【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

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1.僕は都会に住んでいるのですが、田舎ではまだ差別が
残っていると聞きます。本当でしょうか?現在でも差別を
受けつづけているのでしょうか?それとも、左翼系の活動
の理由として使われているだけでしょうか?

2.この人たちのことを語るのはいまだタブーでしょうか?
僕の印象としては、公の場でかたることはできるが、場の
雰囲気がぎこちなくなる。という感じです。


僕は、こういう人たちがまだもし存在するなら、土地を移動して
混血が進んで早く、なんだかわからないように曖昧になって
ほしいと願っています。

A 回答 (13件中1~10件)

差別のない都会にお住まいだそうですが、東北や北海道ですか?



被差別地域は東京にはたくさん点在しています。ただし、移転や縮小などが重なったせいか、非常に狭い地域が多いような気がします(特に23区内は)。私は両親とも東京出身です。両家とも曽祖父母の時代から東京都区部市部に住んでおりますので親族は遠縁も含めると100家族ほどになります。

転居や結婚の相談の際に親族間で話題に出ることがありますが、話題にのぼる地域には公共施設や公共住宅、道路などが建設されており、誰も住んでいないこともあります。政策的に住んでいた土地を追われ、集落ごと郊外に移転を余儀なくされた人々が居る反面、散り散りばらばらになった人たちも居るので、あなたの言う「曖昧になってきている」という一面は確かにあるかと思います。実際、親族の話や友人の話を聞くかぎり、近年、差別を超えたカップルが増えてきているように私は感じています。
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1.農村部に限らず、都会でも差別は残っております。

いや、むしろ農村部では、過疎化や不況の煽り等で減って来ている代わりに、都市部の方に被差別の人々が流出しており、かえって都市部の方で活発に問題意識が持たれて来ておりますよ。otafukutigerさんのおっしゃる通り、政治的な動機付けや経済的な利益のために維持され続けているケースも少なくありませんが、本当に差別や偏見を持たれている場合も少なくありません。

2.タブーな部分は少なからずありますよね。別に話してはいけないってこともないのでしょうが、新聞・テレビ・ラジオでも取り上げられることは稀であり、自治体の広報や社会教育・研修の一環として一方的に語られることが多いですからね。しかし差別撤廃というのに関して、目立った異論や反論を展開するというのも大義名分を立てられ難いところがありますので、深く追求する動機に欠けると感じ、簡単に流そうとする人が多いのだと思われます。

問題の解決は誰もが望んでいることですが、どのような形で解決していくのか、また、どのような状態をもって解決とするのか、まだまだ社会的に統一した指針は得られておらず、完全な廃止に結びつくのは時間がかかると思います。

問題が残ったままというのも、何だか腑に落ちずにイライラするかも知れませんが、世の中を良くしていこうとする真摯な気持ちを、マスコミの商業ペースに振り回されることなく、市民レベルで共有していく良い機会にしようなど、肯定的・建設的に問題を捉え、その他の数多くの社会問題にもこの経験を活かして行けるようにするのが賢明な判断といえるのではないでしょうか。
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#10の方の言い方は、問いに対する正に「偏見」があると思います。


あらゆる人間と人間との交配は、すべて混血なのです。
ある言葉を別の意味で更新することが悪いことでしょうか?
それが悪いことであるならば、#10の方は一言も言葉を発することができないはずです。
混血という言葉を民族単位でとらえる発想しか持たないということは、それだけ強く既存の差別にとらわれていることだとは言えないでしょうか。
モラリスティックなことを言う人は、しばしば最も差別的な要素を多分に含んではいないでしょうか。
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 この質問に対して回答するべきか、かなり迷いました。


