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チャイナタウンはロサンゼルスとか、日本では横浜、長崎にあります。
何故、世界のあちこちにチャイナタウンがあるのでしょうか?
ジャパンタウンというのは、あまり聞いたことがないのですが。
すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (11件中1~10件)

実をいうと、日本人が海外に出て行き、方々にジャパンタウンというか日本人街を作っていた時代があります。

それは戦国時代から織豊時代を経て、徳川幕府が事実上の鎖国を作るまでの間です。

特に足利幕府は大掛かりな貿易を行いましたので、現在のシンガポールなど当時の大きな貿易港には日本人が沢山いて、日本人街ができていたのです。

これが西洋の大航海時代がアジア人にもたらした恩恵でもあり、中国人も日本人もインド人もこの貿易の波に乗って、様々な国に拠点を置き、○○人街を形成していきました。

つまり、日本人街が世界中になく、中華街がたくさんあるのはひとつには日本は鎖国をし、中国はしなかった、という大きな違いがあります。

その証拠に1848年にアメリカのカルフォルニアで起こったゴールドラッシュには沢山の中国人が挑戦しており、金鉱脈の近くには大きな中国人街がありました。それも白人に迫害されたため、要塞のようなつくりだったようです。

しかし1848年はまだ江戸時代ですので、日本人がゴールドラッシュに参加することはなかったのです。

これが中華街が世界に沢山あって、日本人が少ない理由の最初の理由です。

次に、中国人と日本人では「国家に対する信頼」がまったく違います。日本人は「お上」と役人や政府を祭り上げ、その決定はとても重要なものであるとしています。たとえば法律ひとつとっても、無条件に従うのが日本人の特性のひとつといえます。

中国は4千年の歴史の中で、ひとつの国家であったわけではなく、何度も支配者が変わり、時には分裂し、そして異民族の支配を受けたこともあります。庶民は政府そのものを信頼せず、政府とは「権力を使って庶民を搾取する」存在であると思っています。
この点については、インド人もアラブ人も多くの国の庶民が同じような考え方を持っていて「政府が信用できないなら、この国に居る必要はない。(どの政府もどうせダメだけど)それでもましな政府の国に行くほうがいい」と考えているのです。

現在の中国(中華人民共和国)の政府高官ですら、子女をアメリカなどに留学に出し、親類を移民させてその国の永住権や市民権を取らせ、財産を移して、いざというときはその国に移ることを計画しているのは、そういう長年の歴史があるからです。

そして、そのように考える全世界の人々を受け入れてくれて、その中で一番まともそうな政府がアメリカだから、みんなグリーンカードをほしがるのです。

ちょっと話が逸れました。

中国人に限らず、世界中の多くの国の庶民は「自分とこの政府なんてまともじゃない」と思っているとして、中国人には「では世界にでてやろう」というチャレンジをしやすくする仕組みがあるのです。

まず中国には三把刀という考え方があり、はさみ(裁縫)・包丁(料理)・剃刀(理容)の3つの刃物のどれかの職人であれば、世界中のどこでも食べていけるというものがありました。

そして、華僑という名前で呼ばれる親類から同じ地方の出身者でつくられる互助会があり、その互助会を作ることで、新しい国で、自分たちの地位を守り安定して職業に就けるようにしたのです。

つまり「中華街」とは、最初数人でやってきた中国人が三把で成功し、身内や親類そして同郷の若者を呼び寄せて、地域に根付いていく過程でできたもので、だからこそ中華街はどこでも中華料理のお店がたくさんあるのです。

もちろん、どの国にいっても新参者である外人(中国人に限らない)は差別されます。いまでこそ観光地として世界最大の横浜中華街も、最初は開港した貿易港である横浜港と、外国人居留地をつなぐ埋立地にできた干潟だったのです。つまりだれも住まないところに中国人が住み着いて、段々に発展したのが横浜の中華街だといえます。

このバイタリティーは「少なくともこの国のほうが、自分の国よりもましだ」と思う中国人だからこそ、努力してできたものであるといえます。

ちなみに華僑は世界中にありますが、アフリカ大陸などには印僑とよばれるインド人が沢山あり、仕組みは華僑と同じですが、商売は三把ではなく、インド人の得意とする宝飾類の流通です。アフリカの鉱物や宝飾類の貿易はインド人が牛耳っているといってもいいぐらいなのです。

逆に、日本人は世界に散らばるとどうなるかというと、その国に同化してしまうのです。

つまり日本人は「とっても素敵で祖国だった日本を捨てて移住するのだから、移住先を祖国として発展に尽くし、その国の土となろう」と考える人々なのです。

例としては南米に移住した日本人がよいのでしょうが、たとえばハワイでは戦前にはハワイの人口の半分近くまで日系人が占め、現在でも人口の1/3が日系人なのに、華僑のような動きはまったく起きず、むしろほとんどの日本人が「ハワイに日本人(日系人)がものすごく沢山いる」という意識すらないといえます。
これは不幸な戦争があり、日系人が特にアメリカに帰属しようと努力した結果でもありますが、もし中国人なら戦後すぐに地元の若者を呼び寄せることを再開したでしょう。そうせずに「新しい祖国に帰属することが私たちの責務」と考えてしまうのが、日本人(日系人)らしいといえばらしく、その結果、日本とのつながりが、非常に希薄になってしまうのです。

