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以前、どこかで理由を聞いたことがあったのですが、よく理解できなかった&覚えていないので、こちらで質問させてください。

なぜ、人は人(他人)を殺してはいけないのでしょうか。

例えば、法に反するという理由が考えられますが、ではその立法趣旨は?と更問したくなります。それに対しては、社会の平安、公安秩序を守るためなどの趣旨が考えられるかもしれませんが、では、殺人の証拠もたくさんあり誰の目に見ても明らかな精神障害者でない(つまり責任能力のある)連続殺人犯は、出来るだけ速やかに抹殺する(つまり私刑で殺す)方が、よほど社会の平安をもたらしませんか(でも私刑は禁じられていますよね??)。

また、別の理由として、人類という種の保存に反するという意見があったような気がしますが、依然として世界中でテロや紛争が起こっており、お互い大量殺人を繰り返していますよね。これは種の保存に反するという意見に反しているように思えます。

私はあまり学がないので、できるだけ明確でreasonableな理由を易しく説明してください。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

そう決めとかないと、人間同士で際限なく殺しあっちゃう生き物だからじゃないですか

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この回答へのお礼

さっそくの回答ありがとうございます。

うーん、決めないと際限なく殺しあっちゃいますかね?

例えば、常人のほとんどは人を殺すことはしないし(これは、常人(大人といってもいいです)は刑法という決まりが存在し、それに反するとペナルティが課されることを知っているからだと思いますが)、さらにいうと幼児なんかは殺人罪という決まりを知らないにも関わらず、他人を殺すようなことはしませんよね。

決めないと際限なく殺しあうからという理由では説明できないように思います(決めなくても、つまり決まりを知らなくとも幼児は殺し合いしませんよね?)。

お礼日時:2008/05/15 19:48

モーゼの十戒に「汝、殺すなかれ」とあります。


カインが弟アベルを殺してから人はそれまで不死だったのに、死ぬようになった。 
だから人を殺してはいけない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これは一種の歴史的創作ですよね。私が真に知りたい「なぜ人を殺すことがいけないことなのか」の理由にはfitしないように思います。

お礼日時:2008/05/15 20:03

私は、殺したいほどうらんでる人はいます。


先に仕掛けてきましたが、我慢はしてます。

でも、その人を殺したら、その人の交友関係の人が悲しみます。
心あるひとは悲しみます。

でも、心無い人は、いじめます。
それも悲しいです。。

心あるひとは、悲しみます。

でも、自分が、自分がって言う人は、どういう神経かは知りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

殺したいけど、殺さない。それは、その人の交友関係の人が悲しむから。

でも、ことここに至っては、貴方は、貴方とその人の関係だけ考えればいいのではないでしょうか(その人の交友関係の人を慮る必要はないのでは?)

となると、貴方が殺したいのに殺さないのは別の理由があるように思います(最も考えられる理由は、法で禁じられており、法を犯せばペナルティを受けるという理由)。もし、この世が殺人についてペナルティがない世の中なら、その人を殺してもよいのではないでしょうか。

お礼日時:2008/05/15 20:43

No.1さんの言うのが正しいんじゃないでしょうか。



そもそも生物は自分の遺伝子を残すことを目的に生きています。野生動物の場合、メスや縄張りを巡って争い、相手を殺すことも珍しくありません。しかし、野生動物の場合、相手を殺すのは非常に難しいことです。決闘に勝ったとしても、とどめを刺そうとすると負けた相手とはいえ命をかけて反撃するでしょう。場合によっては共倒れするかもしれません。

人間は違います。人間は、武器という誰もが簡単に安全に人を殺せる道具を持っていますので、法がなければ殺人は至る所で起きるでしょう。その証拠に、戦場やいわゆる「無法地帯」では平気で殺人が行われています。歴史的にも、本来遺伝的に近いため守り合うはずの兄弟や親戚同士でさえ、殺し合い(戦争)はいくらでもありますね。

幼児が人を殺さないと言いますが、それは法とは関係がなく、単に脳や体が未熟だからです。

「種の保存に反する」というのは関係がありません。生物が保存したいのは自分の遺伝子です。これは植物をみれば顕著です。何千という種子が1カ所の地面に落ちてしまった場合、1本だけが生き残りあとはすべて枯れ(殺され)ます。競争率は植物ほどではありませんが、動物でも同じです。

No.3さんの言い分は、気持ちは分かります。しかし、もし法がなければ「誰かに殺されるかもしれない」と常にビクビクして生活しなければなりませんので、そのようなことを考える余裕はないでしょう。殺される前に先に自分が殺そうと思い、実際に実行に移すはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>人間は、武器という誰もが簡単に安全に人を殺せる道具を持っていますので、法がなければ殺人は至る所で起きるでしょう。