まず、問題について語ると場の雰囲気がぎこちなくなると感じるそうですが
それは当然だと思います。
はっきり申し上げて、otafukutigerさんはこの問題についてきちんとした知識がありませんね。
そういう生半可な知識で知ったかぶりをする人を相手にするのは非常に疲れるから敬遠したくなります。
私は大阪市の小学校に通いました。当然都会です。
大阪はこの問題に対して力を入れて、副読本を使って教育をしていました。
最近はカリキュラムが減らされてどうなっているか知りませんが
「寝た子を起こすな」方式ではなくきちんと教えてもらったことはよかったと思っています。
その後も興味を持って関係する本を読んだりもしました。
その私でさえ、同和問題について公の場で語るのは避けたいです。
というのは、私自身は差別された経験がないため、差別を受けている人の気持ちがわからないからです。
知ったかぶりで相手の気持ちを傷つけるのではと心配になるからです。
それくらいデリケートな話題だと肝に銘じて、その場のメンバーをよく見た上で話題にしてください。

>こういう人たちがまだもし存在するなら、土地を移動して
>混血が進んで早く、なんだかわからないように曖昧になってほしいと願っています。

 大きな勘違いをされているようですが
確かに在日朝鮮人の方は民族が違いますから「混血」という表現もあると思いますが
被差別民と呼ばれている人たちは、私たちと同じ日本人なんですよ!
日本人同士が結婚して、どうして「混血」なんですか!!
あまりに無神経な言葉遣いだと思いますよ。
確かに、始まりは職業のせいだったり罪を犯したりしたからだったかもしれませんが
今のご時世に、自分が江戸時代に武士だったか農民だったかを知っている人が何人くらいいるでしょうか?
士農工商の身分制度はすっかり廃止になっているというのに
なぜその下のエタ、だけは変わらずにさげすまれて生きなければいけないのでしょうか。
本当におかしいと思います。

 また、土地を移動すれば、とお考えのようですが
出身であることを隠すために、都会に居住している人たちも多いでしょう。
otafukutigerさんは都会に住んでいるから関係がないと思っているのかもしれませんが
それはただ、昔から住んでいる人が少ないから誰も教えてくれないというだけのことではないでしょうか。
彼女とは家族ぐるみの付き合いで、あちらのご両親ともうまくやっていた。
結婚の申し込みをしたときも喜んでくれたのに
次に家に遊びに行ったら怖い顔をして「大事な娘をおまえにはやれない!」と言われて驚いた。
もしくは就職活動の結果、内定をもらったのに突然取り消されることが続いた。
そんなある日、お父さんとお母さんが硬い表情で「おまえに打ち明けることがある」と言い出すかもしれません。
つまりはotafukutigerさんだって被差別民である可能性はあるんですよ。
知らないだけなのかもしれません。
でも調べればすぐにわかりますから。
僕は一度だってに住んだことはないといっても、誰も聞き入れてはくれないはずです。
これが差別です。

 うちの田舎から甲子園で大活躍したピッチャーが出たことがあります。
みんなは、○○さん、すごいなあ、と尊敬のまなざしでしたが
うちのおじは「○○はエタの家だから」ととても気軽に口にしました。
うちのおじはごく普通の、田舎の気のいいおじさんです。
そんな話一度も聞いたことがなかったので驚いたとともに
大きな声では語られなくても、深いところで続いているんだなあとため息をつきました。 
とはいえ、それは20年くらい前の経験で
今では差別がどんなものかわからない人が増えたため、
そんな気持ちを持たない人ばかりになるのではないかと思っていたのですが
参考URLをごらんください。
東京で今でも差別は行われているのだそうです。
田舎じゃなく大都会東京で、ですよ。

 昔は差別問題について勉強するには図書館で本を読んだりする必要がありました。
今はインターネットのおかげで、ちょっと検索すれば簡単に知識が手に入るいい世の中です。
何もしないで、思ったことをすぐ口にしてはいけません。
人間の血に、いい血だとか悪い血だとかあるはずもないんです。
まず同和問題について理解した上で、エセ同和問題に移ってください。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/sabetu/ind …
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この回答へのお礼

