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現在、私の兄はうつ病の治療に専念中です。
10月末に仕事を退職し、自宅療養をすることになりました。
その後、2ヶ月間の休養の中で、焦燥感・イライラ感が酷く、
自我も抑えることができない日々を過ごしていました。

その期間、週に一度の通院で、症状を伝えながら薬を合わして
いきました。
その結果、医師が想像しているよりも、うつ症状が重かったこと、
「バーンアウト状態になっている」と診断をうけました。

12月末から、ようやく薬の調整はなくなり、自宅療養中です。
朝・昼・晩、食事以外は、眠れるだけ寝ています。

医師の診断によると、「12月末から休養が始まったと考えて、
3か月の休養期間が必要です」と言われています。
若干、期間は変わってくるかもしれないと覚悟をしているところも
あるんですけれど、その後は、認知療法の施設・リハビリ施設の紹介
を考えてもらっています。

こういった道筋があることで、私たち家族も納得できているんです
けれども、本人の不安感がとても強くて心配をしています。

我が家にも、数冊ものうつ病関連の本がありますが、
兄は『「ツレがうつになりまして」の本のような、どういった症状で
悩んでいて、どう回復していけたのかを知れたらもっと励みになる。』
と言ってます。

軽度のうつ状態が長く続いて、社会人になり過労が原因で、
うつ症状が悪化してしまった兄の励ましに協力してくださる方、
回答お願いします。

“頭が働かない症状”が、○か月の休養と運動(歩く/テニスなど)
を続けることで回復に繋がりました。

“頭が働かない症状”が睡眠重視の休養を続け、栄養をしっかりとり、
徐々に生活ペースを整え、家事などを続けて回復に繋がりました。
のような体験談で具体的な答えをもらえると助かります。

A 回答 (4件)

No.3です。

お礼ありがとうございました。

冒頭やっぱ、”えっ”って思いましたか。まぁ、ご自身が欝になったわけでもないので、軽いのりの方が、軽く文章も読んでもらえて良いかな?っておもったのですが、やっぱだめでしたね。気をつけます。

付記したい事があったので、記します。

欝病でもっとも自殺率が上がるのは、治りかけです。治りかけると、今の自分の社会的存在感の無さや、今まで迷惑をかけてきた人(質問者様も含みます)への申し訳なさが、一気にこみ上げてきて、自殺をしたくなります。もちろん、医師が付いていれば、自殺を防ぐ薬など(デパスなど)を追加して防ぎます。これを、怠ってそのまま意欲が沸くと、自殺。となります。
それを、防ぐための薬以外での一番の方法ですが

「死ぬときは、必ず何時でもいいから連絡して」

と伝えておきましょう。欝になる人は真面目な人が多いので、自分の自殺よりも、連絡をする事を大事に思います。
この方法による自殺の予防率はかなりのものがあるらしいです。

もし、その電話がかかってきたら、まずひたすら相手の言い分を聞きましょう。聞きったら、客観的な事実(ちょっとおおげさに、良いほうに)を伝えましょう。

例えば、

「この不況で仕事なんて無いし、しかも欝なんかにかかった自分なんかは到底雇ってくれるはずもない。こんな俺なんて、生きているだけ無駄だ。死ぬしかない」

と言われたら

「大丈夫だよ。政府も雇用対策を主において政策協議を行っているじゃん。それに、雇用なんてのは、お見合いみたいなもので、どこでどう転ぶか分からないじゃん。しかも、人から聞いたんだけど(もしくは、「調べてみたんだけど」)、欝は必ず治る病気らしいよ。とりあえず、何らかの形で生きていて、薬もちゃんと飲んで、通院も続けていれば大丈夫だよ。俺が保障するよ(ここらへんはちょっと大げさに言っても良いと思います)。一緒にゆっくり治していこうよ」


ポイントですが、必ず客観的に話しを聞いてください。断じて主観的に(そうだよな~。俺でも、この境遇は辛いよな~。かわいそうだ等)聞くと、聞いてるこっちがまいってしまいます。きちんと客観的に話しを聞くことにより鬱病患者にとっても、それを聞くほうにとっても良い方向になります。

最後にですが、自分なりに欝の薬を調べたものを紹介します。まだ、向精神薬のフェノジアジン系とベンゾジアピン系の分類が出来ていないのですが、それ以外は大丈夫だと思います。ただ、インターネットの情報のみで書いているので、必ず、医師、薬剤師と相談して下さい。その際に便利になると思います。では(これで汚名返上できましたかね?)
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この回答へのお礼

toku3de-suさん、ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
汚名返上だなんて、いえいえ。
前回も丁寧に答えてくださいましたし、感謝いたします。

今は、鎮静効果のある薬を服用しているので、
意欲が低下中というか、抑えられているの状態なのかなと
思いました。

今後、意欲が回復してきたときには、社会性の繋がりのことで、
不安が大きく出てくる可能性は、私も心配な点です。
自死は、なんとしてでも守りたいところなんです。

そんなとき主観的に話を聞くと、相手の負担になって
しまうんですね…。わかりました。
アドバイスありがとうございます。
社会の動きを調べたり、客観的に話を聞けるように気をつけます。

