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ある文に目上の人(例・社長)が

「パソコンのやり方が分からないんだ。」
と言う場面がありました。

文としてはただ「分からない」ということだけを述べているだけですが、ここで「そうですか。」とだけ答えたら、自分(社員)の出世はありません。

この場合どうして「私がお教えしましょうか。」と申し出る必要があるのでしょうか?

~私の考え~
終助詞「の」が前の文の状況や事実にこの文を関連付けようとしている。(「のだ」は話し言葉で「んだ」になる)
例えば前の文に
「私はこの企画書を作れない。」とあったら、社長が企画書を作れない理由はパソコンのやり方が分からないからであるという風にまとまった文になる。
でもこれだけでは「私がお教えしましょうか。」と申し出る必要性について答えになっていない。
社会の上下関係、後の人間関係・社会的地位を考えた結果必要性が出てくるのではないかと考える。



皆さんのご意見や感想などを聞かせてもらえるとうれしいです!

A 回答 (5件)

>社会の上下関係、後の人間関係・社会的地位を考えた結果必要性が出てくるのではないかと考える。



そういうことです。
相手が上役でなくても、お得意さんやモノにしたい女であっても同じです。
「社長がタバコをポケットから出せば、サッとライターを出して火を点ける。」
最近喫煙者は減りましたがね。
すなわち、相手がものを言う前に、その意向を敏感に察知して、すぐに行動に移すサービス精神です。
そのサービス精神の強さの度合いは、本人の欲望度(出世したい、モノにしたいなど)に比例します。
昔はそんなことをする人は、「ゴマ摺り」だとか「太鼓持ち」だとか言われて、後ろ指を指されたものですが、最近はそうでもないようですね。
いずれにしても終助詞以前の問題です。言葉を発する以前の問題です。
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既に出された回答を別の言葉で言い換えるだけになるかもしれませんが、



言葉はコミュニケーションのほんの一部でしかなく、
言葉で表せない非言語コミュニケーション(動作や顔の表情など)、
文脈や背景などがすべて何かを伝える役割を担います。

文脈を読まず、文字で見える部分だけ翻訳すると、
コッケイなものができるのはそのためです。
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現実世界では文や文脈だけではなくて相手の性格とか表情とか発語の声音とか事態の経緯とかいろいろな状況を「読んで」判断するわけですよね?



文学の難しいところ、面白いところは文章だけの力で微妙なニュアンスなどを描き分けて行く点ではないでしょうか。

例の文だとそのあとに「私がお教えしましょうか」があるのでそうかそういう意味なのかとわかる感じがするのですが。
つまり表情その他総合判断の部分はいちいち書くとは限らないのでは。

「わからないんだ」「お教えしましょうか」「そんなことはたのんでない!!おまえがさっさとやらんか」という展開もありえるのでは。
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言葉には「文字通りの意味」とその言葉から「推論される意味」があります。


統語論つまり文法的な問題ではなく、語用論の問題です。
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たぶん関係ないです。


例文でいえば、
「わからん!」
の一言であっても、「そうですか」だと出世はないでしょう。
助詞の問題ではないと思います。
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