No.5さんが答えているように、簡単に安全に人を殺せる道具が無かった時代(相当古い時代)にも既に法で人を殺してはいけないと決められていたようです。

なので、法がなければ殺人は至るところで起きるという考え方は、ちょっと当てはまらないのでは?と思いました。

幼児が殺人をしないのは未熟だからというのは同意できます。

お礼日時:2008/05/15 22:13

まず質問者様がいくつか勘違いをされているようなので・・



>私刑は禁じられていますよね?
死刑、の誤植だと理解しておきます。
日本の刑法では、死刑は認められています。殺人、強盗、放火などの凶悪犯罪を犯し、更に裁判においても反省の色を見せず、更生の余地がないと判断された場合には死刑になる可能性が高いです。実際に一年間で一桁くらいの人数が死刑宣告を受けています。(もっとも、死刑宣告を受ける人数>死刑が執行される人数、なので、現在の日本の刑務所には死刑囚が100人以上収監されていますが・・。)
海外に目を向けると、ヨーロッパの殆どの国では死刑は廃止されていますが、アメリカ及びアジア・アフリカの多くの国では死刑はまだ残っています。

>戦争をするのは種の保存に反する
種の保存、というのは、あくまで対象に知性を認めないことを前提とする進化生物学上の考え方で、高度に「知性」を発達させてしまった人間の個体の行動とは関係がありません。

>決まりを知らなくとも幼児は殺し合いしませんよね?
その理由としては・・
1.そもそも幼児は人を殺すことを思いつかない
2.人を殺すだけの力(暴力)がない
3.大人や年長者の管理下に置かれている
などがあると思います。

何故人を殺してはいけないか、というのは、不謹慎かもしれませんが、実はとても面白い問いで、人間社会が実は虚構、フィクションの上に成り立っているという事を示しています。

この問いに対して一応の回答を出すならば、「人間は法や警察による統治がなければ、自らの欲を満たすために、互いに互いを殺しあい、奪い合う事態になる。だからお互いの生存と安全を保証するために、「人を殺さない」というルールを作っているのだ。」という事になります。

でも、これはあくまでフィクションです。

何故フィクションか?それは、世界中の人の誰も、どんなに偉い法学者であっても、全く無秩序で混沌とした状態から法によって秩序が作られていく過程、つまり、人々が互いの生存と安全を保証するために、公権力(政府や警察など)に権利を預けていく過程を、その眼で実際に見た事がないからです。

人間の歴史が始まったとき、少なくとも史料が残っている時代には、すでに法や国家はあったわけで、上記のような事は誰も見た事が無い。
例えば、法三章というのがあります。これは漢の初代皇帝劉邦が、秦の都咸陽を滅ぼした後に、複雑だった秦の法律を全部廃止して、「傷つけるなかれ、盗むなかれ、殺すなかれ」という3つの法律だけを定めた、というものです。このもっとも単純な法律の中にも、すでに人を殺してはいけないという命題が入っています。人類史上もっとも単純に見えるこの秩序の中でも、人殺しは禁止されているわけです。

私たちの社会秩序というのが実はフィクションだからこそ、それを破る人間(=殺人犯など)が出てくるわけで。これは別に宗教的な話でもなんでもなくて、どうやって人間社会の秩序が作られていったか、と考えるとどうしてもフィクションの話にならざるを得ないのです。

では何故、多くの人々が、この社会がフィクションである事に気づかずに一生を終えていくのか。

人の行動を規定するものを、法学の用語では「行為規範」と呼びます。
これには、道徳(倫理)・法律・慣習・流行などが含まれます。
慣習と流行は、道徳・法律に比べると強制力は低いのでここでは無視するとして、道徳と法律の違いってなんでしょうか?

これは実に難しい問題で、法学者の間でも言っている事はマチマチです。これについて語りだすと長くなるので割愛しますが、興味があれば図書館で法学の入門書などを読んでみてください。(・・なんてえらそーに言っている私も、法学についてはかじった程度で、専門書などをきちんと読んだわけではありません。)

とりあえず一つ言えることは、法律と道徳で要求することが一致する場合、その強制力は相乗して強くなる、という事です。お気づきだと思いますが、法律の規定には道徳とは関係ないものが数多くあります。
人を殺してはいけない、という命題は、世界中どこの文化圏でも、法律・道徳の両方で規定されています。だから多くの人はそれに疑問を感じない。

簡単にまとめると、人を殺してはいけない、という命題に対する理由説明はフィクションにならざるを得ず、しかしそのフィクションを法律と道徳の両方で支持しているために、社会秩序の中で実行力を得て、人間の行為を規定している、という事です。

勘違いの無いようにに言っておきますが、人殺しをしてはいけないという事がフィクションだと私が言ったからと言って、私は人殺しをしていいなどと思っているわけではありません。私は自分の金科玉条として人殺しをしない事を誓いますが、理論的に説明するとフィクションになりますよ、という事です。

・・あんまりreasonableな説明じゃなかったでしょうか・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>>私刑は禁じられていますよね?
>死刑、の誤植だと理解しておきます。

