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あなたにとって、「時間」または「時」とは何ですか?
ぜひ教えてください。
かつて、知人の牧師さん(プロテスタント)に、僕個人の解釈を説明して彼の意見を求めたことがあります。まともには取り合ってもらえませんでした。
僕の定義では、時間=サタンです。
その心は、(1)神様だけしかコントロールできない。(2)四六時中人は時間に振り回され、いたずらに命や財産や幸せを失っている。(3)なぜか、時間を守ることが崇高なことであるかのように錯覚させられている。

A 回答 (12件中1~10件)

> あなたにとって、「時間」または「時」とは何ですか?


というのは、とても難しい問題だと思います。
とりあえず、
> 僕の定義では、時間=サタンです。
に対して、突っ込ませてください。

まず、「時間=サタン」というのは、かなり主観的な判断だと思います。
つまり、「人間が時間に振り回されている」というのは、時間そのものに
「人間を振り回す性質」があるからではなく、人間が「時間に振り回される
存在」であるからです。
つまり、その判断は、時間が「サタン性」をもっているということから
下されているわけではなく、人間という存在そのものの性質に
由来しているわけです。原因は人間の側にあるわけですので、
そういう意味では、勝手に時間を「アクマ呼ばわり」するのは
不当であるともいえると思います。

また、「時間を守ることが崇高なことに思える」というのも、
時間そのものが崇高なのではなく、人間が勝手にそう思っているだけだ
といえるでしょう。つまり、どちらの根拠も、時間そのものが持つ性質
について語ったものとはいえません。

「人間は時間に踊らされている」と考えることは確かにできますが、
それは、人間が時間的に有限な存在であるからです。
「時間的に有限」というのは、要するに、いずれ死ぬという意味です。
これを脱却するには、時間的に超越した存在になる必要があります。

たとえば、輪廻転生的な魂を仮定し、自分という存在のウエイトを
魂において考えたとすると、時間が来て、肉体が滅んでも、
自分という魂は、また別の肉体に宿るだけで、滅んだりしないことに
なります。
そういう雄大な輪廻的世界を生きる人は、時間に振り回されない
かもしれません。そのとき、時間はきっとアクマでなく、もっと
哲学的で雄大な法則か何かのように見えるのではないでしょうか。

とりあえず、時間というものを定義するのは、なかなか難しそうです。
その理由は、「時間」と「意識」とが、あまりに密接な関係を
持っているからではないか、と何となく予測されます。
つまり、あまりに密接なため、「意識」は「時間」を十分に対象化
できない、というわけです。

ところで、「われ思う、ゆえにわれあり」の言葉を真に受けるなら、
意識とは世界が存在する根拠であり、時間とは、その「世界が存在する
根拠」と密接にかかわりのあるものということになりそうです。
そう考えると、「時間とは何か」というのは、なかなか壮大な問題の
ように思えてきます。
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この回答へのお礼

的を得たわかり易いご回答、有難うございます。
misokaさんのご見識に、素直に感服しています。

お礼日時:2003/03/15 12:22

僕の定義は「神」、もしくは「宇宙」、もしくは「無」



地球がなくなろうとも、太陽系がなくなろうとも、銀河系がなくなろうとも「流れ」続けるから。

そもそも時が流れていると感じているのは人間だけであり、時間は存在しないから。
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こんにちは。



時間とは「平等」です。
老いも若きも金持ちも貧乏人も、時間の前にはただひれ伏すことしか出来ません。

では。
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No.4のmay-riverです。

お言葉に甘えて、補足を。

>「過去、現在、未来」って、特に「現在」って何でしょうか?
私的な解釈ですと、時間のベクトルの上にあって、過去でも未来でもないものです。
そうすると、3時間前の事でも「過去」でないのなら「現在」になってしまいますが、
「現在」を、ベクトル上の点として捉えるのではなく、ある長さの線と考えていただければ。

