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話をするにも、文章を書くにも、「それは~かと。」を使う知人が居ます。
私はこの使い方が気に入らず、「では、それは、~ではないかと自分は思います。という事なのか。」と問いただして見ました。
回答は、「いや、自分は断定したり、思ったりした訳ではない、そうではないか、と世間一般的なことを例に出したまでだ。」という何とも曖昧な、自分の言葉に対して責任を持たない、逃げるようなものでした。

私は、この「~かと。」という話し方、書き方に非常に違和感を感じるのですが、皆様はどのようなお考えなのでしょうか。今後の会話の参考にしたいので教えて下さいませんか。よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

それは~かと(世間一般で言われいると思います。


ということであれば、略しすぎであるかと。
違和感を感じるより、腹が立つかと。
ゆとり(教育)のせいかと。
ちがうか。
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この回答へのお礼

そうですね。私の略しすぎていると思います。
ご回答には、すべて「思います。」が略されていると判断しました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 17:43

何を聞いても、


「○○という、形になっております。」
という、店員。
「○○の方をですね、ご注文でよろしかったでしょうか。」
という、言葉づかいを使うように教育している社会。

気になる口調だとおもいますが、新聞や週刊誌のインタビューの答えに、語尾をはっきりさせず、「~かと。」という、記載があります。
何かを省略しているのでしょうが、口癖になるかもしれません。
正しい言葉づかいではないのですが、この頃多いですね。
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この回答へのお礼

何かを省略している言葉であることは理解できるのですが、その何かを言葉にしたり文字にしてしまうと自分の立場が危うい、責任が発生してしまう、ので無意識に逃げているような気がするのです。
会話のなかで、ほんの少しだけ使われるのならいいのですが、ほとんどの会話のシメが~かと。では、これは癖なのかなあ、と思い直して接し方を変えた方が自分が気が楽になるかもしれません。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 17:50

"何とも曖昧な、自分の言葉に対して責任を持たない、逃げるようなもの"


にするために ~かと で終わらせると思いますけど。

だと思う、だろう と自分の考えを交えない言い方かと。
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この回答へのお礼

物凄く解りやすいご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 17:52

私はその「~かと。

」という表現を特に抵抗なく使います。

意味合いは、質問文にあるとおり「~ではないかと自分は思います。」
という文の後半を略したものと考えてもらって差し支えありません。
大抵の場合、ある意見に対して「自分の考えはそうじゃなくてこうだ」
という、反論を含めたものになります。省略することでニュアンスを
和らげつつ、しかし反論であることをやや強調するという、
なかなか便利な表現だと思っています。
いっぽうで、断定を避けている表現であるため、
聞き手には煮え切らない印象を与えるという欠点もありますから
多用すると説得力を欠くことになります。

その知人が多用するために、あなたも変に耳についてしまっているのでしょうね。
>「いや、自分は断定したり、思ったりした訳ではない、そうではないか、と世間一般的なことを例に出したまでだ。」
この弁明も意味不明ですが、特に意識せずに癖で多用しているために
あなたに突然追求され、慌てたのでしょう。

それはともかく、1つの表現の仕方として「~かと。」という言い方は
アリだと思います。使う局面を選ぶ必要はありますが。

p.s.
「違和感を感じる」は「感」が重複していて、読んでいて「違和感を覚えますよ」。
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この回答へのお礼

貴重なご意見、ありがとうございます。
ここぞ、という時に効果的に使えば相手に傷を付けることなく、自分の意見を、断定させる事無く伝えることができる手段だと感じました。
それが、日常的に、何度も繰り返し、なので、非常に不愉快に感じるようになってしまいました。
それから、ご指摘ありがとうございました。違和感を覚える、と書き込めばよかった、と反省しています。

お礼日時:2008/12/24 17:57

いますよねぇ・・・



「○○かと、思われます」という表現をする奴。
思われる=思うことができる=客観的な意見=自分の意見じゃない
=この発言には責任もたないよという構図です。

昔自分の部下にもそういう無責任発言をするやつがいたので、
そういう発言をしたときは「で、お前の意見はどうなんだ?」と
必ず聞くようにしていました。

もちろん、主観ではない意見を求める必要があると思いますので
その場合は、客観的な具体例をあげさせたうえで、最終的には
その文責として「自分は○○と類推した」と本人の意見として
述べさせるようにするとよいと思います。
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この回答へのお礼

よく解るご回答をして下さり、ありがとうございます。
本人は口癖になっているのかもしれませんが、断定を避ける、責任から逃げる会話や文章が気になってしまい、質問しました。~かと。の後にある省略した言葉が本当は大切な事なんだ、と私は思っています。参考になりました。

お礼日時:2008/12/24 18:06

場合によります。


「かと」で言いさすのは一種の朧化表現であることは間違いないので、たとえば裁判やビジネスなど厳密な事実や意志が問題となる場合に多用するのは問題だと思いますが、日常会話で使うぶんにはまったく気になりません。

こういう表現は日本語の特色の一つととらえれば、それほど気にならないのではないでしょうか。
『源氏物語』でも『徒然草』でも、たとえば「…とかや」で言いさしたりする例なんてそれこそ山のようにありますし、逆にそれらをいちいち厳密に言い切っていたら、奥ゆかしい雰囲気のようなものがだいなしになってしまうということもありえます。
国際化の時代にそれでいいのか、という考え方は当然あると思いますが、「そこまで言わなくても気持ちが伝わる」というのが日本語の便利さでも美しさでもあるし、そのような場合に「それは…という意味なのか」などと問いただしてみたりするのは、日本語のわからない野暮なやつ、と思われるおそれもなきにしもあらず。