いえ、私刑(リンチ)で正しいです。日本の法律では私人による懲罰は禁じられています。公権力によってだけ、究極の基本的人権の蹂躙である死刑が(誰もが享受できる裁判を受ける権利を経て)執行されることは心得ています。

人を殺してはいけないという理由はフィクションという考えですね。興味深く読ませていただきました。もちろん、常人は、法律も心得ていますし、普通の人なら道徳観を持っているので殺人はしないということに同意します。

やはり、人を殺してはいけないという命題に対する理由を考えるのは無理なのでしょうかね。

お礼日時:2008/05/15 21:56

>No.5さんが答えているように、簡単に安全に人を殺せる道具が無かった時代(相当古い時代)にも既に法で人を殺してはいけないと決められていたようです。



5さんが言っているのは、「人間の歴史=文明」ということです。人類は700万年ほど前に誕生したと言われていますが、その頃は法など存在しません。一方、武器は既に存在しています。実際、戦場などの無法地帯では至る所で殺し合いが起きている事実をご存知ありませんか?
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この回答へのお礼

すみません。私の理解が間違っていましたね。戦場で殺し合いが起きている事実は存じ上げています。なぜ、殺人はなくならいのでしょうかね。

お礼日時:2008/05/15 23:03

まず、質問が矛盾しています。


「人を殺してはいけない」というのは相対的な事象です。そういった法の下で契約のもと暮らしているわけですから、守らなければ罰則がありますね。しかし「人を殺してもいい」状況も存在します。戦争ですね。目の前の敵を撃たなければ戦犯として罰則があります。

群れで暮らす動物には殺し合いをするものが少なくありません。猿、ライオンなど。これらは種の保存というか自分の血の保存が本能にあるのかもしれませんね。

人殺しはいけない、という考えに固執すると思考が止まってしまいますね。昔ある弁護士が法廷でこう言ったそうです。「被害者は人としてあるまじき行為を過去にしている。陪審員のみなさん、これは人殺しじゃないのです。人なんていなかったのですから!!」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>そういった法の下で契約のもと暮らしているわけですから、守らなければ罰則がありますね。

そこで(堂々巡りになるかもしれませんが)、なぜそういった法の下で契約のもとで暮らす(つまり、殺人は罪として罰するという法がなぜ制定されたか)ことになるようになったのか、知りたいと思っております。

戦争は、今の日本で暮らす私たちには異世界ですね。なにせ、人(敵)を殺さないと罪(戦犯)になるのですから。

私個人としては、世の中のすべての戦争がなくなればいいと思ってるし、殺人もわざわざ法で規定する必要もないくらい平和な世の中になればいいなと思っています。

お礼日時:2008/05/15 23:12

いろんな考え方が有るとは思いますが理由は秩序維持の為だと思います。


殺人は絶対悪ではありません。その証拠に戦争で相手兵士を殺す事は罪では有りませんし死刑制度の有る国家で法に基づいて施行するのは当然犯罪ではありません。


この世の中に様々な公の機関が有りますがその殆どは秩序維持の為に存在していると感じませんか?警察はもとより消防、税務署、町役場にいたるまで社会の秩序維持が大きな目的だと思います。

たとえば戦場での敵前逃亡がなぜ死刑相当の罪かと言えばこれを黙認すれば完全に秩序が崩壊します。
秩序とは簡単に言えば法を守る事ですから一切の約束事の無い社会では殺人もOKでしょうね。
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この回答へのお礼

秩序維持のためだとは、私も思います。

殺人は罪であるという刑法の立法趣旨は、秩序維持と言われると、まあそうだろうなと感じます。

私の希望は、このような規定(刑法)がなくても平穏無事に暮らすことができないかなと思っています。

お礼日時:2008/05/15 23:17

人は人を殺してはいけない、ことはありません。


確かに法律上殺人は罪ですが、殺してはいけないというのはその括りだけの概念で、実は「人は人を殺さなくても良い」が真髄です。

「殺してはいけない」という固定概念が混乱を招き、疑問を掻き立てているだけです。
当然「人は人を生かさなくても良い」わけです。

これに混乱するようでは固定概念を払拭できません。
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この回答へのお礼

「人は人を殺さなくても良い」

うーん、短いコメントですが、理解が十分できず困りました(貴方の意見に同意も反論もできません。)

お礼日時:2008/05/15 23:21

おおむね、みなさんが言って下さったのでひとことだけ。



〉なぜ、殺人はなくならいのでしょうかね。

それは、本気の殺意を抱いたことのある人間なら、説明不要の疑問です。逆に、そういった経験のない人には、一生分からないかもしれません。知らない方が、もちろん幸せだと思います。
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この回答へのお礼

知らない私は幸せなんだろうなと思います。

貴重なコメントありがとうございます。

お礼日時:2008/05/15 23:23

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