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ピラミッドは、外壁の化粧岩がなくなってぎざぎざな姿になってしまい、古墳は放置され森林のようになってしまいました。なぜ、古来から大切に崇め整備しようとしなくなってしまったのでしょうか?特に古墳が日の目を見るのは、近代歴史学が勃興して以降しかないのでしょうか?

A 回答 (1件)

>古来から大切に崇め整備しようとしなくなってしまったのでしょうか?



実際のところ、古墳は豪族の長の墓です。
豪族の長は、戦いに敗れたり勢力が衰えると「墓も無縁墓地化」します。
祭祀継承者が途絶えると、単なる無縁墓ですから管理をする者が居なくなります。無関係の赤の他人の墓は、誰も管理しないでしよう。
結果、荒廃するのです。
平城京造営工事では、多くの前方後円墳・方墳・円墳を破壊しています。
戦国時代には、城郭・砦になっています。また、石棺は、城郭の石垣になっています。
大阪の陣での、茶臼山古墳は家康?の本陣になってました。

>特に古墳が日の目を見るのは、近代歴史学が勃興して以降しかないのでしょうか?

その通りですね。
幕末までは、墳墓はただの丘であり、環濠は農業用水に過ぎませんでした。
幕末、各藩では尊皇思想により「朝廷側の心象を良くする目的で、古墳の大改修」を行なっています。
伝○○天皇陵も例外ではありません。
某藩では、方墳を前方後円墳に大改修していますよ。
明治になってからも、国家神道・天皇制の観点から円墳・方墳を前方後円墳に大改修を行なっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かに、古墳は天皇陵だけでなく、豪族地方族長の墓というのが主流だったわけですから、当然その権力が堕ちれば誰も省みないということなんです。よくわかります。平城京の時代にすでに過去遺物的に成り下がっていたようですね。
明治維新は、思想的に急激に皇道ということを唱え始めたものなんですね。それで、本当に古墳も掘り起こしていくというのは、たいしたイデオロギーの徹底です。

お礼日時:2008/07/31 07:37

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