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初めまして、

少し生意気な質問をさせて頂きます。なにぶん素人ですのでご了承下さい。

いつも参考にさせて頂いております。
いつも思っていたのですが、WEBや本などでは必ず物理法則は正しい、実験結果が証明している。などが必ず前提になっております。
例えば光速は不変で実験結果からもそうである。
などとありますが、これは間違いが無いと言う決め付けている所が納得いきません。もしかしましたら、ただの近似値を見つけただけかもしれないと思うのですが・・・
全ての物理法則、時間とは何なのか?、何故、光速度は常に一定なのか、重力とは?などまだ解らない事が沢山あると思うのです。そうしますと”結果そうなる、何故なら物理法則がそうなっているから(実験結果)”などと言われても”はいそうですか!”とはならないと思います。私自身そうです。

今解っている事はこうで、但し違うかもしれない!(ただの近似値)今の物理学では数式化するとこうなる!。と一言書くべきではと思います。
ですので今の物理学は完全では無いが解っている範囲では正しいと思う!。と書くべきだと思のです。
私のような素人には、この一言がすごく重要だと思います。この一言で”光速度は不変”との内容も受け入れやすいと思うのですが、何故記入しないのでしょうか?。それともやはり私の解釈は間違っているのでしょうか?。

生意気な質問ではありますが、私のにとっては凄く大切な部分ですのでご意見宜しくお願いいたします。

A 回答 (23件中11~20件)

○#11さんのおっしゃること・・・


 もっともです。挙げてあることはすべて有名な事実ですね。特にりーさんの議論好き、というより他人のコキオロシとか有名ですね。そういう人もいるな。
 ただ、今年ノーベル賞をもらった小林・益川両氏の理論提唱はもう35年ぐらい前のことでしょう。若いときによい仕事をしている。もう現役引退と思ってたのに突然大舞台に引き出されたって雰囲気、生々しかったですね。でも、それが非常にうれしかった。特に自分は坂田昌一氏が大好きでしたから、その指導の下で育った二人の業績が認められたことが非常にうれしいです。ここでもう一度氏の仕事が実ったみたいでそのことも合わせて喜んでます。本当に物理学が好きという雰囲気は、わかりますね。でもその後かなりの逆風にさらされてきたのではないでしょうか?理論の発展、自然認識や、法則についての理解などについての坂田昌一氏の「階層構造論」とか、もう今では著作も手に入らず、日本人の物理学者にこのような人がいて、そのようなことをおっしゃってたことなど、今の若い人には受け継がれないのかな? 本当に残念なことです。この質問にも十分に答えてくれていると思うのですが・・・。そのような研究者を大切にしなかったから、日本の物理学のよき伝統も引き継がれなかったのではなかったのかな?現役のかたがた、いかがでしょう?
 たしかに研究者の人間性もかなり重要ですね。ただ、物理学そのもの、その正しい理解という面と、それを扱う研究者の人間性という面とは違うでしょう。これは物理学じゃなくてもすべての分野にいえることでしょう。
 今年は物理分野が脚光を浴びましたが、次は名大-阪大蛋白研あたりに日の当たる日が来るといいな。。。外から見てて、そんな「熱さ」が伝わってくる時期が有ったと思うのですが・・・結構、研究者の人格も大切で、エネルギーに満ちて輝いているときは、結構短いのかも知れませんね。だから時間を大切に、人との交わりを大切にというのも歴史の教えるところかも・・・。
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#10のrukukuです。


cyototuさんの#11の回答に関連してです。

>宇宙論で有名なあのスティーヴン・ホーキングは
>「我々は神のお書きになったシナリオをもう一歩で読めるところまで来ている」
>と、途轍もなく不遜なことを言っております。

スティーブン・ホーキング氏の言葉の真意は分かりません。
しかし、以下のような考え方もできます。

「真理」と「科学」は「漸近線」に例えられることがあります。漸近線は、限りなく近くに行けますが、決して追いつけないものです。

前後の言葉がないので判断できませんが、
「もう一歩の所まできている。しかし、その一歩が遠い」という意味であることも考えられます。
…言葉は複数の解釈を持ち得ますので、前後関係や聞き手の受け止め方によって異なる意味に捕らえられます。
http://www.asahi-net.or.jp/~MF4N-NMR/benkyo.html
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/poetics/11739 …
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質問者さんの気持ちも良く判ります。

