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かなり以前に、NHKラジオで「残しておきたいふるさと言葉」と言うコ―ナ―がありました、その中で取り上げられた言葉の一つです。
東北訛りだったように思います。年配の人が、お年寄りをいたわってこの言葉をかけているという場面でした。
「退屈していないか?」、「淋しくないか?」といったような意味だったと思います。
そこで思ったのですが、これは 『とぜんなくないか?』→『徒然なくないか?』ではないのか?
こう考えると、発音も、意味も合うように思うのですが?
如何でしょう。 

A 回答 (2件)

「若い衆がいなくなって、淋しいでしょう」を


熊本弁で言うと
「わかかもんが、いのうて、とぜん、なかか」
東北弁で言うと
「わげすたずす、どこさ、いって、とじぇですかいんか」

【とぜん】と【とじぇ】似ていますね。
ugakbtnsさまの【とじぇね】とも似ていますね。
日本国語大辞典に【徒然】の意味は
「なにもしないでじっとしている様」「退屈な様子」とあります。
ということは、【とじぇ】は【徒然】と同じ言葉で
形容詞で東北、福岡、熊本で使われている言葉で
「退屈、淋しい」という意味に間違いありません。
だからといって、何故、青森と福岡、熊本の言葉が似ているかは
私には理解できません(笑)。
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この回答へのお礼

ご回答 有難うございます
やはり二つの地方にあるのですか、不思議ですね。
そういえば松本清張の推理小説に、山陰のあるところに一箇所だけポツント東北弁を話す地方があるというのが、重要なテ-マになっているのがありましたね。

お礼日時:2002/12/18 23:32

おそらくそうでしょう。

「退屈だ」「つまらない」等の意味で,「とぜんない」「とぜんなか」「とぜんねえ」などの形容詞が使われる地域はかなりあったように思います。
九州など西日本に多かったような気がしますが,東北にもあるかもしれません。
古語の「つれづれなり」は,することもなく単調で退屈だ,所在ない,しんみりと寂しい,といったニュアンスで使われますので,その音読みから来ているものと思われます。
ところで,「とぜんない(なか)」とは,「徒然が無い」のではありません。反対に「徒然だ」という意味になります。
「ない(なか)」は,「徒然(つれづれ)なり」の形容動詞の語尾「なり」が残ったものでしょうか。
あるいは「甚だしい」「著しい」という意味の「なし」かもしれません。そちらなら,「徒然が著しい」「とってもヒマだ」ということになりますね。

専門家ではありませんし,手元に資料がないので,かなり怪しいです。間違っていたらごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご回答 有難うございます。
やはりそうだったのかと、一人悦にいっていましたが、その土地に人にすればあたりまえのことなのでしょうか、『徒然ないか』と手紙に書いていたりして。
高校で最初に出会ったとき、『つれづれ』がどうして『徒然』?
それが今度は、『徒然』がどうして『とぜん』?
という気持ちです。テストでそう解答したらペケだったでしょうね。
面白いような、誤用、誤読がは広まっていくような、変な感じですね。
それも、特定の地域の方言として、ポッコリ顔を出したようで。

お礼日時:2002/12/18 15:53

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