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芸術の芸術的価値について書かれた本ではなく、芸術が社会の中でどのように利用され機能していったか?について書かれた本を探しています。
日本美術、西洋美術、それぞれ文献探しています。
宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

いきなり妙な例から入りますが、手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」が思いつきます。

奈良仏教が国家宗教だった時代を的確にとらえており、入門としては分かり易いでしょう。そもそも、仏像を作るという習慣は初期の仏教にはなく、アレキサンダー大王がギリシャ文化を中央アジアやインドに持ち込んだことによって、ギリシャの写実風彫刻や布のひだの表現が仏教と融合して、初めて仏像が作られるようになったのです。

奈良仏教について知りたければ、書店の冠婚葬祭のコーナーに行き、真言宗の本を買えば良いでしょう。また、サブカルチャー系の本で、立川流を紹介している本がないか、探してみることをお奨めします。

真言宗は、本尊はブッダよりも偉いという大日如来なる謎のキャラクターであり、布教のためなら神道の習慣を取り入れるのをためらわず、儒教的な実践倫理も需要し、かつ、その本質は密教であり、悟りを得るには秘密の神秘体験が必要であると説く、何でもありの宗教です。真言宗は国家仏教となり、日本中に国分寺が作られるわけですが、弘法大師が徳島出身であることから、西日本出身の家系には、真言宗が多い傾向があります。他方、東日本の家系では鎌倉仏教の登場により、真言宗が失われている傾向があります。

真言宗は、葬式の時に塩をまくという習慣を神道から取り入れているほか、さかきの葉で死者に水をのませたり、何回忌かごとに別々のキャラクターが出てきて成仏のためのプロセスを進めていくという法事のスタイルをとります。これが、中国語でも日本語でもなく、もろにサンスクリット語の名前なのです。「オン・マイタレイヤ」とか聞くと、「おお、上祐史浩正大師!」と思って、法事中でも笑いをこらえるのが困難になります。

真言は密教なので、秘密の神秘体験をした者だけが修行の成就者であるという考え方を持ち、その教義の本質は、なかなか分かりません。曼荼羅と呼ばれる独特の絵を描きますが、これは、統合失調症のアウトサイダー・アーティストであるアドルフ・ヴェルフリの作風と合致していることが知られています。苦行の果てに、統合失調症なみの体験をした人だけが、成就者であるという考え方になっているのでしょう。

また、真言には立川流という異端的な一派があり、ようはこれは、Sex教団です。個人的には、私は真言宗を仏教と認めていません。あれはヒンズー教です。

芸術が再び重要な社会的機能を果たすようになるのは、足利幕府の時代です。幕府が京都にあった以上、武家といえども公卿との交流が日常的に発生していたからです。足利将軍家には酒飲みの早死にという傾向が強く、政治的には不安定な時代を迎えることになりますが、銀閣の書院造り様式が現在の日本建築の基本であること(畳が全面に敷かれている)、水墨画が高度に発達すること、庭園作りの理論が高度化すること、能が発達し理論書である「花伝書」が出るなど、現代の日本につながる芸術が、次々と生まれていきます。この傾向は八代目将軍・義政の時期に頂点に達し、義政はほとんど政治を行わないという、芸術の趣味人になってしまいます。そこで、夫人の日野富子が、苦しい幕府の財政を支え、女性的な感性で公家社会との洗練された良好な関係を維持するため活躍するのですが、彼女の政策であった関所に税金をかけるという制度は商人の間で評判が悪く、金儲けばかりを考えている悪女というイメージが定着してしまいました。日野富子は、本来、はるかに評価の難しい人物です。これについては、日野富子について書いた新書が存在します。「日野富子 戦う女の肖像」とかの題名だったと記憶しています。

