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例として、我が国には9条があるのにも関わらず自衛権を訴えるのですが、日本国憲法に、国家の自衛権の保障の宣言がありません。

国連が保障しているから、良いというのは気持ちが悪い響きです。

憲法とは、ある国家の法律を治める為に存在し、
どんなに時代が流れてもある程度不変であるべき、
人間(その国家)の理想擬似の絶対定義であると思っています。

擬似としたのは、人間が作るモノは絶対にはなりえないからです。
例:物理法則は擬似ですが、リンゴは地に落ちます。

上の理解は正しいのでしょうか?

では次の例では、死刑制度問題について。
それは、以下のような問題にすぎない。
国家が人を殺してよい権利、殺人許可証を発行するのは戦時と、犯罪者に対して、そしてもしかしたら、公安が関わるような案件もそうなのかもしれません。

その権利をまず犯罪者に対しては、縮小しましょう。
国家には必要ありませんという議論である。

いつかは、戦時も、公安も止めましょう。
いつかは全ての国が止めましょう。
これが私の捉え方です。

欧州諸国の捉え方もそうでは無いのかと思います。
現実は、論理体系とはまた別であると理解した上で。

立憲国家であるならば、憲法が何であり、何の為にあるのかを全ての国民が正確に正しく理解すべきなのに、私はそれを学校で習った覚えがありません。

しかしそうでなくては、憲法改正の判断が正確に下せません。

長くなりましたが憲法、法の番人であるべき、司法が、
せめて可決後の法律が憲法に反していないかどうかを、チェックしないのはおかしいのではないでしょうか?

議員がバカの集まりであるのですから、
官僚と経済界と戦える知識があるのは司法側の人間しか居ないと思います。

それが、日本国民の憲法と法の保護者であるべき、司法の務めでは無いでしょうか?

日本国憲法と大日本帝国憲法の違いなどを考えると、
論理体系として、気持ちの悪い不協和音が鳴るのです。

時代の大衆心理(これはインテリ富裕層の経済・官僚も含めた心理)、いともたやすく変化します。
そして立案し、可決し、政令へ。

私達(すべての日本人)は、憲法が何であるかを正しく理解しているのでしょうか・・・。

A 回答 (7件)

ここは意見表明の場でも演説会場でもないので、長々と書いてある大演説は無視してタイトル質問についてのみ回答します。



質問:
何故、日本は立法した後に違憲立法審査をしないのですか?

答え:
そのようなシステムになっていないからです。
法学の世界において、違憲立法審査のシステムは大きく二種類に分けられます。

付随的違憲審査制(アメリカ型):違憲審査専門の機関は設置せず、通常の裁判所が、個々の裁判事例において法令を適用する際に、その法令が憲法に違反しないかどうかを審査する。
抽象的違憲審査制(ドイツ型):違憲審査専門の裁判所を置き、これが個々の裁判事例とは無関係に法令を審査する。

つまり、アメリカ型では具体的な事案が発生した場合に、付随して審査します。
ドイツ型では、具体的な事案が無い場合にも審査し続けています。
日本は、アメリカ型を採っています。

ドイツ型には、憲法を頂点とした法秩序を厳密に維持できるという利点はあるのですが、立法(議会)に対する司法(裁判所)の力が強くなり過ぎ、三権のバランスを崩しかねない懸念もあります(裁判所がその気になれば、議会の法案全てを否定できますから)。
アメリカ型は秩序より運用を重視する、ある意味プラグマティックなアメリカ人らしい制度で、法の運用により個人の権利が侵害される可能性がある場合などにそれを回避する為に違憲審査を行います。逆に言えば、問題がない時には一々違憲審査は行いません。

上記のようなシステムの違いにより、日本では立法の都度に違憲審査を行うようにはなっていません。それこそ、憲法でそう定められています。
「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」(第81条)
これはアメリカ型、つまり付随的違憲審査制を示す文言です。
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この回答へのお礼

国語力がありませんので、読みにくい点はお許しください。

実は2型あるというは、どこかで読んだ記憶があったのですが、
曖昧でした。

日本人も運用を重視する国民性であり、
物事を抽象論理体系として捕らえるのは苦手であると思いますので、
現状で正しいのかもしれません。

しかし、優秀な物理学者を多数出していますので、
今の現状は妙ですね・・・。

ドイツはナチス党時代の失敗に対しての、
対応なのかもしれませんね。

日本は、大日本帝国憲法に対しての、
問題点の理解、修正を自己国だけで出来なったのかもしれませんね。
アメリカ人が短時間で憲法修正を行えば、必然的にそうなりますね。

