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皆様たびたびお世話になります。

昔の力士で北尾光司がいますが、
彼は練習嫌いだったと聞きましたし、
身長が2mなので手足が長くて懐が
深そうでしたが、筋肉がそれほど付いて
なくて力強さが感じられる体型ではありませんでした。
相撲は非常にハードな競技で、練習嫌いだと
必然的に体力が衰えて出世することが難しい世界
だと思うのです。
それなのに、何故彼は出世できたのですか?
皆様からのご回答をお待ちしております。

A 回答 (3件)

>何故彼は出世できたのですか?



一応、「横綱」まで行ったけど、不祥事で廃業。
結果として、大した横綱では無かったのが実情でしょう。

相撲に限らず、スポーツは「持って生まれたモノ」で、練習が嫌いでも伸びる時期は有りますよ。
でも、「体の成長」や「若さ」は直ぐにストップします。

そこから、地道な稽古や節制が必要に成って来る訳です。

練習嫌いで大成した力士やスポーツ選手は、先ず持って聞いた事が有りませんね。
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質問者様の文の中に答えが書かれています。



・身長が2mで手足が長かった。懐が深い為、相手の技が無効化することが多い。類まれな身体的素質を持っていたと言うことです。当時は千代の富士の他に、若島津・朝汐・北天祐といった顔ぶれでしたが、北尾に対しては体格差のせいで技が通用しなかったという印象です。小錦に対しても体格負けしない為、堂々の相撲をとっていました。

・元々大きい為、そんなに筋肉量が無くても上記の力士達と対抗することが出来ました。しかし、千代の富士の圧倒的なスピードには大しては隆の里がそうであったようにパワーで対抗するしかない。大関に昇進したくらいからちょっとずつ筋力アップに取り組んでいたようです。テッポウを何回した、なんてことを当時のNHKの中継でほめられていましたからね。それでも、練習嫌いと性格的な問題が発展して相撲界を去ることになりました。

・横綱へ昇進した為、「出世」したことにはなると思います。但し、彼は優勝経験が無い横綱です。横綱昇進規定を最大限に甘く解釈して昇進させてもらったという実情です。満場一致で推挙されたわけでもありません。質問者様がご指摘の通り、ハードな世界での練習嫌いですから当然うまくいくわけがありません。

・ご存知と思いますが、その後の横綱昇進者は全て、大関で二場所連続優勝の規定を満たしています。

・北尾の将来性を期待して、周りが押し立てて横綱に昇進させたわけで、「作られた出世」だったということです。千代の富士一人に頼らなければならない状況でしたから、スター横綱をもう一人作りたいという事情がありました。
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他の方もおっしゃてますが、それなりに勝ち星があったのは、生まれつきの身体能力によるところが大きそうです。


若貴ブーム前夜だったとはいえ、急ごしらえだとは、当時から言われてましたね。双葉山と羽黒山と言う大名跡の合名である件も含めて、それだけ親方衆からも素質を認められてたのは、間違いないのでしょうが、朝青龍のように品格に難があったということでしょう。残念です。
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この回答へのお礼

皆様ご回答ありがとうございました

お礼日時:2009/02/06 11:28

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