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こんにちは。
ちょっと質問したいことがあります。
「運」とは何か?



最近ネット上でなぜかよく「人生の9割は(10割と言う方も)運である」というものを見ます
しかしながら、これらの議論はそもそもの「運」の定義をはっきりしないと答えには辿り着けません。
そこで調べても出てこない「運の定義」を教えてもらいたいのです
私が思うところの定義を述べますと次のうちの2つです

・因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、その解析を放棄した際に使われる逃げの表現

・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ


上のは起こった事、つまり過去に対して使われる表現で、下はこれから起こる未来への使い方。
どちらが正しいのかどちらも違うのか、はたまたどちらもあっているのか…
教えていただけないでしょうか?


参考までに「運」の使い方参考例(使っている側の認識違いも大いに考えられますが、あくまで参考程度に)

・宝くじで1等あたったよー。いやー運が良かった!!

・私は敵本陣に突っ込む!!どうなるかは天に運をゆだねよう!!!

・まさか君とあいつが知り合いだったとは。いやぁ運が良かった


等々。。。。。

A 回答 (19件中1~10件)

自分にとって悪いことが起きれば不運だなーと思うと思います。

良いことが起これば運がいいなーと思うと思います。つまり運とは自分に対して起きた事柄を表現する時や、感じる時の代名詞か一種の形容詞のような物と思います。運と言う漢字は、運ぶと言う意味合いが含まれていると思うので、何かの運びが上手くいった、上手くいかなかった。そんな感じの意味合いで無いでしょうか?誰でも最近運がいいなー、最近ついてるなー、最近ついてないなー、最近悪いことばかり起きるなーなんて喜んだり、ぼやいたりすると思いますが、幸運、不運は、恐らく順序良くくる物でなく、発生に偏りが有り発生をコントロールできない物かと誰でも思うと思います。
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自分の今までにおける良い行いの積み重ね。


これを徳とし、運が良くなったりします。

また運勢や、占いも様々な物があり、思考能力によって変化します。
要するに信じないか信じるか。

悪運や、因果など様々なものがこの世にあり、偶然によって成り立っているとも言うコトが出来るこの世において、運は非常に大きな力を持つ要素だといえると思います。

いわゆる「目に見えない力」ですね。
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no13です。


>・因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、その解析を放棄した際に使われる逃げの表現(の一つ)>

この中の「因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて」ここの部分ですが、多少引っ掛かりました、「ある生起事象に対して人間が因果系列だと感じる中に含まれていないように感じる生起事象」というのが正確だと思います。hakobuluさんは偶然は「事象そのものだ」と言っていますが、正確には人間が絡んでくると思います。事象そのものの場合no16さんの仰る数学的表現に起因しているので「偶然」とは言い難いと思います。(数学的表現にあれば別ですが)
なので結果人間がそう感じて初めて偶然と呼ぶ事が出来ると思います。
もしこれが意味が出てくるとシンクロニシティー(意味のある偶然の一致)になります。なのでシンクロニシティーはある種日々何気に起こっていますね。
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No.13の方の説明になぞらえて解釈します。



理論的/心理的の違い
蜘蛛の「説明」をするとき「昆虫に似た八本の足を持つ節足動物」と「説明」できます。でも、蜘蛛の「定義」をしたいときは、昆虫に似たという説明のしかたは、間違っているのです。
でも蜘蛛を「虫みたいな」と言いたくなる心情もある。=説明と定義の違い。

昆虫という言葉には、はっきりとした定義があり、昆虫という言葉をどうしても使いたいときは・・・

蜘蛛の概観に関して述べると
昆虫が節足動物であるという限りにおいて、視覚的に昆虫と類似した点があり、節より肢足が、伸びているが、4対の肢足が、起源的には、4節分であった胸部より伸びるという異なった構造が、発展形成された。歴史的には、胸部起源に関し、3節分が想定される昆虫と取り違えられることが、あった。と説明的に結び付けるしかないのです。

権威主義・決定論の安易な受け入れ

最近では、運を述べる際、どうしても
「偶然とはちょっと違うんだが偶然みたいなもの」・・・という表現を避けて通ることができなくなってきました。

では、偶然という言葉を「何が何でも説明に使いたい」のはなぜでしょう? その答えが、決定論/心理学の存在です。

漠然とした偶然と「偶然」自体は、まったく別物。「漠然とした偶然」は迷信。偶然は普通数学的偶然。人という生き物が、世俗では、「体系的に思考」しなくなってきたということが背景としてあります。表層的権威に頼って思考を中断する。断片的思考に終始する。原因は、漠然とした不安と孤独(占い師の寸劇参照のこと)。その漠然とした不安・孤独に付け込んでお金を稼ぐ人間/他人にえらそうにする/権威を振りかざすものがいるのもお忘れなく。

「何らかの利(害)が関与している偶然」 =心理学的に述べた偶然自体のことです。つまり擬似的偶然・漠然とした偶然。

自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ:運の場合もあるでしょうが、普通「擬似的偶然」のこと。
(運に似た、現実には存在しない仮説的偶然=心理イメージともいえる)