二流の物理学者がそんなことを言っているならば、本物の物理学はそんなものじゃないよ、と言っていられますが、結構一流の物理学者が、そんな烏滸がましいことをしばしば言って来たのが、物理学の歴史ですからね。

アインシュタインは、量子力学の解釈に不満だったのですが、有名なソルベイ会議で
「神はさいころ遊びをしない」
と言ったとき、ボーアに
「神がどう行動すべきかを、人間風情の貴方が一々指図するべきではない」
と嗜められておりました。

1990年代の終わり頃、東京国分寺の日立中央研究所で行われた日立コンファレンスで、鏡像対称性の破れの問題で有名なLee-Yang 理論を提唱してノーベル賞を貰ったリーが
「21世紀の物理学には原理的な問題や本質的な問題は最早残されていない。これからの物理学に残されていることは、今まで発見された原理を如何に上手に使いこなすかだけだ」
と言ったとき、そこに招待されていた、散逸構造の発見でやはりノーベル賞をもらった有名なプリゴジンが
「とんでもないことをおっしゃる。私も、貴方の興味を持っていた分野がそろそろ限界に近づいたと言うことは認める。しかし、物理学には次々に新しいパラダイム、あるいは、世界の見方の視点が生まれて来ており、その方向に、幾らでもまだ未知な原理が潜んでいる。今の若者達にも、量子力学の発見にも比せられる未知な世界が残されている」
と嗜められておりました。

宇宙論で有名なあのスティーヴン・ホーキングは
「我々は神のお書きになったシナリオをもう一歩で読めるところまで来ている」
と、途轍もなく不遜なことを言っております。

どうも、一流の物理学者の中にも、人類の歴史を理解していない方が幾らでもおられるようですね。そう言えば、西洋の中世では、ローマのバチカンが
「我々はこの宇宙のことを全て知っている」
と主張していましたね。また、ガリレオの書物を読むと、アリストテレスがすでに全てについて答えを出していると考えていた権威どころがいたようですね。物理学者も、歴史を学べばこんな不遜なことは言わなくなると思うのですが、歴史に興味を持たない一流の物理学者さんもいっぱい居られるようですね。

バチカンに関しては、こんな面白い話があります。昔、西暦の元年を決める時に、それをいつからにすれば良いかの論争があったそうです。ある一派は、イエスの生まれた年を元年とするべきだと主張しました。しかし、他の一派は、
「イエスの生まれた年は、正確には分かっていない。それよりも、絶対確実に分かっている時点を元年とすべきである。それは、旧約聖書に書いてあるこの宇宙の始まった年である。それによると、今から4千何百何十何年前(正確な数字は忘れました)である。それを元年とすべきである」
と主張しました。結局、イエス派が勝ちましたが、それでも後に数年の誤差が出ているようです。考えても見て下さい、当時のバチカンは、リーやホーキングやアインシュタインに匹敵する権威を持っていたのです。そんな権威どころでも、後からみると呆れてしまうほど程度の低いことを言うこともあるのですね。

ついでに言いますと、キリスト様の誕生日だって、
「こんな偉い方が受胎されるのは何か特別な日に違いない。そうだ、それは皆が春を謳歌する春分の日であるはずだ。だったら、誕生日は丁度冬至の日になる。だから、12月25日が誕生日だ」
と決めたのだと、どこかで読みました。昔の暦では冬至は12月25日頃だったそうです。一流の物理学の言葉を含めて、権威どころが言うことを「全て」まともに受け取ってしまう訳にはいかない、と言うことを歴史は教えてくれているようです。

この回答への補足

貴重なご意見、大変有難う御座います。

今の物理学はまだ発展途上で完全ではないし完全な法則が見つかるかもまだ解らない。と言う解釈で正しいでしょうか?
そうでないと物理学者が現代の物理学にて”それは存在しない”と言えば存在しない事になり物理学は神をも超えた存在と過大解釈すら出来てしまうように思います。例えば、お互いに相互作用しないから存在しない、と存在が確認できないとではかなり意味が違ってくると思います。(実験結果は同じだと思いますし相互作用しないなら確認すら出来ないですが)
初心者向けの物理学ならなおさらcyototu様のご意見のような内容を大きく前置きして頂けると初心者にももっと受け入れやすくなるし、理解も広がると思います。

