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最近キリスト教に興味を持ったのですが、ルカによる福音書8章22節~25節の「嵐が静まる」という部分で、聖書は何を伝えたかったと思いますか?
ただ、イエスは凄い人だと言いたかったのでしょうか?恐らく「ねらい」となるものがあると思うのですが・・・

A 回答 (4件)

嵐をしずめるイエスさまの箇所ですね^-^



同じ箇所が マタイ8:23-27 と マルコ4:36-41 にあります。

マタイでは、恐れまどう弟子たちにイエスさまは「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」マルコでは、「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」と語られます。ルカでは、「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」となっています。(新改訳)

確かに舟は、突風と波しぶきを受け大混乱に陥っていたでしょう。弟子たちの自然な反応は恐怖だったかもしれません。けれども彼らは、共におられる方が、全知全能で、この世を創り、彼らを心から愛し、常に彼らの最善をご存知の神の子、イエス・キリストであるということを忘れていたのです。

「私が共にいるのに、なぜあなたがたは恐れているのか。」そうおっしゃりたかったのだと思います。

彼が自然界をも統治する神の子であるというメッセージも含まれていますが、中心的メッセージ、また普遍的メッセージは、神の子イエス・キリストが伴ってくださる人生には、心配がいらない、彼に信頼して良いのだ、というものです。教会でそのように語られるのを聞いてきました。

自分自身の人生においても、混乱、不安、恐怖、無力感に襲われる時、私を愛し、最善をご存知のイエスさまが共にいてくださる、守っていてくださる、という信仰を持って歩もう、またお互いにそのような信仰に支えられ生きてゆくことができるよう、祈り励ましあって生きていこう、というのが実際的な適応だと思います。他にも解釈があるかもしれませんが、参考の一つになればと思います^-^

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聖書を直訳してそのまま受け取ってしまうと、魔法使いが登場してチチンプイプイプイってかぼちゃを馬車に変えてしまう物語になる。



まだ知恵を持っていない子供、あるいは大人になっても知恵を持っていない人には通じる奇跡物語になってしまう。


聖書は比喩に満ちている。
それを読み解くには知恵が必要。
知恵なくして謎解きはできない。
知恵がある人が読むと、奇跡でもトラップがあっちこっちに仕掛けられて容易に近づけない秘境でもなんでもなくなる。



新約聖書の特にヨハネの福音書は、直訳してしまうと奇跡のオンパレードな子供と知恵の無い大人には驚きのファンタジーな世界になってしまう。


ヨハネの福音書以外でも、直訳すると奇跡話になってしまうものがいくつもある。


わかりやすい日本語に翻訳されたものでも、読んでもよくわからないものがある。
例えば英語の聖書で、ぶどう園の主人のたとえ話。

And he went out about   < the eleventh hour>,
and found other standing idle, and said unto them why stand ye here all the day idle?

日本語の聖書だとこの eleventh hour は<ギリギリ>みたいな言葉で翻訳されている。

信者の方が英語の方を読んで質問していた。
「昔は労働時間が11時までだったのですか」。

the eleventh hourは慣用句で、10日が締め切りで9日に提出したって表現するときも、この言葉を使う。
聖書からきた慣用句で、11時という意味としては使わず、「ギリギリ」という時に使う。

古代のユダヤ時間のカウントの仕方と、現代の時間のカウントの仕方は違い、ユダヤ時間の11時は、現代の夕方の5時に当たると知っていれば、不思議でもなんでもない。


  「神の義により迫害された者は幸いである。天国は彼らの者である」

まるでキリスト教を布教して迫害されたら天国に行けると言っているかのような印象を受ける。
実際、そう思った人が古代にはたくさんいて、故意に迫害されようとテロ活動をしていたようです。



ヘブライ語をギリシャ語に直訳するとそうですが、意訳するとこうだそうです。

<神の義を追い求めるものは幸いである。そのようなもので神の国は構成される。>

<神の義を追い求めるもの>という意味だったものが、<神の義により迫害されたもの>となってしまったから、信者たちは周りと同調せず、布教活動を活発にして取り締まられるようにしたらしい。
ローマ帝国各地で、社会不穏を故意に起こして自分の幸せのためにテロ活動を起こしていたので、社会不穏を起こし事件を起こす信者たちは、ローマに捉えられテロリストとして処罰されていたってことですね。

これがキリスト教がローマ帝国で迫害されていた理由。
聖書の翻訳のマズさが原因だったんですね。

知恵を持って読み解き知恵で信者を導かなかったかった聖職者に責任がある。

無知は罪、ってそういう意味では、本当にそうだなって思います。
知恵を使わなかった人達のせいで、多くの人が死んだし、ローマ帝国もひどい目にあったわけだし。


さて、本題のこの物語の内容は、直訳すると、奇跡物語になってしまう。
超能力者イエス ってことになってしまい、「魔法使いイエス様を支持した方がお徳らしいぞ。なんたって自然界も自由自在に操れる大魔法使いなのだから。人の命すら簡単に奪える恐ろしい魔王様でもあらさられるから、今度来るときまでには信者になっていて崇めていないと、永遠の地獄に送り込まれずから、今のうちから信者になって毎日祈っとけ」ってなってしまう。


聖書作家はそんなことを言っているのではないし、信仰心が持てと言っているのでもなく、知恵で乗り切れ と解いているように思える。

知恵を持たないと、「11時に仕事が終わるとなったら、2時間しか働けない そんなんじゃ 生活していけない」となる。

「古代の11時は今の5時のことだ。5時まで雇うって言っているのだから騒ぐな。知恵が無いから勘違いしてわーわー騒ぐんだ。なんで知恵を持とうとしない。知恵を持っていたら 心が嵐にならずに済んだのに」


こんな意味だと思うんですね。


教会側は、使徒の信仰心の無さをイエスが指摘している場面と解説するでしょうが、それを信じたとしても、じゃあ信仰心があれば、自然界をコントロールできる人になるか?