時間に幸せを感じない、ですって?……時間に対する感情なんて
他人がとやかく言うことではありませんけど。

ひとつだけ。忠告めいたものですが……
時間を幸せだと感じれなければ、永遠の様な時間を過ごさなきゃならない時、
免疫が無くて困りますよ。
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僕は物理的に言わしてもらいます。


物理的には時間とは変化です。
物(精神も含む)のポテンシャルが高い所から低い所へ流れる時に時間が関係します。
エネルギーも又然り、宇宙は出来た時は何億度も有った熱が現在は絶対温度で4度、摂氏に直すと-269度程に成ります。
何百億年後には0度に極めて近く成り宇宙全体が冷えて多分時間が無くなる時が来るかも知れません。
つまり、エネルギーが或る空間に1杯に広がって、何処も同じ状態に成るとそれ以上の変化が起きなくなり、時間が止まるのです。
これは人が居ても同じで、そこに居る人もエネルギーを拡散させられれば生きて行く事は出来ません。
だから、地球は人類を作ったのではないかと思います。
時間が無くなると言う事は、宇宙の死を意味します。
もし宇宙に命が有り、生きているとすれば、少しでも先まで生きて居たいと思うでしょう。
その為には、何処か宇宙と関係の無い所からエネルギーを供給してもらう必要が有ります。
それが出来るのは知性体しか無いのです。
だから人類が生まれたのでは無いでしょうか。
人類は宇宙1杯に広がり、そこで混沌を作り出す使命が有るのです。
一寸話がそれましたか?
すみません。
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この回答へのお礼

ご回答、有難うございます。
正直なところ、後半部分については、僕には難解すぎました。でも、時=変化という導入部分は、かなり説得力があります。

お礼日時:2003/03/15 13:02

神学的発想のスレッドですが、あえてそれを無視した解釈を書かせていただきます。


私は時間については「人が生活する上で作り出した便宜上の概念」ととらえています。
無論、時間の定義を考えると天体(地球と太陽)の運行と地球の自転の双方が必要なのですが、
あるスペースオペラ(宇宙モノのSFです)で次のような状況が提示されています。
曰く「自転と公転の関係である星では一日が12時間(地球での時間で、です)、またある星では一日が30時間というような状況になってしまった」
ここで、それぞれの星では2派に分かれて時間を定義した、とあります。
1つ目は、無理やり地球の時間を当てはめた派。こちらでは夜中に「おはようございます」という会話が平然となされるような状況となります。
もう一つは、その星の自転周期を24で割って地方標準時を作ってしまった派。これは一時間を例えば50分にするなどの処置をとるのか、それとも一秒を長くしてしまったのかはわかりません。
いずれにしても、生活の上で問題はありませんし、その星において全員の共有する概念であることに変わりはありません。

(1)については、神であっても時間を戻すことは不可能(神に会ったことはないので確信はありませんが)だとおもいますし、(2)については時間に振り回される人も、そうでない人も、時間を活用して楽しくやっている人もいます。
(3)については、『約束事』を守るのに対して崇高であると思っているのであって、その明確な基準たる時間を守ることが崇高と置き換えてしまっているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
この質問をするにしては、僕は未熟者すぎた、ということだけは痛感しています。

お礼日時:2003/03/15 13:08

面白そうなので回答です。



Q/あなたにとって、「時間」または「時」とは何ですか?

A/宇宙でしょうね。時間は空間があって成り立つ存在ですから、時間は空間(宇宙)のこととなる。
一つの神秘かもしれませんが、何らかの力によって成立している得体の知れない不可思議な物とでも言うべきでしょうかね。

まあ、得体の知れない物を美化し神という人もいますし、仏という者もいる。まあ、悪魔(サタン、天を追放された天使)や魔王など悪い方に考える人もいます。

個人的には、何を代入しても同じことです。神であろうと何かの力であろうと、普遍の何かであろうと、必ず我々自身には分からない何かが最終的に存在することになる。まあ、サタンと思うならそれでも構わないと思いますし、たぶん、いつまで経っても根本の時間や空間の始まりを見極める力は私達にはないはずです。

