天使と悪魔選手権

父とは中1~不仲でした。殴りあい、いがみ合い、、
それが6月に口聞けなくなり、これはもうダメだって感じでしたが、その時は死に対する恐怖心はなかったです。
が、水曜に亡くなりました。

1月からは、もう半分死んでいた状態だったから、いつ死んでもおかしくなかったし、そこでは、まだ、そんな実感なかったです


が、土曜にやった火葬が一番見たくなかったです。
肉体が灰になっちゃいましたし、そして棺が閉められて、火の中に入れられる瞬間は泣いちゃいました。

でも安心した表情してました。


それから、『自分もそのうち灰になるんだ』『あそこを歩いてる奴も何したって灰にしかならないんだな』って考えちゃって怖いです。
天国だ地獄だなんてものは無いし、死後の世界なんかも信用できないから、もう嫌です。

10年前の過去に行き、最後に『これからの自分は苦労かけるけど、ごめん』って言いたいです。

勝手なのは分かってます。


どうやって生きていけばいんですか?
怖いんです。死にそうです。でも死ぬのは怖いです。

A 回答 (9件)

>>天国だ地獄だなんてものは無いし、死後の世界なんかも信用できないから、もう嫌です。



天国も地獄もありますよ。死後の世界はあります。というか、私たちの魂(心・霊)が本来生活しているのが、死後の世界であって、この世は、学習のために短期間の旅行みたいに、魂が肉体に宿っているというのが実際のところです。

そして、魂は死ぬことなく永遠です。なので「死」は、本来の世界に帰ってゆくだけですし、すでに死んだ両親、恋人、ペットたちに再会することも(相手が拒否しなければ)可能です。なので、なにも怖れることはないのですよ。(もちろん、相手が地上に生まれ変わっていると、天国で会えないこともあるけど)

それから、生まれる前に両親と事前に、お互いで人生計画を立てています。子供が成人に成らない時に、親が死んでしまうという計画をたてることもあります。逆に、先に子供が死ぬという計画もあるでしょうね。(もちろん、不意の事故で、計画が狂うってことも有り)

>>どうやって生きていけばいんですか?

そのように迷う時、苦しい時が、学びのときです。

「私たちは、どこからきて、そして、どこにゆくのか?なんのために生まれてきたのか?」

勉強や仕事に、面白おかしい日常生活に埋没していると、上記のようなことを考えることはありません。でも両親・友人、知人が病気になったり、死んだりしたとき、そういうことを考えずにはおられません。それは、ひとつのチャンス、学びのきっかけです。

大きな書店・図書館で、宗教・精神世界というコーナに沢山ある書籍を眺めていると、あなたの守護霊さんが、「これ読むといいよ」と適切な書籍を選んでくれると思います。
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死=無 ではありません。



死=霊界への誕生 なのです。

肉体という物体は無くなりますが、魂は永遠に生き続けます。

何も怖いことはありません。
お父さんも「肉体」という入れ物から解放され、今は自由な、霊界とい世界で伸び伸びと穏やかに暮らされています。

>安心した表情してました。
だから
この世の、肉体のしがらみから解放され自由をえられたのです。


お父さんは貴方を愛しておられたのです。
貴方もそれが 解るから
>10年前の過去に行き、最後に『これからの自分は苦労かけるけど、ごめん』って言いたいです。

という気持ちになるのです。

死への恐怖を乗り越え、親への悔恨を乗り越えるには、
この世に「生かされてる」貴方が、自分の生活を楽しむことなのです。
自分の生命を、生き生きと喜びがわき起こす生き方は
他人、貴方の周りの方達に「愛念」を送り、相手の幸せを祈ってあげることです。
「ただ、人の役にたちたい」「人に尽くすことができればそれでいい」
という気持ちで行うことが大切なんです。
聖書では「与えよ、さらば与えられん」と教えていますし、「情けは人の為ならず」(人に親切を施していると、めぐり巡って自分によい報いがくる)ということわざもあります。
法句経にも「穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。大富を得んと欲せばまさにお布施を行うべし」という一節があります。
穀物を得ようと思えば田畑を耕して種を蒔かなければならない、それと同様に大きな富を得たいと思うなら、まずお布施をすることである。と
あります。
お布施というのはお金や物を人に施すことばかりではありません。
たとえば「和顔施」という言葉が仏教にはあります。
和やかな笑顔で人に接することも、お布施になります。

笑顔にはその場の雰囲気を明るく穏やかにし、そこにいる人を清々しい気分にさせる効果があります。
たとえば朝、職場の人に「おはよう」と挨拶をするときも軽く微笑む。
退社するときも「お先に」と言ってスマイルをつくる。
家に帰ったら「ただいま」と言ってまたスマイル、、、というように、
少し心がければ今日からでもできることだと思ます。
また「ありがとう」という感謝の言葉を、日常のさまざまな場面で口にするのを習慣にするのも良いと思います。
人は感謝されると、自分は価値のある人間だと思えてくるし、嬉しさや充実感を感じるようになってます。
貴方の未来は 明るく、楽しいことばかりですよ。
頑張ってくださいね。
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去年、母と兄を亡くしました。