詳しいご説明ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/03 01:07

>単純に9条を正しく改憲して、


>国家の自衛権の保障を宣言すれば良いと思うのですが。
>自衛権の宣言が無いから、解釈しなければ、ならず。
>解釈とは、時代によって、変化するのですから、


自衛権は国家の自然に有する権利であり、これを法によって否定するのは不可能。
あなたの言われるように、この思想は国連でも保障されています。
ただし、国連がその自衛権を保障するものではなく、自衛権が国家の有する固有の権利であるとする、その思想を認めているのです。

外国勢力が国内に傀儡政権等を樹立し、その傀儡政権により国防を解体され、永遠の非武装を憲法等により規定されても、国家自衛権の思想によりその憲法等は無視さるうるものであり、国家は自衛行動をいかんなく発揮できる、と、こういう思想です。
つまりは、自衛権を否定する如何なる法を無視してでも、国家とそれに属する国民は、自然権としての自衛権を行使できる。

この自然権に法的規定の必要はなく、憲法以前に自ずと備わった権利であるから、憲法にはその自衛権行使の細目を記すれば良い。
この精神により、日本国憲法前文の中段以降があります。
日本国憲法前文の中段以降の文言は、自衛権のみならず、日本国家・国民の意思を規定する崇高な文言ですが、その精神にのっとり国家自衛権を遂行する。

更に、日本国憲法第25条により、国家は国民の生存権を保障しなければならず、自衛行動にまつわって言えば、これは国家が率先して国民防衛の任につくべし、との文言です。

解釈の必要も何にも無いではないですか。
文字のまま、「理解」すればよいのですよ。
最高裁での判断もこういう感覚であると思います。


それから、改憲は現段階では危険です。
自民党が幾つかか出してきた過去の憲法改正草案を見れば、むせます。吐き気を催す草案さえありましたね。
その上、国民が馬鹿かお子様か、どちらかに属する人が多い。
改正するにしても、問題の第9条のみに留めるべきであり、前文を含めその他全てを現在のまま、残すべきです。文語体→口語体 への変換も全て拒否し、9条以外は現在のまま。これが望ましい。
自民党さんの改憲族の罠がどこに潜んでいるか分かりませんもん。そしてその罠を国民が見抜けるわけありませんよ。この馬鹿・お子様国民が。

中曽根素案もアレでしたが、その後の自民党案。アイコクシンだとか・・・
このアイコクシン強制の段階でも日本国憲法違反ですわ。

この回答への補足

現状の”地に落ちるリンゴ”の状態を考えれば、
9条は改憲して得られる国益はありません。
その点は、重々分かっております。

"公共の福祉に反しない限り"
とのバランスもあると思います。

>文字のまま、「理解」すればよいのですよ。
>最高裁での判断もこういう感覚であると思います。
確かに、京都大学のどこかの教授の説明もそうであったような気がします。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

”われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。”

そして中段へと繋がる。

以下はアメリカ独立宣言からです。

人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である

いろいろと勉強になりました。
ありがとうございました。

補足日時:2009/04/07 21:08
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>立憲国家であるならば、憲法が何であり、何の為にあるのかを全ての国民が正確に正しく理解すべきなのに、私はそれを学校で習った覚えがありません。



 そりゃそうでしょう。学校では教えていませんから。
 大学の法学部の法律学科で,憲法1・憲法2の講義を受けても,十分な説明がなされない条項もあるのですから。
 法律を専門に扱う法律学科でさえそのような状況なのですから,高等学校や中学校の教員が憲法に精通しているわけがなく,そのような教員が教えられる筈がないでしょう。

>私達(すべての日本人)は、憲法が何であるかを正しく理解しているのでしょうか・・・。
 
 していないでしょう。
 「国民の三大義務は何ですか?」というクイズ問題があります。「教育・勤労・納税」というのが答えだと知っている人は多いでしょうが,それぞれがどのいう意味を指しているのかまで知っている人は少ないでしょう。
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この回答へのお礼

> そりゃそうでしょう。学校では教えていませんから。
>大学の法学部の法律学科で,憲法1・憲法2の講義を受けても,十分な説明がなされない条項もあるのですから。

ありがとうございます。

理解していなければならない階層、立場にある人々の書いた文章の端々に、何度かおかしいと感じられる言葉がありましたので。

これは、国家レベルの問題なのですね。

お礼日時:2009/04/03 00:34

>司法が、せめて可決後の法律が憲法に反していないかどうかを、チェックしないのはおかしいのではないでしょうか?



