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現在の主権国家システムが生み出されたのは中世の帝国システムの崩壊~教皇権力の相対化~絶対君主制の形成への流れで生み出されたと言われますが、その詳細がよく分かりません。わかる方はご回答お願いします。

A 回答 (3件)

自信はないのですが、現在の国家権力システムは、民主主義の上で成り立っていますよね。



絶対君主制→神権政治への反発→啓蒙思想(ロック、モンテスキュー) ではないでしょうか。

イギリスは、マグナ=カルタ、権利の請願や権利の章典が現在も憲法の役割を担っているので。
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主権国家システムって、あまり聞かない呼び方です。


国家主権という考え方は、30年戦争後生まれてきますが、それがシステム化してくるのは、フランス革命以後、ウイーン体制の中ではないでしょうか。
絶対君主制の崩壊に伴い生まれてくる考え方であると思われます。
その点で、「絶対君主制の形成への流れで生み出された」という事には、賛同できません。
絶対君主制の次にくる「国民国家」という理論と平行して生まれたシステムであると思われます。
絶対君主制の形成の中で生まれたとするならば、そう言った人に確認してください。
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主権国家システム、と言う言い方はあまり聞きません。

主権国家体制、または諸国家系、とよびます。

主権国家体制の成立は、三十年戦争後、ドイツ内の各領邦に事実上の主権が認められ、またスイスやオランダの独立が国際的に認められた(帝国システムの崩壊に相当?)、という事象により確認されます。この戦争中にカトリック国フランスが自国の国益を優先して新教側で参戦し、個々の主権国家の国益が普遍的なキリスト教社会を揺るがせたこともこう言われる要因です。(教皇権力の相対化にあたる)

で、その後の絶対王政への形成へと繋がることは事実ですが、現在の近代国家と同一視することはできません。その理由は2番目の参考文献に詳しく書いてありますので、そちらをみればどうでしょう?簡単に言いますと、現在の国家は均質的な国民によって形成されていますが、昔は様々な特権(ここでの特権は王によって認められた伝統的な権利のようなもの)を持つ社団(特定の社会集団)を通じて国が形成され、個人はその社団に含まれていた、ということが主な違いです。
均質的な国民による国が登場するのは19世紀からで、国民教育が重要な役割を果たしていました。


参考文献としては、『西洋世界の歴史』P125(東大教授近藤和彦編)や『新版世界各国史12 フランス史』P170などがありますので、参考にしてはどうでしょう。
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