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世界のほとんど国々に中国人が住んでおり、
また多くの国にチャイナタウンがあります。

なぜこれほどまでに世界中のあちこちに中国人が住んでいるのでしょうか?

歴史の授業で、チャイナタウンのほとんどが海に面している場所にあることからも分かるように
中国人の多くが商人や貿易商などになったと、聞いたことがあります。
また中国人は、その土地の人々と交わろうとせず、中国人だけで独自のコミュニティを築いていったため
その国々で嫌われていたと聞いたような気もします。

でも、いつの時代にどういう理由のために、世界を散らばっていったのでしょうか?

A 回答 (6件)

東南アジアへの進出は18世紀に清朝が遷界令(沿岸交易禁止令)の解除がきっかけでジャンク船を使い移動しました


華人集団には三種あって、(1)貿易商人(2)現地に移住する商工業者(3)錫鉱山や砂糖黍農園の経営者、労働者

中国系移民が世界的に急増するのは19世紀半ばからで
理由は清朝中央財政の悪化により清の行っていた朝貢貿易の回賜である絹・銀を払えず
代わりに持ち帰っても紙屑同然の紙幣で払ったり低価買上で急速に貿易量が低下し
積極的な開港場交易に転換せざるを得なかったためです

中国移民(華僑)の特徴は日系などと違い【貧しくない階層】の移民が多いこと
第二に貴方が指摘されているように【出身地別のコミュニティ】が存在すること広東、八家、潮州、福建、海南の五グループがあります
インドネシア、マレーシア、タイなど東南アジアの現在の財界を掌握し
その長は現在それら現地の大統領首相より国賓級待遇を訪問国で受けています

そして彼等華僑の蓄財が現在1979年の中国の改革開放政策により
ヴァージン諸島、ケイマン諸島、サモアなどタックスヘイブン地域を経て中国に直接投資されているのです
この上記三地域のみで中国への直接投資実行額の17.6%を占め、日本の4.6%を圧倒しており
他、香港、シンガポール、台湾の中国系国家の中国への投資実行額は57.3%で

バイアスがかかった人の日本が援助しなければ中国はもたないという主張は全く意味がないのです

また華僑は中国本土への投資を自分たちの出身地や隣接地域に集中させており
中国への直接投資実行額の63%が広東など華南、上海に投資されています(北京は広東の15%ほど)

1870年代から1929年までの中国人出国数はのべ1600万人、入国数はのべ1200万人
つまり何回も行き来する出稼ぎ移民も数多いのです
(※1820年代の合衆国人口は1200万人未満)

1929年からは恐慌、日本の侵略、国共内戦、共産党政権による閉鎖的経済で移民は激減しましたが
1979年の改革開放政策への転換で再びベクトルは外に向かっています

本土に投資している華僑たちは本音では権威主義的一党独裁政権を好ましくないと思っているが
東南アジアでの現地人や植民地宗主国との軋轢の中、政治にかかわらず経済的実益を得る方が良いと
歴史的に学び取っているので本土の共産党政権の政策に目をつぶっているのです
長文失礼致しました
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中国人は個人主義者であり、あたマテリアリスト(物・主義)で日本人のような感傷的メンタリティがないことが一番の根本に


あります。

アメリカのほうが給与が高いとか、客が多くてビジネスチャンスだ、という話があるとします。
法律面をクリアしたとしてだからと言って「じゃあ来月、一家で移住」と日本人ならなりません。
子供の学校のこととか、先祖伝来住んだ村だとか、幼馴染の友達と別れるのはいやだ、この
富士山の見える風景が、この海岸が、なんだかんだと感傷的なことにこだわるでしょう。
人間としてこれが自然です。

「金もうけできる?OK・・・・ おい。お前ら来月、いくぞ」とフライパン片手に海を渡るフットワーク
の軽さが中国人の強みです。こういう国民性なのです。
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海岸近くにチャイナタウンが出来ているのは、華僑のほとんどが福建省出身者だからではないでしょうか。


かって明の時代に平戸で生まれた鄭成功の父親も福建省出身者(母親は日本人)でした。
私の知り合いの神戸南京町の中華料理店のスタッフもそうです。
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いま何故か考えてみたところ次の三つが原因として浮かびました。


1.中国は人口が多すぎて食えない。
2.中国人は商売が上手い。どこに行っても商売をする。
3.中華料理は旨くてどの国の人にも好まれる。料理ができればどの国でも生きていける。
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近代中国人の拡散



1 南シナ海交易圏
中国南部を含んだ、南シナ海は大昔から一つの交易圏を形成しており、人的交流は大きかった。
現在のタイ王室も中国系の血を引いている。
東南アジア圏では、地元の武力勢力+中国系交易勢力+農業生産勢力 この三つのバランスで王権が成立している場合が多い。

2 西欧勢力の進出
19世紀に西欧勢力、特にイギリスが進出した段階で、上記の三つのバランスは
イギリス(西欧)の武力 + 中国系交易勢力 + 地元農業生産 に変更されます。
イギリスにとっての最大の商売相手が中国ですから、中国系交易勢力と手を結ぶというか支配下に入れることは重要です。シンガポールはこの時代にイギリスによって開発されますが、イギリス人だらけではなく、主要な人口は、中国人とインドから連れてこられたインド人です。この場合の中国人は中国本土からではなく、すでに東南アジアに広がっていた中国系交易人です。
このために、イギリスの植民地だったところには、中国人とインド人が多く住んでいます。
フィジーでは、フィジー系とインド系が拮抗しています。

3 大陸横断鉄道
米国においては大陸横断鉄道の労働力として中国人が採用されました。19世紀後半。
大陸横断鉄道は、すでに東海岸から中西部までは出来ていたので、中西部から西海岸の「港湾」のあるばしょまでの工事となります。中国人労働者が到着するのも港湾ですから、港湾のあるところに中国人が多くなるのは自然な動きです。

移民者の問題はどこでも、だれでも問題になる。なにも中国人が特異なのではない。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/R …
上記はインド人の話。
日本では、三大移民のうち中国人が目立つので移民問題となると中国の話しばかりだが、ワールドワイドでは、中国人問題は One Of Them です。

インド人の移民も中国人と同様で、インド洋に貿易風という風があるように、インド洋交易圏ではインド人が大昔からから活躍していますし、イギリスの勢力圏にインド人は多い。
ガンジーがインド独立運動を始めたのは、インドではなく南アフリカだったのは、そこにインド人が多くいたからです。
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神戸のこと言ってるんですか、確かに港町は特殊ですね人の不幸によって利益を図るとか



大阪もそうだし
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