まあ、考え方は人それぞれではありますが…
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この回答へのお礼

そのように奥ゆかしい雰囲気だと判断している人もいらっしゃる事がわかりました。私の場合は、知人は何でも「~かと。」で話を終えるので、非常に耳障りで、質問してみました。

奥ゆかしい優雅て耽美な世界なら構わないのでしょうが、その場で本人の意志を確認している場合や、お客様の質問に回答している時まで、~かと。を連発するのは優柔不断・不愉快と思われても当然だと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 22:32

直接的に言うと角が立つからではないかと。


性格的にやさしい人ではないかと。
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この回答へのお礼

驚きました。そのような考え方もあると今知りました。ご回答ありがとうございます。
直接回答を避けたい、責任を回避したい、論争したくない、言語は他人からの引用だと印象付けたい、自分の意見に自信も責任も持てない優柔不断な人間だと判断してしまいます。私の場合、会話していると「こいつ、オレをバカにしているだろう。」と思う事が多々あります。余計角が立ちます。性格的に優しい、と思う人もいるのですね。参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/24 22:42

断定嫌いなので言い切りを避けたがる日本民族の総代ですよ、その人は。


「思う」を省略したそのような文末で発言を終わるということは、
卑怯者であり、無責任であり、男らしからずとも自信が無いとも言えます。
国際的な活動は決してできぬ人ですね。
英語はもちろん絶対できませんよ、そんな人は。
global社会不適格者ですね。

日本語の構造では文末を言わなければ何も言わざりしことと同じです。
それゆえ、その人はとんでもない、伝達拒否思想人間ですよ。
ならば口を開くべきにあらず。
山奥で一人で隠遁生活をするしかありませんね。
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この回答へのお礼

はっきりしたご意見、ありがとうございます。
知人と実際に話をしているとイライラします。~かと。と言わなくてもいい会話まで、かと。と付けます。実例ですが、「大福と饅頭のどちらか選べ。」「どちらかというと大福の方がいいんじゃないかと。」「大福!と言えばいいじゃないか。」
もっと酷いと、電車を使う時にも、「どの駅まで行くんだ。」「~駅かと。」「おい、自分が行く駅を断言できないのか。」と言った状態です。
口癖に近くなっていますが、会話にしても文章にしても、かと、かと、ばかりなので、たまに怒鳴って怒ってしまう事もあります。
憶測を含んで、断定することに問題のある会話内容なら、「かと、」を使っても「思われます。」を省略しているな、と判断するのですが、自らが決断した事にまで「かと、」を付けるのは異常に思えてなりません。
爽快なご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/25 21:32

断定的口調の回答で人を信じ込ませたが、結果は間違っていた。


あいまい口調の回答をしたが、結果は間違っていた。
両者ともに責任を取らなかった。
このコミュニティでは責任を取ろうとしてもとれません。
断定的口調の方が悪いかと。無責任かと。
断定的口調の人=責任を取る人 ではないようかと。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。断定する会話、文章よりも、判断は相手の善意の憶測に任せる会話、文章が好ましい、と感じていらっしゃるのですね。凄く参考になりました。

お礼日時:2008/12/25 21:46

私もよく使います。


これは一種の婉曲表現ですよ。他の方も言っていますし、本人もそう言い訳しています。

ただ毎度毎度使うと無礼な印象になって質問者様のように怒りを買いますから気をつけています。
それに文章では自分の意見がどっちなのかはっきりしない(逆にとられかねない)場合がありますのでやはり気をつけています。
しかし婉曲表現が全部いけない、なくすべき、かというとそれもまたおかしな話と思います。

結局その友人の口癖になってしまっているのが人をバカにしているようで耳障りだという事だと思います。
何となく「オレは物をわかってるんだけど」「お前とはこの問題で正面から付き合う、議論する気が無い」というニュアンス、態度の悪さを感じますからね、度が過ぎると。
ある程度近しい間では婉曲表現は気をつけて使わないとかえって失礼になりやすいですね。
またいつも近くに居るとなんでもないことでも気に障ってしょうがない場合もあります。
拒絶する側にも気持ちの事態の分析や心づかいみたいなのは必要ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「かと。」を連発する人間と会話していて率直に感じる事は、「オレはお前みたいなバカと会話する気はないんだよ。」とビリビリ伝わってくる使い方をすることです。攻撃するための、そして、自分は安全圏に逃げ去るための「かと。」を使う。断定はしていないんだから、「お前バカだな」と言われたと感じるのはその人の勝手。自分は一言もそんなこと言ってないよ。という自分にだけは優しい使い方です。

奥ゆかしく、「自信が持てないので察してください。」という使い方をする時は、同じ「かと。」でも発音と含まれた感情がまったく違います。文章でもその前後を読めば察しがつきます。

この質問をして沢山の人から回答を頂いて、使う人だけに優しい悪意ある使い方と、奥ゆかしく察して欲しい使い方があることがはっきりしました。質問した甲斐がありました。ありがとうございます。

お礼日時:2008/12/27 17:41

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