ご意見大変有賀とう御座います。大変参考になりました。

補足日時:2009/03/01 04:19
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はじめまして



FIXさんの質問に関しては、これまでの回答にあるとおりだと思います。

科学を専門としない人ならば、「科学は絶対に正しい」思っていても仕方がないと思います。身の回りの現象の多くを科学が「説明」しています。その科学がまさか「発展途上」にあるなんて考えたことがなくても、おかしくありません。

しかし、残念ながら科学を専門とする人でも、「科学は絶対に正しい」と思っている人がいます。
彼らは、これまでの科学で説明できないことが出てくると「科学的にあり得ない」といいます。
正確には「私の知っている科学では説明できない」と言うべきであるにもかかわらずです。

逆に「科学は無能です」といわんばかりに「科学は万能ではない」という人もいます。確かに、今の科学では説明できないことはまだまだたくさんあります。しかし、これまで多くの人が取り組んで、様々なことを説明しようとしてきた業績は認めてほしいと思っています。

「科学はいまだ“発展途上”であり、これからも進化を続ける」ということが理解されていないために起こる、「誤解」だと思います。
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この回答へのお礼

ご意見誠に有難う御座います。

>「科学はいまだ“発展途上”であり、これからも進化を続ける」
まさにこの一言が書かれていない為、私のような初心者が物理学に対して疑問を持ったり、良くわからない物理学風(SFのような)の解釈になってしまうのだと思います。

とてもすっきり致しました。
大変納得の行くご意見、誠にありがとうございます。

お礼日時:2009/03/01 04:29

 物理学の進歩は波が有り、本当の意味での発展は16cニュートン力学、19c熱力学・統計力学、20c相対論・量子力学ぐらいではないのかと思います。


 そのような大きな進歩の前には自然現象についての「認知」が先行しています。ニュートン力学の前には生涯を掛けた天文学者の精緻な観測の積み重ね、熱現象の理論の前には蒸気機関の利用による産業の発展、量子力学には1000℃以上の高温を測るための経験則、相対論の元になったマイケルソン・モーリーの実験も独創的な実験です。むしろ理論を信じることができないが、それを説明するためには理論がこうでなければならないのだという歴史になっています。・・・そのような物理学の発展の歴史を正しく知ってほしいと思います。
 でなければその理論の本当のすばらしさ、人間の自然を認識する力のすばらしさ、そのような理論を構築した個人の本当の意味での創造性、そのような物理学の醍醐味を味わうことはできないでしょう。
 このような人間の認識の修正や拡張、まして根本的な再構築となると、そのような人間の認識の変更を迫るだけの自然認識の到達点がなければならず、たまたまそのような時代に居合わせることの幸運もなければならず、そしてそれを誰よりも早く解明を行ったという思考力の豊かさがなければなりません。それを味わってほしいです。量子力学や相対論関係では原論文も手に入りますから、間接的な解説でなく、そういうのを読んで「本物」に触れてみてはいかがですか?
 本当の意味で理論を発展させた物理学者が<理論が絶対である>というようなことを言った歴史は無いのでは・・・。そのような独創的な権威者にすがるしかなかった二番煎じ・三番煎じの人々の悪行は有るかもしれませんし、偉大な人物も長い生涯の中では自分の権威を守るために間違ったことを言ったことが有るかもしれませんが・・・そのようなことを言うのはもはや理論を発展させる力がなくなってしまったということなのでしょう。
 高校時代、繰り込み理論が8桁~9桁という精度を持つこと、あるいは相対論的量子論から電子・陽電子対創造の予想を行えたことなど、そのようなことから物理学への魅力を感じていました。大人になるに従って、それがどれだけ大変なことなのかがやっと理解できるようになったかな・・・・
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>WEBや本などでは必ず物理法則は正しい、実験結果が証明している。

などが必ず前提になっております。

 そんなことが本当に書き手の意図として書いてあるとすれば、似非科学です。「必ず」なんてありません。本物の物理学者はたとえば「我々はローカルな理論しか知らないから」とか「今までのところは」といったようなことをしばしば言います。完璧と思われていた理論がしばしば覆ったことを知っているからです。「さすがにこれだけは完璧か?」と思われていた特殊相対性理論も高エネルギー領域では成り立たない可能性が取りざたされている状況です。一般相対論ともなると、競合理論がありますし、宇宙論などは百花繚乱です。