かなり痛い経験でしたが、それによって「死への恐怖」よりも
生きることの意味を深く考えるようになりました。

死なない人間はいません。親も親戚も先生も友達もペットも
みんな死にます。それをどうこう考えても仕方ないと思っています。

ならば今生きている意味を考える。たとえば喧嘩別れした友達が
いて本当はもう一度話がしたいのだけどと思っている。でももし
今ここで自分が死んだら伝えたい言葉や気持ちはもう一生伝わる
ことはなくなります。好きな人を傷つけて、でも謝るきっかけが
つかめない。でももし明日その恋人が死ぬ、と分かればどんな手段を
使っても「ごめんね」を伝えたくなるでしょう。

生きていくというのは、丁寧に少しずつ死に向かって色んなことを
整理していくことだと思います。それは気持ちであったり、ものすごく
恥ずかしい自作のポエム集であったり(笑)日記であったり。

そういうものを少しずつ整理していく。それが生きていくことであり
また死んでいくことだと思います。

お父さんが亡くなってすぐですもの。気持ちの整理なんてものは
あと1年ぐらいは無理ですよ。その間にたくさん泣いて、たくさん
後悔して。そしてまた大人になっていきます。

過去にも戻れない。未来にも行けない。だったら今を大事にして
丁寧に生きていくことがお父さんに対しても供養になると思います。

今は頭がおかしくなるぐらい悩んで苦しんでもがくのがいいんです。
何か新しいものを生み出すのに痛みはつきものです。

これから先、誰かが家族を亡くしたとき、きっと質問者様は親身に
なって慰めの言葉が遺族にかけられるでしょう。それが優しさです。

人は死んで色んな物を残します。

時が過ぎて悲しみが癒えたら、次はそれを探してみましょう。
「父さん。父さんだったらこんな時どうする?」
心の中のお父さんと会話できる日もきっと遠くありません。

だから今はしっかりと悲しみと向き合って充分に苦しみましょう。
お父さんはきっと質問者様の成長を楽しみにしているはずです。
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この度は、ご愁傷様でございました。



私は、仕事柄大勢の残される家族を見てきておりますが、
常に思うのは、故人に代わってこの世を生きてほしいなと願います。

私は、20歳のときに祖父を亡くしました。
以前から「おじいちゃんに何が起こるかわからないから、帰省用の資金はタンスに入れておけ」と言われておりました。
ですが、そのお金を使ったのは、言われてから、季節が変わった、数ヵ月後でした。
忘れた頃にというやつです。

祖父は、「寝たきりで10年生きられるより、元気に1年を過ごしたい」と願い、医師も家族(父ですが)もそれを了承し、辛い治療にも絶えて居ました。
祖父は、お見舞いに来る人来る人に、全員に「退院したらあれもこれも」と退院後の話ばかりしたそうです。
祖父は、二本足で、元気に動き回る!それが「生きている証拠」と思う人でした。

そんな話が父と祖父の間にあったとは知らず、葬儀の際に知らされた私です。
私は、その時、大学生。実は、大学の方針が変わり、大学に通う意味を見失うし、将来の夢もなくなり、別に物欲や旅行への興味もないわたしでたので、バイトも真剣に取り組むことなく
毎日を淡々と生きていたため、祖父のことを知らされたとき、ショックでした。

仏は、生きたい!と願い頑張った祖父を死なせ、生きる意味を見失っている私を生かせた。
これはどういうことなのかと。

実は、祖父の危篤を聞かされ、急いで帰路(遠方の大学でしたので)で、天候が急変。ワイパー全開にしても前が見えない、路面が見えない、ハンドル操作を誤ればスリップ→事故 という状況でした。
嫌な予感が、私の帰省を拒むようで。

でも、葬儀後、あれは、祖父の怒りでもあり、また仏からのメッセージだったのだと。
生きることを大切にしていた祖父が私へ宛てた「生きろ」というメッセージというか。うまく表現できませんが。

私は、その後、すぐに生きる目標や、大学での目標が見つかるわけもなく(そんなに簡単に見つかれば皆、苦労はしない)。よって、まずは、目の前にあることを手当たりしだい頑張ってみました。
勉強、バイトなどなど。
勉強は、嫌いや苦手のものにはあえて頑張らず。興味あるものには徹底しました。嫌なものに手を出して挫折して、またへこたれるよりは、今、少しでも興味があるもの、理解しているものを追及した方が進める!そういうタイプだったので。

おかげさまで、いろいろ前向きになれました。
就職は、先生から「絶対に無理」といわれる会社を受け、ことごとく不合格、でもそれでも良かった。納得いく職活ができたから。
最終的には教授に泣きつかなくては行きませんでしたがね(笑)