これは、水の中にいる魚は水の外では生きられないのと同じ、外側に出なければ宇宙はもちろん地球のことすら正確に把握し切れていない部分が多々あったのと同じで、この宇宙という空間や時間の根元を知るには、その外側に出ないと分からないということになる。まあ、因果ですかね。


不自然なのは、逆に科学的に解明できるという考え方です。何故なら、根元には必ず時間や空間を構成する何かが無ければならない。しかも、その時間や空間を構成する何かも、どこからか生まれているはずです。そうなると、さらにそれを構成する者も何かから生まれている。例え、循環するサイクルが合ったとして、その循環サイクルを作るには必ずそのサイクルに適した条件が必要で、その外側にさらに別の環境が整っているのが自然です。そうなると、ここは実験室のビーカーの中で生まれたほんの数秒の世界でその中で我々の住む銀河や宇宙が生まれたのかも知れませんしね。コンピュータの仮想現実で生まれたソフトウェアの人工知能かも神はそれをコントロールしている別の生き物かも、後者はリング(ループ、バースデイ)の貞子の話がそうでしたけどね。まあ、神様にしかコントロールできない。良いですよね。一つ美化された考え方、生きる上では美化した方が励みになりますからよいです。


2番目の四六時中というのでは、本来考えるなら、現実を見ると神も悪魔もない。例え神やサタンがいたとしても、もしかするとその神(サタン)も我々人間とあまり変わらないのではないかと言うことです。例えば、私達人間は、地球上の他の生き物を元に自分たちの利益のために、いろいろな実験をする。特にラットは、ガン細胞を植え付けられたりと、散々です。
これは、我々が生きるために行っていること。ある意味、身勝手なことですが、弱肉強食でもありますし、自然の流れでもある。

それが、この世界と時間全体に言えるとすればどうしますか?ここが研究室の実験施設内にある宇宙製造装置で生まれたなら、我々を監視して、自分達の社会に役立てようとしている者がいるということ。その生き物ももしかすると、誰かに監視されているのかも・・・・時間は我々の世界を作った物が我々にとって時間を創設した物ですから、この考えは否定できない。そうなると、神も悪魔もあまり違いがない。我々があくまで美化もしくは悪く見て考えただけで、一番妥当なのは、我々と同じ理論をもった別の生き物か、我々を構成している物の何かに過ぎないで、特別ではないと見るのが一番よい。


3つ目は、これは集団生活をするための物で、その上で必要になっただけでどうなのでしょうね。神が定めたのかというと、そうではなく、自然と我々が自然の流れにそって選んでしまった宿命ではないですかね。人は他人という存在に気を遣い頼らないと今の近代社会では生きていけません。一人で生きる。いわゆる狩りをし、服を作り、子孫を残し、住居を作るのは今の社会で一人で全てできるかというと、微妙ですよね。それぞれの強みを生かした方が、より短時間で人間を進化させられると考えたから我々は、人を敬い、人に迷惑をかけないで生きようと時間を守るようになった。

それは、神の力もあるかもしれませんし、悪の力かもしれませんが、結局我々がいろいろな事情を経て選んで来た道に過ぎないため、これは何とも言えない。

とまあ、これは私の個人的な意見。まあ、参考にして下さい。ちなみに、ちょっと趣旨が質問から外れているかも・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
正直、私には難解な部分もありましたが、感謝しています。自分の中でもっと整理してから、また質問しようと思っています。

お礼日時:2003/03/12 23:33

「時」とは、「経過」そのものだと思います。


「時」がなければ、何も過ぎ去っていくことはないし、何かがやってきたり、起こったりすることもない。
認識も何もできない、否、そのような概念は、「時」がなければ存在しえません。
また、当然「時」は一方方向です。
パラレルワールドの考え方をすれば、将来になるに従って、世界は枝分かれしてゆく。逆に過去を遡れば、一つに収束していきます。(これについては私の理解が間違っているかも)