>全ての物理法則、時間とは何なのか?、何故、光速度は常に一定なのか、重力とは?などまだ解らない事が沢山あると思うのです。

 そうですよ。当たり前です。物理学はhowは追求しても、whyは放置だからです。副産物としてwhyが手に入れば参考に残してはおきますが。あらゆる慣性系から光速度が一定なのは何故なのかは物理学関係者の誰も追及してません。そうするとどうなるかが重要であり、本来の課題だからです。時間など物理学を記述するパラメータ、つまり道具の一つに過ぎません。道具の存在理由なんて問いません。重力とか物理学的な「力」についてはそれらが統一されたものから分離された経緯を追及しますが、それらが何なのかも、気にしません。

>今解っている事はこうで、但し違うかもしれない!(ただの近似値)今の物理学では数式化するとこうなる!。と一言書くべきではと思います。

 繰り返しになりますが、書いてあるか、当たり前なので省略されているかのどちらかです。地上近くの物体の自由落下で、「実は高さによって重力の強さが異なるが無視するとして」とは書きません。古典電磁気学の教科書で、「実は本当のとおころは特殊相対論を適用しなければならない」とわざわざ断りません。いずれも当たり前だからです。ましてや、数式を使わない啓蒙書ならば、読者を混乱させないため、事実をきちんと知っている人からは「そんな乱暴な説明では・・・」と困惑するような省略や断定があります。
 こう言っては悪いとは思うのですが、質問者様は勉強されておいででないので、科学者がいかに苦労しているか、ご存じないだけです。

この回答への補足

ご意見有難う御座います。

>時間など物理学を記述するパラメータ、つまり道具の一つに過ぎません。
物理学にある程度詳しい方々にとってはそうなのかもしれませんが私のような初心者向けのTV番組などでもそのように扱われてもとても解釈に苦しみます。物理現象を説明する上でパラメータに過ぎない数字にそれ以上意味を持たせなくても結果は説明でき、現象を予測できるのでそれで十分かとは思いますがそれでは初心者には理解が進まないと思います。だからこそ私のような物理学を勉強していない人向けにはなおさら”書いてあるか、当たり前なので省略されている”部分がとても大事ではないのかと思います。

>「必ず」なんてありません。本物の物理学者はたとえば「我々はローカルな理論しか知らないから」とか「今までのところは」
このご意見はとても参考になりました。大変有難う御座います。

私はまだ本当の物理学と言う物を理解していないと思います。だからこそ”書いてあるか、当たり前なので省略されている”部分が無いと変な解釈をしたり矛盾が出てきてしまうのだと思います。”ましてや、数式を使わない啓蒙書ならば、読者を混乱させないため”の配慮が余計に混乱を招いているように思いました。

補足日時:2009/03/01 05:10
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ANo.4です。


エセ科学とか、いろいろと反論?らしきものがあって光栄です。ありがとうございます。ますます天動説を批判している気がしてきました。
まあ、それはおいといて、質問者さんは、「生意気な質問」と思っても、納得できないことはとことん調べて、常識と思われることでも、その理論の成立した当時の歴史や実験内容にあたって、ご自身で調べて真偽を確認してみてください。何年かかるか分かりませんし、もしかすると、ライフワークってことになるかもしれませんね。

なお、教科書とか授業では

>>今解っている事はこうで、但し違うかもしれない!(ただの近似値)今の物理学では数式化するとこうなる!。

というスタンスですと、試験問題を作って採点するのが難しくなります。授業をやっていても、先生が「とりあえず、こういうことになっているけど、ほんとうはどうかよく分からない」って言い方をすると、スムーズな授業がやりにくくなると思います。
なので、「これが絶対真理」的な口調で述べるのもしかたないと思います。

ただし、ほんとうに隠された自然の真理を探り出す科学者を産み出したいなら、質問者さんの言われるような「ここまで解っている」ってスタンスの授業が望ましいと思います。
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>物理学は正しいのでしょうか?


