激凹みから立ち直る方法

今、卒業論文で中国系インドネシア人について書いています。
カリマンタンでの例ですが、当初オランダ植民地政府時代にやってきた中国系インドネシア人は金鉱など体を使った単純作業に従事していて、中国からは男性の移住しか認められていませんでした。

しかし、ある時期を境にして女性の中国人もインドネシアに移住することが認められたのですが、これがよくわかりません。

ちなみに、インドネシアに移住した中国人男性がある時期からやってきた中国人女性と結婚し、子供が生まれ、その子供の第一言語が中国語となることで、どのように子供が中国人というエスニックアイデンティティが形成していったのかということを、女性が来る前と来た後での比較を行おうと思っています。

もしご存じでしたら、その内容が書かれた書物・論文を教えていただきたいです。
インドネシア語・英語で書かれたものでも結構です。

お手数おかけいたしますが、よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

ここで聞くよりも、インドネシアや華人研究の専門家に直接聞いた方がいいかもしれません。

(ただ、「論文なんだから、自分でやれ」と言われる可能性もあります。)

この手の専門家がいそうな場所としては、
京都大学東南アジア研究所
www.cseas.kyoto-u.ac.jp/
アジア経済研究所(ここには図書館もあります)
http://www.ide.go.jp
拓殖大学海外事情研究所 華僑研究センター
http://www.cnc.takushoku-u.ac.jp/~kakyonet/index …

このほか、華僑華人学会というのもあります。以下は、そのリンク集です。
http://www.jssco.org/link.htm

ついでにシンガポール大学図書館の華僑華人コーナー
http://www.lib.nus.edu.sg/chz/chineseoverseas/


あと、ご存知かも知れませんが、Encyclopedia of Chinese Overseasはお持ちですか?ハードカバーとペーパーバックがあるんですが、ペーパーバックが安すぎて少し不安です。中国語版を見た時は、電話帳よりもでっかい本だったので、ペーパーバックじゃ本の形が保てない気もしますし。
http://www.amazon.co.jp/Encyclopedia-Chinese-Ove …
http://www.amazon.co.jp/Encyclopedia-Chinese-Ove …

私が本屋で実際に見かけた中国語版は、香港や台湾の書店で買うことができます。
潘?編『海外華人百科全書』三聯書店出版(香港)1998
http://www.cp1897.com.hk/simple_search_result.ph …
http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php? …
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この回答へのお礼

わざわざありがとうございます。
一度、他の大学の先生にコンタクトを取って話を聞きたいと思います。

Encyclopedia of Chinese Overseasは、図書館でチラチラみるぐらいで自分自身では持ってはいません。
中国語も読めたらいいんですけどね、、僕自身中国語がまったくできないので将来中国語ができることを期待して買いたいと思います。

資料の情報提供ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/03 02:56

清朝末期、労働力としての移民が行われましたが、当時は鉱山労働の


ような重労働なため男性だけでしたが、後に各方面で働くことが多く
なったため、家族で移民することが行われるようになり、女性も
移民するようになりましたが、女性単独ではなかったようです
(日本人のブラジル移民も家族単位です)

初期の中国移民の男性はマレー系インドネシア人と結婚する例が多く
その子供は中国社会を形成してゆき「華僑」になって行きます、、これらの人々は母系はマレー系インドネシア人父系が中国人という道を歩み始めます、また一方で父母ともに中国人という2世3世もでてきました
インドネシアの華僑はこれらの人種の混在している社会のようです

お役に立てば幸いです

詳しくはサイトで

http://www.jttk.zaq.ne.jp/bachw308/page058.html# …

http://cgi.rikkyo.ac.jp/~masutani/mt/area-studie …

http://www1.doshisha.ac.jp/~westhill/noguchi.html
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この回答へのお礼

サイトの掲載ありがとうございます。
すごく役に立ちました。

そうですね、女性が単独で入ってくることはなかったと思われます。事実、彼らの多くは中国に残り、単身男性が乗り込んでいったものと思われます。望夫山の話が例としてあげられると思います。

しかし、家族で移民するようになるということであれば、なぜ最初からそうしなかったんでしょうか?オランダ植民地政府も実際、中国人を他の民族を接することをよくは思っていませんでした。また、彼らはジャワの統治が先に行われていたので、すでに分割統治を行っていた彼らにとって率先すべく事項であったにもかかわらず、カリマンタンではやっと後々中国人女性の進出が見られています。これは、植民地政府の方針かどうかはわかりかねますが。

あと、華人・華僑という定義についてですが、本当に難しいです。少しでも血液が混じれば子供は華人・華僑になるのか?ということです。ある学者は、現地の国籍を持っているか、持っていないかや、文化を重視するかどうかなど様々な意見を持っている方がいます。
peranakanを現地生まれ、totokを中国生まれなどする人もいます。
ただ、それだけで彼らを本当に言い表すことは不可能なので、私自身あまりそれは使うことができませんが。

お礼日時:2008/10/30 12:32

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