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私の実家で先祖の墓を一部場所を変えてから家族に不幸の連続です。(分納という形で他府県に移しました。)不幸の内容は言えませんが、どこかで御払いをしてもらった方がいいのでしょうか。なにかいい方法を知りませんか。

A 回答 (13件中1~10件)

ある人にはあるでしょうし、ない人にはないでしょう。


祟りの「せい」にしてあなた方の気持ちが収まるならばそれでいいと思います。
#意地悪でいっているわけじゃないです。
お祓いを受けてあなたの気持ちが落ち着き前向きに物事を考えられるようになればそれでいいでしょう。ただ正直そういう弱気になっている人に近づいて暴利をむさぼろうとする輩がいますから気をつけた方がいいと思います。
以前身内の不幸につけ込み、暗に金を積めば何とかなるといった坊主がいました。冷静だった私はその坊主を閉め出そうとしましたがほかの人間がその言葉に気持ちを和らげることが出来たので不問にしましたが。

いちいち自分の人生を考えも違う先祖に左右されてはたまったものではありません。もちろん先祖(とはいっても祖父祖母など生前を知っている人物)のお墓参りなど供養することは別に悪いことじゃないと思いますけど。

基本的に宗教的なものの考え方が出来ず、そういった考えにこだわる人とは一線を画したいと思っている人間なので。
お祓いをしてあなたの気持ちが収まるならばやった方がいいという気持ちは本当です。ただそれで不幸が収まるという保障はどこにもありませんけどね。
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#8に補足すると、


たとえ「死後の世界」があったとしても、それは「お墓」にあるわけじゃありません。
(佛教でも「極楽」は「西方浄土」にあるわけで、お墓ではない)
お墓は、結局、「生きている人のため」の場ですから、生きている人の都合で場所をかえてかまわないんです。
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 基本的には「たたり」はないですね。

多くの回答者の皆さんと同じです。ただしこういうことは多数決で決めることではないので、最終的には質問者の方のお考え次第ということです。
 人間が生きていると、良いこと悪いこと、色々のことが起こります。それも平均して起こってくれませんので、時には悪いことが連続する場合もあります。
 仏教の考え方からですと、悪いとか良いとかはその人の主観であり、客観的な出来事ではない、ということです。だから「おかげ」とか「たたり」とかは本来存在しません。
 もちろんこの説を信じるかどうかはその人の自由ですが、わたしはなるほどと思います。
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たたりではないけどそのようなことはあると思います。

私の家でも以前、母が原因不明の出血が続き、病院でも手におえなくて霊感師のところへ行ったら「仏壇の裏に位牌が引っかかっているのが見えます」と言われました。家に帰ってみたけどない。そこで思い出したのが私の曽祖父が幼いときに我が家に養子に来たということ、そこで曽祖父の実家に行くと・・あったのです!!なんと曽祖父の母の位牌が仏壇の裏に引っかかって。
なんでこういうことになったかというと一人娘で我が家の跡取だった曽祖父の母は他家へ嫁ぎ、そこで男の子を出産〔私の曽祖父ですね〕しかし産後に調子が悪くなりすぐに死亡。曽祖父は跡取のいない我が家に引き取られ、曽祖父の父は再婚したそうです。しかしその家も絶え、現在はその再婚相手の親族が住んでいて私の曽祖父の母の位牌のことなどマッタクしらなかったようです。
私も毎年お墓には参っていたのですが位牌のことは全然気づきませんでした。実家の方が供養されているものとばかり思っていました。曽祖父の母は一人ぼっちの位牌でした。彼女からしてみると私の母は自分の血を引く数少ない人だったようです。〔私の家は代々一人っ子で曽祖父もその娘である祖母も、その娘の母も一人っ子です〕霊感師に聞くと「自分の位牌の供養をお願いしたかったようだからもう心配ない」と言われました。位牌を家に持って帰り、供養を始めたら母の出血はピタリと止まりました。
きっとたたりじゃなくってご先祖様は何かを訴えてるんですよ。よく考えてみてください。
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「気の持ちよう」で済むほど人間は「意識的」な存在ではないと思いますので一言。