分かりません。
物理とは、ひいては科学とは常に分からないものだらけです。
科学の理論は全て「世の中はこんな風にできてる気がする」「こんな風に出来てると考えても間違ってなさそう」という誰かの思いつきでしかありません。
その意味で、全ての科学知識には「解っている範囲では正しいと思う」が付きます。
ただ、それを言ったら科学以外の論理は科学以上にいい加減です。
100%の正しさは実現不可能ですが、何十年何百年ものあいだ間違っていると証明できなかった事柄は大部分が正しいでしょう。
そのようなものを「常識」と呼び、断言するのは仕方ないと思います。そうでないと日常生活が送れません。
科学の常識が覆るのは仕方がないですが、一般人が平穏に日常生活を送るためには常識は覆るときまでは信じていていいと思います。

個人的には、科学が断言してくれないとNo4のようなエセ科学がはびこって困ると思います。
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【長いです】・・・ゆっくり理解しながら読んでいくこと・・



 そもそも、前提である
「これは間違いが無いと言う決め付けている」
 が間違っているので、なんとも回答のしようがないのですが。

>なにぶん素人ですのでご了承下さい。
「私は素人」を免罪符になって、何かを主張するのは、あまりにも卑怯です。
「私は素人だから、あの裁判はおかしい」
「私は素人だから、あの説明はおかしい」
 何かを批判しようと思ったら、まず対象をよく知らなくてはなりません。これは科学はものすごく厳しいけど、一般社会でもそうなのだと思います。

 物理のみならず、科学とは、そもそも
1)周囲の現象をよく観察して、
  それが起きる原因が何かの説明がなにかを探す。
 ★観察
2) 今まで知られている理由でそれが矛盾なく説明できるか?
 ☆説明できれば、それでよいが
 ★説明できなければ、説明しうる理由を考え(推論/仮説)
3) その推論を照明する実験・観察手段を考案し
 それを実際に行い
4) その結果を客観的に評価して
☆推論・仮説が正しかったことを証明していく

という手段・方法論に過ぎません。

 宗教や迷信のように「何々だからこうである」と、多少の矛盾に目をつぶって信じなさい・・・「信ぜよ、ならば救われん」という世界とはまるで違う。もし、「光速度不変」という仮説にひとつでも反する事例が発見されたなら、世界中の科学者は我先に追試をして検証に取り掛かるでしょう。科学者の誰しも今まで信じられてきた説を否定できるのを夢見ている。

 それが科学であり、物理学なのですよ。これを理解したうえで、あなたの質問に個別に回答してみます。


>WEBや本などでは必ず物理法則は正しい、実験結果が証明している。
>などが必ず前提になっております。
 これは、(2)の段階☆であることを示しています。
 そもそも、
科学は、「それがなぜ起きるかを、矛盾なく説明できるか?」が目的なのですから。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^     
>例えば光速は不変で実験結果からもそうである。
>などとありますが、これは間違いが無いと言う決め付けている所が
>納得いきません。
 【光速度不変の仮説】すなわち、一般相対性原理は、現在観測されているすべての現象、実験結果で正しいと証明されている。決め付けているわけではなく、証明されているに過ぎない。
 証明されているからこそ「その仮説は正しい」と言えるのです。厳密には「その仮説は否定されていない」というべき。
  あなただって望遠鏡ひとつ抱えて日食の日に太陽のそばを観察すれば、背後の星の位置がずれていることを観察できる。
 あなただって、ひょっとすると「光速度不変の法則」を否定する新しい現象を発見できるかもしれない。

>もしかしましたら、ただの近似値を見つけただけかもしれないと思
>うのですが・・・
 もちろん、そうかもしれません。事実そうなのでしょう。だから、そう書いてある。

>全ての物理法則、時間とは何なのか?、何故、光速度は常に一定な
>のか、重力とは?などまだ解らない事が沢山あると思うのです。
 ここは宗教や迷信とは根本的に違う部分。時間とは何か、重力とは何かは科学の世界ではない。それは宗教や迷信や哲学にでも任せておきゃよい。
 科学が扱えるのは、「時間とはどういう性質を持っているか?」「重力とはどういう性質を持っているか」「時間や重力の挙動を統一的に説明する方法があるか」だけです。
 「光速度不変」は、その原理を用いて、すべての観察結果が説明できる・・・ということ。

>そうしますと”結果そうなる、何故なら物理法則がそうなっている
>から(実験結果)”などと言われても”はいそうですか!”とはな
>らないと思います。私自身そうです。
 (2)に戻りましたね。(^^)、ある疑問提示されたとき、「何故なら物理法則がそうなっている」は、今まで証明されている「・・・の理論」で矛盾なく説明できると言っているだけです。