重要:
人の意志を越えて幸不幸を支配する存在=運
おじいちゃんおばあちゃんは、この一文で納得してしまうのです・・・

経済(学)的の説明)
幸不幸を何らかの利害と読みかえるやり方が、経済学的なのです。また、ページ数の上限が限られていること等を「経済学的」と表現して暗に示したつもりでした。


懐古的権威主義)
>因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、
>その解析を放棄した際に使われる逃げの表現(の一つ)

何から逃げているのかというと、世の中には、もともと心理的意義・意味をもたない「(数学的)偶然」という言葉が、その本来の意味を捻じ曲げて「心理的」に使われるのですが、「心理的偶然」というのは存在しません。(背景としては、「数学」への手放しの権威主義が存在する)

偶然は偶然。価値論・主観が入り込む余地はないのです。

漠然とした偶然というのは、偶然の定義に、「人心」という要素の入り込む隙間がないにもかかわらず、強引に詰め込んでしまう、数学的諸前提無視のやり方なのです。

漠然とした偶然は存在しないのです。
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#11です。


>そうか運が悪いという使い方もあった!!!
:\(^^)/
>いやまてまて。おかしいでしょ
:・・・(-_-;)

>「悪い」がどう考えても否定の役割ですから
>「利」だけでもいいのですが、(「運」自体が)「害」の場合も想定しているということ
には当てはまりませんよね?
:この箇所に『(「運」自体が)』と補足されていますが、私の伝え方が不十分であったのだろうと思います。

1、私の答えは「何らかの利(害)が関与している偶然」です。
つまり、利や害が関与している対象は「偶然」であって、「運自体」ではありません。

2、ですから、「(害)ってなんですかこれ」というご質問は、
「害が関与している偶然ってどんな偶然ですか」という意味に受け取りました。

3、しかし、
「あらあら なんて運が悪いんでしょ。」
と「運」という字を含む会話文にすぐ続けて、
『「利」だけでもいいのですが、「害」の場合も想定しているということを、()をつけることによって補足的であることを示しつつ記したというわけです。』
という結論を述べていたために、「利」や「害」の対象が「運」だという誤解を招きやすい不十分な日本語の文になっていると思います。

4、『このように、必ずしも利する偶然ばかりではないために、「害」の場合も想定しているということを、()をつけることによって補足的であることを示しつつ記したというわけです。』
などのように表現すべきであったと思います。

私は、伝え方が下手だとよく恋人に言われるのですが、とても勉強になりました。
他人の意見をいい加減にわかったつもりにせず、粘り強く理解しようとするheygibsonさんの誠意に敬意を表明しておきます。
 
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この回答へのお礼

ああなるほど分かりました分かりました。

私の勘違いも大きいですね。
悪いは否定的でも意味を逆にするわけではないですよね。

つまり、「運」はいい方向に転ぶかもしれないし、悪い方向に転ぶかもしれない。と。

ある偶然があって、それに(主観的にですが)プラスかマイナスが加わったとき、つまり利害が発生したときに「運」を使う。
だから「何らかの利(害)が関与している偶然」
だと。

こう……ですね?今回は私の完敗です
またどこかで会いましょう。ありがとう


いやしかし恋人とは羨ましい

お礼日時:2008/08/05 13:23

kaitara1ですが、定義というのは、少なくとも立場や価値基準が変わっても一定の納得ができるものだと思っています。

運は良し悪しが立場や価値基準で全く別のものになってしまいます。そういう言葉は定義できないのかとも思います。たとえば過去にあった戦争の勝敗を歴史家の立場から考えた場合、運というものは消えてしまってはいないでしょうか。このような意味で確率のようなものを入れないと{定義」できないのではないかと思いました。

この回答への補足

ありがとうございます。

>運は良し悪しが立場や価値基準で全く別のものになってしまいます。
このような場合には定義内に「主観的な~」とかをつけると補えると思うのですがどうでしょうか?

補足日時:2008/08/05 13:51
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hakobuluさんとのやり取りが壮絶なのでつい全部読んでしまいましたw


(暇だなー俺w)
心理的表現と理論的表現の違いというだけの話だと思いますが、まず「運」という言葉自体どのように捉えれば良いのかという話から始めないけません。まず辞書的に言えば、「人の意志を越えて幸不幸を支配する存在」と書いてあります。この定義に乗っ取ればhakobuluさんの意見が妥当だと思います。ただあなたの仰りたい事は人間の損得関係ではなく人間の意志を越えて支配している側と人間の干渉関係はどうなっているのか?ということですね、そうなった場合あなたの仰る

・因果関係の解析が困難、又は不可能なものにおいて、その解析を放棄した際に使われる逃げの表現(の一つ)

・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ

で良いように思います。
ただこの場合言葉の表現としては「運」ではなく「偶然」と表現するべきでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございますw

そのhakobuluさんとのぎろんで、こういう結論(ともいえるのか…)が出ました。

つまり
>ただこの場合言葉の表現としては「運」ではなく「偶然」と表現するべきでしょうね。

とあるように、
>・自分の予期せぬことより干渉してくる予測不可能なモノ

だと偶然のことになってしまいかねないので、「+利害の発生」を加えることで一応の議論の末の結論となっています。
あ、この結論とは私とhakobuluさんとの議論のって意味なのでまだまだ改善もしくは全く違うものにできるかもしれません

ありがとうございました!

