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日本語を勉強している学生です。今文章を読んでいます。わからないところがあります。助けてください。よろしくお願いいたします。次は読んでいる文章の一部分です。
 
 青春時代とは第二の誕生日である。自我の覚(かく)醒(せい)する日であるが、そのとき「われ」を誕生せしむる機(き)縁(えん)がすなわち邂逅である。書物でもいい。師匠でも友人でも恋人でもいい。だれに出会ったかということが重大だ。そして邂逅によって結ばれた友情に、私は人生の人生たる証(あかし)を見ようと思うのである。むろん友情とは単なる遊び仲間の交情という意味でなく、悩める魂(たましい)と魂との格闘による結合をいう。書物との関係も、私はこの関係において見る。邂逅と友情こそ人生の重大事ではなかろうか。
  もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はそうなっていたであろうと思うことがある。そこに生ずるのは謝念である

質問1 「もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はそうなっていたであろうと思うことがある。」というセンテンスの意味が分かりません。とくに「そう」何を指すのですか。

質問2「人生を人生たら占める機縁となるものは邂逅であり、邂逅の歓    喜あるところに人生の幸福がある。」というセンテンスも分か    りません。とくに「たらしめる」は現代語はどういったらいい    ですか。

A 回答 (5件)

おはようございます。



まず、質問2から回答します。

「たらしめる」というのは、現代語で簡単に言うと、「~にする」という意味です。

(例)
人間を人間たらしめる

これを単に、「人間を人間にする」と表現すると、意味が非常に浅くなってしまい、「たらしめる」の持つ深みがなくなってしまいます。ですので、「本来そのものが持つべき姿、ありかた、性質、本質、本分を持った、そのものがあるべき状態にする」ということです。従って、「人間を人間たらしめる」というのは、「人間を本来あるべき姿としての人間にする」という意味を持ちます。

質問1ですが、何度も何度も読みましたが、この日本文を引用するにあたって、引用すべきところを一部引用し忘れているか、あるいは引用が誤っているのではないかと考えられます。

この文の筆者は、
・自我の覚醒=「われ」を誕生せしむる機(き)縁(えん)がすなわち邂逅である
・だれに出会ったかということが重大であり、その邂逅は書物でも同様であり、その出会いが人生の証しである

ここで、「もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はそうなっていたであろうと思うことがある」という言葉がきています。その重要な邂逅がなかったならば、「自分はそうなっていただろう」。
この文章からだけでは正確な答えを導き出すことができないのではないかと思います。あえて答えるならば、「自我が覚醒していなかった状態」と答える以外、回答はないと私は思います。
人によっては、「悩める魂」と答える人もいるかもしれませんが、私は流れから考えて、「悩める魂」ではないと思います。人間は人や書物との邂逅によって「悩める魂」が鎮められるはずもなく、生涯にわたって「悩める魂」のままであり、ここでいう「悩める魂」というのは、「悩みながら生きている一個の人間」と他の友人の「魂」と区別・強調するための言葉だと思われます。そのため、「格闘」という言葉を使っています。

いずれにせよ、引用文が抜けているか、文章の引用に誤りがあるのではないかというのが私の考えであり、この文章のみだと質問1の回答は導き出せないのではないかと考えます。
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はじめまして。



ご質問1:
<「もしこのとき~自分はそうなっていたであろうと思うことがある。」というセンテンスの意味が分かりません。とくに「そう」何を指すのですか。>

「そう」が指すものは、ご質問文の中にはありません。

1.もしこれが誤植でないのならば、指示代名詞「そう」が指すものは、この文の前に出てきたことになります。

2.ここでは「もしこの人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はそうなっていた」というのですから、この人や書物との出会いが自分を助けてくれた、ということを暗示します。

3.従って「そう」にあたる事柄は、何かネガティブな事情になるはずです。
例:
「この人に出会わなければ、自分はダメな人間になっていただろう」
「この書物に出会わなければ、自分は消極的な人間になっていただろう」

4.ご質問文にはそのようなネガティブな事情が見当たりません。従って、「そう」にあたる内容はご質問にある文章の範囲外にあるということです。


ご質問2:
<「たらしめる」は現代語はどういったらいいですか。>

1.「たらしめる」は文語的な語法で、文法的に分解すると以下のようになります。
「たら」:存続の助動詞「たり」の未然形
「しめ」:使役の助動詞「しむ」の已然形
「る」:完了の助動詞「り」の連体形

2.従って、意味としては「存続」+「使役」+「完了」のニュアンスがあるということです。

3.「人生たらしめる」の現代語訳は
(直訳)「人生である、ようにさせ、ている」
となります。

4.この部分の解釈は
「人生を、人が生きることの意義を持つようにさせる(機会)」
となります。


ご質問3:
<「人生を人生たら占める機縁と~人生の幸福がある。」>

1.文語表現ですから、単語を現代語に置き換える作業から始めます。

(1)「人生を人生たら占める」:
=「人生を、人が生きる道として意義のあるものにすること」

(2)機縁:
=「機会」「縁」

(3)「邂逅」:
=「偶然の出会い」「巡り会い」

(4)「邂逅の歓喜」:
=「出会いの喜び」「出会う楽しみ」

2.以上を踏まえて現代語解釈は以下の通りです。
「人生を、人が生きる道として意義あるものにするチャンスとは、偶然の出会いのことを指し、偶然の巡り会いに喜びを感じ感動をえることができれば、幸福な人生だと言える」
ぐらいになります。


以上ご参考までに。
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ごちゃごちゃ説明するとただ混乱するだけですよね。



たらしめるは
「たり」と「ある」と「しむ」の結合したものです。
三つつなげると、「たらしめる」となります。この言い方
は16世紀後半から常套連用形として使われるように
なりました。
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>質問1 「もしこのとき、この人(あるいは書物)に会わなかったならば、自分はそうなっていたであろうと思うことがある。

」というセンテンスの意味が分かりません。とくに「そう」何を指すのですか。

回答1 "亀井勝一郎"氏の文章の引用でしょうか?
「もしこのとき、この人(この書物)に会わなかったならば、自分はどうなっていたであろうと思うことがある。そこに生ずるのは謝念である。」
の誤植(写し間違い)ではありませんか?
http://ameblo.jp/realinfo/entry-10019014449.html

>質問2「人生を人生たら占める機縁となるものは邂逅であり、邂逅の歓喜あるところに人生の幸福がある。」というセンテンスも分かりません。とくに「たらしめる」は現代語はどういったらいいですか。

回答2 連語「たら・しめる」
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BF …
「何かを構成する重要な要素である」という主張です。
>人生の人生たる証(あかし)
も同じ主張ですね、
「人生を人生たらしめる・・・」=「人生を形成する重要な要素である・・・」
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「そう」何を指すのですか。


★何を指すか欠落しているのでその文章は不良品です。
コピー時のミスとか何かの間違いではないですか。

「たらしめる」は現代語はどういったらいいですか。
★必要条件を示す言葉です。
その古語を直接現代語にすると「~であらせる」と
なりますが実際にはそんな言葉は使いません。
問題のセンテンスを現代的に書くなら
「人生の充実のきっかけはめぐり合いであり、
めぐり合いの喜びは人生の幸福に直結している」
となります。
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