>今解っている事はこうで、但し違うかもしれない!(ただの近似値)
>今の物理学では数式化するとこうなる!。と一言書くべきではと思
>います。
 「但し違うかもしれない」それは、科学の前提条件ですから、わざわざはいう必要ないでしょう。それが必要なのは、「説明できない現象が見出されたとき」だけ。
 
>ですので今の物理学は完全では無いが解っている範囲では正しいと
>思う!。と書くべきだと思のです。
 いわゆる一般的な意味で「正しい」なんて科学者の誰一人言ってない。
 【理論】が、膨大な実験や観察結果が、その理論で【説明できる】から、
  --------------------------------------------> 「その理論は正しい」
 科学の論文をひとつでも読まれたら、そのほとんどが実験・観察方法と考察と参考文献で埋め尽くされているのが判るかと思いますが・・それはまさしく「解っている範囲では正しい」ではないかと。

>私のような素人には、この一言がすごく重要だと思います。
 科学論文をひとつでも読んでそう言ってください。でないと単なる「誹謗中傷になります。」
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
 下の本は、一般相対性原理を注釈をつけて詳しく解説してあります。
 相対性理論 (岩波文庫)/Amazon( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003393 … )

>この一言で”光速度は不変”との内容も受け入れやすいと思うので
>すが、何故記入しないのでしょうか?。
 ですからしてあります。、ご一読を
 ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

>それともやはり私の解釈は間違っているのでしょうか?。
 はい、
科学という知的スポーツには「素人・プロ」の区別なんて、まったくありません。誰でも
1)周囲の現象をよく観察して、
2)説明しうる理由を考え(推論/仮説)
3)実験・観察を実際に行い
4)その結果を客観的に評価する
という、極めて厳密なルールに従えば・・・参加できます。
 
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>>例えば光速は不変で実験結果からもそうである。



私も、質問者さんと同じく、それ(光速度不変)はウソだと思っています。実験の不備、あるいは、結果の解析の論理展開に穴があるということだと思っています。
ただし、このあたりの、光・磁気・重力・エネルギーの話題は、交流を発明した偉大な「ニコラ・テスラ」の重要な研究成果が闇に葬られたことからも想像できるように、世界に広まると、現代の石油エネルギーを支配した権力者達の地位を危うくすることになり、研究することはタブーにされているようです。(自分の地位と命を賭ける必要がありそうです)

たとえば、アトランティスの時代にあったパワーが自由に使えるようになれば、「無償でいくらでもエネルギーが入手できる」ということになり、貧困にあえぐ貧しい国の人々が救われるのは当然ですが、石油・石炭の価値が大幅に低下し、巨大企業や一部の国家は存亡の危機になると想像できます。もちろん、関連産業で働く人々の職も無くなり、家庭崩壊が多数起こるでしょう。

そうなることを防ぐためには、ゴルゴ13のような暗殺者を科学者に差し向けることに、権力者は、ためらうことは無いですからね。

ちなみに、この技術は、UFOの駆動技術にも関係しているようです。このあたりの技術が解明されると、手軽に宇宙空間に飛び出せるUFOのような機体が作れるそうですし、核と同等かそれ以上に危険な兵器に応用できます。

なので「人類存続のためにも、優れたフりーエネルギーの技術があっても、秘匿しておく」という判断をする科学者も多いようです。
ただ、そういう判断を行った科学者たちも、石油や原子力等の利用で地球の環境破壊が進むのを見て、「このフりーエネルギーの技術を秘匿するという私の判断は良かったのだろうか?」と悩んでいるそうです。

この回答への補足

ご意見誠に有難う御座います。

>私も、質問者さんと同じく、それ(光速度不変)はウソだと思っています。

私は今の所、光速度不変がウソだとは思っておりませんし実験結果が間違いかも知れないとも思っておりません。ただ光速度は絶対に不変でこれは絶対正しいと決め付けてしまう所に問題があるのではと思ったしだいです。今の物理学がそれほど完全な物なのか?と言う疑問が出てきたのです。
今の物理学はまだ完全ではいし、まだまだ解らない所があるが今の所は実験結果もそうなるし例外も見つかっていないので多分正しいだろうと考えるべきではないのかと思いました。
”フりーエネルギー”と言うものが何なのか解らないのですが、物理学でも、もしかしたらあるかもしれないが確認できないと扱うべきでのようにも思います。

ご意見、ありがとうございました。

補足日時:2009/03/01 04:51
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