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浜松市にて、昭和19年まで運行していた浜松電気鉄道笠井線について質問です。

Wikipedia 等の記述では、臨時停車場として、「女学校前停車場」があります。一方昭和7年当時の地図では、「女学校前停車場」が見当たりません。

「女学校前停車場」は、どこにあったのか?
知りたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

>臨時停車場・・・


臨時停車場なので地図には載っていないのではないでしょうか。
たとえば路線上でイベントがあるとその日だけ停車するバスなんてのは珍しくもありません。
路面電車も同様です。
学校の前なら休校日は停車しないなんてオチではないですか。
だから夏休み期間は列車が通過するとかです。

路面電車なら通常の鉄道と異なり専用ホームが必要ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
臨時停車場なので地図にのっていないのは、納得なのですが、笠井線の跡地(現在の路線跡はほぼ判明しています)近辺に現在、女学校とおぼしきものはないので、疑問に思ったのです。

数十年も前の話なので、学校がなくなった???

お礼日時:2008/11/22 22:27

「女学校前」ですから、当然、女学校の前にあったはずです。

というわけで、女学校を探してみました。

学校名は、1925年に開校した笠井職業女学校で、以下の沿革のようです(Wikiによる)。
1925年 - 笠井職業女学校開校
1937年 - 笠井高等職業女学校認可
1944年 - 笠井女子商業学校認可
1946年 - 笠井高等女学校認可

1947年にに北浜高等女学校と合併して県立浜名高等女学校になり、現在は県立浜名高校になっています。合併後、笠井教場としてある程度存続していたようですね。ですから、この時期の地形図から当たるしかないと思います。

ただ、笠井職業女学校での検索は浜名高校で行き詰まってしまいます。こうなると、浜名高校か浜名高校の同窓会に笠井職業女学校の場所を確認するしかないかも。

この回答への補足

地元の図書館で当時の女学校に関して調べてみました。

「愛称標識(積志地区愛称標識設置委員会 発行)」という書物の17ページに以下の記述がありました。

「大正3年に西ヶ崎駅と笠井町を結ぶ軽便鉄道が開通した。西ヶ崎~笠井間2.3キロメール、途中に万斛・女学校前(現在、笠井中学校)に無人停留場を設置した。」

上記記述より女学校前停留所は、現在の笠井中学校前と考えられます。また、女学校前は臨時ではなく、常設停留場のようです。

上記書物のほかにも笠井線に関して、「遠州鉄道50年史(遠州鉄道(株)発行)」も参考になりました。

本件解決しました。ありがとうございました。

補足日時:2008/11/23 18:37
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

当時、女学校があったというのは、初めて知りました。
だいぶ助かります。

お礼日時:2008/11/23 00:17

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