こういう民族的な性格の違いと、それを支える文化的歴史的な機能によって、中国人は世界中に居て世界のどこでも中華料理が食べられ(実際、日本食がブームになる前は、日本人が外国で米を食べたければ中華料理店に行くのが一番確実だった)、逆に日本人は日本から離れると日系○○人になってしまって、消えてしまう、という違いがあるのです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
戦国時代から徳川幕府が鎖国をするまで、外国に日本人街があったのですね。
日本人と中国人では国家に対する意識が全く違うのですね。
「ましな国に行く方がいい」とは、私は考えたことがないです。
努力して日本のなかで住みやすい、自分のいる場所を探そう、作ろうと思ってしまいます。
中国人街は、なんで中国料理屋ばかりなんだろうと思っていました。
三把刀という考え方あるのですね。そして、それで成功した人が親戚や同郷の人を呼び寄せて、地域に根付いていったのですね。
日本人は、移った国に同化してしますのですね。
ハワイの人口の1/3が日系人だというのは、驚きました。かつては半分もいたということも驚きです。
日本の人たちは一生懸命、アメリカに帰属しようと努力したのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/04 11:52

日本人から見ると、中国人ということで1まとまりに見えますが、


実は中国は非常に広いので、中国の中でもいろいろと別れております。
主に広東、福建の商人ですが、身内から資金を集めて、
北京や上海など中国の他の都市に進出して、同郷で固まっています。
これは明清の頃から行われており、清末になると、苦力やアメリカでの
大陸横断鉄道建設などを通じて海外にも展開するようになります。
またこの様な人的ネットワークが清末の動乱や辛亥革命、軍閥期に
政治的にも機能しました。

日本も海外にリトルトーキョーがあったりしますが、市中心部の治安の悪化に伴い
日本人は郊外に移転してあまり勢いはない感じです。
また1980年代以降に新移民と呼ばれる移住層が、日本古来の伝統文化にあまり敬意を払わず、
アメリカ風のグローバル化を礼賛する傾向があり、これに拍車をかけています。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
中国は広いので中国のなかでも広東、福建など色々分かれているのですね。
そして、同郷で固まっているのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/04 18:28

バカ経済学みたいに論理が一人歩きしたら馬鹿らしいです。



解説の高尚さよりもすべて具体的・実際的でないと合理的ファンタジーによる小説です。

皆さんと逆っぽくなりますが、日本は素晴らしいどころか、日本人を嫌いな日本人が渡航するんじゃないの??

比較文化より前に事実=科学ならばその人間がだろ。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/04 18:24

郷に入りては郷に従え、という諺があります。

日本人が米国に行くと、米国の人の暮らしに合わせた暮らしをしようとします。
ところが中華人は、なにせ100年ちょっと前までは世界最高水準の文化を持った国だったわけで、他の国に行ってもその国に合わせた暮らしなどせず、世界最高水準の文化である自分たちの国の暮らし方を続けるわけです。その為にはバラバラで居るよりまとまって居た方が何かと良いということでチャイナタウンを形成してきたのです。

その中国は今は落ちぶれてしまっているので、直感的に分からないですよね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
日本人は、その国のくらしに合わせた暮らしをしようとするのですね。
中国人は自分たちの国の暮らし方を続けるのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/04 18:23

 同郷人が異国で集団的に居住する例は、中華街に限らず、至る所で見られます。

日本でも、江戸時代、伊勢商人、近江商人、甲州商人などがしばしば集団的に活動していました。

 ロンドン、ニューヨーク、パリなど多人種、多文化が混在している大都市では、ニューカマーが集住してモザイク的な地域構造を形成しています。中国人だけでなく、インド人やトルコ人、ベトナム人などアジア出身グループの町では、地域色に富んだ食材、衣服、雑誌ビデオ、日用品などを扱う店が通り一帯を占めている風景が目立ちます。また、関帝廟やモスク、シナゴグ(ユダヤ教)などの宗教施設や民族学校の存在も見落とせません。

 このうち中華街が特に目立つのは、やはり中華料理の人気だと思われます。横浜や神戸もそうですが、中華料理はホスト国でも人気が高く、国籍にかかわりなく多くの市民を集めています。また中国出身者は自立心が強く、すぐに独立して仕事を始めるので、小資本でも事業主になれる小売飲食店や個人サービス店などが次々と開設されるということもあります。