江戸時代の芸術については、士農工商という身分制度と、米を通貨の基準とする貨幣制度の下で、せっかく発達した町人文化を幕府が押さえ込もうとした傾向があります。江戸時代の武家による改革は、どれも、旧体制を維持しようというもので、基本的には最初の吉宗の改革以外は、すべて失敗です。士農工商と言っても現実には農業技術の向上や消費経済の発達で、町人のほうが武家よりも金持ちであり、多くの大名が商人からの借金で生活を成り立たせていました。また、農業技術の発達で米の値段が下がっていたため、米を単位にした報酬を受けている武家の生活が苦しくなるのは当然のことです。3大改革最初の吉宗の時代には、米の価格をいかにコントロールするかということに集中して取り組み、一応の成功をおさめたのですが、問題の根本的解決にはなりませんでした。そして、田沼意次が、これからは商業を発達させ、町人からも税金をとるという手法をとらないと体制が持たないという近代的な経済思想に到達していたにもかかわらず、当時の武士は彼の思想を理解できず、商人と結託しているからには汚職政治家に違いないという理由で、彼を失脚させてしまったわけです。これ以降、歌舞伎を廃止したりぜいたく品の売買を取り締まったりという復古的な改革が続きますが、すべて失敗。発達した商工業による芸術文化の登場という事態を、武士が正しく理解できなくなっていたわけであり、江戸幕府の体制が抱える根本的な矛盾を直すことなく、ペリー来航を迎えることとなります。

話をヨーロッパに向けると、話をどこまでさかのぼれば良いのかという問題がありますが、とりあえず、ローマから始めます。

ローマはもともと多神教の国家で、小都市からスタートし、地中海すべてを支配する大国家に成長しました。その過程で、小都市向けの直接民主制はもはや機能せず、帝政への移行が必然的に発生するのですが、帝政と言っても、皇帝の地位は血筋だけで決まるわけではなく、元老院の認可をもって決まるため、世襲君主というイメージがそぐわない時も、多々あります。

ローマが民主制から帝政に移行するころに活躍したのが、エジプトの女王、クレオパトラです。有名な人なので、いくらでも資料は見つかるでしょう。クレオパトラはアフリカに住んでいましたが、人種はギリシャ人です。また、クレオパトラの本を読むにあたっては、宗教的権威を利用した国家統制がいかに有効なものであるか、ローマよりもエジプトのほうが宗教芸術の使い方がどれだけ巧みであるかという点に着目しましょう。

ローマは、属州の神々を柔軟に受け入れていきます。このあたりの事情は、「ローマ帝国愚帝列伝」という本に詳しいです。内容は、タイトルのまんまのものです。ローマを含む地中海文明においては、神の像を作ることは、ごく普通に見られた慣習であり、ローマは様々な他民族の神を取り入れて生きます。しかし、受け入れることの出来なかった宗教もあり、これについては、上記の本に、ローマ皇帝史上で最大の変態と言われるエラガバルスの紹介がありますので、参照ください。

ローマがどうしても受け入れることが出来なかった宗教の代表格は、ユダヤ教です。ユダヤ人は選民意識を持ち、自分達は特別な存在だと信じているほか、偶像崇拝の禁止などの教義を持つので、大国家ローマの中では異端的存在と見なされざるを得なかったのです。また、ユダヤ教こそが、今日にまで残る、男子のペニスの包皮を切り取るという割礼の儀式を全面的に打ち出した宗教であり、ローマ人はこれを、不気味な悪習だと思っていました。ユダヤ人は期を捕らえては、奴隷や使用人や捨て子に割礼を施そうとするため、ローマから「割礼はユダヤ人の間だけでやっていろ。他の民族に強制することは許さん」という命令を、たびたび食らっていました。

ユダヤ教から派生したキリスト教が、ローマで成功をおさめた理由のひとつに、早い段階で「割礼の儀式は不要である」と宣言したことが上げられます。これにより、ギリシャ・ローマ文化になじんでいる人にも、キリスト教への改宗が容易になりました。キリスト教は、識字率の低い時代においては絵画こそが信徒への布教に役立つものであるという立場をとり、教会絵画を発達させました。同時に、賛美歌も教会音楽から派生し、現在の音楽の源流となっています。ルターによる聖書の現地語版が登場するよりはるか昔から、キリスト教が広まっていたのは、芸術を使いこなしていたからです。キリスト教芸術については、それ以外にも、ステンドグラスや教会建築などがあります。お奨めの本は「西欧絵画の主題物語」シリーズです。これは絵しかカバーしていないので、建築や音楽の歴史の本も探してみましょう。