司法には、自ら調査・判定する権限がありません。
また、裁判所も「判断をしないのが身分保身」です。
「裁判に馴染まない」という理由で、全ての判断から逃げるのが過去の通例ですね。
法案可決前に「違憲判断」をすれば、「形式的な三権分立の崩壊」を意味します。
その為に、内閣法制局なる政府の忠実な部下機関が存在します。

裁判所職員・裁判官・判事も「ただの国家公務員」です。
経歴に傷をつけてまで、出世を棒に振る事はありません。
出世しない事は、国民年金・厚生年金と異なり「100%1円単位で管理保証された、共済年金需給額」が減る事を意味します。
最高裁といえども、ただの庶民感覚です。

この回答への補足

>司法には、自ら調査・判定する権限がありません。

それは憲法で保障されていないから、権限が無いのであり、
その結果の運用によって、その状態になっているのだと思います。

法案可決後に、審議するのでは無いのかと思っていました。
>最高裁といえども、ただの庶民感覚です

それを言ってしまえば、行政も司法も立法も仕事です。

存在しないものを定義する為に憲法があり、
存在する現実をコントロール為に法体系で、
人間の欲を縛りつける為に、体系図を創り上げるのだと思います。

日本人の根本的問題は、官僚も財界もとても優秀だと思うのですが、
その時代の倫理観に依存しすぎており、倫理観が他国より優秀だったなせいで、このような運用状況になっているのでは無いかと思います。

大日本帝国憲法下による、2次大戦の敗戦もこの結果だと思えますし。
現在の、官僚・法人に主導による修正資本主義の崩壊の原因も、
そこにある気がします。

回答いただきどうもありがとうございました。

補足日時:2009/04/03 00:54
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あれ?日本国憲法を学校で習っていないのですか?


それとも、憲法解釈の仕方を習っていないという意味でしょうか。

日本国憲法は文字として存在しています。国家は国民に文字を読める教育を施すことを義務としていますので、あなたも文字を読めるはずであり、であるから、あなたが日本国憲法を読み、あなたが日本国憲法を解釈すればよい。

そして、各法に違憲の疑いをあなたが持たれた場合、または違憲な法によりあなたの利益が損なわれた場合、あなたは法にのっとり公にそれを問題化することも出来る。
自衛権に関して言えば、過去から連綿と多くの人々がそれをやって来たではないですか。



●日本国憲法第25条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。


●日本国憲法 前文 (中段以降)
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。



以上、日本国憲法には、国家は国民の生存権を保障せねばならず、全世界の国民が、政治道徳に反する国家による侵略からまのがれるべきであり、日本国民は全力でこれを追及すると、書かれているではありませんか。

これは日本国憲法における、国家と国民の「自衛権」の保障の宣言です。


更に自衛隊は戦力ではあらず、自衛戦は国権の発動たる戦争ではないが為、日本防衛戦とその準備は日本国憲法第9条の違反とはなりません。

爆撃機を有しない空軍は空軍戦力ではあらず、燃料タンクを意図的に小さくして航続距離をワザワザ短くした戦闘機は空軍戦力とは言えません。
自衛隊の武器使用が、原則正当防衛と緊急避難に限定されている、というのであれば、自衛隊は戦力ではなく、武力でさえありません。

こういう過剰に憲法9条を意識した「遠慮」の為に、日本の自衛権行使に大きな欠落があるので、より実効力のある自衛権行使の追求目的で自衛隊装備の現実化・近代化を図らなければなりません。
現在の防衛装備・武器使用基準では、必要以上に過剰な装備を準備しておかなければ、満足な防衛力になりません。


我々は「死ねばよい」のではなく、世界各国の国民と共に「平和的に生きる」べきです。
平和を乱す国家、平和に反する集団があれば、それらが日本国民と世界国民に害するのであらば、全力をあげてそれを阻止する。

これが日本国憲法で認められた(定められた)自衛権保障であり、国際平和の希求努力です。



それから。
死刑云々についてですが、我々の安全と健全を脅かす要因の排除。
ただそれだけの問題です。

●憲法第36条
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

これだけあれば充分かと。
死刑は残虐な刑罰ではありません。
残虐刑とは、火あぶり・釜ゆで・八つ裂き・ゴクモン等を言います。

この回答への補足

それは正に、例:リンゴは地に落ちる

という現実・現状に対しての運用面のお話であり、
そしてその自衛権保障のご説明は、弁護士のするご説明のようです。

宣言を解釈するという、感覚がおかしいと思いますし、
解釈するのは曖昧さがあるからであり、法律ならともかく、
憲法を解釈するというは・・・。
非常に危険な気がします。

単純に9条を正しく改憲して、
国家の自衛権の保障を宣言すれば良いと思うのですが。
自衛権の宣言が無いから、解釈しなければ、ならず。
解釈とは、時代によって、変化するのですから、

