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資料1 森 三樹三郎著「天命について」
~、儒家者流のうちに宿命観的な気分が濃厚に流れていたことになる。その淵源は、おそらく孔子自身のうちに、或いは論語そのもののうちに、求めなければならないであろう。およそ神なき道徳の立場は、多少の程度の差こそあれ、必ず宿命論を招くものである。~

資料2 任 継愈ほか著、滝野邦雄訳「唯心論的天命観」
~。老子は自然無為の天道観をはじめて系統立て、唯物論や無神論の考え方をさらに高度な段階に引きあげた。当時、天が最高の人格神であるという地位を否定することは、直接的には宗教的な学説を批判することであり、間接的には~

資料1には「神なき道徳の立場」とあることから、著者は「天」を「神」ではないと認識しているやに読めます。一方、資料2には「天が最高の人格神であるという地位」とあることから、著者は「天」を「神」だと認識しているやに読めます。宗教学の立場からみるとき、孔子の言う「天」を「神」に分類してはいけないのですか。分類してよいとき、孔子を尊崇している教団には「天」が「神」と呼ばれることを不愉快に思うなどの事情がありますか。

宗教学や思想界、乃至は教団の考え方が分かる程度の解説を希望します。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

孔子曰く [天命に従い則を越えず]


孔子曰く、「政治を行うにあたって徳をもってすれば、たとえば天の北極があって、あらゆる星々がその回りを巡りゆくように、人の世も有徳の聖人を中心として動いているかのごとく見えるであろう」

この二つの句から、天が単なる宿命や漠然とした自然ではないことが読み取れますね。
第二の句でははっきり天の北極=有徳の聖人といってますから、天命も有徳の聖人の命に従うという意味でしょうね。
だから、天が神であってもなんら差し支えないように思います。
キリスト教でも神の国を天の国といってますからね。
宗教くさいのが嫌いであれば天として、宗教くさいのが好きであれば神でいいと思いますが。

この回答への補足

本日は7月4日です。質問文投稿以来、2週間を経ました。大筋として私の見解と一致するようなご回答を信じてよいのか否か心配です。しかし、この先、新たな回答は期待できそうもないので締め切ります。
お世話になりました。

補足日時:2009/07/04 05:29
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この回答へのお礼

分かりました。
もやっとした世間の掟みたいなものも含めて、個人の意思ではどうにもならないものを、孔子は「天命」と呼んでいるように思えます。つまり幾分か人間臭さを含んだ「神」の意思が孔子のいう「天命」なのかなと感じています。こんな感覚まで一致しているか否かは別として、天は神と呼べるだろうとの結論には賛同しています。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

お礼日時:2009/06/20 12:34

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