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次元上昇など、アセンションとか、この世がもっと良くなるようにと願う人達が今結構いると思います。

ある意味裕福な階層の人達だと思いますが、この世が色々と嫌なことや、どうにもならないこと、もうずっと同じことの繰り返しに気付きそこから抜けられないことへの抵抗だと思うのですが、結局この世はもうずっとこのままなのだそうです。
大きく良くなることはないという。

世の中をもっと良くしようというのは人として良いことだと思うのですが、結局良くなってはまずい世の中の都合もあります。

なら些細な身の回りの出来事をコツコツ良いように徳を積み上げていき、自らを幸せにする。
それで果たして良いのでしょうか?

A 回答 (4件)

>この世がもっと良くなるようにと願う人達が今結構いると思います。


いつの時代にもいらっしゃいます。
興味を抱いたから、「今」結構いる。ということだと思います。

>ある意味裕福な階層の人達だと思いますが
経済的な豊かさということですか?
心の豊かさということですか?
何を善とするかの基準により違ってくるのでは?

>結局良くなってはまずい世の中の都合もあります。
具体的にどういった事柄ですか?
良い悪いは、誰の判断によるものなのですか?

>些細な身の回りの出来事をコツコツ良いように徳を積み上げていき、自らを幸せにする。
あなたの思う幸せとは何なのですか?
コツコツと徳を積み上げていかなければ幸せになれないのですか?
その行為に苦痛を感じませんか?
自発的にできないのですか?
無償の愛とはそういうものなのですか?

>それで果たして良いのでしょうか?
自分の中にすでに答えがあるのに人に聞く意味はなんですか?
悪いです。と言われて変わるおつもりなんですか?

あなたが生きるということは、選挙で一票を投じるのと同じことです。
自分の思う良い世界にしようとしたら、そのように生きてください。
自発的な行動で笑顔や感謝の気持ちが連鎖的に増えれば、あなたの属している世界は変わります。
次元上昇などアヤシゲな言葉は不要です。

この回答への補足

回答有難うございました。
もし宜しければ建設的なご意見をお願いいたします。

それで真価を判断させてください。

ご無理を言って申し訳ありません。

補足日時:2008/08/12 23:40
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この回答へのお礼

いえ時代により、人々が共通して思う思想があり、
こういうことを思う人が今多いということです。

今はちょっと旧いですけど。

両方です。
漠然と裕福ということです。
ちょっと皮肉もあります。

兄弟や夫婦で言うと、片方が陽とすると片方が陰になるように、片方が頑張りすぎると片方が割りを食います。
良すぎると、誰かが陰を背負うということです。
人間はそういうものらしいです。

表現が悪かったのだと思いますが、まあ世の中をより良くしたいと言う事です。それが一応自分の幸せというか目標です。
なれないところもあるしなれるところもあります。
感じません。
できます。
おおよそ違います。

人の意見を聞いて高めていく為です。
答えはおおよそで定まってはいません。
悪いといわれれば変えます。

世の中に対して一票ということですか?
ならば努力すれば一票を巨大にすることも、100票集めることもできるのでは?
自分の思う良い世界にしたいのではなく生きて行きたいのです。
どんなカタチでもかまいません。
面白ければなお結構です。

自分は次元上昇などないとわかったうえでなんとかならないかなぁと考えているところです。
次元上昇をしたいのではなく、より良い進歩新化したいなあと。

ぶっちゃければあーでもないこーでもないと考えたくて書き込んだ次第です。

お礼日時:2008/08/12 23:32

アセンションにご関心があるならば


占いカテゴリか、ライフその他カテゴリで質問なさったほうがよろしいと思う。
哲学的思考というものは、同じ土俵に乗ってははじまらない。
わたしたちに深い思索があるならば、アセンションの是非ではなく、アセンションを生み出す意識や想念に目が向く。
世界の設計や設定や構造についての約束、これは果たされようと果たされまいと、
透徹した思考、素直な知覚、柔軟な精神によってみちびかれることに意義があり、
わたしたちは約束に共鳴するのではなく、これらの思惟の営みに共鳴するのです。
それが浅薄であったり幻妄であったりする状態にもまた、鋭敏でなくてはならないのです。
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 良いのです。


 自己満足でかまわないでしょう。かまいますか?
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ところで、この世って何ですか。

世の中っていうのは。
この世が、と言うからには、どこからどこまで見てきたのでしょう。
世界の海陸をあまねく渡ったとか
あらゆる社会階級に身をおいたとか
千差万別の職業を遍歴したとか
いろんな国いろんな村、いろんな社会構造を知ったとか。
このモザイクのような緻緻とした都合の織物。縦糸の力も横糸の力も均等でないにもかかわらず引き裂かれない布のような。
それともこの世を俯瞰する視点を、体験しましたか。おそらく神秘的な。
情報の大渦のような混沌とした時空が脳になだれこんできて、この世だと覚ったとか。

ひょっとすると 身の回りの出来事、しか、知らないのではないですか。
問題は、世界ではなくて自分の変化、ではないのですか。
糸をたどれば、きっと遠く広く張り巡らされているものと交わっていくであろう、そういう世界が、時間の堆積が、
なぜ俯瞰図で得られるのですか。

そういう超大な世界に、不変であるものや移り変わるものがあるならば、
それは、あなたの目の前の小さな事柄の、不変であるものや移り変わるものと、
まったく同じありよう、同じことなのではないですか。

徳は積むものではなくて積まれるもの、と前に回答したことがあったなあ。
自らを幸せにするとか高めるとか、じつにおこがましくひとりよがりでしょ。
他のひとびとを幸せにして人から高めていただく。
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