ローマ帝国が東西に分割されると、東ローマはギリシャ化が進み、公用語もギリシャ語に切り替わります。東ローマの芸術に興味があれば、トルコのイスタンブールについての観光ガイドなどが役に立ちます。モザイク画とよばれる小さな石の埋め込みで絵を書く技法については、イスタンブールに今でも残っている「アヤ・ソフィア」という建物が、重要な意味を持っています。もともと東ローマの首都だったコンスタンチノープルをオスマントルコが制服した後、アヤソフィアはギリシャ正教会の建物からイスラムのモスクに改宗されるのですが、ここには見事なモザイク画があります。コンスタンティヌス帝が首都を、ユスティニアヌス帝が教会を、キリスト教にささげているという絵です。観光コースの最後にあります。皇帝の権威を宗教的芸術で強調するという、ありがちなパターンです。また、絵画については、イコンと呼ばれる独自のスタイルが発達します。写実性は低く、むしろインパクトを狙った作風が特徴です。

西ローマ帝国は早い段階で滅亡し、ギリシャ・ローマ系の文化は失われます。中世は暗黒時代とまで呼ばれ、かつての文明の深さは忘れられていくのですが、ルネサンスの時期を迎えると、ギリシャ・ローマ文化の深さが再認識されます。レオナルド・ダ・ビンチなどに典型的ですが、人体の構造について解剖学的な知識を持っており、どういうポーズをとるとどの筋肉が盛り上がるとか、どこそこの関節はどこまでなら曲げられるが、それ以上曲げると脱臼するとかいった知識を持っていたわけです。この時期の絵画は、古典主義といわれます。古典主義とは、ギリシャ・ローマの文化を理想視するものという意味です。例えば、システィーナ大聖堂に派手な絵を書いたのはミケランジェロですが、古典主義芸術はキリスト教の権威づけに、大いに活躍したわけです。

芸術がもつ社会的影響について言えば、ヒトラーが表現主義と呼ばれるタイプの絵画を「退廃芸術」と位置づけ、排斥したことが知られています。ドイツ表現主義の代表者としては、パウル・クレーが日本では著名であり、そのほか、カンディンスキーが大物として有名です。ヒトラーは自分自身が絵描きだったこともあり、人間の内面性や原始的な感情の表出を特徴とする表現主義を嫌い、写実派の絵のほうを好んだという事情を考える必要があります。表現主義は日本ではあまり人気がないのですが、表現主義expressionismが、印象主義 impressionismの対概念であることを忘れてはならないと思います。よい参考文献が思いつかないのも、日本ではマイナー系だからでしょう。あえて言えば、世田谷美術館が行った企画展示のカタログ『パラレル・ヴィジョン―20世紀美術とアウトサイダー・アート』が一番すぐれています。表現主義だけではなく、曼荼羅や、シュールレアリズムや、フロイト理論など、盛りだくさんの内容で、価格分の価値がある本です。
http://outsiderart.ld.infoseek.co.jp/Bunken-inde …
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この回答へのお礼

harepandaさん
回答ありがとうございます。
とても楽しく読ませて頂きました。
これを手がかりに更に視野を広げていきたいと思います。

同じ観点で音楽史について書かれた文献などもご存知でしたら是非教えて頂きたいです。宜しくお願いします。

お礼日時:2008/06/29 16:50

芸術は


神に奉仕
王侯貴族に奉仕
金持ちと特殊な階級に奉仕
軍部に奉仕
市民に奉仕
大体以上の順ですね。
芸術家に金を払ったのは誰か?を考えていけばいいのでは?
ミケランジェロとユリウス2世の確執を描いた映画『華麗なる激情』がおすすめ、日本映画はあまり芸術家を描いていませんが『千利休 本覚坊遺文』あたりでしょうか。

文献は「芸術と社会」で検索すれば一杯出てくるのでは?

『カリガリからヒットラーまで』せりか書房
ヴァルター・ベンヤミンの一連の著作も面白いです。
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この回答へのお礼

ismaelさん。
回答ありがとうございます。
文献と共に考え方や検索方法も参考にさせて頂きます。

お礼日時:2008/07/03 19:29

http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%9D …
井上靖の作品で、中国唐の時代あたりの文化がどう伝わったかとか、勉強になると思います。

http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%B0 … 
色々な日本の歴史小説の解説文

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/homepage.html
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この回答へのお礼

cianさん。回答ありがとうございます。
紹介してくださった文献、拝見させて頂きます。

お礼日時:2008/07/03 19:25

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