 ただし、中国でも外国で活躍するのは広東省、福建省など特定の地域の出身者です。10億の民が全員、海外に出たがっているわけではありません。

 日本人街も、サンフランシスコのリトルトーキョーのような例がありますが、あまり発達しません。もともと協調性同化性が強く、リスクを嫌い、大きな組織の中でその一員として働くことを好む国民性からでたものでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
中国人だけでなく、ロンドンやパリでは、ニューカマーの人たち(実はニューカマーという言葉が分からず調べて「新参者」という意味だとわかりました)が集まっているのですね。それでモザイク的な地域構造を形成しているのですね。
中国でも外国で活躍するのは広東省と福建省などの特定の出身者なのですね。中国全体だと思っていました。
日本人は独立性より協調性同化性が強いというのは、わかるような気がします。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/04 12:03

中国は易姓革命の国で、政争が起こると、


前政権の要人は皆殺しにされます。

そのため、人口が1/3に減ったことは一度では
ありません。
残りの2/3は殺され、死に、国外に
逃亡する訳です。

国外に逃亡したのが華僑です。
日本にも逃亡し、多くは長崎に来て
唐通事をやりました。
オランダ通詞は、総て日本人でしたが
唐通事の殆どは、中国人でした。

この華僑が更にあちこちに散らばって
世界中に住み着いたのが原因です。

集まって街、つまり中華街を造るのは
同じ民族同士が団結した方が生きやすい
からです。

中華風にするのは、彼らにとって、それが
最もすごしやすいからです。


”ジャパンタウンというのは、あまり聞いたことがないのですが”
     ↑
米国のロスアンジェルスには「リトル東京」があります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
中国は政権がかわると要人は皆殺しにされてしまうのですね。
人口が1/3になったことがあるとは、びっくしりしました。
そのときに国外に逃亡した人が華僑と呼ばれる人なのですね。
同じ民族が一つのところに集まった方が団結できて生きやすいというのはわかるような気がします。
いろいろお教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/04 10:24

日本人街について。



第二次大戦戦前、日本人は結構海外に住んでいたようなのです。移住や出稼ぎ、商売の経営など、貧しい人から、そうでない人まで。

でも開戦前に国際情勢の悪化ということで日本に引き上げたり、開戦後も住み続けていた日系人/日本人は強制収容所に集められたり、さらに敗戦後に帰国した人たちもいたし、日本人街が存続しなかったんじゃないでしょうか。
アメリカだけでなく東南アジア方面もそうでした。

戦後の日本は他の国よりは経済的に豊かで自由になりましたので、あえて祖国を捨ててまで外国で生活を築きたい、一旗揚げたい、というタイプの移民は昔よりは減ったのでしょうし・・・・。
海外に行く一般人は増えましたけれども。

今もサンフランシスコに「ジャパンタウン」という場所はあります。観光の中心地からは少し離れているので(すごく遠いわけではないですが)、行ってはみなかったのですが。

検索してひろってきた別サイトのトピックですが、なるほどなと思いました。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
貼り付けていただいたサイトのトピックも読ませていただきました。
たしかに日本はとても豊かなくにですので、日本という祖国を捨ててまで外国で一旗あげたいと思う人が少ないというのはわかるような気がします。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/02 22:19

中国というのは長い間世界の中心でした。

中国人にもその考えが身に沁みついています。世界中に進出した中国人の多くは、中国風の名前を子供にもつけ、中国の文化を持ち込んでいます。彼らが間違いなく食っていけるのは中華料理で、それには同じようなところでまとまって開業する方が好都合だったのです。


日本人は最近は別ですが、海外に進出するのは長い間貧しい人たちが中心でした。日本料理などは新鮮な材料が手に入らなければ成立しませんし、ほとんどの土地ではなじみのない物でしたから、これで生活できる人は皆無でした。つまりまとまって生活する意味がなかったのです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
中国人が間違えなく食べていけるのが中国料理だったのですね。
それで、横浜の中華街は中国料理屋さんばかりなのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/02 22:12

miranosobaさん、こんにちわ。




世界中にチャイナタウンがあります。それは大体が中国の商人たちが外国と交易をするために置いた拠点が中国人街として発展した町です。イギリス、シンガポール、タイ、インドネシアもそうです。
日本人が移民した町、リトルトーキョーなら聞いたことがあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
イギリス、シンガポール、タイ、インドネシアにもチャイナタウンがあるのですね。
中国の商人が外国と交易するために置いた拠点が中国人街として発展したのですね。
いろいろお教えいただきありがとうございます。
心から感謝いたします。

お礼日時:2013/11/02 22:08

中国やインドでは生存競争が激しく住みにくい。


どうしても海外に出て行く傾向ができます。

世界中にチャイナタウンがあるのは、中国人がどこでも
生きていけるたくましさを持っているということです。
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この回答へのお礼

ご回答、いただきありがとうございます。
中国人って、たくましいのですね。
お教えいただき感謝いたします。

お礼日時:2013/11/02 22:05

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