お礼日時:2008/08/05 13:49

補足2 収拾がつかなくなるといけないので補足します。



定義的に、「意図」と「現象」ということでしか
締めくくることができないと思います。

利害ということについていうと)
世の中で起きる全ての現象を、(経済学的コンテクストの中で、)利害関係から説明できますので、その意味では、「利」が関係してくるといえますが、この説明を使うと、辞書に載っている全ての用語に「利害関係から推し量った意味合い」を書き加えなければならず、定義としては、不必要な議論といえます。というのも、全ての重要な概念についてXX心理学/XX哲学/XX教育学/XX経済学ということが考えられるので、この全ての観点を辞書に取りこまなけらばならないとすると、
(経済学的に)建設的ではありません。

では、何が重要かを、たちかえって、考えて見ます。

或る人ここでは、便宜的に田中さん(仮名)としましょう、が
未来に不安を感じました。
そこで、占い師に占ってもらうことを思いつきました。

田中「あのおう・・・すみません。私の運勢を占ってもらいたいのですが。」

占い師「そうじゃなあ、どれどれ・・・
     金運があがっておるな。近々いいことがあるじゃろうて。」

その数日後、田中さんの所持している株が高騰します。

田中「占いが当たったぞ!運はある!」

さて一番得をしたのは誰でしょう?

可能性(1)=全ての運命が決定している場合
全てのプロセスは、それが始まる前から、すでに決定されていたはずですから、誰が得をしたということはいえません。占い師が予言をしていなかったとしても、株価の上昇は、計画されていたことになるからです。

「決定」ということについて言うと、運命の神/占い師は、運命的決定事項について情報を持っているということにもなります。(占い師のところへ行くこと自体もあらかじめプログラミングされていた)

可能性(2)=漠然とした「偶然」を受け入れる場合
全ては偶然。全てが偶然であったとしても、占い師のところへいって株の高騰という現象が起こったことは、歴史的事実となるでしょう。もし占い師に料金を払っていたとしたら、個人の判断としては、占い師のところへ行かないというオプションはあったので、正直「得」をしたのは、偶然にも客にありついた占い師だけということになります。

ここでも、「運」という言葉を使った場合、偶然の結果へ何らかのアプローチができるの存在が、想定されているということをお忘れなく。

いずれにしても、一番損をしないやり方は、(料金を伴う)占い師のところへは行かないということです。

「無気力」・「他力本願」・「どうにもならない」という考えは、質問者の述べる「90パーセントから100パーセント運」という世俗的考えとも直接関係してきます。世の人々の無気力の原因は、迷信(決定論重視の立場)を信じることから来る無力感なのです。

また、全ての定義には言葉の「シカケ」が存在することも併記しておきます。

この回答への補足

毎度毎度ありがとうございます!!

>世の中で起きる全ての現象を、(経済学的コンテクストの中で、)利害関係から説明できますので、その意味では、「利」が関係してくる~

とありますが、これは経済学的コンテクストで考えるからそうなるのでは?
つまり、私はわざわざ経済学的な視点に絞る意味がわからないのです。

その点の説明、お願いできますでしょうか?


>可能性(1)=全ての運命が決定している場合
わたしは、人間が未来を読めない(これから起こる単純な予測の範囲では処理しきれない事において)以上、運命の決定というのは無視せざるをえないと思います


>可能性(2)=漠然とした「偶然」を受け入れる場合
これが人間が「運」をつかうときの心理だと思います。
やはり定義には偶然を入れるべきかもしれませんね

補足日時:2008/08/05 13:54
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#8です。



>(害)ってなんですかこれ
:あ、これね。
う~んと、たとえば、
「え~ん」
「坊や どうしたの?」
「えっとね 今あんぱんを買ってきたら あんこ が入ってないの。え~ん。」
「あらあら なんて運が悪いんでしょ。」
とかいう場合ですかね。

「利」だけでもいいのですが、「害」の場合も想定しているということを、()をつけることによって補足的であることを示しつつ記したというわけです。
 
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この回答へのお礼

そうか運が悪いという使い方もあった!!!

いやまてまて。おかしいでしょ
文章を分解すると「運」+「悪い」

「悪い」がどう考えても否定の役割ですから
>「利」だけでもいいのですが、(「運」自体が)「害」の場合も想定しているということ

には当てはまりませんよね?定義なのではっきりしたほうが良い

私には「運」そのものが悪いものに当てはまるような使い方は思いつきませんが…

お礼日時:2008/08/05 02:41

因果関係がすぐには分からないことや予測がたてにくいことについて、自分(または他人)の利益や願いなどと関連づけて考えるとらえ方のこと。

この回答への補足

ありがとうございます!!

つまり過去にも未来にも使えると言うことでしょうか?
それと、広辞苑とかには定義は載ってないのでしょうかねえ…

補足日時:2008/08/05 01:41
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