薬の情報もたくさんまとめてくださっていたので、
少しずつ参考にさせてもらいます。

お礼日時:2009/01/24 13:24

躁鬱病歴3年。

4度の欝を克服しました。(イエイ。ってこんなのりじゃないか。ごめんなさい。真剣ですものね)

まず、伝えておきたい事実ですが、お兄様、理想的な環境で治療を受けられています。認知療法まで取り入れていると言うことは、このトピックスでは考えられません。

>兄は『「ツレがうつになりまして」の本のような、どういった症状で
悩んでいて、どう回復していけたのかを知れたらもっと励みになる。』
と言ってます。

私の場合を記します。
欝の最低期は、ご飯の時間が一番苦痛でした。
何故かって?
起きて食べなくてはいけないからです。味もほとんどしません。死なないためと、看護師がうるさいので食べていました。それ以外の時は、何を言っても無反応。まったく動きません。
外を散歩する、誰かと話しをする、なんて考えられません。主治医が週に2回、回診に来てくれるのですが、主治医であっても、喋った記憶はほとんどありません。
風呂などは、月に一度入れば良い方でした。ひげも伸ばし放題でした。

治ってくると、まず。風呂に入りたくなりました。自分を清潔に保とうとするのです。あと、ひげそりです。
これと平行して、食事の味が分かるようになりました。
そうすると、食欲も出てきます。ご飯の時間が楽しみになります。
さらに平行して、私の病院には、中庭があるのですが、そこに出たくなります。
結構、色んな事が平行して変わっていきました。一つずつではなかった気がします。
次第に、友達とも喋るようになってきました。
まずは、誘われると、運動(バトミントン、テニス等)をやるようになりました。
その後、自分から誘って運動をするようになってきました。
お風呂も楽しみになりました。看護師の職務の都合上、週に2回しか風呂に入れないのですが、欝がひどかった時は「一回でも多いよ」と感じてたのが、「二回じゃ少ない」と思うようになりました。

まぁ、あまり列記しても意味は無いと思うので、この辺にしておきます。
要は、一つずつ治っていくのではなくて、平行してやれる事が増えてくる。ということです。

最後に伝えておきたい事ですが、欝は必ず治る病気です。(私の躁鬱は治らない凹)焦りはあるとは思いますが、どうか諦めずに。

治す最短の方法は

「わ~い。欝になっちゃた。欝だから、仕事できないや。何にもできないや。この際、めいっぱい休んでやれ」

と思っていると、次第に治ってきてしまい、じっとしていられなくなります。欝の病気になりやすい人には難しいですけどね。どうか、「頑張らないようにする事を頑張って下さい」と言う事を伝えてください。

参考になりましたでしょうか?
疑問点ありましたら、お礼に記入頂ければ、出来る限り対応します。
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この回答へのお礼

toku3de-suさん、ご回答ありがとうございます。

文章の書き出しに初めは、えっと思ってしまいましたが、
何度か拝見するとユーモアを持って書いてくださってるんだな
と思うようになってきました。
3年間に発症した躁うつ病からの克服、なによりです。
それでも、またご自身の躁うつ病は起こるかもしれないんですか。
文章にも書いてくださってるように、4度も克服されていらっしゃるので、
今の状態はわかりかねますが、ゆっくりと平穏に過ごしていけますように。

少しづつ並行して、自分を保つ本能が目覚めてくるような感じ
なんですね。何にも反応できなかったり、しようとも思えなかったり
するしんどさの中で、まず睡眠と食事を重視して治療をされてたんですね。

それから、自然に並行して興味やたのしみや欲も戻ってきたんですね。
toku3de-suさんの克服体験とその時の心情の変化を書いてくださって
いたので、少しづつの小さな変化に気づくことの大事さを兄にも伝えたいと思います。
その過程は、解き放たれていくように開放的な光景に感じました。
toku3de-suさんがいきいきと暮らせるように自然となったんですね。
これができたら、これができるようになって、また…と連鎖していけたんですね。
並行してやれることが増えてくる、うれしい気持ちの積み重ねが回復への道なんですね。
あきらめない気持ち、大事にします。

兄に、「めいっぱい休んで、がんばらないようにすることを
がんばってね」って伝えます。
回答、参考にさせていただきました、ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/17 01:43

2例書きます。

1つは私自身。もう一つは友人です。

1)背景:転職後の職場環境が原因で鬱発病。1年以上休職しました。休職中はただ死んだように寝ているだけ。考えても考えても何が悪くて今後どうしたらいいかわかりませんでした。医師からも最初2ヶ月位は何も考えずに休めといわれ、ただ薬で寝るだけの日々。3ヶ月目位からこのままではいけないと思い、行動を始めました。
対策:とにかくやりたいと思える事を考えました。幸い1つやり残したと思える事があったので、それが突拍子もない事でしたがそれに向けて薬でだましながら努力しました。現在はその会社を辞職し、次のやりたい事をしています。症状はまだありますが、薬でだましているのと、プレッシャーは過去以上ですが、やりたい事なので何とかもっています。

