかにしてあげてください。
菜食に目覚めた時のカッとする罪悪感はわかります。でも、急ぎすぎて大事なものを落としてしまわれませんように、お祈りしています。
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