はじめに「混血」という表現を使ったことを誤り、訂正したいと思います。
僕が言いたかったのは、その差別を受けていたという証拠が
できるだけ薄くなればいいなぁ。と、思ったからでした。
そして、僕が言っていることが偽善と思われたかもしれませんが、
普通に考えて差別などの問題があると人間関係が面倒になる。
人を蔑んだりするのは精神的に疲れる。できるだけ、平等なほうが
生きやすい。という、とても個人的で安易な発想から生じた
言葉でした。

todorokiさんのおっしゃるように、僕はまったく差別問題に
関する知識がないといっても過言ではありません。だから、
この質問をしました。
動機としては「ふとした、関心」です。
少しずつですが勉強をしていけたらなぁ。と思っています。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/12/12 00:37

...。

「混血」って、犬じゃないんだから...。

都会者も何もないでしょう...。
差別の何たるかは、冤罪にまで発展する問題です。
また、相手を自殺に追い込む事もありうることです。
貴方のそういう書き込みは、「差別」そのものと捉えてもおかしくありません...。

一切、同和教育を受けていない人もいるのかと、哀しくなりました。
 自分は、仮にも教育の一端を担っていますので...。
 臨時任用でではありますが、受け持った教え子の中には、「元・被差別地域在住者」も居ますよ!貴方のような人に、傷つけられるのだろうなと思うと、哀しい限りです。
 リンクは、「差別」で検索した時に出てくるサイトの中でわかりやすいだろう内容のモノです。
一度、その深刻さ根深さ『汚い権力者階層が作り上げた歴史的社会構造の負的遺産にすぎないもの』のおぞましさを考えてみて下さい。

参考URL:http://www.jca.apc.org/ncc-j/buraku.html
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No.4の方への返答についてのコメントです。



>平安時代はではどのように防衛をしていたのでしょうか?
>できたら教えてください。

答えを言ってしまうのは簡単なのですが、少し調べれば
わかることです。
下記の本を読んで下さい。

『逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎』
 井沢元彦/小学館文庫

文庫本なので買っても安いですし、立ち読みでも
十分調べられます。
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問題は私も詳しく知りませんが、発生の歴史については、


職業に着目した説を読んだ事があります。
 網野善彦著「中世的世界とは何だろうか」朝日選書
 p.p.103~111「聖」と「俗」の境で
問題と言うよりも、もっと一般的な差別の話の中で語られていますが、
聖別された特権階級であったなどが、差別されるようになる過程を
簡単に書いてありますので、図書館ででも読んでみてはいかがでしょうか。
この本によると、職業民の集住()などに江戸幕府が絡んで来るようです。

あと平安時代の朝廷による治安維持能力・実力支配能力(軍隊)は、
検非違使ぐらいであったため、地方では治安のための自衛の必要性と、
自治(朝廷から見ると反抗)への志向から、武士の勃興が起こったと
言われています。
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こんばんは。

私の出身の小学校ではそういったことの授業に力を入れてました。なぜかというと、学区に被差別地区というものがあったからです。不当な扱いを受けてた人たちがいたということを忘れてはいけないというのはわかりますが、授業でとりあげることで、そういう地区の存在を初めて知るのです。つまり授業でとりあげなければ、私達はそういった地区が身近にあることすらわからなかったのです。そういう惨い歴史を風化してはいけないというのもわかりますので、授業で扱う、扱わないはかなり難しい問題かもしれませんが。。
他の方のお礼で、どういうふうにして発生したのか?との問がありますが、
おっしゃってるように、士農工商の不満を回避するため、上を見るな下を見よ的な発想で作られたもののようです。職業が先ではありません。そういう階級を作った後に、その階級の人に人の嫌がるような職業を与えたようです。
前置きが長くなりましたが、

1.あくまで私の周りの狭い範囲ですが、若い世代ではないように思えますが、
まだひとつふたつ前の世代になるとこだわりがある人もいるようです。ある先生が授業中に実は私もその地区で生まれ育ったと涙ながらに語られたという話を聞き、その先生の涙を考えるといまだにそういう差別意識のようなものが完全になくなったわけではないんだなと考えさせられました。