2)背景:仕事が集中し、24時間呼び出し等があり精神的に不安定になり鬱発病。休職3ヶ月。
対策:とにかく最初の数ヶ月は何も考えずに寝ているだけ。考えるだけ考えたら、結論がないことが分かります。それから自分がどうしたいかを考え、薬の力をかりた余力でその方向へがんばった。恐怖感を伴いながらも復職し、60%の仕事を目標に割り切った仕事をして何とか過ごしている。

経験上、医師や薬は「余力」をくれるだけです。それで完治はしません。最後は本人がやりたい事を何でも良いからみつけ、それに向けてがんばるか、軽度の仕事を割り切ってするかです。共通に大事なのは「割り切り」と「希望」を持つ事です。
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この回答へのお礼

my3027さん、ご回答ありがとうございます。

背景と対策を2例、書いていてくださっていて、
共通に数か月の寝ているだけの休養を大事にとられたことと、
その寝ている時期に考えたことが最後に書いてくださった、
『割り切り』と『希望』を持つことだったんですね。

今も何とかという状態で、無理をしながらもやりたいことを
軸に過ごされているんですね。症状よりもやりたいことの方が
勝っていて、my3027さんの強みと力になれているんですね。
my3027さんやご友人もご自身の体調を大事になさってくださいね。

お二人が、復職されていることが兄の励みにもなると思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/17 01:02

欝で薬をもらい飲んでいた者です。



自分は、31で脳梗塞になり、言葉に障害がでました。
文字も書けませんでした。
当たり前の事が出来なくなった絶望感と、何処まで回復できるのかという事と、社会人として復活できるのかという事と、2年前に父が亡くなった事から立ち直れていなかった事など、たくさんの事が重なり、死ぬ事ばかり考えていました。
外へ出れば、走っている車が運よく自分の方にぶつかって来てくれないかなと思ったりしました。
自殺も考えましたが、やろうとしたら怖くて出来ませんでした。

そんな中でも、何故か親に心配をかけたくないと言う気持ちから親には言えずにいました。(母も父が亡くなった事でショックを受けていましたし)

体重も15kg落ちました。

友達から電話やメールが来ても、とてもそんな気持ちでないのでそのままにしていたら、理由を知らない友達は離れて行きました。

どうやって治って来たかといえば、良くわかりませんし、今でも2,3日に1度は死にたいと言う気持ちになります。(不思議ですね、調子のいいときには死ぬ事なんて全く考えられないのですから)

まずは、時間をかける事が一番ですね。
後は、自分の勝手な思い込みですが、お兄さんの好きな趣味をやる気は起きないでしょうが、少しづつでもさせて見る。
人の少ない(または、いない)所で太陽や自然を満喫させてあげるなどもいいかも知れません。
自然の力ってとっても凄いです。

うまく言えなくて申し訳ありません。
適当な人より、何でも真剣に正面から受け止めてしまうようなお兄さんに思えるので、ゆっくりゆっくりゆっくり回復される事を祈っています。
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この回答へのお礼

4577さん、ご回答ありがとうございます。
文章を読ませてもらって、
4577さんにとって、つらいことと悲しいことが重なって、
とてもつらい日々を過ごされていたんですね。
病気で当り前のことができない状態を想像してみると、
気持ちがとても塞がってしまって、不安と絶望を強く
抱かれて、私が文章で表すことは申し訳ないほどに、
つらかっただろうなと思います。

それでもお母さんを守りたいと思ってらっしゃったのかな?とも
思いました。なによりも生きていてくれるだけで、つらかったときも
今もお母さまの支えになっていることと思います。

兄の趣味は音楽で、私も好きなんです。
何度か試しに聞いてみたんですけれども、
まだ頭に入ってこなかったり、雑音に聞こえてしまうようなんです。

もう少し時間をかけて、趣味のやる気の回復が感じられたら、
少しづつ私からも誘ってみようと思います。

やっぱり自然の力も大事ですか。
間接的に空気を入れ替えてみたり、負荷にならないように
自然に取り入れてみようと思います。

私もうつが少しうつってしまった時期があって、同じ気持ちを
持っていたことがあります。
調子が落ち着いているときに振り返ると不思議ですね…。
死にたいと思っても、また戻ってこれるんだなって
思えるようにもなりました。

ゆっくりと回復に向かえるように、私も見守りたいと思います。
4577さんもお母さまの支えになってあげたり、
支え合って、ゆっくりと暮らせますように。
素直な気持ちで、回答してくださってありがとうございます。

お礼日時:2009/01/17 00:48

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