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大学4年目の者です。教員養成系の大学に通っています。
教師になりたいと思ってこの大学を選んだのですが、親はほかの大学・学部に入ってほしかったようで、反対を押し切る形になってしまいました。

3年間は教師以外の職業につく自分が想像できないほど、教師になるために努力したつもりです。
しかし、教育実習が終わってあらためて考えたとき、学校社会の中しか知らない自分に急にぞっとするようになりました。アルバイトの経験はありますが、学生としてではなく社会人として、世の中のことを何も知らない自分が教壇に立つことが怖くなってしまいました。
まわりの友人に話しても、以前の私のように大学卒業してすぐに教師になることに恐怖もとまどいもないようです。
こんな考えの私が教師になったらこどもたちを不幸にすると思い、ぎりぎりで進路変更をして公務員試験の勉強をし、今受けているところです。

親は「反対を押し切ってこの道を選んだんだから教師にならなくてどうする」といいます。
友人たちも「夢をあきらめた」というようなことを言ってきます。

私は大学に入ったときは本当に教師になりたいと思い、3年間はそのつもりで頑張ってきたので、その結果別の道を選ぼうとしていることに後悔はしていません。
自分自身では夢をあきらめた、という表現は合わないと思うのですが、
こんな自分は、一般的には「夢をあきらめた」と見られるのでしょうか。

A 回答 (2件)

あまり、こういう見方というものに「一般的」というのは無いと思います。


質問者さんが言われた相手が、そういう見方をしていたに過ぎません。
たぶん、「それはそれでいいんじゃない?」と思う人は、わざわざ、それを質問者さんに伝える必要を感じないでしょうし。

それはさておき、表現が合おうが合うまいが、そんなことは問題では無いと思います。
私自身、(別に親の反対を押し切ったというようなディテールはありませんが)在学時の専門分野とはまったくと言ってよいほど違う分野に就職しましたし、それを後悔したりはしていません。
今でも、「なんで?」と聞かれますが、素直に、「その道に進もうと思わなかったから」と答えます。
教員養成課程というのが、その課程を修了しないと特定の職に就けないという特殊な性格を帯びているために、そう言われる傾向が高いだけでしょう。
「こんな考えの私が教師になったらこどもたちを不幸にする」とは思いませんが、進路変更するなら早い方が有利ですから、質問者さんの行動は理解できます。

ただ、質問文を読んで感じてしまったのが、「子供を不幸にする」とか「世の中のことを何も知らない自分が教壇に立つことが怖くなってしまいました」とか、前向きな印象を与えない理由ばかりが挙げられていることです。
こう言われてしまうと(こう言ったのかどうかはわかりませんが)、質問者さんの気持ちのどこかに本当は教師になりたいという本音があるのではないかと疑ってしまいます。
そうではなくて、公務員になるのであれば、こういう理由でなりたいとか、単純に「教師になりたい気持ちが無くなった」といった理由であれば、もっと前向きな意見が届いてくる気がしました。
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この回答へのお礼

教師という職業への憧れは今でもあるのだと自分でも思います。ただ、あらためてほかの進路(公務員・民間)についても考えた上で、公務員の仕事に今一番魅力を感じています。
今まで「くよくよ悩んでも仕方ない」と思ってきたので、落ち着いてきた最近になって言われた友人の言葉に熱くなってしまったところもあるのかもしれません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/20 23:46

>こんな自分は、一般的には「夢をあきらめた」と見られるのでしょうか。


質問者さんが自分の中でどのように考えようが勝手ですが、他人から見ればそう見られても仕方ありません。
自己評価と他人の評価が一致するのは客観的な数値で判断できるようモノです。
>学校社会の中しか知らない自分に急にぞっとするようになりました。
やはり世間知らずがココにも出ていますね。
そんなもんでしょ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2009/05/20 23:20

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