2.タブーだと思います。例えば宗教の話だとか、他にも公の場で大声で話すような話ではないものはあると思いますが、それと同じだと思います。

そうですね。わからないように曖昧になっても良さそうな時代ですが、どれくらい世代が交代すればそういった時代になるんでしょうかね。。しかし、そういった差別があった時代というのは、まだそんな遠い昔というわけではないんですよね。いまだに階級制度や肌の色での差別がまかりとおってるような国もあることを考えると、文明が飛躍的に進んでも人の意識というのはなかなか変わらないものなのでしょうか?そういう人が人を階級づけるような卑しいことはなくならないのでしょうかね・・・
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この回答へのお礼

2についてですが、これから情報社会になり、さまざまな
個人情報が閲覧可能になると、そういう些細な差異が
目立つようになるような気がします。
たとえば、「高橋太郎」と検索すると、出身地や両親の
職業などわかってしまったりして。
調査会社などが作ったリストが流出して。

そんな気がしました。
いつまでたっても、人間は差異を見つけることに執拗で
あるような気がします。

お礼日時:2002/12/11 16:46

#1です。



私も社会学の専門家ではないので、まったく正確なことは言えませんが、日本は古くから農耕社会で、地主-小作の関係がGHQの農地改革まで長く続いたこともあり、貧弱な農地の極貧の小作層が被差別層に追いやられてしまった、ということが推論として浮かびます。また自作農であっても、地方の農村共同体では、水利権や田植え・稲刈りの共同作業など、一軒の農家の独力ではどうにも生きていけないような要素が付きまとうため、村の慣習を破った家族はご存知のとおり村八分となります。火事と葬式の二つを除いた徹底差別ですね。こういった要素が根強い差別-被差別の根源にあることは、そんなに外れていないんじゃないか、と思いますね。

#2の方の問題提起は、いわゆるエスニシティ問題ですね。エスニシティ研究は移民から構成されるアメリカでよく研究されたと聞きます。民族と職業が結びつき、職業と収入が結びつき、よって収入と教育が結びつくために、いつまで経っても貧しさから抜け出せない、という問題です。また、被差別的なコミュニティから出て行くこと自体が差別を受ける、という要因も強くあります。二重の差別ですね。村八分的に自分たちが差別されたのと同じ様式で、出て行こうとする人を差別するわけです。そんな状況下で出て行くことはすごく勇気の要ることです。自分の生まれ育ったルーツを絶つことは、精神的な切断を伴うと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「自分の生まれ育ったルーツを絶つことは、精神的な切断を伴う」
というところに興味を持ちました。

お礼日時:2002/12/11 16:40

私は、差別問題の現状は分かりませんが、


その発生の状況を簡単に述べますね。

日本の差別は、穢れ思想に基づくものです。
日本人は穢れというものを非常に恐れます。
その穢れの最大のものは、死と血です。
被差別階級の人達は、例えば太鼓や三味線(皮革製品)などを作ります。
これらは動物の皮をはいで作るもので、
彼らは日常的に「死と血」に接するわけで、それが差別の原因となります。

これらの差別が理不尽なのは、彼らが社会に必要な製品を作っているにもかかわらず、そのことで差別されると言う点ですね。
これがお米なら、苦労して作ってくれたお百姓さんに感謝しましょう、
となるのですが、皮革製品の場合は、感謝もされずに差別されてきたわけです。

確かに江戸幕府は、国民の反発を防ぐための分断策が上手でしたが、
差別問題に関しては、ずっと昔に遡ると思います。
例えば、平安時代には軍隊と呼ぶべきものがありませんでした。
軍隊というのも「死と血」触れる仕事ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日本の差別思想についての興味深い考察、ありがとうございます。

平安時代はではどのように防衛をしていたのでしょうか?
できたら教えてください。
よろしくお願いします。

お礼日時:2002/12/11 01:38

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