「天気予報だと明日は大雪になると出ているので、早めに起きよう」と遅刻の予防はできるでしょうが、雪が降ることは止めることは、祈っているだけではできません。
祈っていたら翌日雪降らなかった?
自分はすごい?
いや 万物の法則で、雪が降らない要素があったから降らなかっただけで、超能力があったからでも、祈って神が聞き届けたからでもないことは、知恵のある大人だったらすぐにわかる。

で、予報が外れた観測官は、何が原因で雪にならなかったのか原因を追究して、予報精度をあげていく。
「神やキリスト教信者はすごいな」とは思わない。
自分たちが知らなかった何かが影響を与えたと思う。
より知恵を深めようとする。


話変って、集団が増えていけば、統率し争いを未然に防ぐために共通了解が必要になります。
それで、知恵を使って法律を制定したと思える。

古代のヘブライ人は古代に栄えたエジプト文明の知恵の遺産を受け継いだと思えます。

エジプトで内部分裂して、エジプトの叡智を受け継いだのが、古代のヘブライ人だったと思えます。
10戒の内容が、エジプトの法律の簡略版であることからしても、疑う余地は無い。

エジプトのマアトは、法、正義、秩序を司る神。それらの概念を神としたのだと思えます。

マアトは最後の審判の話にも登場する神で、彼女の羽で審判が決まるとされた。

エジプトの混乱で、この叡智はヘブライ人に受け継がれ、幕屋においてこの叡智が崇められていた。
ヘブライ人にすれば、自分たちは選ばれた民だといいますが、遺産を受け継いだからそう主張できるわけです。


しかし、支配権争いにより、その叡智がヘブライ人から離れてしまった。

どこまでが歴史的事実なのかわかりませんが、マアト(ティアマート)はキングーを聖別し、彼に石版を渡したと神話ではなっています。
キングーは反逆者マルドゥックに殺さ、マルドゥックは最高地位 支配権を手に入れたことになっています。

この物語のつづきが旧約聖書のエデンの園での話しになっている。

知恵を得たために、アダムとイヴは真実を知ってしまい、知らなければ幸福だったのに、真実を知ってしまったために、マアトを殺して乗っ取った神の農場から出ることになった。

盲信していれば、天国に行けるんだと与えられた妄想に甘美な思いをしていれたでしょうけど、知恵を得てしまった信者の場合、もうマインドコントロールは通用しなくなり、悲しみを抱きながら、勇気を持って農場を出るんでしょうね。

どっちがいいのでしょうね。
死ぬまで知恵なしで直訳聖書を読んで麻薬に溺れ妄想の世界に住むか、知恵を持ったために悲しみを知り、それでも勇気を持って農場を出て自由民となり現実世界を生きるか。

いずれにせよ 終着点は一緒ですけどね。
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>イエスは凄い人だと言いたかったのでしょうか?



イエスは凄い人だと言いたかった面も多分にあると思います。

気が向いたらで結構ですので、
旧約聖書も繰ってもらえればと思いますが、
ヨナ書というページもわずかに参考になればと思います。
欠伸(あくび)の出るような小預言書群の中では、
比較的、物語性を持つ読み易いおとぎ話となっています。

私家版「10行で分かるヨナ物語」をこしらえると、

  悪魔の仕業かはたまた鬼神の悪戯か
  風向き悪く運悪く船は嵐只中立ち往生
  右に傾き左に倒れ上を下への大騒ぎ
  万時急須これまでと怖気づく船乗り尻目に
  ごうと鼾ををたてて不貞寝を決め込むは
  何処より来たるやヘブライ人の風来坊
  やいのやいのとくじ引かせて海にほふり
  あわれ風来坊は海の藻屑
  大魚の腹中三日を過ごし
  生きて帰るはその人ヨナであった

(ピノキオかよ)

似てると言えば確かに似てるし、
細部で違うと言えばきりがなかろうしで。
個人的には、師匠や自分たちの権威は
旧約によって裏付けられているという主張をしたい
イエスの末のお弟子さんたちによる
旧約聖書のオマージュというねらいがあるように思います。
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 たぶん ただの伝説だと考えます。



 真理を指し示し 父なる神を指し示し 父なる神と 自身が一体であることを告げ そのことは 永遠の生命という存在ないし現実であるとおしえ このことの実現を 将来に 人間が 自分たちの能力と努力によって もたらすようにと言って去った。去ることによって さらには 聖霊なる神を 父とともに 送った。
 肉(=身体および精神)となった神の独り子の物語を 伝えるための導入の部分であると考えます。
 また 実際に 人びとは それほど 迷信深い心性であったとも言えます。そのような言わば悪の情況を善用して そういった超自然のことがらを内容とした伝説をも 聖書記者は 記すことを控えなかった。と考えます。
 すなわち 《イエスが 嵐を静めた》ことじたいは たぶん うそでしょう。針小膨大な語りになっていると思います。
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