非常に重要な、国家の自衛権について、
憲法に定義条項が無いのはおかしいですし、危険だと思います。

関係無い問題に触れてしまい、
申し訳ありません。

死刑云々については、
http://kihachin.net/tips/badinter.html
フランスにおける、議会審議の訳ですが、
欧州がそう単純な問題として議論してるとは私は思えません。

補足日時:2009/04/03 01:07
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少し違った切り口から、



日本は厳密な意味での法治国家ではありません。
日本国民及び国家は法治を超越します、その証の一つとしてパチンコの違法換金があります。
国民は一応、政治、司法、社会に公正を求めます、しかしながらパチンコの違法換金は警察も認識していながら取り締まらない、又それを国民は承知で容認しています。
例えを変えるとある企業の脱税を税務署が容認し、国民もそれを知りながら容認している事と同じです。(利害が一致すれば容認する。)
つまり国民の潜在的意思がパチンコの存在を容認しているが故問題とならないのです、違憲である自衛隊の存在も同じくであり、大多数の国民の意思は憲法を超越し軍隊の所有を望んでいるという事です。

(元首相の日本赤軍に対する超法規的措置というのもありました、首相自ら超越するのです。)

これは日本人が宗教、規範を有しない為、発生する現象であり、その証として日本人は死刑制度を否定する、つまり殺人を否定する論理を持ちえません。
殺人を禁じている国家が死刑という殺人を犯すことは矛盾であるという主張は論理的ではありません。
死刑制度は復讐権であり、被害を受けた場合、復讐を望む国民の意思として多数決原理により成立している制度です。
国家に必要は無いではなく国家を形成しているのは国民です。

死刑は加害者と被害者との問題であり第三者が介在する問題ではなく、その権利も有りません、制度としてなぜ存在するかは述べた通りです。
死刑、殺人を否定する唯一の根拠は宗教によるものです。
殺人を禁じる宗教を信じる者が死刑制度を否定し被害者に死刑(復讐)を思いとどまるよう説得(主張)する事は何ら問題はありません。
他者はその信仰を否定はできないからです。
拒否する場合は、私はあなたの信仰を受け入れません、という事です。

脈絡がなくなりましたが、、

>>私達(すべての日本人)は、憲法が何であるかを正しく理解しているのでしょうか・・・。

理解というより別な価値観、発想があるという事でしょうね。

田原総一郎という評論家がテレビで(録画してあります。)
欧米はキリスト教が土台でその上に全てがある、ところが日本にはそんなものはない、それが日本の強みだ! 日本には文明の衝突(ハンチントン)などというものはない、との述べておられました。

宗教、規範は有しないという事ですね、
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この回答へのお礼

とても面白いお話ありがとうございます。
多くの回答を頂きましたが、最も面白いお話でした。

立憲法治国家がキリスト教を土台にしている事は知っておりました。
王権神授説から始まっていますし、
人が人を治める権利の話なのですから。

>日本には文明の衝突(ハンチントン)などというものはない
まさに日本の強みだと思います。

しかし、それでも分かりません。

それは、
意図せずに、貧困層から富裕層までが、
現実の人の業をありのままに全て受け入れる国と、

意図せずに、貧困層から富裕層まで
人の業による悲劇のある現実を常に否定して、
失ったエデンを創り上げ様とする国だと思えます。

例えば、幼児虐待され、人を殺し、ついに国家に殺される人は、
産まれてこなかった方が良い人であり、従って復讐されて処分される。

それでも、強い精神の持ち主で、
運よく良い人に会えたなら立派に生きられる。

それはまさに弱肉強食であり、ありのままの現実です。

現実否定と、現実肯定です。

収束するのは、どちらが良い国を創れるか
それが全てです。

お礼日時:2009/04/03 01:51

司法が可決後の法律が憲法に反していないかどうかをチェックしてしまうと、


最終的な立法権が司法に渡ってしまい、三権分立がおかしくなります。

国会議員とて、立法にあたっては審議を重ねますし、
法律家出身の国会議員も多数いますし、
野党からのツッコミもいろいろとありますし、
憲法違反に該当するような法律の立法となれば、世論も黙ってはいないでしょう。
さすがに、憲法違反に該当するような法律を立法することは、
今の日本では無いでしょう。

この回答への補足

立法立案は事実上、官僚側の要請から上がってくる事が多いのでは無いでしょうか?
可決後の政令は、官僚が好きにうまく変えてしまいますし・・・。

官僚は、司法側の人間の顔色を少し伺った方が丁度良いくらいな気がするんですが。

例えばかつての、ホワイトカラーエグゼンプションにしたって、
それでその内容で可決したら、違憲ですと言われればチャラですし。
もっと配慮して、立法立案を官僚側が出す気がするんですけどね。

どうもありがとうございました。

補足日時:2009/04/03 02:01
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