生きている者には生きている者の「都合」があります。死んだ者には「都合」は
ありませんが、かつて生きていた時には何がしかの「思い」を持っていたはずです。
その「思い」は、何らかの形で生きている者の心の中に入り込んでいます。
生きている者が死んだ者の思いと違う(と生きている者が考えるかまたは感じる)
行動をとった時、生きている者は死んだ者に対し何がしかのうしろめたさを感じます。
心の中の調和がとれていないと、それは不幸という形で外に現れてきます。仮に
お祓い等をしたとしても、このうしろめたさが残る限り、結局は同じことになります。

ではどうしたらよいか。生きている者どうしならば話し合って合意できる点を見つける
ことができますが、死者が相手ではそれができません。ただ、死者と言っても、生きて
いるものの心の奥深くを介して働きかけてきているわけですから、その部分と折り合いを
つければ良いことになります。「深く祈る。」これが答えです。こちらの「都合」を
死者に認めてもらうか、死者の「思い」を活かすよう自分が折れるか、どういう答えが
出て来るか分かりませんが、死んだ者に「許してもらえた」と感じることができたら、
もう不幸は起きないと思います。
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おっ、たたりがあると 書いたのは、私だけかな?



なぜ、そう書いたかというと、死後の世界があると思うからです。
死んだ人の魂が、残っているならば、それによる影響があるのも
然りだと思います。

死後の世界がなければ、たたりはあるはずかないです。
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個人的に祟りなんてものはないと思ってます。


モチロン先祖供養は大事なこととは思いますが、これとは話が別でしょう。
(強弁ですが)不幸が先祖の祟りのせいなら、供養だけしていればシアワセになれるのでしょうか?とてもそうは思えません。それに、私が死後 自分の子孫に祟るとは考えたくもありませんし、先祖のせいにするのは失礼かと思います。

『人生万事塞翁が馬』とか『禍福はあざなえる縄の如し』という諺があるとおり、人生不幸事もたくさんあるものです。たまたま分納の時期と重なっただけでしょう。
それと、そのことを(過剰に)気に病んでいると、自分のほかの行動まで影響が出ますよ?そう言ったことも影響しているのでは・・・。
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ないと思います。



不幸や重病になる等の脅し文句で詐欺をはたらく個人や団体が後をたたないことを知人に書いたばかりなのですが、
その不幸を「たたり」に関連付けて考えようとするところが宜しくないと思われます。
宗教的な因果はではなく、たとえば病気は食生活に問題があったり遺伝だったりというような原因と結果はあると思います。事故などの原因を冷静に正しく調べると先入観による不注意とか「~したつもり」で実際は不十分だったということはよくあることです。

どこかで誤解により恨まれていたりというようなことがないように日頃から利己心を捨てて、公共心や人を大切にして地域や属している職場などで協力し合い助け合い、ゆったりした気持ちでリズム正しい日常生活を送ることを家族には勧めています。また特別な宗教心というのではなく通常の日本人の感覚で先祖は大事にしております。

参考にならないかも知れませんね。
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「人間楽ありゃ苦もあるさ」の言葉どおり、いいこと続きの時期と悪いこと続きの


時期があると思うんです。
悪いことが続く時って何が原因か考えて、たまたまいつもと違った出来事があると
そのせいだと考えがちです。そもそも人間って精神的に弱い動物ですから。

お払いをしてもらっても偶然不幸なことが起こると「インチキお払い師」と
言いたくなるし、逆に偶然不幸なことが止むと「お払い師のおかげ」と言うのも
よくあることです。

最近(ここ2週間ほど)知り合いの神主さんが不幸続きです。
神社の人でも、悪いこともあるしいいこともあります。
今はこういう時期ですので時の流れに身を任せてみるのも一つの方法です。

きっと不幸の連続のあと幸福の連続が待ってますよ。
気を落とさないで頑張ってください。
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同じお金を使うなら


不幸の内容によりますが、病気や怪我死亡だと
生命保険や医療関係の保険に入る、
泥棒の被害なら警備会社と契約する
ほうが、良いとおもいます。
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