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 草に寝て……
     六月の或る日曜日に
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく

――しはわせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に

私たちの 心は あたたかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた


この詩ではどこの部分にどんな表現技法が使われていますか?
明日 答えが必要なので 教えてください!おねがいします。

A 回答 (1件)

かつて立原道造に溺れた一中年男です。



それにしても、「この詩ではどこの部分にどんな表現技法が使われていますか?」などという、何とも下劣で野暮な課題を出すなんて、どこの大学の何という教師なのか?と首を傾げたくなりますね。

一応、西欧の古典的な十四行詩(ソネット)の形式を踏襲していますが、そもそも韻律とは無縁な散文詩(口語律)ですから、これも「表現技法」と言うほどのことではありません。
ただ、四聯目に繰り返される「だつた」は時間の非可逆性を強調しているかも、という程度のことは言えるかもしれません。

もっとも、われわれが過去を振り返り、もう二度とそこに戻れないとか、取り返しがつかないといった、時間が突き付ける残酷な現実を痛感したり、悔恨の情に駆られたりすれば、われわれの心もおのずとこういう表現を求めざるをえませんから、やはり、これも敢えて「表現技法」と呼ぶことにはためらいを覚えます。

なお、これは単なるお節介にすぎませんが、せっかくこういう機会が質問者さんに与えられたのですから、できるだけ虚心坦懐な心持ちになって、この危ういまでに無菌的な世界にご自分を同化させてみてはいかがでしょうか。
こういう姿勢でこの詩を愛誦するうちに、この詩にはいつの間にか質問者さんの血が流れているはずで、その時、はじめてこの詩を正しく理解したことになるのだと思います。

ご期待に添える回答とはなりませんでしたが、何かの参考にしていただければ幸いです。
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