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(両親に代わって質問させていただきます)
昨年11月に祖母が亡くなりました。先日お彼岸に来ていただいた際に、お坊さんから「今年は初盆ですからお参りをさせて頂きますが、
それとは別に、お寺にて「施餓鬼」を8月18日に勤めさせて頂きます。お坊さんは7人ほどで勤めさせて頂く予定です。」と言われました。
知りたいのは、
【1】曹洞宗(禅宗)での「施餓鬼」について、その意味はなんでしょうか?「お盆」の行事との違いや、「お盆」以外に行う意味とはなんでしょうか。
【2】一般的に行われている実施の例など、実際行われた方の具体的なお話など聞かせていただけると幸いです。
【3】これはお寺側よりあったお話で、こちらから依頼したものではないのですが、都合が付かなければ必ずとも参らなくてもよいのでしょうか?
また、その際はお供えだけはするものなのでしょうか?
【4】お坊さんが7人ということでしたが、御布施はどの位包むのがよいのでしょうか。
【5】「初盆」としてのお勤めは8月14日か15日位で考えています。

知識がほとんどないためわからないことだらけなのですが、答えられる質問だけでも結構ですのでご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

 曹洞宗寺院の檀家です。


 曹洞宗では,「施餓鬼(せがき)」とは言わず,「施食(せじき)」と言うのが通例ですが,意味合いは同じです。施食会の法要は、曹洞宗にとって大切なもので、祖先、父母、親類、縁者の精霊、または無縁の精霊に供養するために、各お寺で勤められます。
 曹洞宗の寺院では,年に1回又は2回,施食法要が勤められます。この法要の時期は寺院によって異なり,私のところの菩提寺では年2回,春と秋のお彼岸のお中日に彼岸法要と合わせて施食法要が行われます。お盆に勤められる寺院もあれば,全く違った時期に勤められる寺院もあります。お盆の時期は坊さんが忙しいので,お盆前やお盆後に勤められる寺院が多いようです。
 施食会法要は,他の寺院の僧侶も来て法要を勤めます。うちの菩提寺ですと坊さんが12名ぐらいになります。

 「新亡施食」という言い回しもあり,前回の施食会法要から今回の施食会法要までの間に満中陰(49日)を迎えられた方のいる家が,施食会法要の施主となります。施主と言っても名ばかりで,準備等はお寺の方々と檀家の世話役さんがしてくださり,施主は御布施を納めるのが役目みたいなものですが,あくまでも施主ですので,都合を付けてお参りになられた方が良いでしょう。
 うちの菩提寺では,新亡施食の御布施は,3万円と総代会で決められています。
 
 お盆に菩提寺から各檀家宅へ棚経(お勤め)に来られますが,檀家の方から日時を指定するのは難しいことが多いようです。大抵は菩提寺から「何日の何時に伺います。」という通知が来て,それに合わせるということの方が多いようです。これは,檀家の多い寺院ですと,日程調整が困難であること,檀家の少ない寺院の僧侶は,檀家の多い寺院の棚経のお手伝いに行くため,調整が難しいのです。
 ですので,8月14日か15日というお盆期間中にお勤めに来ていただきたいのであれば,早めにその旨を菩提寺に伝えられた方がよろしいでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2009/03/17 23:05

【1】「お盆には死者の霊が帰ってくる」という古い言い伝えは御存じかと思います。

特に身内が亡くなってから初めて迎えるお盆には仏壇を綺麗に飾り、家族や親戚と共に過ごす習慣はよく知られています。しかし、そうやって供養してくれる身寄りのない死者や、不慮の事故・災害による死者は、この世に強い未練を残しているために「餓鬼」となって成仏できずに彷徨うとされました。ですから、初棚で自分の身内を丁寧に供養するその気持ちを、身寄りのない無数の死者にも振り向けよう――というのが施餓鬼の意義です。しかしこの言葉は「自分の先祖は餓鬼なのか?」という誤解を与えやすく、曹洞宗では20年ほど前に「施食」(せじき)と名称を改めました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。わかりやすい説明で参考になりました。

お礼日時:2009/03/17 23:08

餓鬼に施すという意味です。

「餓鬼」とは六道(天上道、修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうち、餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡者のことです。

餓鬼が口にしようとするものは忽ち炎と化し、何一つ食べることが出来ず飢えの苦しみには際限がありません。自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」です。

起源は「お釈迦様の十大弟子の十番目である阿難(アナン)尊者が、あるとき森の中で坐禅していると、真夜中に突然餓鬼が現れました。その餓鬼は口から火を吐きながらこう言いました。

『三日後、汝の命はなくなり、我と同じ餓鬼道に落ちることであろう』

驚いた阿難はすぐさまお釈迦様に相談します。

『観音菩薩から授かった真言(お経)を七回唱え、一心に祈れば少量の食べ物が沢山になる。これを無数の餓鬼に施し、空腹を満たさせれば良い。こうして供養すれば多くの餓鬼が苦身を逃れ天上に生まれかわれよう。また、その施主は寿命が延び、仏の道を悟る近道にもなるのだよ』

とお釈迦様は教えられました。阿難尊者はそのお言葉通り、早速供養を行ったということです。

日本では年中行事の一つとして盂蘭盆会(ウラボンエ)に行われることが多いです。盆には家の先祖の精霊(シヨウリヨウ)を祀るほか、ともに訪れてくる無縁仏や餓鬼のためにも施餓鬼棚(精霊棚)をつくって施しをしなければなりませんでした。

俗に餓鬼は供養するもののいない無縁仏とか祀るもののない霊魂として観念されたので、御霊(ゴリヨウ)信仰に通じる性格をもちます。中世には飢饉や戦乱などの折に河原に数万の群衆を集めてたびたび営まれたり、近世に入っては大火の犠牲者の追善のために大寺院で修されたりしました。両国の回向院で営まれた明暦3年(1657)の江戸大火(振袖火事)の際の死者供養などは、その代表例です。

施餓鬼は浄土真宗をのぞく各宗派で行われています。

また禅宗では、生飯(サバ)といって食事のたびに飯を数粒施す習慣も施餓鬼の作法だとしていますのも民間の御霊の一種であるひだる神に対する作法と共通するものがあります。

ということで、他の者に施す、困っている誰かに眼を向ける、という先祖伝来の仏教の教えですね。「餓鬼」に「布施」すると書いて施餓鬼です。禅宗における施餓鬼とは、単に法事だけでなく、修行の一つと考えて良いでしょう。

施すことは、自らの貪(むさぼ)りを捨てることにもなります。「喜捨」
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