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玄米と白米について質問なんですが、
いつごろから玄米(≠米)が食べられるようになったんですか?
年貢として納められる米は確か白米だったと思うのですが、
そうすると当時米を食べていた人たちは白米を食べていたわけですよね?
とすると玄米は食べていなかったのですか…?
けれど、江戸患いのことを考えると、白米を食べていたのは江戸で、ほかの地域では玄米を食べていたのかなという気もしますし…
精米の手間を考えれば、やはり玄米を食べていたと考えるのが筋かなと思います。
尤も多くの人は玄米ではなくヒエやアワを食べていたのでしょうが…

結局いつごろ玄米が食べられるようになったのですか?

A 回答 (4件)

これはたぶん発想が逆です。


稲作が始まった頃(紀元前:弥生時代)は玄米を食べていました。これは、考古学的な発掘調査ではっきりしています。

また、奈良・平安の頃の貴族の食事を見ると、「強飯」(こわいい)と言い、玄米を蒸したものが食べられていたことが分かります。それが平安中期頃から次第に固粥(かたかゆ)という水分を多くした現在の炊き方に近い米の食べ方が好まれるようになり、さらに姫飯(ひめいい)という精米して、炊いた米が食べられるようになったのです。

つまり、元々は玄米が普通に食べられており、それが段々白米に移行していったというのが事実でしょう。ただし、これは貴族の食事で鎌倉・室町時代の武士は玄米を普通に食べていたようです。もちろん庶民も同様です。

>年貢として納められる米は確か白米

いいえ、玄米です。ですから、江戸には米搗き屋という商売がありました。これは江戸中期頃から出たようですが、玄米を手間賃を取って搗いて精米する商売です。田舎の方では昭和30年代まで普通にありましたよ。

白米が全国で普通に食べられるようになったのは、明治末期です。もちろん、「江戸わずらい」という言葉がある通り、江戸では白米が普通でしたが、それは江戸という街だけの特殊な事情だからこそ「江戸」「わずらい」なのです。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
江戸には精米するところがあったんですね。

色々勉強になりました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/14 06:50

脚気について、調べてみてください。

江戸時代にも脚気で死ぬ人がいたそうですが、明治時代、陸軍や、学生で脚気で死ぬ人が多数いたため、医者、学者が研究したそうです。脚気で、二,3日でころりと死ぬので、「ころり」とよばれたそうです。「鈴木梅太郎」「オリザニン」などで検索してみてください。
ドイツから医学を学んで帰国した、森鴎外は、脚気という病気を知りませんでした。
図書館で、板倉きよのぶ著「模倣の時代」という本を読んでみてください。

僧侶は、午前4時ころ起きて、午後7時ころ寝るまで、一日2食、玄米のおにぎり1個とたくあん一切れで、一日に数十キロ歩いて暮らしてきたそうです。やせていて、精悍で、病気とは無縁のかんじです。呼吸法も、正しい呼吸法だと、結核にかかったひとが、呼吸法で治るそうです。もちろん、医者の指示で、薬を飲んだり、栄養をとることは必要ですが。

よい問題にめぐりあえましたね。問いと答えの間が、ながければ、実りもゆたかになるでしょう。お励みください。
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この回答へのお礼

鈴木梅太郎氏の話は色々と考えさせられるところがありますね。
農学者の冷遇、陸海軍の対立、発表の方法…
もっと鈴木氏の意見に耳を傾けていれば、陸海軍の対立がなければ、あるいはもっと別の方法で発表していれば
後の歴史も違っていたのかもしれませんね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/14 07:03

元々は白米ではなく玄米食だったのです。

現代でこそ白米中心の食生活ですが、縄文、弥生時代から始まる米食文化では長らく玄米が中心でした。玄米は白米に比べ栄養価が高く、「よく噛む」食生活でした。今のような完全精白米などのおいしい米を食べるようになったのは、明治以降のことなのです。以下のURLを参考にしてみてください。

  http://www.nozawa11.co.jp/delicious/index.html


玄米への復帰運動の流れについては、以下のURLを参考にしてみてください。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E7%B1%B3


『昭和初期以降、医師の二木謙三が玄米を完全食と呼び、健康のために玄米食を普及することに努めた。 1943年(昭和18年)ごろには大日本玄米連盟があり、1万人以上が加盟していた。

1942年(昭和17年)以降、大政翼賛会で国民を玄米に復帰させるとして議題となり、時の首相であった東條英機が玄米を常食していることも伝わり世論は玄米に傾いた。伝染病研究所の研究者らが玄米食について研究し12月の「医界週報」での報告では、玄米食によって小食になったうえ下痢も減り仕事の耐久力が上がり、医療費は1/17に減ったが炊飯に要する燃料は増加したと伝えたので、栄養学者も認めざるをえなくなった。 1945年(昭和20年)の「食生活指針」で、食べることを推奨された。』とあります。



  
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この回答へのお礼

wikipediaの玄米復帰運動の記事読ませていただきました。
実は戦時中から復帰運動があったんですね。
面白かったです。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/14 06:56

以前玄米菜食を志していたことがあり当時勉強した知識ですと、もともと日本では玄米が食べられており、平安時代ぐらいから貴族の間で精米したお米が食べられるようになり、室町から江戸時代に徐々に白米が広まったと聞いた記憶があります。

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この回答へのお礼

なるほど。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/14 06:46

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