でも、今でも祖父には感謝しています。
実は、私、火葬場での出来事一切覚えていないのです。
骨上げの際は、へまして皆に「面白い奴だ」と言われ、その時のことは覚えていますが、その前後は、一切記憶にないのです。
おそらく、ずっと自分の生きている意味を探していたのかも。

そして、灰になった祖父、その骨上げ時には気持ちに整理がついていたのでしょうね。叔父に「感謝や、成仏を願いながら」と言われ、感謝をしながら骨上げをしました。

私は、身内の死から「生きるヒント」を得たタイプです。
ものの見方の違いではないでしょうか。
どうやって生きていけばいい??、死ぬの私も??
とマイナスに考える人と、死をもって「生きる」価値を目の当たりにする、生きるヒントを得るプラス思考タイプと。

できれば、プラスに考えてほしいです。
絶対に、生きている人は、意味があってそこにいます。
今は、何も見えていないだけです。
もし、なんならば、私方式で、目の前にあることにすべてがむしゃらに頑張ってみてください。
頑張って無駄はないはずです。
絶対に、生きていくことというより、そこに居る意味が見出せるはずです。もしかすると、ここじゃない!となるかもしれませんね。

そこで立ち止まっていては、生かされている意味はありません。
前に進む頑張りを持ってください。
父親の死を受け入れる、には時間がかかるでしょう。でも、父親が何故、そんな長期間寝たきり状態であなた方家族の前に居たのか。
それは、おそらく、元気に生きているありがたさを教えるためじゃなかったのでしょうか?
そうとも考えられませんか?

貴方が、次回お父様にお会いしたとき、素晴らしい人生を歩めたと胸張って威張って語れるそんな人生を今後歩まれることを願います。
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22歳の方のガン闘病日記です、よかったら読んでみてください。


http://ameblo.jp/toubyou/

仏教では「だれもが死ぬ、自分も死ぬ」というところから出発します。
・いつ死ぬかわからないからこそ今日を、今をしっかりと生きましょう。
・安心して死ぬために心をきれいにしましょう。
・自分のことだけ考えてないで、周りの人たちに感謝して生きましょう。
という教えです。
今は辛いでしょうが、きっとその苦しみ悲しみ、恐れは
少しずつ薄れていきますから大丈夫ですよ、落ち付いてね。
もう大きい人のようだから、しっかりしてくださいね。
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過去、どのような事があってお父さんと不仲だったのかわかりませんが、お父さんが亡くなられたから詫びたい気持ちなのか、お父さんのことより過去に戻ってやり直したいのか?自分が悪いことをしてお父さんに迷惑かけてきたから、自分は死にたい!でも死にたくない!のか・・いまひとつ、気持ちがわかりませんが、ひとつ言えるのは人間全て、生き方は違うということです。

規則正しく生きてきた人もいれば、最悪の生き方をしてきた人もいます。お金持ちで裕福な家庭で育ってきた人もいれば貧乏で、一家、生きるか死ぬかのどん底だった家庭もあるでしょう!大事なのは今までの自分の生き方が間違えてて、それに気が付いて途方にくれた時、どうすればいいのか?
0からのスタートなら無限大にやる事はあります。
まずお父さんに申し訳なかったという気持ちならば、墓前で今後、頑張っている報告をしていけばお父さんも喜ぶのではないでしょうか?

親から、いや神様から授かった体です。
楽あれば苦あり!みんなそうです!
人間、避けて通れないのは納税と死と言われています。
いつかは自然と死んでいきます。
自ら、死ぬのは絶対にやってはならないこと!
死にたいなんて考える前に前向きに一つずつ、行動してみましょう!
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初めまして。

私もここ数年で身内とか 亡くなり ついこの前もです。。カテが違いますが アンケートカテゴリ見て頂けたら分かります・「亡くなった人を忘れるまでには…」で質問しました。回答頂いた中に
加藤徹さんの「漢文力」の一障をいただきました。
主人に聞かせたら キリストっぽいなって言われましたが 私は仏教・・でも 人間って 心が求めたものは
何だっていいと思います…立ち直りたいし。。
読んでみて下さい 是非。
火葬されて その煙りが四年たったら… ってものです。私はそれで 少し楽になりました。。
皆 強いなと思います…
身内や大事な人の死を乗り越えて 生きてきてる人・・・。お父さんは 親です・・貴方が思うほど 根も持たないし 無償の愛だったはずです・貴方にもしも後悔があれば それは貴方の子供・家族への思いやりに変わり現れると思います。後悔が自分を作ってくれる事もあるはずです。無駄はないかなと・私は そう思ってます… 笑って幸せにいてくれる事が 親の幸せです。
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何かやり残していることがあるから怖いのでは?



果たすことができなかったこととか、
今まで忙しくてできなかったことに、
もう一度チャレンジしてみては同でしょうか?
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こんばんわ



私も父が7年前に亡くなりました。

生まれてくる以上、どんな人でも最後はなくなるのです。

それをわかっていながら生きているのです。

私も正直死ぬのは怖いときがあります。

でも、死ぬときまでに後悔のない生き方をしたいと思っています。
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