(1)については、私は、この宇宙の中に神が存在するものとすると、
時は宇宙の基本原理の一つなので、神は時間をどうこうするものでない。
また、神が宇宙を超えたものであれば、我々には、神の存在・行動・能力について、思考できないと思います。
(2)(3)については、私も全く同感です。でも、実際には、これは人の社会システムでは、人と「タイミング」をあわせて行動することが重要だからだと思います。
その家庭の中で、人は後悔したり、恨んだりするのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
時=経過、なるほどな、と思いました。
そう考えると、一定方向の意味も理解できます。
「時間と喧嘩しないこと」という表現について、具体的にどういうことなのか考えたことがあります。浮かんだ答えは、「睡眠不足にならないこと」でした。
時間については、もっと広角的に考えてみます。

お礼日時:2003/03/13 00:01

いや、牧師は言うまでも無くプロテスタントでしょ。


カトリックの牧師さんなんていたら、私すっ飛びますよ。……あまり関係ないですが。

私にとって、時間はベクトルのひとつです。
0次元は点、1次元は線、2次元は縦と横、3次元は縦と横と高さ……ですよね。
4次元は何かと言われた時、縦と横と高さと時間だ、と答えます。
人間は、違う時間にあった事をいっぺんに見る事は出来ませんね。
でも、確かに存在するし、実感として捉える事も出来ます。

そういう意味で、極論すれば時間は神様ですね。
その心は第一に、誰にも見えない事。第二に、人それぞれ捉え方が違う事。第三に、敬虔であれば=時間厳守主義であると褒められるが、無神論者=時間に多少なりともルーズでも責められない。

私の好きな小説からの引用だと、
「神がいると信じる事で救われる人間もいれば、神がいると思う事で絶望を感じる人間もいる。」
……「神」に「時間」を代入すれば、何となく腑に落ちませんか?

何かあれば、また質問して下さい。
ちなみに、「神がいると~」は、有栖川有栖著&講談社出版「ペルシャ猫の謎」に収録されている「悲劇的」、
探偵役(と言ってもこの話はミステリではありません)である火村英生助教授の台詞です。
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この回答へのお礼

そうですよね。カソリックなら神父さまですよね。ご指摘、ありがとうございます。
「時間=神」は相当ユニークな解釈だなと思いました。
というのも、僕は時間というものから善意だとか愛だとかを感じ取ったことがなかったからでしょう。
さて、お言葉に甘えて、新しい質問です。
「過去、現在、未来」って、特に「現在」って何でしょうか? 考えれば考えるほどわからなくなります。

お礼日時:2003/03/13 00:32

あまり哲学的な意見ではないかもしれませんが参考程度に。



時間とは何か、と聞かれて出てきたものは
・瞬間の連続
・一定の速度で流れ続ける。
・戻ることも止まることも無い。

時間とは、この世のすべての中心にあり、根本であると思います。
時間の上に物体が存在し、物体、生命の上に意志が存在するといった感じでしょうか。

ただ、あなたの意見にちょっと首をかしげるものがありますので、記載しますね。

> (1)神様だけしかコントロールできない。
私は神の存在を信じません。
ですが、もし居たとして、のレスをさせてもらいます。
神は時間を「コントロール」しているのでしょうか?
神は時間とはまったく違った概念の上に存在するものだとおもいます。
時間は一定の速度で常に流れ続けています。コントロールというのは違いますね。

> (2)四六時中人は時間に振り回され、いたずらに命や財産や幸せを失っている。
時間の上に生きているので当然です。
それに命や財産や幸せを得ている場合もあるでしょう。
命や財産や幸せを失っているのは時間のせいでしょうか?
そこも疑問です。

> (3)なぜか、時間を守ることが崇高なことであるかのように錯覚させられている。
哲学とは離れる考え方ですが、戻る事も止まる事もないので、「守る」ことは崇高です。
錯覚でもなんでもないです。
過ぎてしまったら取り返しがつきません。
その瞬間だからこそ、意味のある行為もあるのです。
守るべきなんです。
それに、時間を守らないと周囲の人が迷惑することもあります。
「守る」ことは人として生きる上で大事ですよ。
これは哲学ではなく、マナー、モラルです。
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